表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ランプ売りの青年  作者: ふん
命の灯火編(下)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

174/325

第二十四話

 ヴィクターの葬儀があった日の晩。

 街の灯りは全て消えていた。

 誰かが亡くなると、街灯から暖炉、調理火まで消して、死者を月明かりに送るというのがディアナ国の風習だった。

 そうして、月を見上げる度に故人を思い出すのだ。

 今日は端無くも、ディアナの国旗と同じ満月の夜だった。

 灯りのない地上から見上げる空に浮かぶ満月は、吸い込まれそうなほど大きく強く輝いていた。

 リットは城でも街でもなく、水の干上がったティアドロップ湖に一人で来ていた。

 かたい夏草の上に腰を下ろし、ヴィクターの好きな酒を傾けている。

 誰かの泣き声を聞くのが嫌でここにきたのに、葉擦れさえも泣いているように聞こえてくる。

 リットは夏草の上に寝転ぶと、月を見上げた。

 感情が悲しみ一つに染まってしまえば、心の置き場もあったのだが、そうもいかなかった。

 お腹が空いていることに気付くが、なにも食べる気がおきなかったり、整理のしようのない胸のざわめきに苛立ったり、なぜ自分が歩いてるのかわからなかったり、義務的な弔いの言葉や葬儀に嫌気がさしたり、心を無にすることもできず、雑念ばかりが湧いてくる。

 あの月から客観的に自分を眺め、操っているような奇妙な感覚だ。

 だからだろうか、夏草が踏みつけられ悲鳴を上げる音に、リットは敏感に反応した。

 仰向けに寝転がったリットからは、誰かの足だけが見える。

 もしかしてと思い慌てて立ち上がったが、誰の姿もない。視線を下げると、揺れるおさげがあった。

「急に立ち上がるからびっくりしましたよォ」

 月明かりに照らされて、ノーラの輪郭が闇に浮かび上がった。驚きに目を大きく見開いている。

 リットは一つ息を吐いて、再び腰を下ろすと、酒瓶を傾けた。

「びっくりしたのはこっちだ。もう、化けて出たのかと思った。……なんかようか?」

「今日は雲がないっスねェ」

 ノーラはリットの後ろに回って腰を下ろすと、反対側にある月を見るために背中に体重を預けた。

 夏草に冷やされたリットの背中に、灯るようにノーラの体温が流れ込んでくる。

「そうだな……。明日は暑くなりそうだ。それで、オマエは暗い中、食糧庫と道を間違えたのか?」

「星を繋いで星座を作るのからヒントを得て、昔の魔法使いが魔法陣を思いついたって知ってますか? 旦那がオークの村に行ってる時に、グリザベルが言ってたんスよ」

 ノーラは手を真上に伸ばして、立てた人差し指で適当に星と星を線で繋いだ。

「さっきから食い違ったことばっか言ってるけどよ。オマエはちゃんと答える気があるのか?」

「必要あります?」

 とぼけたノーラの声に、リットは小さく笑いをこぼした。

「いや……いい。帰ったらまた大掃除か……。それに帰る前に、おふくろに寄るって言っちまったしな」

「夏といえば蚊の季節ですねェ。なんで刺されると痒くなるんスかね。痒くなければほっとくのに」

「この国も本格的に忙しくなりそうだ。親父の時と全く同じの国。ってわけにはいかなさそうだしな。モントも大変そうだ」

「あの、手入れしていない庭が虫の住処になってると思うんスよ。チルカも、こんなの庭じゃなくて森よって言ってましたよ」

 二人の言いたいことだけを言うチグハグな会話は続き、夜が更ける頃には、ノーラの返答は寝息と寝言になっていたが、気にせずリットは喋り続けていた。



 やがて、短い夏の夜が白け始めた。

 淡いピンクとグレーがかった白い雲、濃艶な青い空、鮮やかに世界を照らす。野鳥の鳴き声が互いに呼応し、大地や樹木の匂いが色濃く漂う。

 世界は独特な空気を纏っていた。

 リットは消えた月を眺め、眠ることなくゆっくりとした口調で喋り続けていた。

「一晩中ここにいたのか」

 グリザベルの声を聞いて、リットは酒瓶に僅かに残る酒で口を潤した。

「そのつもりはなかったけど、結果的にそうなったな。きっと寝過ぎたせいだ。十五日も寝っぱなしなんてことは、いままでなかったからな」

 リットが振り返ると、背中に寄りかかって寝ていたノーラが地面に倒れたが、起きることなく、草と地面に頬ずりしながら深い寝息を吐いた。

 今までリットは気付いていなかったが、ノーラの頭には包帯が巻いてあった。

 グリザベルはノーラの隣に腰掛けると、「ノーラに救われたな」と言いながら、ほどけかけていた包帯を直した。

 リットが何も言わず、ノーラの頭に巻かれた包帯を見ていると「心配するな。ただの擦り傷だ。傷も残らん」とグリザベルが言った。

「なにやったんだ? コイツは」

「夢で見なかったのか? なるほど……時うつしの鏡は、鏡を覗かなかった時の未来が見えるのかもしれぬな」

 リットが「何が?」と聞く前に、手のひらに粉を落とされた。その粉は朝日を浴びてキラキラと輝いていた。

「それが、時うつしの鏡だ。ノーラの頭によって割られたな」

 リットは粉を摘んで、手のひらの上に落とした。破片ではなく、砂浜のようにきめ細かやかな砂になっている。

「これが、時うつしの鏡なのか?」

「そうだ。割れた途端に崩れるようにして砂になったらしい。ノーラが転んで鏡を割らなかったら、お主はもっと寝ていたかもしれぬ。――いや、その心配はないか」

 グリザベルは昨夜の月を見るような優しい顔で朝焼けを眺めた。

「スクィークスも起きてただろ」

「お主よりかなり早く起きておったぞ。ヴィクターが倒れるまで寝ていたとは、何も起こらぬ平安な人生だったようだな」

「何年も眠りこけて、平安もあるかよ」

「お主のように人生の分岐点が多々あれば、ヴィクターが倒れるまで夢を見ず、何年も前に目覚めた可能性があるということだ」

「オレの人生の分岐点なんざ、酒を飲み始めたことくらいだ」

 リットは立ち上がると、澄んだ朝の空気を身体いっぱいに吸い込んだ。そして、だいぶ気持ちが落ち着いていることに気付いた。

「妖精の白ユリを見つけ、ヨルムウトルに光を取り戻し、東の国の大灯台に火を灯した。お主は自分で思う以上に、世界に関わっているぞ。ヴィクターが言っていた、オレに一番に似ていると言う言葉は、そういうことなのだろう」

 グリザベルは真っ直ぐリットを見つめて言ったが、言われたリットは呆れた様子で顔をしかめた。

「オマエは、もう一つ気を使えねぇな……」

「我はいいことを言ったつもりだぞ。なぜ、非難されねばならぬのだ」

「そういう言葉を聞くのが嫌で、城からも街からも離れた場所にいんだよ。わかるだろ、普通」

「言わねばわかるわけがなかろう。城に帰らぬお主の心配をして探しに来たのだぞ。納得いかぬぅ!」

「察せよ。もし、一人で泣き明かしてたら、どうするつもりだ」

「泣かぬのか? 泣いても、咎める者もからかう者もおらんぞ。人に涙を見せるのが嫌ならば、我は朝焼けを眺めていよう」

 グリザベルは立ち上がり、数歩歩いてリットに背中を見せる。

 わかりやすい気の使われ方に、リットは思わず笑いをこぼした。

「心配されなくても、泣きたくなったら泣く。別に我慢してるわけじゃねぇしな。酒を飲んで弔えば充分だ」

 強がりではなく本心だった。

 きっといつかは、今日と似た月を見上げて泣くだろう。だが今は、飲めなくなったヴィクターの好きな酒を、代わりに飲んでやりたい気持ちだった。そこに憂いも嘆きもなく、ただ語らうようにだ。

「そうか……。なら我も付き合おうではないか」

 グリザベルはリットの目の前に座ると、コップを探して視線をさまよわせた。

「気持ちはありがてぇけどな。もう飲んじまった。それに、人に飲ませるのはもったいねぇよ」

「そうだな。確かに、お主が飲むべき酒だ」

「いや、高え酒なんだこれ。帰ったらまだ一本残ってるけど……。飲みたけりゃ、金を取るぞ」

 リットは空になった瓶を拾い上げて、ラベルをグリザベルに見せるようにした。

「お主は……少しさばさばし過ぎではないか?」

「いいんだよ。これがオレと親父の関係だ。それより、もう未来を見る鏡はなくなっちまったんだな」

 今度はグリザベルが呆れた様子で顔をしかめた。

「そうだ。鏡も割れたし、額縁の魔法陣も意味がなくなってしまった。我もお主に一つ問いたい。何を見たのだ?」

 リットは夢の内容を話した。

 ヴィクターが倒れたという知らせが入る以前のことも、現実に起こったことのように、断片的に記憶に残っていた。

 そして、そのことはいくつか現実世界の出来事ともリンクしていた。

「なるほど……。グンヴァが飲みすぎて酒場のテーブルを酔って壊し、怒られていたしょうもない夢を見ていたわけだな」

「人の夢にケチつけんじゃねぇよ」

「ケチをつけているわけではない。しょうもないからこそ、重要なことなのだ。グンヴァが酔って酒場のテーブルを壊したのは現実にもあった出来事だ。お主が眠りについていた間にな。取るに足りない出来事こそ、未来を見ていた証拠になる。確かめる術はもうないがな」

「そうは言うけどよ。夢の最後はよく覚えてねぇんだ。色んな情報がいっぺんに記憶の中でこねくり回されたみたいに、ごちゃごちゃになって目が覚めたからな。なんとなく親父が倒れたという言葉が頭に残って、気付いたら走ってた」

 リットは眉間にしわを寄せて難しい顔をした。思い出せば思い出すほど、頭の中に浮かぶ夢の映像が褪せていくようだ。

「我が体験したわけではないから、確かなことは言えん。少なくとも、あれは未来を変えるための道具ではないということだ」

「未来が見えるのに、なにもできないとはな。なんのための神の産物なんだか」

「ディアドレが死期を悟り、空に行く決心をつけたように、今回もお主を少し素直にさせる力はあったということだ」

 先程からリットがヴィクターのことを親父と呼ぶのを聞いて、グリザベルは顔をほころばせた。

 リットは否定も肯定もせずに、笑い返した。照れくささに耳の裏をかきながら無意味に少し歩くと、ちょうどよく転がってるノーラの頭を蹴飛ばしてしまった。

「あ痛っ! もう少し普通の起こし方でお願いしやすぜェ」

 ノーラが蹴られた頭を押さえながら起き上がった。目やにを丸めた手で乱暴にこすり落とし、まだ太陽が低いことに気がつくと、猫のように大きく口を開けてあくびをした。

「リンゴでも丸呑みにする気か?」

「口に入っても噛み砕けませんよ。蛇ならそのまま飲み込めるんでしょうけど……丸呑みにして味なんてわかるんスかね?」

 ノーラは寝ぼけに任せて、よくわからないことを口走り、まるで湯に浸かったかのようにほうっと息を吐いた。そして、ひどく緩慢な動きで地面に座り込むと、また大きくあくびをした。

「無理もない、まだ朝方だからな。普段ならまだベッドにいる頃だ」

 ノーラにあくびをうつされたグリザベルは、口元に手を添えて控えめにあくびをした。

「戻るか。拗ねた子供じゃあるまいし、いつまでもここにいる理由なんてねぇからな」

「お腹も減りましたしねェ」

 ノーラは眠気を身体から吹き飛ばすように、両腕を伸ばしながら立ち上がった。そのままぐっと上体を後ろに傾けて、うーんと低く喉を鳴らす。

「そうだな。なにか腹に入れてぇな」

 昨夜のことが嘘のように、リットの胃は食べ物を欲していた。

 ヴィクターが死ぬ間際まで、いつも通り過ごしている意味がやっとわかった。自分との思い出にしがみつくのではなく、思い出として心の中に残しておいて欲しかったのだろう。

 リットはノーラを通して、ヴィクターのいつも通りを見ていた。

「どうかしましたかァ?」と聞いてくるノーラに、リットは「なんでも」と言うと、酒瓶を拾って歩き出した。


 しばらく歩いたところで、リットは「そう言えば、時うつしの鏡はどうするんだ?」と、グリザベルに話しかけた。

「ガルベラの研究所ではなく、ディアナ国で保管すると言っていたぞ」

「いいのか?」

「良いも悪いも、あの鏡はディアドレのものではなく、もうディアナ国のものだ。それに、鏡が割れてしまっては意味が無いものだからな」

 グリザベルには時うつし鏡への執着心はなかった。何を当たり前のことを言っていると、疑問に眉をひそめている

「あの額縁は魔法陣だろ?」

「それならば、元となる二枚の魔法陣があればよい」

「もったいねぇ。言えば少しはくれると思うぞ」

「金銭が必要になれば、ガルベラのように魔宝石を売って歩く。お主の方こそ必要ではないのか? ヴィクターと一緒に調べたものだ。形見になるのではないか?」

「形見なら、もう貰った」

 リットは酒瓶を胸元に掲げた。朝日に空の瓶が綺麗に透ける。

「空ではないか。いや、まだ部屋にあると言っていたな」

「たまに思い出して、ちびちびやりながら供養してやるよ」

「そうか、お主らしいな。お主らしいやり方のほうが、ヴィクターも喜ぶかもしれぬな」

「そう、いつも通りだ」

 リットはいつも通りの足取りで、まだ悲しみの色に染まる街へと戻っていた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ