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ランプ売りの青年  作者: ふん
命の灯火編(下)

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第二十二話

 朝になり、リットは朝食の席でヴィクターに大鏡についてわかったことを伝えようとしたが、ヴィクターの姿はなかった。

「ヴィクターはどうしたんだ?」

 リットは魚のパイ包みの皮を、食べる気もなくスプーンで乱暴に崩しながらセレネに聞いた。

「ヴィクターはゴウゴを連れて、リゼーネ王国まで行っています」

 セレネは唇にわずかについた蜂蜜を、ナプキンで上品に拭いながら答えた。

「ゴウゴと一緒に? なんでリゼーネに」

「内政はモントに教えましたが、外交までは手が回りませんでしたから。急な退位で時間がなかったものですから」

「ゴウゴは外交官になるのか? まぁ、いつも姿を見せねぇような奴だけどよ。一応は王族だろ」

「ゴウゴが言い出したことですから。城にずっといるよりは、他の国を見て回れるほうがいいと。それに、王の兄弟が外交官になるのはよくあることですよ」

 言い終えると、セレネは一瞬だけスクィークスの寝顔を見た。

 男兄弟を年の順で並べると、モント、スクィークス、ゴウゴ、マックス、グンヴァ、バニュウになる。

 もし、モントとソアレの間に子供ができないまま死んでしまったら、年の順でいくと次の王はスクィークス。若ければいいなら、グンヴァかバニュウ。

 何をするにしてもゴウゴとマックス辺りは微妙な立場だろう。ならば、始めから外交官として国を支えるというゴウゴの考えは間違っていないのかもしれない。

「父と違って、私はなんでも一人ではできないからな。支えてくれる者が多いのは嬉しいことだ」

 モントは照れくさそうに顎鬚をなでながら言った。いつの間にか髭をたくわえたモントの顔は、若き日のヴィクターを想像させる。

「あら、ヴィクターだって私達の手を借りられるだけ借りていたわ。知らないのは、ヴィクターが子供の前で良いカッコしてただけよ」

 ミニーは朝からワインのお代わりを頼んで、艶やかな紅い唇から吐息を漏らした。

「私は自分を買いかぶるつもりはない。非凡な才がないことはわかっている。まだ政治ばかりで、経済にまで頭がまわらないからな。もっと深く国民との関わりがある者が、この国の経済に関わってくれればいいのだが……」

 モントはリットを見た。

 視線の意味はわかっていたリットだが、わかりきった答えを聞くなという代わりに、別の問いをモントに投げかけた。

「政治と経済ってのはそんなに違うのか?」

「平和を追求するのが政治であり、豊かさを追求するのが経済だ」

「旦那をこの国の経済なんてものに関わらせたら、リル川が一夜にしてお酒の川になっちゃいますよ。……旦那、食べ物でできた森とか作る気あります?」

 ノーラはリットが眉一つ動かすのを見逃さないように、真剣な表情で顔を覗き込んだ。

「ない」

「じゃあ、やっぱり旦那を誘うのはやめたほうがいいっス。お金の代わりに、お酒が流通する変な国になっちゃいますよ」

 ノーラは唇の端についたパイの食べかすを親指で口の中に押し込んだ。

「いい考えだと思ったんだがな……。父は暇を作っては街に出掛けて、国の経済を肌で感じていたが、私にはそんな時間は取れそうにない」

「まぁ、場末のランプ屋の小さい経済から言わせてもらえば、ないものを取り入れるより、あるものから使うべきだ。なんでも屋をやってて街の奴らと仲の良いリッチーに、裏通りのはみ出し者と仲が良いグンヴァがいるだろ。若者の流行に敏感なシルヴァと、商人を目指すって公言してるバニュウもいる。こいつらを使えねぇなら、どうせこの国は長く保たねぇよ。まぁ、一人役立たずがいるけどな」

 リットがテーブルに枕を置いて眠りこけるスクィークスを見ると、小さい体を懸命に伸ばして、ノーラの隣の席からピースクが怒った顔を覗かせた。

「こらー、スクーイちゃんを役立たず呼ばわりしちゃダメですよ。好きで寝ているわけじゃないんですから」

 スクィークスの命に別状はないとグリザベルが言っていたが、いつ目覚めるかわからないものを伝えていいものかとリットは悩んだ。

 そして、自分の口から伝えるよりも、ヴィクターに任せたほうが良いだろうと判断した。

「たくっ、自分から朝揃って食べることにしてるって言っておいて。自分が居ねぇってどういうことだよ」

「お父さんだって忙しいんだから、わがままを言って困らせたらダメですよ」

 セレネの子供をあやすような口ぶりに、リットは勘弁してくれと頭を掻きながら、ため息を落とす。

 そんなリットの様子を見て、セレネはくすくすと小さく笑いをこぼしていた。

 リットはため息と一緒に視線を落とし、手持ち無沙汰にずっとスプーンで崩していた魚のパイ包みが無残な姿になっているのを見てから、対面に座るスクィークスに視線をやった。

 スクィークスが目覚めるきっかけを無理やり作れば、スクィークスは起きるのだろうか。という疑問が浮かぶ。

 もし、スクィークスの見た未来が、魚のパイ包みが出ている朝食の場面だとして、魚のパイ包みがぐちゃぐちゃに崩されることが、スクィークスの人生のなんらかのターニングポイントになっているとしたら、今目覚めているはずだ。

 しかし、スクィークスは相変わらず寝息を立てたままということは、これは関係のないこと。

 モントの婚儀でも目覚めなかったということは、それはスクィークスにとって人生に余り関係のないということだ。

 では、住む場所がなくなったらどうだろうとリットが思った時、それは自然に口に出ていた。

「おっ、城が燃えてる」

 リットが周りに聞こえるように大きく呟くと、食卓を囲む者たちだけではなく、ドアの向こうにいる兵士達もざわめき出した。

 しかし、スクィークスは一定間隔の寝息をするだけで微動だにしない。

 なら次は、ソアレが嫁に来たように、誰かが城に来るのではなく、誰かがいなくなるのならどうだろうとリットは思った。

「おい、シルヴァ。ウィルが城を出て一緒に暮らしてくれって言ってたぞ」

「今それどころじゃないわよ! お城が燃えてるの! 昨日新しい服買ったばかりなのに! ……え? なに、ウィルが今日プロポーズに来るって」

 予想がついていたことだが、いくら言っても口だけならなんの意味もない。スクィークスはあざ笑うかのように長い寝息を吐いただけだった。

「なら――」とリットが口を開いた瞬間。首元に暖かく柔らかいものが巻き付いた。

 そして、青白い炎が見えたかと思うと、それが一瞬にして顔の産毛を焦がした。

「次に、なにか言ったら燃やしますわよ……」

 メラニーが両手でリットの首を押さえながら、口元にだけ引きつった笑みを見せていた。

「悪かったよ。つい試したくなったんだ」

「ついで、心臓に悪い嘘をつかれたらたまったもんじゃないですわ」

 メラニーの手が首から離れると、湧き出た汗のせいで風が涼しく感じた。

「そうだよな……。結局何を言っても嘘なんだよな。かと言って、本当に城を燃やすわけにもいかねぇしな……」

「当たり前だ!」

 マックスがテーブルを拳で思いっきり叩いて叫んだ。

「わりぃな。朝飯はもういいわ。ちょっと出てくる」

 リットはスプーンを置いて立ち上がる。

「私も私も」

 ノーラは目の前の料理を一気にかっこむと、リットに続いて立ち上がった。

 リットが歩こうとすると、シルヴァが腕を掴んで止めた。

「ちょっと待った!」

「なんだよ」

「ウィルはいつ来るって?」

 シルヴァは先程言ったリットの嘘に食い付いていた。

 リットはシルヴァに冷めた目を向けてから鼻で笑った。

「おとといだ」

「なにそれ、どういうこと?」

「ゆっくり考えろよ。飯食い終わっても気付かなかったら手遅れだ。わかったか、お気楽娘」



 城門を抜けて城下町まで来ると、ノーラが急に足を早めた。

「こっちスよ」と、ノーラが手招いた先にはパン屋があった。

「オマエは知らないだろうけどな。今、朝飯食ったばっかだろ」

「旦那こそ、知らないんスか? 朝ごはんを食べ終わった時間は、ちょうどパンが焼き上がる時間でもあるんスよ」

 ノーラの言うとおり、店からは焼き上がったばかりのパンの香ばしい匂いが漂っている。

「買うなら買ってこいよ。オレは先に歩いてるぞ」

 リットが向かったのはガルベラの研究所だ。

 リットが扉の前に着いたところで、短い足で懸命に走っていたノーラが追いついた。

 中に入ると、ガルベラの研究所はいつもと変わりなかった。

 低い天井に、薄汚れた床。

 テーブルの上にはリットの飲みかけの酒瓶や、積まれたままになっている本や羊皮紙の山。

 床には誰が倒したかわからないが、倒れたままになっている椅子。

 ノーラはその椅子をなおすことなく、来る途中に買ったパンを三つ置いて、その中から一つ取ってかじりついた。

 リットは大鏡の前に立ち、自分であって自分ではない鏡の中の自分と手のひらを合わせた。

 自分で自分を見ることは不可能だが、鏡があれば見ることができる。

 それは、鏡の中の自分を見ているのか、鏡の中の自分に見られているのか曖昧なものだ。

 見ると意識していれば見ているが、目が合うということは見られていると捉えることもできる。

 まるで自分自身の存在に疑念を抱いたようで、胃の奥に虫が巣食ったように気持ち悪くなってくる。

 この大鏡が時うつしの鏡だとわかった途端に、いままで気にならなかったことが気になり始めた。

「そんなに鏡を見るなら、いいかげん自己主張の激しい寝癖に気付いてあげてもいいと思うんスけどねェ」

 ノーラのお気楽な調子の声が、リットの眉間の皺を伸ばした。

「ここで甘やかすと、明日も調子に乗ってはねるからほっといてんだよ」

「本当に寝癖なんスね。てっきり、失敗したオシャレを誤魔化してるのかと思いましたよ」

「つーか、後頭部なんて鏡見てもわかんねぇよ」

 リットはノーラの視線の元を手で押さえつけてみるが、手を離した瞬間に、髪が跳ね返って手のひらをくすぐった。

「そんなんじゃなおりませんよ。ちょいっと待っててくださいな」

 手に持ったパンを口の中に押し込んで一気に食べると、自分の手のひらを手首辺りから中指の先まで一舐めした。

「待つのはオマエだ。その手をどうする気だ」

 背伸びをして、頭に手を伸ばしてくるノーラの腕をリットがガッチリと掴んだ。

「なにって旦那の寝癖を直してあげようと思って」

「百歩譲ってツバはいいとしてもだ。その手にこびりついたパン屑はどうする気だ。オレの髪に餌でもやるつもりか?」

「たまにはお酒以外の栄養もあげないとハゲますよ」

「今はいいけどな。オレがハゲだしてからそのセリフを言ったら、オマエの髪を引っこ抜いてカツラを作ってやるからな」

「私と旦那じゃ髪の色が違うんだから、そんなカツラすぐバレますよってなもんで」ノーラはよだれとパン屑で汚れた手のひらをズボンで拭いた。「それで、本当は何してたんスか?」

「どうやったら魔力の流れが止まるのかと思ってな」

 リットはもう一度鏡の中の自分に手を伸ばした。五芒星の中心に手を伸ばせば魔力が遮られると思ったが、グリザベルの言うとおり魔力と光の性質は似て非なるものらしく、ただの鏡のまま変わることはなかった。

「まぁた、危ないことして。スクィークスみたいに寝たまんまになっちゃいますよ」

「これくらいでなるなら、もっと何人も寝たままの奴がいるだろうよ」

「そりゃ、そうだろうですけど……。知りたい未来でもあるんスか? 私の見立てじゃ後一年は大丈夫っスよ。適当ですけど」

 ノーラはリットの頭を見ながら言った。

「オレの髪をずいぶん短命にしてくれたな。適当なんだろ。……寿命くらい景気良くもっと伸ばせよ」

「なるほど」とノーラが優しく頷いた。「せっかく仲良くなったんスもんねェ」

「……深い意味にとんなよ」

 リットに軽く頭を小突かれたが、ノーラは笑みを浮かべたままだ。鏡越しにリットに笑いかけている。

 ただの偶然だった。

 リットが鏡の中のノーラを軽く見下ろした時。ノーラの笑顔の横に見つけた。

 窓から入る光に輝く宝石の中に、一つだけ輝き方の違う小さな宝石があった。

 それに指で触れると、動く感触がある。

 宝石を回転させるように指の腹でなぞると、何かが合わさる感覚がリットの背中をゾクゾクと這い上がってきた。

「どうしたんスか?」と聞きながら、ノーラが一歩踏み出して、リットの隣に並ぼうとする。

 しかし、リットがなにか答える間もなく、時うつしの鏡に異変が起きた。


 ノーラの「おっと」という間の抜けた声と同時に、鏡の中のリットの姿が忽然と消えた。

 代わりに現れたのは一回り小さな鏡だ。

 鏡に映った鏡の中には鏡が映り、その中にまた鏡が映る。まるで合わせ鏡のように、鏡が無限に続いていた。

 中の鏡が押し出るように迫ってくるのを感じると、鏡に映し出されている一番手前の鏡に風景が浮かび上がる。

 中途半端に掃除された床に、天井の低い部屋。

 その真中にはテーブルがある。テーブルの上には、ノーラが買ったまだ手を付けていない二個のパンや、リットの飲みかけの酒瓶。積まれたままになっている本や羊皮紙の山。

 倒れたままになっている椅子にあった。

 消えたはずのリットの姿もいつの間にか映しだされていた。隣にはノーラもいる。

 間違いなくガルベラの研究所だった。――それも、何一つ変わりのない。






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