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ランプ売りの青年  作者: ふん
妖精の白ユリ編

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第十七話

 冷たい風に暖かい太陽。森を出ると忘れかけていた春の空気が流れていた。久しぶりに透き通った太陽の光を浴びた目は景色を霞ませている。

まるで春を体に植えられたように、気温の変化を敏感に感じ取った。

ノーラも同じらしく、腕を組むようにして体を縮こませたり、シャツの首元を指で引っ張りパタパタと扇いだりしている。

 若草を敷き詰めた平原に、乾燥し始めた砂利道。白の絹着を透かしたような薄い青空。何度か目を擦り綿毛の形がはっきり目に映るようになると、ようやく春色が瞳に広がった。

「なんか何週間も森の中にいたみたいっスね」

「そうだな」

 太陽が昇り月が沈み、月が昇り太陽が沈む。朝と夜の始まりを知らされること無く、決まったルーティンから隔離された森の中では、時間の流れは遅く感じる。

 正しく流れる森の外の時差に目眩がしそうだった。その証拠に太陽の下に出てからは、慌ただしく時間が過ぎ去っていくように感じていた。

 リゼーネ城が遠くに見える街の入口近くまで来ると、色を付けた時間は音を奏でだした。

 細い弦が空気を震わせる高い音は、喧騒に溶けるわけでもなく、押しのけるように響くわけでもなく、独特な音楽を演じていた。どの種族が演奏をしているかは分からないが、聞き慣れない民族楽器から鳴り響く音は、不思議と街に帰ってきたという気持ちを強くさせた。

 心地良い音に紛れるように門をくぐり街に入ると、風に乗せられて様々な匂いが運ばれてきた。食べ物の匂いは一際強く鼻に纏わり付いてくる。陽の光と同じく空腹を誘う良い匂いも久しぶりだった。

 中央広場まで歩いて行くと、匂いに導かれるように屋台街へと曲がり、屋敷に戻る前に小腹を満たすことにした。

 屋台の一角に山積みにされたリンゴがある。色艶のある赤は、肉の焼ける香ばしい匂いや、蜂蜜菓子の頬の内側をとろかせるような匂いに負けることなくリットの瞳に映った。

 リットがリンゴを買うことに決めると、ノーラは「こんなものよりもっと腹の足しになるものがいいっス」と言って屋台通りの奥まで歩いて行った。

 リットは物売りのおばさんからリンゴを受け取り、代金を支払おうと腕を伸ばすと泥がついた袖が目に入った。陽の光の中で見ると、汚くなった服がよく目立つ。旅人が多いリゼーネでは、薄汚れた格好自体は珍しくないのだが、手に枯れた花を持っているせいか、たまに行き交う人の視線が突き刺さった。

 現に屋台のおばさんにも怪訝な表情をされている。

「アンタ大事に花を持ってるけど、もう枯れてるんじゃないのかい? それ」

「オレにとっちゃ大事なんだよ。枯れててもな」

「親の形見とかじゃないんだったら、捨てることを勧めるけどねぇ。ちょうど良いことに、この街はある花で有名なんだよ」

 リットが持っているのが妖精の白ユリとはわからなかったようだ。この街に滞在してから幾度も幾度も話を聞かされた妖精の白ユリの話をされる。

 品種改良された妖精の白ユリは、枯れてもここまで茶色にならないだろうし、思い違いは仕方がないのかもしれない。それは天然の妖精の白ユリが出回っていないことも意味していた。

「もう聞き飽きたからいいよ。それよりもう一つリンゴをくれ」

「そうかい、それは余計なお世話だったね。そんな格好してるから、てっきりリゼーネに来たばかりだと思ったよ」

「これ以上余計な世話をされる前に、消えたほうが良さそうだ」

「女の長話には付き合うもんだよ」

「二十年前に戻ることがあったら、その時は付き合うよ」

 リットは追加のリンゴの代金を払い、ノーラより一足先に中央広場まで戻った。

 赤い皮を食い千切り、歯型を残した白い果肉からは甘酸っぱい香気と果汁が溢れ出る。しゃくしゃくというみずみずしい果肉を咀嚼する音を耳に聞きながら喉を潤す。森にいるときは、水とスープだけで水分を取っていたので、リンゴの果汁はこの上なく甘く感じた。

 半分ほど食べて不細工な形になったリンゴを一旦眺め、一息ついてから再び食べ進めていると、とぼとぼとした足取りでノーラが戻ってきた。

「どうした。買った食い物でも落としたのか」

「旦那ァ……。屋台っていうのは、よく考えてから買わないといけませんぜェ」

 ノーラの手には、小さな砂糖菓子があった。

「砂糖なんて高いもの使ってるのを買うからだろ」

「でも旦那! 奥に行けば行くほど色んな匂いがしてくるんですぜ。肉汁で網が焦げる匂いに引かれてソーセージを買おうと思えば、蜂蜜ジュースの歩き売りが甘い匂いを漂わせてきますし、やっぱりこっちにしようと声をかけようとすれば、今度は焼きたてのパンの匂いが……。惑わされるには充分でさァ」

 そう言ってノーラは一口サイズの砂糖菓子を口に放り込む。少し名残惜しそうな表情を見せたあと、手に付いた砂糖を舐めとった。

「蜂蜜ジュースの時点で手を打っておけば、もう一つソーセージくらいなら買えたのに、優柔不断な奴め」

「そこは何も言わず、すっとお金を出すのがカッコイイ男ってもんですぜ」

「そりゃ都合のいい男っつーんだよ。もしくは子煩悩な父親。……どっちもなりたくねぇな」

「有閑マダムの間じゃ、子煩悩の父親は人気あるみたいっスよ」

「オマエは普段どういう相手と話してんだよ……。男ならあるだろ? 無駄口を叩かず背中で語るみたいな理想が」

「私は男じゃありませんしねェ。それに今は旦那の背中は泥まみれっスよ」

 リットの後ろに回り込んだノーラは「あっ」と言い、そのままの口の形でしばし固まった。

「なんだよ」

「いや、リュックのせいで泥がついてるかわからないなーって思いやしてね」

「そんなことで呆気にとられるなよ。蛇かヒルでも付けてきたのかと思うだろ」

ノーラは「あはは」と乾いた笑いをこぼすと「ささ、帰りましょう」と、リットの手を引っ張る。



 屋敷に着き、これで体をゆっくり休められると思いながら扉を開けると「汚れを落としてから入ってください!」とメイドに一喝され、外に追い出される。

 リットはランプと鉢植えをその場に置くと、背負っていたリュックを落とすように下ろして土埃を払った。

 風に土埃を舞わせていると「旦那! そんなに乱暴に置いちゃ危ないですぜ!」とノーラが慌てた。

「別に壊れるようなものは入ってないぞ。あぁ、そういえば替えのオイルの空き瓶があったな」

「壊れるというか、怪我をするというか……」

「オマエはさっきから何を言ってんだ」

 どうにも焦点が定まらない物言いに、いい加減うんざりしてきたリットは、ノーラがなにを言いたいのか問い詰めようとした。ノーラに向き直り人差し指を突き付けたところで「帰ってきたのか」とエミリアが声をかけた。

「あぁ、たった今な。エミリアの言うとおり西の森は深くなってた」

「そうか。楽しかったか? 泥遊びは」

 エミリアは、リットとノーラをそれぞれ見ると、泥が固まり化石のようになっているズボンを見て言った。

「誰のために泥だらけになってきたと思ってんだよ」

「冗談について自分なりに学んでみたのだが……。ふむ、難しいものだな」

「下衆いジョークなら酒場に行きゃすぐ習えるぞ」

「なるほど。酒場とはコミュニケーションを学ぶ場でもあるのか」

「なるほどと言うことでもないだろ。下世話なコミュニケーションなんて男にでもならない限り使うことなんてねぇしな」

 そう言いながらリットはズボンを手で払う。乾いた土の塊が地面で砕けた。リュックを持ち上げると、隙間に入った砂や草が落ちる。

「家の者と一緒にリットの部屋まで運ぶから、このまま置いておいていいぞ」

「別に気を使わなくていいぞ。自分で運べないほど疲れてないからな」

「リットの心配というよりも、屋敷の中で目印を落として行かれるとメイドの仕事が増えることになる」

「……あっそ。歩く度に後ろから掃除されるなら、泥の道を辿るよりもメイドに道を聞いた方が迷わずにすむな。それじゃ水浴びでもしてくるわ」

「リット――」

 エミリアは玄関の扉に手をかけるリットに声をかけたが、リットはまた後でといった風に後ろ手に手を振って中へと入っていった。



 水浴びを終え部屋に戻ると、綺麗に拭かれたリュックが部屋の隅に置かれていた。

 窓際には鉢が二つ。枯れた花と枯れかけた花。見比べてみると、とても同じ名前で呼ばれている花には見えなかった。

 その花を遠くに見ながらベッド付近の椅子に腰掛けると、テーブルに用意されていた鉄製の水差しを傾けてコップに注ぐ。

 リットはなみなみと揺れる水面を眺めながら、人が住んでいる部屋の匂いを嗅いで一息を付く。当たり前の話だが森は草木ばかりだったので、人の手が入った匂いを嗅ぐと、ようやく一息ついたという気分になれた。

 コップの水を飲み終え、もう一度水差しから水を注いでいると、体から湯気を発したノーラが部屋に入ってきた。

「良い湯でしたァ」

「なんだ、湯に浸かってたのか」

「湯浴みの用意をすると言おうとしたのだが、リットがさっさと屋敷の中に入ってしまったせいで言う暇がなかった」

 ノーラの後ろを付いてきたエミリアは「人の話は最後まで聞くことだ」と付け足すと、リットの前の椅子に腰を下ろした。

「気軽に湯を沸かせるんだから羨ましいもんだ」

「まだ温かいぞ。入りたいなら入ってきたらどうだ?」

「ただの嫌味だ、気にするな。それよりも、ちょっと気になったんだけど耳を見せてくれないか?」

「ん? 別に構わないぞ」

 エミリアは髪を掻き上げて耳をあらわにした。

 リットは立ち上がるとエミリアに近づき、耳たぶを持ち上げたり、耳輪にそって指を這わせたりと執拗に何かを確かめている。耳に指が擦れると、エミリアは時折くすぐったそうに身をよじり、熱い息を弾ませた。

「旦那ァ……。なんか変態みたいっスよ」

 見ようによっては情欲的にも見える光景に、ノーラは少し引きながら声をかけた。

 すると、突然ノーラの視界に光がふわふわと現れ、その言葉に答えた。

「みたいじゃなくて、変態っていうのよアレは」チルカはアゴをしゃくってリットを指すと「もしくはイッちゃってる人」と言って、自分の頭の横に指で渦巻きを書いた。

「なんでいるんだよ。ったく……。汚れを落としたっていうのに、虫が巣食ってやがったか」

「アンタは居心地の悪い宿主だったわよ。座ってたリュックは汚いし、やたらと揺れるし……。アンタ、リュックを乱暴に扱いすぎよ!」

「やたら視線が刺さると思ったら、オマエのせいか。でも、随分と光が弱まってるな……死ぬのか?」

「死なないわよ! 今は明るいから光が弱まっているだけよ。影に入れば――ほら」

 チルカがタンスの影まで飛んで行くと、森で会った時のような光りに戻った。

 思えば森は薄暗く、太陽の光が射すところでチルカの姿を見たことがない。

 日陰に入る度に光るなら、視線の原因はやはりチルカのせいだろう。

「なにが目的で付いてきたんだ?」

「なにって気分よ、気分。それにしても……貧乏臭い顔に似合わず、ずいぶんいいところに住んでるじゃない」

 チルカは部屋の端から端へと飛び回り、部屋の中をえらく物色している。

「オレのじゃねぇよ。こっちの持ち家だ」

 リットは椅子に座り直し、エミリアを指した。

「ずいぶんと小さな来訪者だ。リットの友達でいいのだろうか?」

「ともだちぃい!?」裏返るような声を出したチルカは「私はコイツの……。そうねぇ……言わば恩人よ。私がいなかったら妖精の白ユリなんて見つけられなかったんだし。だから上下関係としては私が上で、コイツは下」

 チルカはリットの目の前まで飛んで行くと、小さな人差し指でリットの鼻を押す。

「やめろ。オマエの傲慢さがうつったらどうすんだ」

「私の傲慢は生まれつきよ! じゃなくて、そんなのうつんないわよ! そもそも、アンタにだけは言われたくなーい!」

 チルカの大声を中断させるように、コンコンとドアを叩く音が聞こえた。「入っていいぞ」とリットが言うと、音もなくドアが開いた。

「ごきげんよう、リット様」

 ドアを開けたのはライラだった。ドレスには不釣り合いの虫網を右手に持ち、数人のメイドを引き連れていた。

 ライラはこの世で一番幸せかのように、満面の笑みを浮かべている。

「来客が多いな。この家じゃ客が帰って来る度に挨拶に来る風習でもあるのか?」

「他でもないリット様がお帰りになったのですもの、挨拶に訪れるのは当然のことですわ。お礼もしなくてはいけませんし」

「礼? 悪いが、まだエミリアのことは解決とまでいってねぇんだ。優先して進めるし、もうちょっと気長に待ってもらいたい」

「えぇ。そちらの要件は当然優先してもらいたいですし、解決するしないに限らずお礼もいたしますわ。……今回は私用です」

 ライラの細い目はリットを見ているようで見ていなかった。リットはライラの視線の先を探すために視線を泳がせるていると「失礼しますわ――覚悟!」と、突然ライラが声を張り上げた。

 風切り音に少し遅れて風そのものがリットに吹き付ける。ドンっという鈍い音が床で響くと、虫取り網が振り下ろされたのだということに気付いた。

「なにすんのよ! 細目!」

 リットの目の前にいたチルカは素早く飛び、虫取り網が振り下ろされる軌道から逃げ出していた。

「外しましたか……。私も戦士の妻。次は外しません」

 ライラは虫取り網を剣術のように構えると、チルカに狙いを定めて再び虫取り網を振り下ろした。

「だから! なんなのよアンタ! なにがしたいのよ!」

「そうですわね……。あなたを捕まえたら、まずは言葉遣いから調きょ――いえ、直してさしあげたいですわ」

 ライラは空いた手でメイドにサインを送ると、後ろに控えていたメイド達はチルカを捕まえるようにフォーメーションをとった。

「メイド三番隊客室係アーチェ! いきます!」

「来なくていいわよ!」

 飛び回るチルカとメイドと部屋のインテリア。

 エミリアは、リットとノーラを飛んでくるものから守るように立っていた。

「せっかく帰ってきたのに、騒がしくしてすまないな」エミリアはリットに声を掛けるが、無言のまま反応が帰ってこない。

「リット?」

「どれどれ。ちょっと失礼しやすよ、旦那ァ」ひらひらとリットの目の前でノーラは手を振る。反応がないのを確かめると「ありゃりゃ、固まってますねェ。目の前で虫網を振り下ろされたのが、よっぽど怖かったんでしょうねェ。でも、漏らしてはいませんから、人としての尊厳は守れましたよ」






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