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ランプ売りの青年  作者: ふん
命の灯火編(下)

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第十八話

 ローレンに手紙を出してから十日後。

 シャツを張り上げて膨らむ二つの双丘を見て、リットは苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。

 普段ならば、丘だろうが、草原だろうが、干上がった池だろうが気にならないのだが、今回だけは事情が違う。

「もっと、どうにかなんねぇのか? オレが欲しいのは山だ。それも、噴火寸前に膨れ上がった活火山だ」

「リット……。今、ものすごくバカなこと言ってるのに気付いてる?」

 しゃがみこんで自分の胸を食い入るように見つめてくるリットの頭に、チリチーは重いため息を落とした。

 チリチーの熱い息がリットの髪を揺らす。リットはそれを煩わしそうにかきながら、チリチーの胸に顔を近付けた。

「バカでもマヌケでもなんでもいい。この際だ、スケベなハゲオヤジでもいい。だから、もっと乳を膨らませろよ」

「スケベなハゲオヤジさん。もっと顔を離してくれないと膨らませられない。妹の胸に顔を埋めたいなら、せめてもっと上手くやって」

「いくら待っても膨らまねぇから、穴でもあいてんじゃねぇかと思ったんだよ」

 リットは立ち上がり、少し距離を取った。

 すると、一瞬だが四方を暖炉に囲まれたかのような熱気を含んだ風が、リットの体を通り抜けた。

 そして、同じく一瞬にして、チリチーの胸がシャツを限界まで押し上げた。少しでもシャツを指で弾けば、ボロ布に変わりそうなほどだ。

「これでいいの?」

 胸に引っ張られる襟元に、チリチーは若干苦しそうにしている。

「それじゃ、ただの巨乳だ。足りねぇな……」

「これ以上大きくしたらシャツが破ける。それに、普段と違う形に身体を維持するのは結構疲れるんだよ。中年のおじさんが、可愛い女の子の前でお腹引っ込めるのと一緒。長続きはしないの」

 チリチーはふーっと細く息を吐きながら胸を小さくした。

「少しは維持できるんだ。大事なのはそこだ。二分でも、三分でもいい。偽じゃなくて、本物の巨乳をもてるのが大事だ」

「まぁ、五分位なら。服を燃やすことなく維持できると思うけど」

「なら充分だ。オマエを紹介した後、得意の嘘八百を並べて煙に巻くからな」

「誰にどう紹介するつもりさ。なんだか貞操の危機を感じるんだけど……」

 チリチーは伸びたシャツの首元を掴んで、少し身じろいだ。

「安心しろ。胸を縮めたらアイツの目には映らねぇよ」

「そんな変な人と会わせるつもりなの?」

「仕方ねぇだろ。巨乳という餌にしか食い付かねぇ獲物なんだから。それも、でかけりゃでかいほど食いつきがいい。なんなら、身体の倍以上の乳にしてもいいぞ」

「それで、その胸を足代わりにして歩けとでも言う気?」

「そんな大道芸に興味は……いや、できるなら見てみてぇもんだ」

「バカ……。とにかく、これ以上胸を大きくするのはムリ。リットが破れないように服を買ってくれるって言うなら別だけど」

「オレにそんな金があるわけねぇだろ。この間のダイスゲームでグリザベルにいくら使ったと思ってんだ。家が建つくらい使ったんだぞ」

「家が建つって……よくそんなお金があったね」

「どっかの森の中。自分で木を切り倒して、それを組めば誰でも建てられる」

「それのどこにお金を使うのさ……」

「休憩中に飲む酒代だ」

 リットは手近な椅子に腰かけながら言った。

「だいたい、胸が大きい子がいいなら、私じゃなくてもいいじゃん。誰か探してきてあげるよ」

「それがな。リッチーじゃないと困るんだよ。昔の惚れてた女に似てれば、多少のことは有耶無耶にしてくれねぇかなと思ってるわけだ」

 チリチーは顔もあるし、言葉も喋れる。しかし、姿を変えられるという点では、ヨルムウトルの城に居た影メイドのミスティに似ている。

 特にローレンにとっては重要なのは顔や声よりも胸なので、目の前で大きさが変わる胸があれば、もし本気で怒ったとしても多少ほだされるのではないかと考えていた。

 リットがローレンに出した手紙には、『頼みごとがある。オマエ好みの女を紹介するから、ディアナ国まで来い』とだけ書かれている。手紙そのものを見ないことも考えに入れて、ビードルド・ウルエ運送は使わず、兵士に直接ローレンに渡すように届けてもらった。

 冬道でもないし、リットのように故郷に寄るわけでもない、来るならローレンはそろそろ到着するはずだ。

「そういえば、リットの友達って初めて見るね」

「アリゲイルとテイラーがいるだろ」

「それは、この国に来てからの友達でしょ。リットは向こうではどんな生活してるのかなって」

 チリチーは椅子を引きずりリットの対面に置き、それに座ると、腕を目一杯伸ばして目を細めた。

「ここと同じだ。酒を飲んで、誰かをからかって、気に入らない客は追い出す」

「良かったね」

 チリチーは細めたままの目で笑みを作った。

「なにがだよ」

「同じように生活できてるってことは、ここは居心地が良いってことでしょ。だから、良かったね」

 ヴィクターのように、何かを見透かしたような笑顔を浮かべるチリチー。

 この笑顔を向けられると、いつもリットは気持ちの悪くない冷や汗のようなものが背中を通り抜けていくのを感じていた。

「まぁ、悪かねぇな」

 素直に良いとは言えないが、嘘をついて悪いとも言えない。その結果、いつもこういうった曖昧な答えが出てきた。

 そして、ヴィクターもチリチーも気にした様子なく笑みを深めるのだった。

「リット様。お客人がご到着です」

 兵士のノックと声が同時に聞こえると、チリチーについてこいと指招きをしながら立ち上がった。



 リットが城門まで歩いていくと、馬車から下ろされたローレンが辺りを注意深く見回しているのが見えた。

「よう、悪かったな。来てくれたか」

 ローレンは片手を上げるリットの姿を見つけると、無言でつかつかと足音を響かせて歩いてきた。

 次に見えたのがローレンの顎だ。なにをされるか確かめる間もなく、リットの額に鈍い痛みが広がった。

「悪かったなのセリフに、片手が上がるのはおかしいじゃないか。普通頭の位置が下がってるはずだと思うけど」

「……今のオマエみたいにか?」

 リットは痛む額を擦りながらローレンを見下ろした。

 両手を縄で後ろ手に縛られたローレンが、這いつくばるような格好でリットを見上げていた。

 縛られているせいで、頭突きの後にバランスを崩して倒れてしまっていた。

「そうだよ。そのとおりだ。僕は這いつくばってお礼されてもいい立場だと思うけど」

 ローレンは立ち上がるのに苦労しながら、時折リットを睨んでいる。

「そう、怒るなよ。ほら、な?」

 リットは自分の後ろにいるチリチーの腕を引っ張って、ローレンの目の前に立たせた。

 ローレンはつま先から頭まで、特に胸を中心的に見るが、表情は変わらない。

「その貧相な胸の女性がどうしたっていうんだ。僕はそんなものを見せられるために呼ばれたのかい?」

「おい、リッチー」

「本当にやるの?」

 チリチーは乗り気なく、面倒くさそうにしている。

「頼むよ。コイツに帰られたら困んだ。今度なんかあった時は手伝ってやるから」

「しょうがないな……。いつか倍以上にして返してもらうからね」

 チリチーは先程のように胸を大きく膨らませた。

 すると、縄でつられたかのようにローレンがすくっと立ち上がった。

「僕はローレン。ローレン・クレスト。ローレンでも、レンレンでも、あなたの好きなように愛を込めて呼んで下さい。あなたに会うためだけに生まれてきた男です」

 ローレンは縛られた手の代わりに、顔を突き出してチリチーの手の甲にキスをしようとしたが、リットが二人の間に立って遮った。

「こいつはチリチーだ。オレの妹の」

「キミの妹?」ローレンはリットとチリチーの顔を見比べると、「リット……キミとはいつか仲直りしようと思っていたんだ。今がその時だ。今ならキミをお義兄さんと呼ぶのも吝かではないよ」

 ローレンはいつも女の子にしか見せないような爽やかな笑顔をリットに向ける。

「そりゃ、嬉しいね。でも、これ以上オレをアニキと呼ぶ奴はいらねぇよ。で、機嫌直ったか?」

「当たり前じゃないか。まさかキミに胸を見る目があるとはね。見直しているところだよ」

「じゃあ、早速頼むぞ」

「任せておきなよ。しっかり口説いてみせる」

「誰が食事をごちそうするって言った? オレは紹介するって言っただけだ」

「知ってるよ。手紙に書いてあったじゃないか」

「だから、今紹介しただろ。まず、やってもらいてぇことがあんだよ。その後、口説くなり、フラれるなり、打ち首にされるなり好きにしてくれ」

 リットはローレンが縛られている縄を掴むと、チリチーに戻っていいぞと手を払いながら歩き出した。



「最初は無理やり連れてきて、今度は無理やり引き離すのは酷すぎるよ」

 ローレンは縄痕のついた手首を掴んで擦りながら、重いため息をついた。

「無理やりじゃねぇよ。ちゃんと手紙を出しただろ」

「返事を聞く前に馬車に押し込まれるのは無理やりじゃないって言うのかい? だいたい、それはキミがヴィクター王の子供だからできる権限なんだよ」

「終わったことに、いつまでぐだぐだとうるせぇな」

「終わってない。現在進行形だ。じゃなきゃ、僕の手首にできた縄痕をなんて理由つけるつもりだい?」

 ローレンは顔面を叩くのではないかという勢いで、リットに縄痕を見せつけた。

「そういう趣味の女と付き合ったらできるだろ。前にもあったじゃねぇか」

「普通に女性と付き合ってれば、一度や二度縄に縛られることはあるもんさ」

「人んちのベッドの上で、全裸で縛られるのが普通か?」

「全裸じゃない……靴は履いてた」

「なおさら普通じゃねぇだろ」

 話しながら歩いていると、すぐにガルベラの研究所に着いた。

「やほーっス、ローレン。来たんスね」

 ガルベラの研究所に入るなり、床に転がっていたノーラが顔だけをローレンに向けた。

「久しぶりだねノーラ。変わりないようで残念だよ」

 ローレンはノーラの胸元を見た後、すぐに興味なさそうに別の者に視線を移した。

 ローレントと視線があったヴィクターは、軽い調子で片手を上げた。

「ヴィクターだ。よろしく」

「ヴィクター王。お会いでき、光栄に存じます」

 ローレンは腰低くヴィクターに挨拶をした。

「普通でいい。もう、王じゃないからな。それにリットの友達だろ?」

 ヴィクターは気持ちのよい笑顔を浮かべると、ローレンの手を強く握った。

 握られたローレンは痛さに顔をしかめたのを悟られないように、無理やりに笑みを作ってみせた。

「確かに。パパさんにへりくだってるのを見ると変な気がしますね」

「普通は国王には必要以上にへりくだるものなんだよ。ノーラ。リットのマネをして無作法者でいると、そのうち絞首刑になったり、首を落とされるよ」

「ほっとけよ。国王に下卑たジョークの一つでも入れられれば、首を切られても満足ってもんだ。なぁ、ノーラ」

「私は嫌っスよ。頭と胴体が離れたら、どうやってご飯を食べればいいんスか」

「デュラハンにでも聞け。今、グリザベルがいねぇから詳しいことは説明できねぇが、とりあえずこの大鏡についてる宝石を見てもらいてぇんだ」

 リットは大鏡の前まで歩くが、ローレンは着いてこなかった。

「グリザベル……。あの素晴らしい胸の持ち主もいるのか。リット……楽園に呼んでくれるとさえ書いてくれれば、僕は文句一つ言わず来たのに、なぜ言わなかったんだい? 遅すぎたくらいだ。胸は日々進化と衰退を繰り返しているんだ。一秒も無駄にできないものなんだよ」

 ローレンの落胆を慰めるように、ヴィクターが優しく肩に手を置いた。

「百聞は一見にしかずだ。リットは想像するのではなく、見ろと言っているんだ。胸というのは百の想像もいらない。二つ見るだけでどんなに素晴らしいものかを教えてくれるものだ」

「聡明なお言葉……。あえて王と呼ぶことにお許しを。あなたはどこの国の王よりも尊敬を払うべき王だ。ヴィクター王」

 肩に置かれたヴィクターの手を、今度はローレンが強く握った。

 ヴィクターも強い力で握り返すが、先程のようにローレンが顔を歪めることはなかった。

「おい、マヌケ二人。乳が見たけりゃ、鏡に映った自分の乳を見ろよ」

「キミは本当に宝石の価値がわからない男だね」

 ローレンはやれやれとため息を付きながら、大鏡の前まで歩いていった。

「だから、オレは尻派だ。喧嘩の原因を忘れたのか? それに知りてぇのは本物の宝石のことだ」

 リットは額縁についている水晶を指差した。

「見たところ普通の水晶に見えるけど……。何かが違うね。不純物が混ざってるわけではなさそうだ。反射率が違うのか、それとも屈折率か……」

「なんだ、宝石屋なのにわからないのか」

「わからないというより、見たことがないね。見たことがないから、わからないとも言える」

「煙に巻いて茶化すのはオレの得意技だろ。取るなよ」

「別に茶化してるわけじゃないよ。見たことがないっていうのはね。まだ発見されて間もないものか、大昔に取り尽くしてしまって、もう流通していないものと言うことさ」

 ローレンの語尾は、突然耳の穴に吹き込まれた吐息のせいで、喘いだように震えていた。

「こそこそ隠れてるから女を連れ込んでるかと思えば、男じゃない。それもいい男。追求するべきかどうか迷うわね」

 突然現れたミニーはリットとヴィクターの胸を人差し指で突いて「どっちの男?」とイタズラに尋ねた。

 ローレンは一瞬でミニーの胸を確認すると、すぐさまひざまずいた。

「まさか天使に会えるとは! 僕の名はローレン・クレスト。その純白の羽に連れさられる日をどれだけ待ち望んだことか」

「あら、ご丁寧にどうも」

「あなたの美しさの前では、アラスタン絵画も劣る。どうか、細く白やかな手にキスすることをお許しを」

 ローレンは目をうっとりと細めると手を握り、手の甲に向けて唇を近付けた。

 しかし、ローレンが握った手は、太い枝と石で作られたかのようにゴツゴツしていた。予期していた感触と違い、思わず顔を上げた。

「オレの妻のミニーだ。よろしく。ローレン君、キスをするならオレの手にどうぞ。同じくアラスタン絵画から飛び出したような男らしい手だ。遠慮をするな」

 引っ込みのつかなくなったローレンは、ヴィクターの手の甲にキスをすると、すぐさま立ち上がり距離を取り、リットの隣に立って耳打ちをした。

「リット……。今のを誰にも言うんじゃないよ」

「男の手にキスしたことか?」

「違う。胸の大きな女性を前にして、別の男に臆したことだよ」

「あぁ、人の女でも平気で取るのがオマエだったもんな。それが人妻でも」

「そうだ。これがバレたら一生の恥になる」

「心配すんなよ。バレた時点で他の女に殺されて、短い一生を送るだけだ」

 ミニーはリットとローレンの会話に聞き耳を立てて笑うと、突然何か見つけたように大鏡の前まで早足で歩いていった。

「あら、これグリム水晶じゃない。懐かしいわ」






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