第十七話
翌朝になり、リットとグリザベルは酒場から直接ガルベラの研究所に向かっていた。
「いいか、グリザベル。殺しが完成したら、四以下は迷わず振り直せ。五、六、七は悩め。八以上は振るなが基本だ」
「リット……負けたのはお主のほうだ」
「もう、誘ってやんねぇぞ」
二人が話しながら歩いてると、城がある方角からノーラが短い足をのんびり動かして歩いてくるのが見えた。
「あら、旦那達お揃いで。余った朝ごはんを適当にパンに挟んで貰ったんですけど、食べます?」
ノーラは手に持ったパンを、リット達に向けて振ってみせた。
「いや、いい。酒場で食ってきた」
「それじゃあ、遠慮なく私が」
そう言うとノーラは、リズムにでも乗っているように軽快にパンを食べ始めた。
飲みきる前に口に押し込み、リスのように頬袋を膨らませると、動きが止めリットの顔をじっと見始めた。
「あれ? 朝まで酒場にいたにしては、ずいぶん顔色がいいっスね? ……病気っスか?」
「ありがたいことに、誰かが意地汚く酒を独り占めしてくれたからな」
リットはグリザベルを横目で睨んだが、珍しくグリザベルは気にした様子もなく、むしろ煽るように薄く口元に笑みを浮かべていた。
「悔しければ、お主も勝てばよかろう」
「勝ってたぞ。オマエがルールをちゃんと覚えるまではな」
「それは、我がルールを覚えてからは、一度も勝てなかったとも言える。まぁ、投げられた賽は、我の手のひらで踊っていただけのことよ」
「ビギナーズラックのくせに偉そうに」
「フハハ! 今日は良き日だ。遠吠えがよく響くこと。なんの動物の遠吠えか知っておるか? リット」
グリザベルは言葉の前にも後にも隙間にも、得意の高笑いを響かせる。
「発情期の犬だろ。興奮冷めやらぬって感じだもんな」
リットは吐き捨てるように答えた。
「そうだ犬だ。リットの他にも二人おったな。我に負けた者が。さしずめケロベロスの遠吠えというところか」
「グリザベルは元気っスねェ。一人勝ちしたんでしょ? なら、いつもの旦那みたいに、二日酔いのせいで地面にへばりついて歩いててもおかしくないのに」
グリザベルの顔色は良い。いつも通りの不健康そうな白い顔を見て、ノーラは不思議そうに首を傾げた。
「馳走の酒は酔わぬものよ。知っておるか? 誰の馳走で飲んだか」
グリザベルは意気揚々と先頭を歩く足を止めて、振り返りリットを見た。
「ムカつくな……。オレが勝ってたらもっとボロクソ言ってやるのに」
「なんなら、今言うておくか? 我に勝てる日は一生来ぬかも知れないからな」
グリザベルは一際大きい高笑いを響かせると、再び意気揚々と歩き出した。
ガルベラの研究所に着くと、中ではヴィクターが仁王立ちでリット達を待ち構えていた。
「おい、朝飯に顔を出さないとはどういうことだ。朝は全員揃っての食事と決めているのは知っているだろう」
「これ以上いじめんなよ。こっちはダイスゲームに負けたせいで、明日の酒もままならないってのに」
「昨日の今日でダイスゲームだと! オレを誘わないからそういうことになる。何をやったんだ」
「殺しだよ」
「殺しか……。いいか、リット。殺しが完成したら、四以下は迷わず振り直せ。五、六、七は悩め。八以上は振るなが基本だ」
ヴィクターのどこかで聞いたようなアドバイスは、二日酔いになっていないはずのリットの頭を痛めさせた。
「そりゃ、もう古い。今はな、九以下なら全部振り直せだ。じゃねぇと、毎回二桁殺す殺戮者には勝てねぇよ」
リットとヴィクターがダイスゲームの話を広げようとすると、それを遮るようにグリザベルが手を打って鳴らした。
「さて、無駄口もよいが……。今日呼んだのは他でもない。この大鏡についてだ」
「呼んだ? いつも勝手に集まってるだけだろ」
「お主は誰だ? 我は勝者だぞ」
「たかがダイスゲームに勝っただけで、王様気取りかよ」
リットの悪態をグリザベルは鼻で笑ってかわす。優位に立った余裕のある笑みだ。
そして、リットが黙ったのを見て、おもむろに話し始めた。
「よいか、まず我はこの大鏡を装飾している宝石について調べた。実に多種な宝石が使われている。しかし、その中でも特に五つの宝石が多く使われていることがわかった。ルビー、サファイア、エメラルド、トパーズ。そして水晶とみられるものだ。そして、この五つの宝石はそれぞれ、ほぼある一部分に密集してちりばめられていると考えてよい」
「水晶みたいなものの正体がわからないのはしょうがねぇとして、ほぼ一部分に密集してるってのはどういうことだ?」
「他の緑の宝石は大鏡の縁全体にあるが、エメラルドが使われているのはここだけだ」
言いながらグリザベルは、鏡の左部分を大雑把に指した。
「細かいことはわからねぇけど、エメラルドがここに固まってるってのはわかるな」
リットは確認しながら頷く。
宝石屋のローレンと長いこと一緒に居たこともあり、宝石に触れる機会は多い。他の男達よりも見る目はあるつもりだった。
「しかし、一つだけここにもエメラルドが装飾されておる」グリザベルは右に真っ直ぐ線を引くように指を動かし、そこにあるエメラルドに触れた。「そして、ここに密集しているのはサファイアだ。そのサファイアも、一つだけ別の場所にあるのだ」
グリザベルの言うとおり、今度はサファイアが一つだけ左下に装飾されている。
その一つだけあるサファイアの部分に密集しているのはトパーズ。そのトパーズは鏡の上部分に、また一つだけある。一つだけあるトパーズの部分には水晶が密集し、その水晶も鏡の右下に一つだけ装飾されている。
「こうして、一つだけ別の場所にある宝石同士を繋いでいくのだ」
グリザベルは上に一つだけあるトパーズから、右下に一つだけある水晶へ、そして左にあるルビー、右にあるエメラルドへ、左下にあるサファイアへ、また上にあるトパーズへと順に指で線を引いていった。
「五芒星になってるな」
リットは空中を指でなぞり繋げながら言った。
「そういうことだ。つまり、この大鏡が魔法陣となっているということだ。ちりばめられた一つ一つの宝石が術式の代わりになっておる。もっと言うならば、大鏡自体ではなく、額縁が魔法陣となっているわけだ」
グリザベルは屈伸するようにして鏡の縁の全部をなぞる。グリザベルのなぞり方でもわかるように、正円ではなく縦に伸びた楕円だ。
前にグリザベルが言ったとおり、四角や三角なら無理だが、楕円ならば魔法陣の可能性はある。
「そもそも、宝石で魔法陣なんて描けるのか?」
「そういう方法もある。前に、この宝石には魔力が通った形跡があると言っただろう。それは間違いない。問題は、ディアドレの時代にはなかった丸みを帯びた宝石に魔力を通す方法だ。この正体不明の水晶が鍵になっている可能性がある」
「正体不明の水晶か」ヴィクターは水晶に人差し指で触れると、次にテーブルに置いたままになっている酒瓶に、同じようにして触れた。「ガラスではないことは確かだな」
「わかるんスか?」
ノーラもヴィクターのマネをして二つを触った。
「水晶の方がガラスよりも、触った時に冷たく感じるんだ」
「なるほど。確かに」
ノーラは指先に伝わる冷たさを感じて、大きく頷いた。
「だが、冷たすぎる。この程度の大きさだと、普通判別は難しいものだが、まるで川の中に入れていたように冷たい。ありえないことだ。だから、正体不明か」
「そういうことだ。水晶ではないかも知れぬ。しかし、この透き通った輝きは水晶によく似ておる……」
グリザベルは少し考えた後、なにか思い浮かんだように眉毛をピクリと動かした。
そして、視線がこちらに向いたことに気付いたリットは、グリザベルが何を考えたかがすぐにわかった。
「手紙でも出してみるってか? ローレンに」
「そうだ。たしかあの男は宝石屋だったな。少なくとも、我らよりも詳しいだろう」
「どうだろうな。アイツがなにより詳しいのは女の好みだ。女が見向きもしない宝石に詳しいかどうか」
「でも、ローレンは付き合った女の子の数に比例して趣味を広げる男ですぜェ。もしかしたらってこともありますよ」
「そうだな。でも、問題は男からの手紙を読むかだ」
ローレンは女性から来た手紙を、他の付き合ってる女性に見つからないように、必要のない手紙は読んだら証拠隠滅のためさっさと燃やしてしまう。それが、得意様からの手紙であってもだ。リットからの手紙でも読む可能性が低い。
「女の子のふりして出せばいいじゃないっスか」
「知らない女からの手紙は読まねぇよ。愛だけじゃなくて恨みも買ってんだから。一度、血付きの生爪が入ってるのを見てから、知らねぇ名前から来た手紙は開けないで燃やすことにしてんだとよ」
「……不気味なこと言わんでくださいよ」
ノーラはげんなりと口を開き、不快に「うぇー」と喉を鳴らした。
「そりゃ、不気味なことをした女に言ってやるんだな」
「できれば一生話す機会が訪れないことを祈ります。そうだ。ただの女の子じゃなく、巨乳の女の子から手紙なら読むんじゃないっスかねェ。ほら、好きでしょ? ローレンは」
ノーラは自分の胸に両手を当てると、山を作るように目一杯手を伸ばして、大きな放物線を描いた。
「来た時に、そのバケモノみてぇな乳をしてる女が居なけりゃ、怒って帰るぞローレンは」
「私は留まると思うんスけどねェ。少なくともバケモノを見つけるまでは」
「まぁ、でも巨乳の女か……」
リットは誰にも聞こえないくらいの小さな声でポツリと呟いてからグリザベルを見た。
「なんだ? 我が手紙を書けばよいのか?」
「いや、オマエの手紙は長い上に要点がわからねぇ。呪詛が届いたと勘違いする可能性があるからなしだ」
そう言ってリットがヴィクターに視線を移すと、ヴィクターは女性のようにさっと胸元を隠した。
「オレか? オレはダメだぞ。オレの胸で遊ばせるのは、妻達だけと決めているからな」
「気持ち悪いことを想像させんなよ……。それに、その厚い胸板をどうやって膨らませるつもりだ。いや……そうだな。いけるな」
「旦那ァ? まさか、パパさんに女装させるとか考えてないっスよね……」
ノーラが心配そうに顔を歪ませて、リットの顔を覗き込んだ。
「さぁな。させたけりゃ頼んでみろよ。でも、オレには報告するな。ただでさえ、ここに来てから自称母親が増えてんだ。これ以上おふくろが増えてたまるか」
リットは「手紙を書いてくる」と言い残すと、ガルベラの研究所を出て行った。
「……するんスか? 女装」
ノーラは目を合わさずに、恐る恐るヴィクターに聞いた。
「ノーラ、バカを言うな。オレは何より男女の仲にこだわる男だぞ。男女の仲、男と女だ。女と女、男と男。これじゃあ男女の仲とは言わん。だが、女だけのパーティーがある時には、オレにその質問はするな」
ヴィクターは初めは笑顔で喋りだし、話終わりには真面目な顔になっていた。
「パパさんはこんなんなのに、旦那はお酒ばっかりっスよ。たまに酒瓶に添い寝してますし」
「アイツは寂しがり屋だからな。そのうち酒瓶じゃなく女を抱いて寝るようになる」
「旦那がっスか? まさか。ベッドが狭いって、鼻くそ付けて追い返すタイプっスよ」
「一人が良いなら、酒場になんか行かないでずっと家で一人飲んでるもんだ。それに、そんな奴が、家に他人なんか置かないだろう。それが、ノーラ。オマエがいてチルカもいる」
ヴィクターは目を細めてノーラを見るが、当のノーラは首を傾げられるだけ傾げていた
「そういうもんスかねェ……」
「ルーチェもそういう女だったからな。リットが一番ルーチェに似ているのは、ズケズケものを言うところだがな。オレもそうだ。人との繋がりに飢えていた。だから、代わり映えのしない小さな村から出て、人々に出会う冒険者になったんだ」
「なるほど。それで、女の子を食べて飢えを凌いでいたんスねェ」
「本当に小さな村だったからな。朝に屁をこいたら昼には村中に伝わってるくらいの小さな村だ。それが、冒険者になって世間体というタガが外れると、何を食べても美味くてな。いやー困った困った。愛の大切さを知った時には、もう既に父親だ。考えもしなかった。それで、気付いたら表彰台のてっぺんに立っていた」
ヴィクターはディアナ城がある方角に憂い気な目を向けたが、あるのは薄汚れた研究所の壁だった。
「旦那なら表彰台じゃなくて、処刑台って言いますよ。きっと」
「今はもう思っていないだろう。きっと」
ヴィクターの壁を見つめる瞳には笑みがこもり始めたが、急にグリザベルが声を張り上げたので驚きに消えてしまった。
「こらー! なにを勝手に話のまとめに入っているのだぁ! せめて、我にも一度は話を振らんかぁ! 頭の中で一人色々な返答を考えて用意していたのだぞぉ……」
「まぁ――旦那が寂しがりだったとしても、グリザベルほどじゃないっスねェ」




