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ランプ売りの青年  作者: ふん
命の灯火編(下)

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第十五話

 絵画とは美しい移ろいの一瞬を切り取って描かれたものが多い。

 それを表現するために、現実とは違う色を塗りたくったり、誇張に表現することもある。

 風景画だけではなく人物画もそうだ。世に出る有名な絵画というのは、どこか抽象的でとらえどころのないものが多い。

 だから、人は足りないものを想像で補い、誇張された部分の意味を考える。それをしていくうちに、芸術に惹かれていくのではないだろうか。

 その芸術の手段が、キャンパスや石といった物ではなく、人だったらどうだろうか。

 自然物に四角というものは少なく、弱い角と言う部分を切り捨てて丸みを帯びている。樹木の幹は丸く、太陽も丸い。鹿の角は鋭利だが、それは先端だけで他は丸みを帯びている。

 四角というのは人工的なものだ。レンガ、それを使った家、テーブル。人の暮らしには四角というものがつきものである。

 しかし、それを作る人には円というものがついている。それも、芸術に惹かれる不完全な円だ。

 揺れ弾み形を変える胸の奥は見えない。見ようにも背中が邪魔をするからだ。しかし人は、その隙間の湾曲を埋めようとイメージする。

 それが人為的に鍛えた厚い胸板ならばどうだろうか。その隙間を埋めるのは、湾曲ではなく直線だろう。

「つまり、女性の胸とは自然の芸術ということになる。わかるだろう? 芸術とはまず見ることから始まるのだ。なら、見なければ」

「それで、他に戯言はありますか?」

 今まで黙ってヴィクターの言い訳を聞いていたセレネだが、その口ぶりからは、もう余計なことは言わせないというような迫力があった。

「別にストリップ小屋に行ったくらいいいじゃない。でも、見たければ私のを見せてあげるのに。若い子みたいに張りだけじゃなくて、柔らかさもあるのよ」と、ドレスの肩口をはだけさせながら、比較的寛容な態度をとるのはミニーだ。それに「そうですわね。息子が隣にいても好き勝手子種をばら撒くほど、もうやんちゃじゃないですし」とメラニーが同調する。

 床に座らされるリットとヴィクターのその前方では、ヴィクターの妻達が二人を囲むようにして立っていた。

「いいえ、いけません。そもそも、リットちゃんを不健全な場所へ連れて行くのがおかしいのです。まだそんなところへ行っていい歳じゃありませんよ」

 子供のようにプリプリ怒りながら、ピースクがヴィクターを非難する。

「オレが踊り子小屋に行けねぇような年齢だったら、世の男はほとんど右手と結婚してるぞ」

 嵐が過ぎるのを、黙って待っていようと思ったリットだが、ピースクの発言に思わず口を挟んでしまった。あの調子で、酒場まで出入り禁止になったらかなわないからだ。

「あら、それはもったいないわね。同じ右手でも、自分の手と人の手じゃぜんぜん違うのに」

 ミニーが妖しく手を握り変えようとすると、「こらー!」とピーススが叫んだ。

「リットちゃんも私達の子供なんですから、誘惑しちゃダメですよ」

「だいたい、セレネとピースクは少し堅すぎるわよ。男なんて箱に入れといたら蓋を開けて出て行くし、鍵をかけたらいつの間にか開け方を勉強してるもんなの。問題は、箱に戻ってきた時に他の女の匂いがしてるかどうかよ」

 ミニーにとっては枝毛よりも気にならない話題らしく、細い髪に指を通しながら言った。

「もう、親子でそういうところに行くのが問題だって言ってるのよ」

 ヴィクターの妻達は、リットとヴィクターをそっちのけで論議を始めだした。

「おい、ヴィクター」

 リットは声を潜めて言うが、ヴィクターから返ってきた声は普通の雑談と同じ大きさだった。

「なんだ、息子よ」

「普通所帯持ちがああいう店に行く時は、言い訳を作っていくもんじゃないのか」

「作ったさ。リットと芸術鑑賞に行くとな。だが、さすがに一週間近くもいなかったらバレるもんだな」

 ヴィクターはガハハと、懲りた様子は見えない笑い声を響かせた。

「そんなに余裕あるんだったら、早く話し合いを止めくれよ。いい歳こいた大人がいつまで説教受けなきゃなんねぇんだよ。城に帰ってきてから、もう六時間はこうしてるぞ」

 リット達が城に帰ってきたのは朝方。

 ヴィクターが馬番の兵士に口裏を合わせるようにとお願いしていたところを、朝早く散歩しているセレネに見つかってしまった。

 窓枠の影の長さからしても、お腹の好き具合からしても、今はそろそろ昼という時間だろう。

「ことを荒らげるな。静かに嵐が過ぎるのを待て。いいか? オレたちは海に浮かぶ船だ。波と風に身を任せろ」

「意気揚々と帆を張って出てくからこうなってんだろ。あとは海賊の乱入でうやむやになるのを待つくらいしかねぇぞ」

「なぁに、錨を下ろせばたいていの嵐はやりすごせるもんだ」

「もう、怒りは落ちてんだよ」

 言い終えると、辺りがやたらに静かだということに気付いた。

 いつの間にか話し合いを終えたヴィクターの妻達が、リットとヴィクターを見下ろしていた。

 リットとハイヨの目が合うと、ハイヨはニコニコと目を細めた。

「とりあえずリットさんは不問ということでー。でも、あんまりバニュウちゃん達に悪い遊びを教えちゃダメですよー」

 ハイヨは間延びした声で言うと、「リットさんは、もう行っていいですよー」とドアを指差した。

「それじゃあ、遠慮なく」と、立ち上がろうとするリットの裾をヴィクターが掴んだ。

「おい、オレを見捨てるつもりか?」

「助け船は一人しか乗れないとよ」

「詰めれば一人くらい乗れるだろう」

「酒瓶があるから無理だ。せっかく嵐から助かったのに、干からびて死ぬつもりはねぇ」


 リットが部屋から出ると、シルヴァが聞き耳を立てたままの格好で片手を上げた。

「はぁい、お兄ちゃん。短く済んでよかったね。普通長いんだよ。ゴッドマザー会議は、五人のママの意見が合うまで開かれるから」

「ゴッドマザーじゃねぇだろう」

「いいの、王様より偉いのは神様なんだから。パパより偉いママはゴッドマザー」

「あっそ。つーか六時間も閉じ込められて短いも糞もねぇだろ」

「短いよ。私が勝手に耳に穴を開けた時のゴットマザー会議は長かったね。十八時間はあったよ。ピアスなんか皆開けてるっての。イジリーナなんか、耳だけじゃなくて角にまでピアスつけてんの。角ピだよ角ピ。あれピースクママがみたら、マジ卒倒するね」

 シルヴァが話していると、ドアの向こう側から壁が叩かれた。うるさいということだろう。

「つーか、そんなしょっちゅうあるのか? ゴッドマザー会議ってのは」

「ないよ。今までなかったでしょ。裁かれるのは、ほとんどパパか私だからね。十歳でTバック履いたときは、二日間怒られた」

「その長い胴体と尻でどうやって履いたんだよ。丸出しになるだろ」

「だから、怒られたの。丸出しで歩いてたから」

「その時の会議で、そのままのオマエでいろって言われたのか?」

 リットはシルヴァの格好を見ながら言った。

 さすがに丸出しで歩いてはいないが、暖かくなってきたこともあり、かなり薄着のドレスを着ている。それも、背中の紐を一本引けば、すぐ裸になりそうな頼りないドレスだった。

「そんなことより! お兄ちゃんのアドバイス全然役に立たないじゃん。ウィルがぜんぜん振り向いてくれないんだけど、どうしてくれんの」

 シルヴァが地団駄を踏むと、耳に痛い高い蹄の音が廊下中に響き渡った

「オレ、アドバイスなんかしたか?」

「してないけど、男の意見なんて皆一緒でしょ。誰に聞いても同じ。だから責任も男皆で取るべきでしょ。だから責任取って」

 シルヴァは人差し指をリットの胸に突きつけながら、噛み付くように言った。

「まず、伸びた爪を人に突きつけるのはやめろ。こりゃもう、突くじゃなくて刺すだ」リットはシルヴァの指を掴んで、自分の胸から外す。「次に、責任を取ってとか、酔いも一瞬で覚めるような恐ろしいことを言うな」今度は、リットがシルヴァに人差し指を突きつけた。「そして、ここで話してると、ゴッドマザー会議の巻き添えを食らうから移動するぞ」

 先程から壁向こうでドンドンと叩く音が聞こえる。

 次あたりの注意で、またヴィクターと一緒に部屋に閉じ込められそうだった。



 リットとシルヴァは中庭の庭園まで歩いていくと、芝生に腰を下ろした。太陽を浴びて太り始めた雑草の茎が優しくクッションとなる。

 枯れ始める春の花の代わりに、初夏の蕾が今か今かと太陽が濃くなることを待ち望んでいた。

 たまに聞こえるミツバチの羽音に混じり、チルカの声も聞こえるが、リットは聞こえないふりを決め込みシルヴァに向き直った。

「で、なんだって」

「だから、わざと髪を乱れさせたり、ブラ紐を調節して胸の位置を高くしたり、甘えた声で名前を呼んだり、超好き好きアピールしまくってるのに、まったく食い付いてこないの」

「どんだけでかい餌をぶら下げてんだよ。クジラでも釣るつもりか?」

「そうねぇ……。でも、ウィルはクジラみたいに大きいの」

 シルヴァは目を閉じると、うっとりと顔を弛ませた。

「クジラみてぇにでけぇのが他にいるか。いないからクジラで例えてんだよ。……でも、アイツそんなにでけぇのか? あんな顔して?」

「心の広さの話よ」

「あぁ……なるほど。……今言ったことは忘れろ」

 リットの目の前で花びらが舞った。一瞬視界を奪われた後に映ったのは、小バカにして笑うチルカの顔だ。

「……でも、アイツそんなにでけぇのか? あんな顔して?」

 チルカは思いっきり皮肉った口調でリットのマネをした。

「あんな顔ってのは、今してるオマエのアホ面のことか?」

「アンタの顔マネよ。シルヴァもシルヴァよ。踊り子小屋に行くような寂しい男に聞いたって、答えが返ってくるわけないじゃない」

 チルカは空中で踊ってみせると、ベーっとリットに向かって舌を伸ばした。

「なぁに、じゃあチルカに聞けばわかるっての?」

 シルヴァが聞くと、チルカは当然と言った風に唇を歪ませた。そして、その顔のまま、親指と中指をこすり合わせて、「パチン」と音を鳴ららした。

 すると、チルカの周りにブンブンやかましく五匹のミツバチが集まり始めた。

「こいつらはね、最近女王蜂を亡くしたばかりなの。そこを私が拾ってやったのよ。私のために蜜を集め、私のために働くってことね。つまり私は五匹のオスバチの上に君臨する女王様ってことよ。アンタも仲間に加えてあげるから跪きなさい」

 リットはふんぞり返るチルカ越しに、まじまじとミツバチを眺めた。

「蜜を集めるってことは、そいつら働き蜂だろ。全部メスじゃねぇのか」

 リットの言葉を聞いてチルカは振り返った。そしていきなり笑い出す。ひとしきり笑うと、急激に声のトーンを下げた。

「……あんたらメスなの?」とチルカが聞くと、ミツバチが小さく頷いた。

 リットの笑い声がこだまする中、チルカは「もう、いい……。あっち行きなさい」と手を振り、ミツバチを追い返す。

「男に相手にされねぇからって、女に手を出すとはな」

「それか、お兄ちゃんを見て男が嫌になったか」

 笑い転げるリットを横目に、シルヴァがしみじみ呟いた。

「おい、シルヴァ。オマエはどっちの味方だ」

「味方してほしいなら、まずこっちに味方して。いつ、どこで、どうやったらウィルを奪い取れるか」

「年中本を読んでるような奴だぞ。誰から奪い取るつもりだよ」

「その本よ。こんな可愛いこと二人きりになっても、本ばっか読んでるってありえない。もう、見せるインテリポーズも底を付きたぁ。本って頭を良くするために読むもんでしょ。それなのに私を口説かないとかおかしいじゃん。どうしよう! ウィルが本を読みすぎて頭おかしくなっちゃった!」

 大声を出してウィルの心配を始めるシルヴァを、チルカは呆れた瞳で眺めていた。

「アンタ、よくこんなのの相談に乗れるわね」

「こじれたら、いい酒の肴になると思ったんだけどな」

「相変わらず性格悪いわねぇ……。でも――おもしろそう。どうするの? ウィルに別の女でも宛がったら、いい感じにこじれるんじゃない?」

 チルカは透明な羽を小刻みに震わせて楽しそうにしている。

「よく、オレに性格悪いなんて言えたな」

「なんで? はたから見てたら、三角関係が一番面白いじゃない。妖精の噂話に、痴情のもつれはつきものよ」

「まぁ、たしかにな……。いっそ、男も女もイケるやつを間に挟むか。いい感じに引っ掻き回してくれそうだ」

「誰を間に入れるかが考えどころね。雌雄同体種族が一番いいんだけど、スライムみたいな単性生殖種族もいいわね」

 珍しくリットとチルカが声を合わせて笑っていると、細くたくましいシルヴァの脚が二人の間に突き刺さるように落ちてきた。

「それで、次はスケベなオヤジでも登場させる気? 少しは妹を思って、真面目に考えてよね」

 シルヴァは目を細めてリットを睨むと、四つ脚を折りたたんで腰を下ろした。

「まぁ、出してほしいならな。だいたい、こだわるような男か? ウィルは。オマエならもうちょっと合った奴がいるだろう。……――やっぱり、今のはなし。これじゃまるっきりアニキだ」

「今更なに言ってるのよ。アンタとっくの昔に、ヘラヘラとバカ家族の一員になってるわよ」

 チルカの言葉は、庭園を吹き抜ける花風のように優しくリットの耳に残った。






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