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ランプ売りの青年  作者: ふん
命の灯火編(下)

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第十四話

 ディアナ国からリル川に沿って東に馬車で二日ほどのところに、ルナーという街がある。

 さらにそこから南へ四半日、馬車も通れない細い森の道を進むと名も無き街がある。

 特色としては大きな教会が一つあるだけだが、冒険家や商人は旅の無事を祈るため皆この街で足を止める。

 というのは建前で、本当の目的は踊り子だった。

 そもそも、旅の無事を祈りようにも祈れない。教会だと言われている建物は見た目だけはそれっぽいが、内装は赤と金をふんだんに使って派手やかになっている。

 教会っぽい見た目というが、遠目からそう見えるだけだ。十字架もない。この町に寄る男達が、踊り子のいる劇場を隠語として教会と呼んでいるだけだ。

 何百席もある客席はいつも満席で、ジャスミンやイランイランが混ざったような、鼻ではなく感覚で匂う官能的な匂いが漂っている。

 客席のランプやロウソクは必要最低限以下の数で、絶えず香りを漂わせるお香の火が、ホタルのように光るのがはっきり見えるくらいだ。

 踊り子に向かって下品な指笛と冷やかしの言葉を浴びせる客席の一角に、リットとヴィクターはいた。

「どうした、こういうのは嫌いか?」

 ヴィクターは踊り子から視線を外すと、リットの肩を抱き、締まりのない顔のまま聞いた。

「いいや、この光景を嫌いになるほど女に騙されちゃいねぇよ」

 リットの目の前では、豊満に育った肉体を誇示するように透き通った長衣を纏う踊り子の姿がある。時にはそれを脱ぎ、足輪と腕輪の姿だけで踊ることもあった。

 アクセサリーに付いた鈴の音が心臓の音と合わさる度に、居心地が良くも悪くもない奇妙な感覚が背筋を走り抜けていく。

「ならもっと楽しそうにしろ。ここは恥も外聞も投げ捨てる場所だぞ。向こうは、服まで投げ捨ててくれる」

「そっちは楽しんでるのか? その悪くなった目で。それ、歳のせいじゃねぇだろ」

「おいおい、リット。それはここでするような話題か? 目の前に広がるのは女に薄着に、時折裸だぞ」

「その光景がしっかり見えてりゃな。肩まで掴んで男の顔を見て何が楽しいんだよ」

「こう暗いんだ。顔を近づけなければ顔が見えないだろう」

「そうだな。じゃあ、昼間でも肩を抱かれて顔を近付けられるのは、男にも欲情してるってことでいいんだな」

 ヴィクターは目の前で揺れる形の良いお尻を見ながらしばらく黙った。

「……今日は本当に暗いからだ。たまに……本当にたまにだ。靄がかかったように焦点が合わなくなることがある。最後に目に映った大切な家族の顔に、靄がかかっていたら嫌だろ。目を閉じてみろ」

 面倒くさそうに渋るリットに、「ほら、早くしろ」とヴィクターは急かした。

 リットが目を閉じたのを確認すると、「昔、初めて会った時のオレの顔を思い出せるか?」と投げかけた。

 なんとなくの服装に、なんとなくの風景を思い浮かべる。王らしくないシャツとズボン姿に、実家の酒場だ。記憶違いかも知れないが、舞台と役者は浮かぶ。

 しかし、ヴィクターの顔はなんとなくも思い出せなかった。

 絵を水で滲ませたように、複雑に色が混ざった黒がヴィクターの顔を隠している。

「思い出せないだろう? オレは忘れたくもないし、見逃したくもないんだ。老いも成長も。リット……オマエにも忘れてほしくないし、見逃してほしくない」

 一際高く響く指笛の音が、リットの答えを曖昧なものにさせた。

「たしかに……こんなところでする話じゃなかったな」

 指笛と拍手を浴びて、収穫を迎えた小麦畑のような褐色の肌の踊り子が登場してきた。

 その麗しい見た目だけではなく、巻き起こる歓声からも一番人気の踊り子ということがわかる。

 踊り子が妖艶に影と踊り始め、特異なリズムの音楽に緩やかに腰をうねらせた。

「なら、楽しむべきだな」

 そう言うとヴィクターは指笛を鳴らした。その姿はどこにでもいる男の姿だった。



 劇場の外に出ると空気の味がした。お香の濁った空気ではなく、新鮮な空気の味だ。

「いやー、久々に来たが変わっていなかったな」

 ヴィクターが年甲斐もなく弾けた声で、先程の光景を思い出している。

「何年ぶりなんだ?」

「確か十年前だったか……いや、もっと前だな。二十年以上前か……モントが生まれる前だからな」

「そんなに前じゃ変わってるだろ。子供が女に、女はばあさんに、ばあさんは土に還ってる。それよりだ。オレは自由気ままな独り身、アンタは四方八方から鎖でがんじがらめの既婚者。こんなとこに来ていいのか?」

「そりゃ、リット、オマエ……」

 ヴィクターはリットの目を見るが、言いにくそうに口を横線に締めると、目をそらした。

「それに王だろ。元とは言え、こんなところを堂々と行き来していいのか? 取り締まるべき立場だろ」

「ここは見るだけの場所だからな。売春どころか、お触りもなしだ」

「ガキでもスカートを捲るってのに、健全だねぇ」

 リットは皮肉るように言った。

「芸術鑑賞だ。アラスタンの絵画、ハンマンの石像。偉大な芸術家は皆女の裸を後世に残している」

「んなの、金を持った商人が守るかよ。買うから商人だ」

「誰が決めたかもわからないルールだがな。そういうルールこそ破られにくいもんだ。裁くのは国ではなく、隣にいる者だからな。なんでもそうだろ。秘密の花園を守るときは、男は皆いかんなく協力するもんだ」

「まぁ、わかるけどよ。享楽の街にしては酒場が一軒もねぇんだな」

 リットは辺りを見回すが、大きな劇場以外は民家しかない。男達がその民家を避けるようにして歩いているのは、そこが踊り子の家だからだろう。

 ルールを破るのではなく、破りそうと見られるのもダメだということだ。

「踊り子を見て、酒を飲んで、それでも理性が伴う男といったら、全世界にいる男の半分を切るからな。さて、酒を飲むならルナーに戻るか。美味い鴨のローストを出す店があるんだ」

「二十年以上前なら味も変わってるだろ」

「ルナーにはもっとちょくちょく行っている。あそこはちゃんとした街だからな」



 名も無き享楽の街から川沿いの街ルナーに戻る頃には、暮れかけの太陽が自分と同じ色に世界を塗り替えていた。

 高さのあるものは、切り絵のような濃い影を伸ばしている。

「鴨のロースト、お持ちしました」

 女性の店員が明るい声で言うと、先に頼んであったお酒をテーブルの端に避けながら、料理の乗った皿を置いた。

 見た目も匂いも繊細ではなく大雑把なものだが、反対にそれが良いと思えるのは、ここがただの料理屋だからだろう。店構えが高級過ぎてもみすぼらし過ぎても、そうは思えない。

 ヴィクターはソースをたっぷり付けた一切れを頬張り飲み込みと、店員がいなくなったのを確認して、少し声を落としながらリットに聞いた。

「どうだ? 美味しそうだろ?」

「美味いんじゃねぇか。オレは不味くても気にせず食えるけどな」

「そうだな、女は愛嬌。間違ってないぞ。だが、そこに愛がなければいかんぞ」

「なんの話だ?」

「今の店員のことだ。可愛いし、若いし、胸もいい大きさだっただろう」

「オレは腰が張った向こうのほうがいい」

 リットはコップを持った手で奥の席の接客をする女性。というよりも、スカートをはちきれそうに滑らかにして広げているお尻を指した。

 ヴィクターは笑いながら「たしかにいいなと」と言うと、一つ咳払いを挟んだ。

「でも、もっとあるだろう。年上がいいとか、年下がいいとか、種族フェチとか。どうなんだ?」

 ヴィクターは唇に付いたソースを拭くことなく、真剣な目でリットを見た。劇場を出た時に、「既婚者がこんなところにいていいのか」とのリットの問いかけに答えようとしていた時の目と同じ目だ。

「あのよ……。踊り小屋にキレイなねえちゃんのいる食い物屋。もしかして、オレに女の世話をしようとしてんのか」

「言いにくいことを切り出してくれてよかった。いいか――世の中に女はごまんといる。それだけ愛の形があるわけだ。身近にいる女だって両手の指を使っても数え切れないし、まだ見ぬ女だって川べりの小石以上の数がいるんだ。そこから選ぶのはオマエの自由だ。だがな、半分とは言え血が繋がってる女を愛すのは大変だぞ」

 そこまで言うと、ヴィクターは一呼吸したが、すぐに続きを話し始めた。

「わかってる。オレだって考えたことがないわけではない。どこの馬の骨ともわからない男に娘を嫁にやるくらいなら、オマエに嫁にやったほうが円満にいくんじゃないかと……」

「それで、知ってる馬の骨はなんて言ってたんだ? グンヴァが言ってたんだろ?」

 話の出処がわかったリットは、ヴィクターの勘違いに呆れながら聞いた。

「ベッドでリッチーと子供を作っていたって」

「……もっと遠回しに言ってるかと思ってた。マッサージしてもらったんだよ。誰かさんのせいで、錆びついた鎧みたいに動かなくなったんでな」

「なんだマッサージか。オレもメラニーによくしてもらうぞ。凝りがほぐれて気持ち良いんだ。……別のマッサージをさせたわけじゃないだろうな?」

「オレは命を癒やすマッサージ。あんたのは命を作るマッサージだ。血が繋がってる繋がってないの以前に、お気楽娘はオレの好みじゃねぇよ」

 そう言ってリットは冷めた鴨のローストにフォークを刺す。食べ覚えのない木の実のソースは酸っぱい味がした。

「どうだ、美味いだろ?」

「今度は料理の話だよな?」

「あぁ、もちろん」

「まぁ、美味いよ」

「それは良かった。ところでだ。リットは腹が強いほうか?」

「まさか腐ってるとか言うんじゃねぇだろうな……」

 リットは飲み込んでから、なにか味に変なところがなかったか考えたが、鴨の脂臭さ以外は気になるようなことはなかった。ソースの酸味も木の実の範疇内だ。

「今食べている料理は関係ない。一般的にだ。腹を壊しやすいとかないのか?」

「特にねぇな。記憶を失うまで飲んだ次の日は下すけどな」

「なら安心だな」

 ヴィクターは大笑いした後にそう言った。

「なんだよ、遺伝性の病気でも持ってんのかよ」

「浮遊大陸ではな。水はないんだ。雲の上にあるから雨は降らないからな。代わりにフルーツを食べる。お腹が弱いと水分を取りすぎて腹を下すんだ」

「そりゃまた、浮遊大陸にいる天使族は、身体から虫が寄る匂いがしてそうだな」

「浮遊大陸のフルーツは、時折雨雲に身を寄せた時に黒雲から水分を吸い上げて育つ。ほとんど水みたいなフルーツもある。皮も薄くてな、太陽に透けて宝石のように輝いているんだぞ」

 ヴィクターは木の実ソースだけを舐めて、自分が浮遊大陸に行った時のことを思い出しながら話を続ける。

 運良く天望の木の頂上に着いた日に浮遊大陸が流れ着いたことや、暑い地方以上に薄着が多いことや、神を侮蔑するようなジョークはやめておいたほうがいいなどを、笑顔としかめっ面、時に鼻の下を伸ばして、楽しそうにリットに話していた。

「なにより気を付けなくてはいけないのが顔だ。天使族は中性的な顔が多くてな……肩を組み朝まで一緒に飲んでた奴が、まさか男とは……」

「よかったじゃねぇか、肩だけで済んで。男同士肩組んで騒ぐのは、まぁ酒場でよくあることだ。首絞められたりもな。そこから喧嘩なんて発展したら大騒ぎだ。……組んだのは肩だけなんだよな?」

 ヴィクターが急に黙ったのを見て、リットは恐る恐る訪ねた。

 ヴィクターはしばらく笑顔を固まらせていた、やがて沈黙を破り、覚悟を決めたように鋭く息を吐いた。

「……どこまでだったら引かないか。それを聞いてから話す」

「答えを言ったようなもんじゃねぇか……」

「冗談だ。顎に手をやった時に喉仏が見えたんで、慌てて誤魔化した」

「それを冗談として聞くには、もう少し酒の力が必要だな……」

「ならいいのがある。リム山の雪解け水で作ったウイスキーだ。まだあまり出回ってないんだ。お姉ちゃんウイスキー二つ」

 ヴィクターは指を二本立てながら店員に向かって手を振った。

 すると、店員は律儀にリットとヴィクターのいるテーブルまで来て、「ウイスキー二つですね」と確認した。

「オレも同じ」

 リットがそう言うと店員は一瞬怪訝に眉をひそめたが、すぐに笑顔を作り直してウイスキーを持ってきた。

 テーブルにはウイスキーの入ったコップが四つ置かれている。

 無言で見つめてくるヴィクターが何を言いたいのか、リットにはわかっていた。

「なんだよ。どうせ後でまた頼むんだから同じことだろ」

 リットはコップに口をつけながら言う。

「まぁ、そうだな。実に合理的な考えでいいと思うぞ。何も一つだけを選ぶ必要がない。オレと同じ生き方だ」

「なんだよ気持ちわりい……」

 ヴィクターの要点のわからない褒め言葉に、リットは背中を震わせた。

「思えば、しっかり褒めたことがなかったからな。オレはそういう考え方は好きだということだ」

「嬉しいねぇ。酒を頼んで褒められる。理想の褒められ方だ。次は酒飲んで給金でももらうか」

 からからと笑うリットに合わせてヴィクターも笑っていたが、ヴィクターは一足先に笑うのやめて真っ直ぐにリットの目を見ていた。

「気を付けるんだぞ」

「さっきから主語が抜けてんぞ。もう、酔ってんのか?」

「行くんだろ? 浮遊大陸に」

 ヴィクターの見透かしているような目で見られると、リットは行かないとは答えられなかった。

「……まだ、決めてねぇよ」

 曖昧なリットの言葉に、ヴィクターはニコニコと笑みを浮かべる。

 リットが視線をそらすと、手元のコップから振動と鈍い音が鳴った。

「まだ、してなかっただろ? 乾杯を」

 ヴィクターがコップを揺らしながら待つ。

「そうだったな。乾杯」

 リットがコップを軽く掲げると、ヴィクターも同じように掲げる。

「乾杯」

 二つのコップは均等に力が加わってぶつかり、今度は心地の良い音を響かせた。






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