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ランプ売りの青年  作者: ふん
命の灯火編(下)

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第十二話

 柔らかな若葉に彩られたリム山は、青葉茂り深緑に装いを変えた。

 晩春と初夏に揺れる中、ガルベラの研究所では、ヴィクターが鏡の中の自分とにらめっこをしていた。

「うーむ……髭が伸びてきたな」

 ヴィクターは顎から頬へと撫でるようにゆっくり手を滑らせて、ジョリっと無精髭を鳴らす。

「伸びるのは、鼻の下だけじゃないんスねェ」

 ノーラはヴィクター本人ではなく、鏡の中のヴィクターに向かって言った。

「鼻の下が本格的に伸びるのは、夏になってからだな。薄着に水浴び、それに蒸れた肌」

「覗きっスか?」

「見守ってるだけだ。国民を優しく見守るのも、王の勤めの一つだからな」

 ヴィクターは任せろと言わんばかりに、握った拳で厚く広い胸を叩く。

「王様は辞めたんじゃなかったんスか。二人も王様がいたら混乱しますよ」

「ノーラ、こいつはただの裸の王様よ。羽織る権威もありゃしないわ」

 飛んできたチルカはノーラの頭の上に立つと、ヴィクターとノーラと同じように鏡の中のヴィクターに向かって言った。

 一呼吸の無言後、何かに気付いたチルカが眉をひそめた。

「言ったわよ……裸って。だからってやらしい視線を向けないで」

「オレが? まさか」

 ヴィクターはあくまで冷静に否定する。

「じゃあ、なんで鏡の中のアンタは私を見てるのよ」

「そんなことないぞ。ほら、見ろ。鏡の中のオレはオレを見ている。間違いない」

 ヴィクターは鏡の中の自分と視線を合わせると、ゆっくり頷いた。

「それは、今アンタが前を向いたからでしょ。さっきはしなやかで豊満な私の体を見てたわよ」

「言いがかりはよせ。口答えをするな。外出禁止一週間だ。わかったかシルヴァ」

 ヴィクターは鏡の中のチルカに向かってビシっと人差し指を向けた。

「チルカよ。あんな頭空っぽな娘と一緒にしないで」

「すまん。言ってることが同じなんで、ついな。外出禁止は三日でいい。だが、小遣いはカットするぞ」

「じゃあ私は、アンタのあそこをカットするわよ。ずいぶん言うことを聞かないみたいだから、大事に手に持ってなさい」

 チルカが口を歪ませて意地の悪い嘲笑を浮かべると、ヴィクターは片眉を一度上げてから、口元にだけ微笑を浮かべた。

「オレのは手におさまらないほど大きいんだ」

「それじゃあ、櫂代わりにして海でも目指して漕げば? そのフニャフニャしたもので漕げればの話だけど」

 チルカが「ふふふ」と笑い声を漏らせば、ヴィクターは「ははは」と笑い声を漏らす。

 チルカの笑い声が「あはは」と大きく響けば、ヴィクターの笑い声も「がはは」と大きく響いた。

 二つの笑い声が不気味に混ざる中。一つだけ高笑いが混ざらずに響いた。

 あまりの調子外れに、チルカとヴィクターの二人は同時に笑い声を止めた。

「フハハ! フハハハァ! すまぬ……。楽しそうだったので、ついな。我に構わず続けてくれ」

 グリザベルは咳払いを一つして体裁を繕うと、読んでいた本に目を戻したが、見るのではなく眺めている様子でどこか上の空だ。

「どうした? 今日は集中力ねぇな」

 リットが聞くと、グリザベルは鼻でため息をついた。

 いつもなら続けざまに何冊も本を読んでも集中力を切らさないグリザベルだが、今日は何度も本から目が離れていた。

「わかるか?」

「まぁな。いつもはマヌケなのに、今日は大マヌケだ」

「そのようなとこだ」

「じゃあ、今日は蜂蜜を頭からかけて、全裸でアリの巣の前で寝転ぶ日って知ってるか?」

「あぁ、美味しそうだ」と言ってから、グリザベルは本を閉じた。「いや、すまぬ。この間から考え事をしておるのだ」

 グリザベルは閉じた本を、もう読む気はなさそうにテーブルの端に追いやる。

「この間って言うとなんだ」

「芝居を見てからだ。――変えられないのは未来だけ」

 グリザベルは重々しく言うと、足を組み替えた。

「そうだな。オマエは後三年は新しい友だちはできねぇな。それは変えられねぇ」

「我のことではない。劇中のセリフだ。覚えておらぬのか?」

「役者じゃねぇから、台本を覚える必要はないんでな」

「仕方がない……聞いておれ。――過去は変わります。過去はただの記憶よ。記憶は独りよがり……自分にしかわからないものだから。私がそばにいたことを思い出して、正しい記憶に塗り替えて。あなたは孤独じゃなかった。わかるでしょ? 変えられないのは未来だけだわ」

 グリザベルは天空の青の一セリフを、一語一句間違うことなく口にした。

「恐ろしく棒読みだな」

「我だって役者ではないわ。『過去は変えられない』ではなく『未来は変えられない』。気になる言葉だとは思わぬか? 我はそこに引っかかっていたのだ」

「オレがこの後酒を飲みに行くことは変わらないし、変えるつもりもねぇ。そういうことだろ。んなことを考えてる暇があれば、スクィークスのことを考えろよ。なぜ倒れてたのか、なぜ寝てるのか」

 ヴィクターと言い合っていたチルカは「そういえば」と言って、ヴィクターの頬に小さな靴跡を残すと、リット達の方に飛んできて積まれた本の上に腰を下ろした。

「私の友達にも、やたらと寝る子がいるわね」

「オマエの友達って言うと、リゼーネの迷いの森にいるフェアリーか?」

「そうよ。三日くらい寝たままのことも多いわ。血筋なのかしらね……。その子のひいおばあさんは半年も寝たこともあったみたい。妖精の白ユリの蕾の中で、仲間が光落としをして花を咲かせるまで、ずっと寝てたみたいよ。マヌケな話よね」

「妖精のひいばあさんってことは、ずいぶん昔の話か」

「そうね、少なくても百年は前の話よ」

「それで、その妖精は病に冒されておるのか?」

 グリザベルからの質問にチルカは腕を組んで考える。しかし思い当たることはなく、投げやり気味に答えた。

「さぁ、なんの影響もないから誰も調べてないわ。本人も気にしてないしね」

「寝たきりで影響があるのは、高い地位にいる奴くらいだろうよ。その妖精もスクィークスも、寝てたところで歴史が変わるわけでもないしな」

 リットはチラッとノーラと遊ぶヴィクターに目を向けた。

 寝ていたのがスクィークスではなくヴィクターだったならば、この国に大きな変化があっただろう。

「マリーが起きたら、アンタに一泡吹かせられるって言うなら別だけどね。そしたら殴ってでもマリーを起こすわ」

「誰だよマリーって」

 聞いたことのない名前にリットが反応した。

「ハイデマリー・パックンハウスよ。話の流れで、妖精の友達ってことくらいわかるでしょ」

「わかってりゃ聞かねぇよ」

「アンタは一度マリーの姿を見てるじゃない」

 リットは一瞬ジャック・オ・ランタンのことを思い浮かべたが、すぐに違うと考えを振り払い、記憶をもっと過去に遡った。

 チルカと出会ったのはリゼーネの迷いの森。そこで確かにチルカ以外の妖精の姿を見かけていた。

 エミリアの依頼が佳境に入った時だ。妖精の白ユリのオイルを抽出中に現れた、のんびりした口調の妖精だ。リットはハイデマリーと直接話したわけではないが、妖精の白ユリの種を手に入れる出来事だったので覚えていた。

「なんにせよ、妖精のほうは気になることじゃねぇな」

「気になる気にならないなんて、アンタのさじ加減じゃないの。二階にはまだ半分近く本が残ってるのよ。全部読む気なの?」

「少なくとも鏡がなにかわかるまではな。冒険者に復帰だなんて意気込んでた誰かさんは、すっかり飽きたみたいだけどよ」

 リットがヴィクターに目を向けると、ヴィクターは鏡越しに目を合わせてきた。

「オレのことか?」

「そうだ。いつまでノーラと鏡遊びをしてんだよ」

「別に遊んでるわけではないぞ。鏡に映る等身大の自分を見ているんだ」

「それで……鏡の中のアンタはなにか言ってたか?」

「全身を映すにしても、この鏡は大きすぎる。鏡は全身の半分程度の大きさがあれば、全身を映す事ができるからな。この大きさがあれば鏡の中で動くこともできる」

 ヴィクターは大きく両手を伸ばしたり、数歩歩いてみたり、ジャンプしてみたりと。いろいろ動いて見せた。

 鏡の中のヴィクターは、鏡の縁に見切れることなく全身を映していた。

「なるほど……。姿を見るものではなく、動きを見るものであるかも知れぬと言うことか」

 グリザベルと目が合った鏡の中のヴィクターが口角を上げた。

「それに、凹面鏡でもなく凸面鏡でもなく、歪みなく映す為の平面鏡だ。なにかを正確に見る為のものかも知れない。――それで、リットは本を読んでいてなにかわかったのか?」

 ヴィクターは鏡の前からテーブルまで移動すると、リットが読み終えて積んでいた本の中から適当に手にとり、開きながら言った。

「あぁ、もちろん。虫に食われた本は読むことができねぇ」

 リットが表紙に穴のあいた本をヴィクターに投げ渡すと、ヴィクターは本の表紙を声に出して読み始めた。

「なになに、美味しいきのこ汁の作り方。これを女が読んでたと思うと興奮するな。さすがオレの息子。目の付けどころが違う」

 ヴィクターも本を投げ返すが、リットは受け取らなかった。本はテーブルの上を滑り、ギリギリ落ちない端で止まった。

「喜んでもらえたようでなによりだ」

「そう拗ねるな。冒険者としてのキャリアが違う。気になることがあれば、気になるものを穴があくほど見ることだ。装飾、傷跡、染み一つも見逃さずにな。穴のあいた本を見るより、なにか見付かることが多い」

「それで結論は?」

「リット……。オマエはまだ冒険というものがわかっていない。いきなり答えが出るのは冒険ではないぞ。そうだな……。よし! 来い!」

 ヴィクターはリットの座っている椅子を引き、軽々とリットを抱き上げた。

「あら、似合ってるわよ。お姫様抱っこ。アンタ、アホの国のお姫様だったのね」

 チルカが笑いながら言うと、リットはチルカを睨み、睨みの目つきのままヴィクターを見た。

「なんだ、次はベッドにでも運ぶつもりか?」

「そっちも教えてやりたいがな。今日は冒険者のなんたるかを教えてやろう」

 ヴィクターは鼻歌を歌いながらリットを連れてガルベラの研究所を出ていった。



「それで、今日は飲みに行かないで、ベッドに張り付いてるんだ」

 夜になり、部屋のベッドから動けずにいるリットに向かって、チリチーが楽しそうに言った。

「なに笑ってんだよ……」

「リットのお姫様抱っこ見てみたかったなと思って。舞踏会用のドレスでも貸そうか?」

「どうせ貸すならネグリジェにしてくれ。このまま動けそうにないからな。舞踏会には行けねぇ」

 うつ伏せで寝るリットの腰に、チリチーの温かいお尻が乗る。お尻の肉の柔らかさはなく、風を触っているような不思議な柔らかさだ。

「それで、なにしてたの」

 チリチーはリットに体重をかけながら聞く。

「安全な岩道の選び方とか、体重をかけても切れない蔓の見分け方とか、そんなんだ。こっちは冒険者なんかになるつもりはねぇってのに」

「まぁまぁ、よかったじゃん。私はお父さんの冒険者の話は好きだよ。小さい頃は冒険者になりたかったくらいだしね」

「そうなのか?」

「私も色々教えてもらったよ。お父さんじゃなくて、冒険者仲間からだけどね。迷い蛾の鱗粉のこととか。なんでも屋はその知識も活かしてるってわけ」

 チリチーが肌火の熱が、リットの硬くなった腰の筋肉をほぐしていく。

「たぶん、その冒険者はオレも知ってる奴だな。ダークエルフだろ。オレも迷い蛾の鱗粉のことを、そいつから教わったことがある」

「そうそう。五百歳を超えるのに、未だに冒険者って凄いよね」

「五百年も生きてりゃやることもねぇから、世界中を回ってんだろ」

「五百年かけても解明しきれないとは、世界って広いもんだねぇ」

 チリチーの体重が腰から背中へと上がっていく。

 リットの腰は痛みがだいぶやわらぎ、チリチーの熱で薄っすらと汗をかいている。

「この国は広い世界の一部ってわけだ」

 リットを含みを込めて言った。

「これでも、昔は他の国の舞踏会とかは結構行かされてたよ。男の人に声をかけられるようになってからは、お父さんに行かなくていいって言われてるけどね」

「男親のジレンマだな」

「私はそういうのわからないなー。リットも恋とかしてたんでしょ。ドラセナだっけ? 美人だった?」

 聞き覚えのある名前に、リットの背中がピクリと動いた。

「誰から聞いたんだよ……」

「チルカ。相手は幼馴染だったんでしょ? 結局、他の男に奪われたけど」

「アイツめ……おふくろから聞きやがったな。普通に別れたんだよ。向こうは城の金が目当てだったし、オレも町長の金が目当てだった」

 チリチーは顔をしかめて「うー」とからかうように唸る。「利益優先ドロドロの関係だね」

「もちろん、それだけじゃねぇけどな……。前からやりたかったランプ屋の資金をヴィクターが出してくれたし、そのまま村を出るついでに別れたんだ」

「前から聞きたかったんだけどさぁ。なんでランプ屋なの?」

「言いたくねぇ」

「子供の頃に、壊れたランプを直して誰かに褒められたとか?」

「……言いたくねぇ。だいたい今日は喋りすぎてんだ。もう、何も言わねぇぞ」

「なんだ。リットも普通の子供だったんだね」

 チリチーはからかいの笑い声を響かせながら、肩辺りまで体重を移動させてきた。

「ほっとけ。それより、もういいぞ」

「まだ、肩が硬いままだよ」

「いいんだよ。これ以上な、上に上がってくると誤解される」

 リットが言い終えると同時に部屋のドアが開いた。

「よう」という声からグンヴァのものだというのはわかるが、部屋に入ってくる気配はない。

 グンヴァからは、チリチーが恥部をリットの顔に押し付けているように見えるからだ。

「すまん! アニキ! 邪魔した!」

 グンヴァはドアも閉めずに逃げ去っていった。

「ほら、めんどくせぇことになった」

「兄妹だから、どうもならないのにね」

「アイツは今、頭の中が春色だからな」






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