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ランプ売りの青年  作者: ふん
命の灯火編(下)

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第十話

 公演日の朝。リットは布団から出ると、ベッドに座り直して、ただぼーっと睡魔が抜けるのを待っていた。

 今はまだ涼しい朝だが、もう二、三時間もすれば太陽に温められた空気で気持ちの良い暖かさになるだろうと、太陽が背中に語りかけている。

 リットが太陽の暖かさを感じ、あくびをひとつした時、ノックの音とほぼ同時にドアが開いた。

「起きよ、リット。闇夜の時間は音無きに終えた。なんだ起きておるのか……つまらんな……」

 グリザベルは布団にくるまっていないリットを見て、あからさまなため息を一つ落とした。

「ノックの意味を知ってるか?」

「何を言う。知っておるからしたのだ」

 グリザベルは部屋の中に入ると、手近な椅子に腰を下ろした。

「僕も入っていいですか?」

 開かれたドアの前では、バニュウが立ったままリットの様子を伺っていた。

「わかるか? これだ。これが礼儀ってもんだ」

「礼儀などというものは、酒の肴にもならないと思っている男が何を言っておる」

 グリザベルは机を人差し指でトントンと叩きながら言った。それだけではなく、忙しなく部屋を見回している。どこかそわそわした様子だ。

「あの、いいですか?」と、まだドアの前で立ったままのバニュウに、リットは「おう、いいぞ。なんの用事だ」と手招いた。

「今日は天空の青を見に行く日ですから、念のために早めに起こしにきたんです。その心配はいらなかったみたいですけど」

 バニュウは少し残念そうに答えた。

 バニュウは既に着替えを済ませており、首元が苦しそうな服に身を包んでいた。よく見ると、グリザベルの服もいつもとどこか違っている。

「気付いたか? 我も服を新調したのだ」

 グリザベルは立ち上がり、得意気に腰に手を当てた。

 ――が、リットは何も言わず、じっとグリザベルの服を見ていた。なにか違うのはわかるのだが、目に映るのはいつもと同じ真っ黒なドレスだ。

「よく見よ! 肩口と袖にフリルが付いておるだろう!」

 グリザベルが肩口を手で引っ張ると、マグニと分け合った真珠のブレスレットが揺れた。

「腰に手を当ててたら見えねぇだろうが……」

「それもそうか……。すまぬ、テンションを間違えたようだ」

「テンションを間違えたことにいちいち謝ると、毎日オレに謝ることになるぞ。それにしても、もう着替えたのか? 劇は昼過ぎからだろ?」

「当然。楽しみ過ぎて寝付けぬまま夜を過ごしていたが、やることがなくてな。日の出とともに着替えてやったわ!」

 グリザベルは寝不足だからこその絶好調の高笑いを響かせる。

「家族限定だから、オマエは行けねぇぞ」

「なぜだ! こんなに楽しみにしている我が行けないのはおかしいではないか! 一緒に演劇を見るのも、我が友としたいことの中に入っておるのだぞ!」

「なんでも近場のオレで済ませようとするなよ……。せっかくヨルムウトル城から出たのに、引きこもり根性が直ってねぇな」

「リットお兄ちゃん、意地悪を言っちゃダメですよ。ちゃんとグリザベルさんの席も取ってあります。チルカさんも来ますしね」

「ならば、問題はない。尤も、戯れに嘆いてみただけで、心配などしておらんかったがな! フハハ!」

 グリザベルは椅子に座ると足を組んで、背もたれにどっしり背中を預けて、ふんぞり返って高笑いを響かせる。

「そのテンション面倒くせえから一回寝ろよ」

「睡眠とは深き闇に落ちることだ。落ちたら二度と這い上がれぬ」

「寝たらもう起きれねぇってことだろ」

「とも言う」

「劇はお城の中でやりますから、万が一寝てしまっても大丈夫だと思いますけど」

 バニュウは中途半端に開けられたカーテンを、端までしっかり開けながら言った。

「そうなのか?」

 リットは疑問を浮かべたが、婚約周年祭の時のように中央広場で仮設テントが建てられていないことを思い出した。いくら王族と民の距離が近いこの国だとしても、吹きさらしの中で見るわけはない。

「公演期間は舞踏会などに使われている大広間が一般開放されます。ここ最近、お城に役者さんが出入りしてるのを気付きませんでした?」

「昼間はほとんどガルベラの研究所にいたからな」

「まぁ、お城の中をうろついているわけではないですしね。僕はリッチーお姉ちゃんと一緒にしょっちゅう見学に行ってましたけど」

「それで、リットは着替えぬのか?」

 グリザベルはクローゼットに目を向けて言った。

「そんなにオレの生着替えが見たいのか?」

「違うわ! 劇を見に行く用意をしないのかと聞いておるのだ!」

「劇に出るならな。出ねぇのに着替えを済ませてるのは、よっぽど用意周到な奴か、よっぽどのマヌケだ」

「そう褒めるでない。だが、褒めたいのならばもっと言ってもよいぞ。言葉にせぬと伝わるぬからな」

 グリザベルは得意げに足を組み替えて、威厳を込めて左足のつま先をリットに向けた。

「オマエはマヌケなほうだ。そっちもな」

 リットはグリザベルに皮肉めいた笑みを浮かべた後、バニュウにも同じ笑みを向けた。

「少し早いかと思ったんですが、なんだか待ちきれなくて」

 バニュウは照れくさそうに襟を直した。

「我も同じだ」

「精神年齢がか?」

「心の持ちようがだ!」

「なんにせよ……。いつまでこの部屋にいるつもりなんだ?」

 リットは二度寝するつもりはなかったが、朝に色付くのを感じて一人でぼーっとしていたかった。

「暇なのだ。朝餉までもまだまだ時間がある。揺らめくロウソクの火のようにゆっくり話でもしようではないか」

 グリザベルの話の最中に、リットは勢い良く息を吐いてグリザベルの前髪を揺らした。

「なんのマネだ……」

「火を消してやったんだよ」

 リットが会話を打ち切ったところで、元気よくバニュウが声を響かせた。

「そうだ! 外へ散歩をしに行きませんか? 眠気も覚めるし、朝ごはんも美味しく食べられますよ」

「そりゃいい。存分に歩いてこい。疲れてオレの部屋に寄りたくなくなるくらいな」

「僕達が帰ったとしても、このまま部屋にいると、次にリッチーお姉ちゃんが来て、その次にお父さんが来ますよ。たぶんですけど」

 バニュウの言葉に、リットはそれもそうかと頷く。下手すればノーラまで来る。出入りが激しければ、とてもじゃないがゆっくりするのは無理だろう。



 結局、外を歩いたほうが静かに過ごせるだろうと思ったリットは、バニュウとグリザベルと一緒に城を出た。

 最初は城の庭を歩くつもりだったのだが、花あるところにチルカあり。出会うと、静かという言葉が消えてしまうので、中央広場。調子を見て、川沿い通りを歩くことになった。

 城門を出て中央広場まで歩いていくと、同じく散歩中のお年寄りの姿がちらほらとあった。

「おはようございます。モーリーおばあさん」

 バニュウは人懐っこい笑顔で会う人に挨拶をしながら歩いている。

「おはよう。今日は早いねバニュウ様。リットも。この時間に城から出てくるなんて初めてみたよ。城に帰るところはしょっちゅう見るけどね」

「今日は違うんだからとやかく言うなよ」

「そういうセリフは一人前になってから言いな。毎朝酔っ払ってふらふらと、危なっかっしいったらありゃしないよ」

「悪かったな。ふらふら歩くのはジジババの特権だもんな」

「そっちもとやかく言うんじゃないよ。ふらふら生きるのは若者の特権だろう。今だけだよそんな生活をできるのは」

 しばらく歩くと、今度は杖をついたおじいさんから声をかけてきた。

「バニュウ様、おはよう。朝から会うとはね、元気でいいことだ」

「今日は演劇を見に行く日ですから、頑張って早く起きました。ヤマンおじいさんは見に行くんですか?」

「この歳じゃねぇ……見てる途中で寝ちまうよ。寝ると言えば……てっきりリットは永眠したと思ってたぞ。昨日はいつもの酒場に来なかったからな」

 ヤマンおじいさんは杖でリットの軽く肩を叩くと、からかうように笑った。

「別に毎日行ってるわけじゃねぇだろ」

「酒場に入り浸りの奴がある日突然来なくなると、死ぬか女ができるかって相場が決まってるからな」

「人より自分の死を心配しろよ。そっちがころっと逝った日には、こっちは気付かねぇぞ」

「そしたら、リットの夢に出て知らせてやるよ。そこで一杯やろうや。酒を用意しておいてくれ」

「わざわざ用意しなくても、そこら辺に飲みかけの酒瓶が転がってるよ。勝手に飲んで勝手に成仏してくれ。飲みすぎて小便だけは漏らすなよ」

 ヤマンおじいさんはカッカッカッと喉で笑うと、「バニュウ様はリットみたいになるんじゃないぞ」と言い残して去っていった。

 ヤマンおじいさんとも別れて少し歩いたところで、グリザベルが急に立ち止まった。

「つまらぬ……」

「なんだ?」

 リットも歩みを止めてグリザベルに振り返る。

「つーまーらーぬー! と言っておるんだ! なぜ我には誰も話しかけてこんのだ!」

「友達どころか、話し相手もいねぇからだろ」

「いつもそれではないか! たまにはそれ以外の理由を一つでも言うてみたらどうだ!」

「初対面の奴には自分から話しかけねぇ、陳腐な言葉で人を威圧する、すぐ高笑いを響かせる、人が集まる場所にいかねぇ、気味の悪い真っ黒なドレスを着てる、下着まで黒。これは悪くねぇな。後は……」

「一つでよいわ! なぜ、我に友ができぬのだ……。受け入れる準備はとうの昔からできておるのに」

 グリザベルは底が抜けたかのようにガクンと肩を落とした。心なしか足元に伸びる影まで薄くなったように見える。

「今、理由を言ってやっただろ。そうやって、都合の悪いことを聞かなかったことにするからじゃねぇのか」

「誰にでも厚顔無恥をつらぬくリットに、我の気持ちはわからぬ……」

「リットお兄ちゃんも、グリザベルさんと来た時期があまりかわらないのに、友達がいっぱいできましたよね」

「話すのは世話好きの婆さんか、酒場で馴染みの客がほとんどだ。この国から離れたら、もう二度と会わねぇような奴ばっかだよ」

 リットとバニュウが喋りながら歩きだすと、その背中に引っ張られるようにグリザベルはとぼとぼと後を付いていった。


 川沿い通りまで歩くと、バニュウが急に小走りで前から来る影に向かっていった。

「マックスお兄ちゃん!」

 バニュウが大きく手を振ると、マックスは小さく手を振り返しながら近付いてきた。

「バニュウ。この時間に君がいるのは珍しいね」

「朝からトレーニングお疲れ様です」

「バニュウもグリザベルと――リットと散歩か……。よくないね……」

 マックスはリットの顔を見つけると、露骨に顔をしかめた。

「よくねぇのは、オマエの態度だよ。まぁいい、散歩に付き合え」

「なんで僕がアナタと! だいたい僕は歩くのではなく走っているんだ」

「オマエと話したくて、一緒に散歩するために早く起きたんだ。今日くらいは邪険に扱うなよ」

「あっ……。それは……」

 バツが悪そうにリットから顔をそらしたマックスの視線の先には、首を横に振るグリザベルの姿があった。

「また! いつもそうやってからかうからアナタが嫌いなんだ!」

「話があるのは本当だ。天使族が浮遊大陸に帰るときはどうすんだ?」

 リットはマックスが逃げ出さないように、朝日に輝く純白の羽を掴みながら言った。

「確かに我も気になるところだ。天望の木を登るとは思えぬが、やはり飛んで行くのか?」

「そうですね。でも、浮遊大陸は根無し草のようなものですから、雲の上まで飛んでも見付けることは難しい。天使族でも帰れるという保証はないんですよ」

 マックスはグリザベルにだけ言うように答えた。

「なるほど。帰るチャンスが多くできるだけで、いつでも帰れるというわけではないのか」

「はい。だから、浮遊大陸から出る者はあまりいない。と、母から聞いたことがあります。好奇心で浮遊大陸から地上に降りて、そのまま帰れなくなった天使族も数多くいますからね。季節の渡りを行うハーピィの方が、浮遊大陸を見つけるのが上手いっていうジョークもあるくらいです」

「浮いてるだけあって、浮遊大陸はジョークも軽いな」

 マックスは一度だけリットを睨むと、すぐにグリザベルに向き直った。

「恥ずかしながら、僕はまだ浮遊大陸を見たことがありません。いつか行ってみたいとは思っているんですが……。だから、浮遊大陸のことは母のほうが詳しいですよ」

「僕も行ってみたいな」とバニュウがこぼすと、マックスが笑いかけた。「もっと確実に行ける方法が見つかったら、バニュウも連れて行くよ」

「バニュウの背中に張り付いて、ペガサスでも気取る気か?」

 からからと笑ってからかうリットを見て、マックスはため息を地面に落とす。

「なんか、もう怒る気も失せてしまった……」

「それはダメだな。怒ってもらわないとつまらねぇ」

「それじゃあ、一生怒らないことにします」

 マックスは羽を掴むリットの手を振りほどいた。

「本当に?」

「本当に」

「一生か?」

「一生です」

「でも、こうやって何度も確認されると苛つくだろ」

「当たり前でしょう!」

 とうとう我慢できずにマックスが声を張り上げた。

「それでこそマックスだ」

 その反応にリットは満足げに笑みを浮かべる。

「なんでリットお兄ちゃんは、マックスお兄ちゃんをからかうんですか?」

 バニュウは心底不思議そうに訪ねた。

「グンヴァはカロチーヌ。シルヴァはウィル。ヴィクターは言わずもがな。みんな浮き足立ってるのに、コイツは違う。羽がついてるのにな。不健康に運動で発散なんかするから、オレが別の方法で発散させてるってわけだ」

「怒鳴らせてですか?」

「そうだ。オレには実績がある。見ろ、グリザベルを。カビ臭い城の引きこもり魔女が、とりあえず外に出るまでには成長した。オレがからかい続けたおかげだ。まぁ、すぐ泣くけどな」

「泣かぬ」

「そんなことねぇだろ。久々に「カァー」って鳴いてみろよ」

「鳴かぬわ!」

 グリザベルが声を張ると、「アホー」とでも言うように鳴きながらカラスが飛んでいった。

「ほれ見ろ……カラスにまでからかわれたではないか……」

 グリザベルは縮こまってその場に座った。黒いドレスと黒い髪のせいで、黒い物体が道に落ちてるようにしか見えない。

「ちょっと情けなさ過ぎて、直視できねぇよ」

「とにかく、僕には構わないでください。必要ないですから」

 マックスは不憫に思う目でグリザベルをチラッと見てから言った。

「運動だけして一生過ごす気か? 運動をしすぎると、そのうち足腰が立たなくなるぞ。特に三本目の足がな」

「三本目の足とは?」

 首を傾げるバニュウに、リットは適当な笑みで返したが、それもバニュウにとってはより大きく首を傾げる原因となった。 

「そんな心配。僕にはいらない」

 マックスが強い視線をリットに向けながら言う。

「心配しとけよ。一人歩きを覚えたら、途端に言うことを聞かなくなるぞ。それにわがままだ。時折夜中に起きて乳も欲しがる。乳をやったら満足して寝るが、こっちは寝不足だ」

「三本目の足って、赤ちゃんのことですか?」

 バニュウは疑問が顔に張り付いたままの表情で尋ねた。

「まぁ、将来的にはそうなるな」






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