第八話
「魔宝石が散りばめられた大きな鏡。少なくとも普通の鏡とは違う使われ方をしているはず。そこで、オマエがあの部屋で倒れていた理由を聞きたいわけだ」
数日経ったある日の朝食後。執事が食器を片付ける中、リットは椅子に腰掛けて、テーブルに足を乗せた格好で床に向かって話しかけていた。
「独り言? それとも飲みすぎて現れた幻覚と話してるの?」
一度部屋を出たシルヴァが戻ってきていた。
「見えないのか? オマエの小さい兄の姿が」
リットは片足をテーブルから下ろして、床で眠るスクィークスのお腹を突っついた。
スクィークスはくすぐったそうに身を捩りはするが、起きることはない。
「小さすぎて見えない。そんなことより、借りたリブス・テーキの薬草本。まったく意味がわからないんだけど。私にわかるように教えてよ」
「借りたと勝手に持っていったの違いはわかるか?」
「そっちがパパに説明できたらね。パパの部屋から勝手にお酒を持ってくのと、借りてったの違いを」
「言いたいことが三つある。第一に――オレの話はしてない。第二に――バレてないもんを説明する必要はない。第三に――どこがわかんねぇんだ」
シルヴァは本を開くと、押し付けるようにしてリットの前に置いた。
「無性生殖と有性生殖について。まず名前がいみわかんないし、ジャガイモは無性生殖って書いてあるけど。ジャガイモは花咲くじゃん」
「だからその本は間違いなんだよ。芋は両方すんだ。いいか、雄しべと雌めしべが……やっぱやめだ。なにが悲しくて性教育しなくちゃならねぇんだよ。ウィルに聞けよ。会う口実ができてちょうどいいだろ」
「じゃあ、ウィルに聞きに行くから、ウィルが好きな服を教えてよ」
「知るか。裸で迫れ。古代から現代まで廃れることのなかった正式な衣装だ」
「もういい……。ウィルにフラれたらお兄ちゃんのせいだからね」
シルヴァは本を置きっぱなしのまま部屋を出ていった。
乱暴にドアが締まる音がして数秒立つと、壁際に飾られた鎧の隙間からリットにギリギリ聞こえるような大きさの声が震えながら届いてきた。
「ウィルとは誰だ……」
ヴィクターは注意深く周りを確認して、シルヴァが完璧にいなくなったことを確認すると、のそっと隙間からでてきた。
「ウィルダン・バーナーだろ」
「なぜオマエが知ってる。なぜオレには紹介しないんだ」
「そういうことしてるから、娘に煙たがられんだよ」
リットはヴィクターが身を隠していた鎧に向かって顎をしゃくった。
「男親が娘の心配をするのは、そんなにいけないことか?」
「少なくとも、盗み聞きはいけないことなんじゃねぇのか」
「オマエに言いたいことが三つある。第一に――オレの話はしてない。第二に――バレてないものに良い悪いもない。第三に――オレが楽しみに取っておいた酒まで飲むのは許しがたい」
ヴィクターはリットに向かって拳を突き出すと、一本ずつ指を立てながら言った。
「アンタの話をしてんだよ……。つまり最初からこの部屋にいて、全部聞いてたってことだな」
「最近シルヴァの様子が変だったからな」
「変ってなんだよ」
「本を持って歩いていた」
「確かに変だ」
「シルヴァが変なおっさんに騙されていたらどうするつもりだ。もし、子供ができてしまったら? オマエはどう責任を取るつもりだ」
「そしたら、責任を取るのはオレじゃなくてその変なおっさんだろ。だいたいウィルは若者だし、騙されてるのもウィルのほうだ」
「若者か……当然若者らしく節度のある付き合いなんだろうな」
ヴィクターはキスでもするのではないかと思うほど、リットに顔を近づけて眉をしかめた。
「オレに絡むなよ……。ウィルは今、十六? それとも十七、八か? アンタがそのくらいの年齢の時はどうだったかを考えればわかるだろ?」
ヴィクターはしばし考え込むと、突然目を見開いた。
「ヤバイ……殺さなければ。リット! オマエがシルヴァに夜遊びなんかさせるからだぞ!」
「そのオレに夜遊びさせたのはモントの嫁だぞ。オマエが選んだ嫁だ。わかるか? ヴィクター」
「リット……。その名でオレを呼ぶな。これからはドラゴン殺しのヴィクターだ。一気に恐怖心を煽るいい名前だ」
ヴィクターは鎧から剣を引き抜くと、闇雲に振り回し始めた。慣れていない剣の軌道は、ハエが飛んでるように頼りないものだった。
「ドラゴン殺しのヴィクターに聞きたいことがあるんだが。この殺されたドラゴンのことだ。研究所に忍び込んでたんだろ?」
リットは床のスクィークスを足先で指した。
「鏡の前で倒れていたんだ。と言っても、今のように寝ていたんだ。前はあちこちに忍び込むほど活動的だったんだがな……。実はな、ムーン・ロード号を作った目的もスクーイの為だ。大陸外ならなにか対処法が見付かると思ってな」
ヴィクターは鎧に剣を戻すと、リットの対面の椅子に座った。
「見つかったのか?」
「いや……。なにも見つかっていない。そもそも、誰かのおかげで予定が狂い、東の国に滞在できる期間が短くなってしまったらしいからな」
ヴィクターは恨みがましい目でリットを見た後、フフッと口を曲げて笑った。
「ノーラにはオレから強く言っておいてやるよ」
「それじゃあ、そのノーラに聞いておいて貰いたいんだが、東の国でなにか聞かなかったかと」
「特に何も聞いてないって、ノーラが言ってたぞ」
「鏡を探してたんだろう? 本当に何も聞いていないのか?」
「探してたのは、姿見じゃなくて反射鏡だからな。……オレも聞きたいんだが、いつどこで龍の鱗を手に入れたんだ?」
「岩の隙間に挟まっていたのを見つけたんだ。冒険者時代にな。鉱石の類かと思っていたのだが、どこも買い取ってくれないし、使い道もわからないままだった。だが、捨てるには惜しいからずっと持っていたわけだ」
東の国の龍が鱗を落としながら飛んでいったのは数年前。しかし、ヴィクターが冒険者だったのは数十年前のことだ。
つまり、ヴィクターが持っていた龍の鱗は、もっと昔のものということになる。数年前の龍の鱗は、まだどこかに落ちている可能性がある。
リットがまだ見ぬ龍の姿を思い浮かべていたが、響くノックの音に邪魔され消えてしまった。
「入っていいぞ」とヴィクターがドアに向かって言うと、見たことのある番兵が部屋に入ってきた。
「怪しい男を捕らえました!」
「忍び込んできたのか?」
ヴィクターが聞くと番兵は「いえ」と首を振った。
「それが、堂々と門へと歩いてきまして。その男は、リット様のお知り合いだと言っているのですが……」
ヴィクターが知り合いなのかとリットに目配せをするが、リットは首を傾げ、心当たりがないと「うーん」と唸った。
「ワニ男か、ハゲてきた男か?」
「いいえ、若い男です。組み敷いて頭を押さえつけた後、取り調べを行っております。できればリット様にご同行頂きたいのですが」
「組み敷かれて頭を押さえつけ……あぁ、ウィルか」
リットは「なにかわかったら城に来い」とウィルに言ったことを思い出した。
そして、「そいつは知り合いだ」と言って番兵について行こうとしたが、ヴィクターに肩を掴まれてしまった。
「ウィルと言ったか?」
「そうだ。オレが城に来いって言ったんだ」
「ウィルダン・バーナーか?」
「だから、そうだって」
「わかった……。オレが行こう」
ヴィクターは掴んだリットの肩を引っ張り自分の後ろに追いやると、困惑する番兵に道案内をさせた。
ヴィクターが門まで行くと、自分は怪しい者ではないと懸命に説明するウィルの姿があった。
「連れてきました」と番兵が言うと、ウィルは安堵の表情を浮かべたが、リットではなくヴィクターが来たことにより、驚きの声を上げた。
それはウィルだけではなく、周りの兵士達も同じことだった。
「ヴィクター王!」
ウィルに名前を呼ばれたヴィクターは、珍しく王族の権威を顔に貼り付けて睨んだ。
「もうオレは王ではない。だから、呼びたければこう呼べ。神殺しのヴィクターと」
「あの、ウィルダン・バーナーです」
「何度か見かけたことがあるな」
ヴィクターが顔の産毛一本も見落とすまいというようにジロジロと見てくるので、ウィルは背中に流れる冷や汗に身体を一度震わせてから、精一杯笑顔を作ってみせた。
「はい。ヴィクター様はよく街にいらしていたので、その時に何度か」
「神殺しのヴィクターだ。よろしく」
ヴィクターは力任せにウィルの手を握った後、「はっ!」と短く気合を入れるように叫んだ。
「よ、よろしくお願いします」
わけのわからない状況と、あからさまに不機嫌なヴィクターを眼前にして、ウィルは自分がなぜここにいるのかの説明も、弁明の言葉も出なくなっていた。
「それでだ。バーナー君。この城になんのようだ」
「お兄さんに調べ物を頼まれてまして。なにかわかったら城に来いと……」
「お兄さん? ならば、オレのことはお父さんとでも呼ぶ気か?」
「いえ! そんな! まさか! ヴィクター様はヴィクター様です」
「神殺しのヴィクターだ。冒険者時代に神を殺してからそう呼ばれる。よろしく」
そう言うとヴィクターは、また力任せにウィルの手を握った。
ウィルの耳には自分の手の骨が軋む音がわずかに届いていたが、自分の力でヴィクターの手から逃れられることはないのはわかりきっているため、ただ真っ直ぐにヴィクターを見て「はい」と頷くしかなかった。
「それで、なんの用事なんだ? 悪いがこの城は、欲望を吐き出すことに一日の半分以上脳を働かせる男は立入禁止なんだ」
「なら、オマエが一番城にいちゃダメだろ」
遅れて門へと到着したリットを見ると、ウィルは投げ出された大海原で船を見つけたかのように安堵の表情を浮かべた。
「こら、邪魔するなリット。オレは男同士の話をしているんだ」
「周りの兵士の代弁をしてやったんだよ。な?」
リットが近くの兵士の肩を掴むと、その兵士は「まさか」と慌てて首を横に降った。
ヴィクターは「まさか、オマエの手引きじゃないだろうな」とリットに疑いの眼差しを向けると、今度はウィルに向かって「悪いがシルヴァは出掛けていて城にいない。お帰り願おうか」と凄みを利かせた。
「はい、お兄さんに用事があるので、この城ではなくても大丈夫です」
ウィルはこれでやっと開放されるとほっとしたが、ヴィクターの凄みが切れることはなかった。
「なんだと……。オレの可愛い娘はどうでもよくて、こんな男に会いに来たのか?」
「あんま言いたかねぇけどよ。愛する息子の価値はずいぶん下がったんだな」
「そう言うな。オマエのことはもちろん愛してるぞ。だが、今この場合、誰を守るかは明白ということだ」
ウィルに睨みをきかせるヴィクターの視線をリットの手のひらが遮った。
「行くぞウィル」
「え? でも……」
「ほっとけ。朝食のパンをノーラに取られてから機嫌がわりぃんだ。それとも、小便漏らすまで尋問される気か? 糞まで漏らしたらオレもほっとくぞ」
今度こそ本当にこの場を離れられると思ったウィルだが、耳をくすぐるような甘い声に邪魔をされてしまった。
「はぁい、ウィル。来るなら言ってくれればいいのに」
シルヴァは兵士を押しのけながら間に入ってくると、ウィルの前に立ち、邪魔なヴィクターをお尻で押し飛ばした。
「やぁ……シルヴァ」
「「はぁい」だ? 「やぁ」だ? 今度はキスでもするつもりか?」
ヴィクターは立ち上がると、シルヴァとウィルの間に立った。
「なんでパパがここにいるの? やだ、パパ。もしかしてウィルと話したの? 私の事なんも言ってないでしょうね」
「なにも言ってない。――ただ、娘にアリ一匹分でも鼻の下を伸ばすような奴なら、女に興味がなくなるくらい男の素晴らしさを教えてからご帰り願おうとしただけだ」
「鼻の下を伸ばさせる為に、女を磨いてるんだから邪魔しないでよ。パパだってしょっちゅう鼻の下伸ばしてるじゃん」
「そんなわけがない」
「あっそ。そんなことより、最近また胸が大きくなってブラが合わなくなってきたの。だから新しいの買って」
シルヴァが苦しそうに胸元に指を入れると、ヴィクターはすかさずそこを覗き込んだ。
「本当か?」
「ほら、パパも鼻の下伸びてる」
「本当に? 伸びてる?」
ヴィクターがリットに尋ねると、リットは数回首を縦に振った。
「伸びすぎて、地面のアリを食ってるのかと思った」
「親なんだから、娘を見て鼻の下を伸ばすのは当たり前のことだ」
「それは成長を見届けてる時だろ」
「胸だって成長する」
リットとヴィクターが話してる間に、なんとか打開しようとウィルはシルヴァに耳打ちをした。
「ヴィクター様。なんか僕達のこと勘違いしてるみたいなんだけど」
「大丈夫。私に任せて」そう言ってウィルにウインクすると、シルヴァはヴィクターに宣戦布告でもするかのように高らかに声を響かせた。「今度の演劇。ウィルも一緒に行くから」
「そんなこと許すわけがないだろ。あれは毎年、家族だけで行くと決めているだろう」
「いい? ウィルが行かないなら私も行かない」
「そんなわがままが通用すると思っているのか?」
「するよ。そうやって生きてきたんだもん。だから、今度もそうやって乗り切るの。パパァ……お願い」
シルヴァは演技ぶった甘い声でヴィクターに寄りかかる。
「ダメだ……」
「パパァ……」
今度は悲しそうに瞳を潤ませ、声も震わせた。
「わかった……」
ヴィクターはあきらめたように溜息をつくと、シルヴァの頭をなでた。
「嘘だろ……。あれだけで、了承するのか? パパって言っただけだぞ」
リットは信じられないといった表情でヴィクターを見る。
「仕方ないだろう。シルヴァのあの悲しみに打ちひしがれた瞳を見たか? オレはあの目に弱いんだ」
「酒場の女だってもうちょっと上手く騙してくれるぞ。せめて駆け引きのチャンスはくれる。なのにパパだぞ。たった二文字だ。知ってるか? 悪口はほとんど二文字だ。バカにボケにアホにカス」
「シルヴァの言い方をしっかり聞いてたか? 「パパ」じゃなくて「パパァ」だ。大好きでたまらないと言った風に語尾を伸ばすんだ。つまり、三文字。えらいにつよいにすごい。褒め言葉はほとんど三文字なんだぞ」
「そうだった。マヌケも三文字だな。アンタにピッタリの褒め言葉だ」
リットとヴィクターが言い合ってるのを尻目に、シルヴァはウィルに微笑みかけ、可愛らしく首を傾げていた。
「ね? バッチリ解決したでしょ」
「是非、問題と公式を教えてもらって、どういう答えに導いたか教えてもらいたいね」
ウィルの怪訝な視線は、シルヴァの甘えた顔にかき消されてしまった。
「わかってるくせにぃ。大丈夫リードしてあげるから。でも、言うのはそっちから。そこくらいは男らしさを見せてもらわないと。イジリーナはそういう男もウブで可愛いとか言うんだけど、そりゃアンタがサキュバスだからだっての。一夜でバイバイなんだから、そりゃ誰でもいいだろ。でも、向こうに言わせれば、人の習性にケチつけんなって。でも私から言わせれば、そっちもこっちの好みにケチつけんなって感じじゃん。実際そうは言ってないけど、目は言ってたの。これマジ。目は口ほどに物を言うってやつ? だから、私も目に感情込めてみたの。そしたらイジリーナが「わかってる。この夏限定のアクセを買いに行くんでしょう?」とか勘違いするわけ。私もビブネックレス欲しかったから、まぁいっかって」
「なにを言ってるかわからない……。君と話していると、時間の大切を改めて知るよ……」
「そうだった。こんなことしてる暇ない。新しいドレス買わなきゃ。それじゃあ、ウィル。楽しみに待ってるから」
ヴィクターの時とは違う甘えた声でシルヴァがウィルに別れを告げる。
「じゃあな、バーナー君。オレも楽しみに待ってるぞ」
ヴィクターは別の意味でウィルに別れを告げた。
「それじゃあ、オレ達も行くぞ。ここじゃ、もう話なんてできねぇからな。浮遊大陸の植物を調べてくれたんだろ」
リットはついてこいと指招きをしながら歩くが、ウィルは立ち止まったままだった。
「それは調べてきたんですが……。あの……僕も一つ聞いてもいいですか? 今、どういう状況なんでしょうか?」
「そこの堀に流れる水は見えるか?」
「えぇ……はい」
「なら、そこに浮かんでる葉っぱはどうなってる?」
「えっと、流されてますね」
「そういうことだ」




