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ランプ売りの青年  作者: ふん
命の灯火編(下)

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第六話

 深呼吸を三回。春風で頬を冷やし、葉ずれの音にしばし耳を傾けると、グリザベルはいつもの調子に戻っていた。

「ディアドレが書いた本のことは覚えておるか? 四つの本のことだ」

「妖魔録、悪魔録、天魔録、精魔録だろ」

「お主は本当に物覚えが悪い……。我はこう言ったのだ。妖魔録、精魔録、悪魔録、天魔録と」

 リットは自分が言ったことと、グリザベルが言ったことを頭の中で重ね合わせた。

「合ってんじゃねぇかよ」

「お主が言ったのは、妖魔録、悪魔録、天魔録、精魔録。正しきは妖魔録、精魔録、悪魔録、天魔録。この順番が大事なのだ。これはディアドレが書いた順に呼ぶことに意味がある。つまり、妖魔録を初めに書き、天魔録は最後に書いたということだ」

「新書を追ってるわけじゃねぇんだから、順番なんてどうでもいいんだよ」

「まだわからぬか……。最後に書いた場所はあそこだ」グリザベルは静かに人差し指を上に向けて立てた。「――天空だ」

 リットはグリザベルの人差し指につられるように空を見上げた。変わらず空に雲はないが、言いたいことはわかっていた。

 天使族と魔女ディアドレの交流を書き記したもの。それが天魔録だ。つまり、ディアドレは浮遊大陸に行ったことがあるということだった。

「その本のことは知らないですね」

 自分の知らない歴史の話をする二人を見て、ウィルは少し悔しそうに言った。

「無理もない、写本も数多くは存在しておらぬからな。原本は行方知らずだ。興味のない者にとっては、ただの物語だからな」

「リゼーネは妖精と関わりが深いから、本があったんだな」

 リットはリゼーネ王国の図書館で妖魔録を見つけた時のことを思い出しながら言った。

「そういうことだ。リゼーネ王国はディアドレ自体と関わりはないがな。妖魔録はミスティ・ウッドの森。精魔録はメグリメグルの古代遺跡。悪魔録はヘル・ウインドウの地下洞。天魔録はキュモロニンバスの天空城。それぞれ、舞台となった場所がある」

 そこまで言うと、グリザベルは寒風に身を晒したかのように小刻みに体を震わせた。口元にはわずかばかりの笑みを浮かべている。

「せめて、湖に入って漏らせよ……。間に合わねぇもんは仕方がねぇけど、隠す努力をしろ」

「我は感動に震えておるのだ。戯言など耳に入らぬ」

「身悶えるのは勝手だけどよ。だらしねぇ口元をどうにかしろ。変態が絶頂に達してるようにしか見えねぇぞ」

「誰が変態だ! 感動くらい素直に感じさせろぉ!」

「震えて口元が緩んでて絶頂に達してなけりゃ、後はアル中くらいだな」

 リットがからから笑う姿を、ウィルは何とも言えない表情で見ていた。

「自覚症状がないって本当なんですね。暑くないのに寝汗をかいたり、翌朝文字が上手く書けなくなったりしていませんか? 体が小刻みに震えたりするのは離脱症状によく見られるものです。そうなってからのアルコール断ちはとても辛いと聞きます。それは連続飲酒に繋がる、とても危険なことですよ」

「いいか、秀才君。講釈を垂れたいなら、鳥がなぜ空を飛べるようになったかがわかってからにしてくれ」

「それについて、有力な説がいくつかあるんですが。まず――」

「黙れってことだ」

「わかりました。でも、飲み過ぎは危険だということは忘れないで下さいよ」

「そっちも、この後鼻の穴に指を突っ込まれながら、オレがバカかどうか説明されるのを忘れるなよ」

「忘れましょう」

 ウィルは春の天気のようにころっと意見を変えると、グリザベルに続きを話すように促した。

「よいか? 続きを話すぞ」グリザベルは話を逸らすなと念を押してから話し始めた。「今と違い、昔は天望の木を登るのは困難を極めた。よって浮遊大陸に行けるのは、術を持つ限られた者のみ。その一つに魔法がある」

「ここで魔法が使われたってことか」

 リットの言葉にグリザベルは大きく頷いて、満足げな笑みを浮かべた。

「よいぞ。その手の相槌は大歓迎だ。しかしだ。もっと創意工夫をして、我の話す意欲を掻き立てよ」

「……使われたのか使われてないのか、どっちなんだよ。ウィルの鼻の穴に指を突っ込んでも、片手はあいてるぞ。一緒に突っ込まれたいか?」

 リットが突き立てるように人差し指と中指を向けると、グリザベルは咳払いをして調子を整えた。

「ウィルの持つ、ティアドロップ湖と同じ形をした地図。これは偶然などではない。大地と共に天空へと昇る。これも浮遊大陸に行く一つの方法だった」

「だった?」

「ディアドレの時代と違い、今は魔法も進化している。進化とは新しい形質を獲得するということに考えを奪われがちだが、使われなくなったものを失うという意味もある。魔法でできることが増えたが、できなくなったこともあるというわけだ」

 グリザベルは狭い歩幅で行ったり来たりうろうろ歩く。そうして考えをまとめながら話していた。

 ノーラはその様子を苦しそうにお腹を擦りながら半目で眺めていた。

「それが、旦那の間違えていた本の順番と繋がるんスかァ?」

 ノーラの言葉は眠っていないと伝える為だけの適当なものだったが、グリザベルの歩みを止めさせるには充分なものだった。

「そうだ。四つの本は、魔宝石という技術が確立されてから書かれたものというのは前にも言ったな。この時点でディアドレはかなり年を取っておる。そして、天魔録は一番最後に書かれた本。死に際に書いたということだ。浮遊大陸にはディアドレの集大成とも言うべき知識が眠っている可能性がある」

「ディアドレが浮遊大陸に行ったのは確かだと思うけどよ」

「けどなんだ。ならば、ガルベラの墓が研究所とは反対のティアドロップ湖にあるのはどう理由付けるつもりだ? ディアド・レイクという名前はディアドレにちなんで付けられたとは思わんのか? 魔女の涙の言い伝えはどうだ? 始まりの出来事は嘘をつかない。だから人は、遡り歴史を知りたがるのだ」

 反論の余地がないと思ったグリザベルは畳み掛けるように言い切り、最後に勝ち誇ったように高笑いを浮かべた。

 最後の言葉に、ウィルがお見事といった風に頷いて同調していた。

「ディアドレイクはこじつけな気がするけどな……。この歴史オタクの口から出るまで、聞かなかった名前だ」

 リットはウィルの頭をつかむと雑に揺らした。

「実はディアド・レイクという名前は、ディアナ国とあまり関わりのない遠く離れた地方では今でも使われてます。新しい情報がなく、言葉の変化がないからこそ、昔の呼び方が残っているのです。歴史背景とともに呼び名は変化しますからね。この国が開放的になったのは最近のことですし。長い歴史、どこからか漏れた情報がその時の呼び名を残したってことです」

 ヴィクター。そして、偶然再会した踊り子もディアナ国の生まれではない。ヴィクターはディアドロップ湖と呼び、踊り子はティアドレイクと呼ぶ。

「リッチーはこの国の生まれだろ? あいつはディアドロップって呼んでたぞ」

「チリチー様ですか? 誰かからの影響ってことはありますね。小さい頃に聞いたまま覚えたとか」

「あぁ、ヴィクターか……。それにしても、魔法でこんなことができるのか?」

「瞬間移動ではなさそうだからな。だが、魔力への理解を極めても難しきことだ。おそらく、広範囲の大地を使いたかったわけではない。広範囲の大地を使わなければならないほど、巨大な魔法陣を必要としたということだ」

 グリザベルはティアドロップ湖を隅から隅まで見渡すように目を細めた。

「その魔法陣が見つかれば、楽に浮遊大陸に行けるってわけか」

「おいそれと使用できるものではないがな。見よ」

 グリザベルはドレスの裾を盛大に翻して、振り向きざまに遠くの山を指した。

「さっき見たぞ。黒のパンツだろ。気に入ってんのか? なら、シルヴァに勝負下着は黒にするように言ってやれよ」

「下着のことではない! 我が威風堂々と立たせている指先に目を向けよ!」

「オレをいくつだと思ってんだ。パンツを見たくらいで威風堂々とまでは立たねぇよ」

「我がいつお主の股間を指差した! 山を見ろと言っておるのだ! いいかげんにせぬと泣くぞ!」

 グリザベルは強調して山を指し直した。

 グリザベルが指した山はリム山だ。周りの他の山とは違い、遠目でもわかるほど山頂部がくぼんでいる。

「偉大なる大魔法使いと呼ばれるディアドレでも、一度失敗したと見える。いや――目に見える失敗と言ったほうが正しいな。本来、形が残る失敗をするだけでも、充分すぎるものだ。意思を受け継いだ者が、後に成功させるというのもよく聞く話だ」

「なら、ディアドレのことを知りたけりゃ上に行けってことか」

 リットは空を見上げた。春のぼやけた陽光が青の邪魔をしている。

「そうだ。地上で途切れたエーテルの研究も、天空では続けられていたかも知れぬ……」

「なら、地上で気になるのはあの鏡か?」

「そうだな。それと、天空に向かう経緯がわかればなお良しのこと」

 リットとグリザベルは同時にウィルを見た。

「あの……なんです?」

 ウィルは困ったように愛想笑いを浮かべる。

「ガルベラの研究所にある大きな鏡のことだよ。歴史が好きなんだろ、あの鏡が置かれた経緯くらい知ってんじゃねぇのか?」

「ずっと立ち入り禁止でしたし。そんなところに入って、兵士に組み敷かれて頭を押さえつけられる趣味があるように見えます?」

「意味もなく、いじめっ子にはされたことあるだろ」

「するどい……」

「まぁ、なんかわかったら城まで来い」

「僕みたいな一般市民が、簡単に城には入れないんですけど……」

「んなことねぇ、簡単だ。片手を上げて、門番に気軽に「よう」って言うだけだ」

「僕のことを門番に伝えておいてくれるんですね」

「兵士に組み敷かれて頭を押さえつけられてれば、オマエだってすぐわかる」

 ウィルは腑に落ちない顔のまま一礼すると、「用事があるので」と言って街に戻っていった。

 しばらくその背中を見送った後、リットが振り返ると、満面の笑みで迎え入れるグリザベルの姿があった。

「どうだ。陽光に晒されなければ、わからぬことがあっただろう」

 グリザベルは得意気に鼻を鳴らす。

「そうだな。認める」

「フハハ! ずいぶん素直ではないか。これに懲りたら、普段から我の意見にもっと耳を貸すことだ」

「確かに……あんな薄暗いとこにいたんじゃ、黒のパンツなんてのはよく見えねぇからな」

「あれは……見られたのではなく見せたのだ。よって失態ではない……」

「それでいいならいいけどよ。……いいのか?」

 グリザベルは目を泳がせてしばらく黙った後、突然叫んだ。

「よいわけなかろう! 我は大人らしく強がってみせただけだ!」

「最後まで悟られないように強がるのが大人だろ」

「なら、子供でよい……。我はふて寝する」グリザベルはごろんと草の上に寝転がると、リットに背中を向けた。そして、視線が合わせる程度に顔だけをリットに向けた。「あやまりたくなったら、起こしてもよいぞ」

「気にすんな。ゆっくり寝ろ」

「そうか」

 そう言うと、グリザベルはわざとらしく寝息を立て始めた。

 それに混ざるノーラのうめき声を聞きながら、リットは時折草影が光るのを見ていた。間違いなくチルカだ。春の花に戯れている姿は妖精らしく見える。口を開けば台無しだが。などとリットが思っていると、自己主張の強い咳払いが響いた。

「なんだよ」

「今なら、謝罪の言葉一つで許す気になっておるぞ」

「わかったよ……。ありがとよ」

「ありがとう? それは謝辞にはならないぞ」

「下着を見た謝罪の言葉だろ? 正しいじゃねぇか」

「そうだな。……そうか?」

 そんなことを数回繰り返しているうちに、グリザベルの寝息は本物に変わっていた。



 その夜。リットはグンヴァの部屋に来ていた。

 ティアドロップ湖周辺の植物のことを聞くためだ。ティアドロップ湖と、浮遊大陸の一部になった土地の植物が一致すれば、ディアドレは最後を浮遊大陸で過ごしたことが確実となるからだ。

「なんといっても、前にも言ったオーケストラベルだな。他にも秋に咲く花が多いんだ」

「なるほどな。あとはマックスに聞けばいいだけか」

「まぁ、事情はわかったけどよ。マックスのアニキが、素直にリットのアニキに話すか?」

 グンヴァがリットに酒を注ぎながら言う。

「からかってりゃ、そのうち口を滑らすだろ」

「そういうことするから、マックスのアニキは素直になれないんだぜ」

「普通はな、素直にオレをアニキだと認めるほうがおかしいんだよ。後は、念のためウィルにも聞いておくか。昔と今じゃ生えてる草花も違うかも知れねぇしな」

 リットは一気に酒を流し込むと一息ついた。

 妙にヴィクターの言葉が耳に残ったリットは、珍しく酒場には寄らないで城に帰っていた。

 代わりにこうして、グンヴァの部屋で飲んでいるというわけだ。

「ウィルって歴史学者を目指してるウィルダン・バーナーか?」

「なんだ、知り合いか?」

「あぁ、前にティアドロップ湖で知り合った」

「カロチーヌの気を引くために花のことを調べてるときか」

「もっと言い方ってもんがあんだろう……」

「無駄な努力をしてるときか?」

「最初のほうがいい……。それより、聞いてくれよ! あの一緒に飯を食ってた男。ただの知り合いだってよ」

 グンヴァは勢い良く言うと、空中に乾杯をして酒をあおった。

「いい具合に振り回されてんな」

「いいか、よく聞けアニキ。男がいないってことはオレにも見込みがあるってことだ」

「見込みがないからフラれたんだろ」

「男は後ろを振り返らねぇ」

「だから落としたもんに気付かねぇんだよ」

「俺様がなにを落としたってんだ」

「プライド」

「耳が痛えや……。プライドっていや、ウィルもだ。周りからいいように使われてんのに、文句の一つも言わねぇんだ。情けねぇ……」

 グンヴァが呆れ返ったため息を付いた瞬間、部屋のドアが勢い良く開けられた。

「なに?」

 そう言ったのはシルヴァだ。

「それはこっちのセリフだぜ。なんだよ」

 グンヴァはノックもなく突然ドアを開けたシルヴァに睨みを聞かせていった。

「今、ウィルの話をしてなかった?」

「してた。情けねぇって」

「あっ、そう」

 それだけ言うと、シルヴァはドアを締めて出ていった。

「なんだアイツ? シルヴァもウィルのこと知ってんのか?」

「ついこの間な。それにしてもウィルか……。そういえばアイツも、シルヴァ様じゃなくて、シルヴァって呼んでたな」






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