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ランプ売りの青年  作者: ふん
命の灯火編(下)

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第二話

 

 ヴィクターはまばらに生えたあごひげに手をやりながら、難しい顔でガルベラの研究所にある大きな鏡に映る自分を覗き込んでいた。

 そして、思い出したかのように、チリチーからの差し入れのキイチゴのジャムを乗せたパンをかじって表情を緩ませている。

 まるで春の天気のようにころころと表情を変え、時折「うーん……」と悩ましげに声を上げる。

「王はよほどその鏡が気に入ったと見える。それとも、鏡に映る己に呼ばれたか?」

 グリザベルは片手で音を立てて本を閉じると、チェス盤上のコマを動かし、チェックメイトをするように勇ましげにテーブルの上に置いた。

 鏡一つしかなかった天井の低い一階には、いつ頃からか椅子とテーブルが置かれるようになっていた。

 テーブルの上には朝食代わりのパン。それにリットが飲み干した酒の空瓶。

 ガルベラが生活をしていた頃のように、物が増え始めていた。

「グリザベル。オレはもう王ではない。ヴィクターと呼んでくれ」

 ヴィクターは憂いげに一度目を伏せると、とびきりの笑顔をグリザベルに送った。

「ほう……。主は我に名を呼ばれるにふさわしい人物とな。よほど自分に自信があるのか、それとも思い上がりか……。我はまだお主の底を見ておらぬ。今の段階では、手のひらの上で踊る道化にしか見えぬぞ」

 グリザベルの腹に一物ありげな笑みに、ヴィクターは表情を崩さず笑顔のまま答えた。

「道化とは演じるものだ。オレの本懐を見抜けないようじゃ、グリザベルの眼識も濁りに曇っているようだ」

 グリザベルが喉を鳴らして遠い潮騒のような笑い声を響かせると、ヴィクターも同じように喉を静かに鳴らして笑う。

 グリザベルが「フハハ!」と笑えば、ヴィクターは「ガハハ!」と笑い返す。

 二人の奇妙な笑い声は混ざり合うようにうねり、部屋中に響き渡った。

「うるさいわよ! バカ達!」

 二階から笑い声を切り裂くようなチルカの声が聞こえてきた。

「ガハハ! 怒られてしまったな」

 ヴィクターはまいったなといったようにリットの肩を優しく叩いた。

「怒られたついでに、しばらく喋れないように喉でも突かれてこいよ」

「どうした。遅めの反抗期か? 気にするな、誰にでも訪れるもんだ」

「……反抗期なら、一発くらい横っ面を引っ叩いてもいいよな」

「オマエにできるかな?」

 ヴィクターはかかってこいと右手で手招きをすると、今なら無防備だぞと言わんばかりに両手を大きく広げた。

 チルカが二階にいてよかった。思春期に入る前の子どもと、家を空ける父親との雑なコミュニケーションのような現場を見られたら、バカにされるに違いない。そう思いながらリットはため息を吐いた。

「なんだ、来ないのか? なら、こっちから行くぞ」

 ヴィクターはカエルを捕まえるかのように、両手のひらをリットに向けてにじり寄る。

「アホを極めれば、恥って言葉は脳から消えるのか?」

「そう冷静に返されると、何もできなくなるだろ」

 ヴィクターは行き場の失った両手で腕を組んだ。

「そうしてくれ。ここはガキの遊び場じゃねぇんだからよ。調べ物の手伝いをしてくれんだろ」

「そうだったな。ガルベラにディアドレ。調べ物まで女のことか……いかにもオレという感じだな。それにしても、この鏡が神の産物とは……なかなか面白い考えだな。さすがオレの息子だ」

「オレじゃなくて、グリザベルだ」

「そう、我だ」

 グリザベルは微動だにしないものの、声だけはしっかりと主張した。

「オレはこういうものとは縁遠いからな。冒険者時代にも、見かけたことはない。未開の地を歩くのは得意だけどな」

「神の産物とは言わねぇけど、龍の鱗は持ってただろ」

「あれが龍の鱗なんて知らなかったぞ。頑丈だから、雨よけや落石のガード、あとは飯を作るのに使ってた。そんな使い方をしてたせいで、ずいぶん汚れてたからな。ハイヨが磨くまであんなに光を反射するものだとは知らなかったぞ」ヴィクターは笑い声を響かせるが、首を絞められた鶏のように急に笑い声を止めた。「……光の道標がなくなったら、もうムーン・ロード号とは呼べなくなったじゃないか。どうしてくれる」

「その話はもう済んだだろ。船を照らす明かりは、世界を照らす明かりになりました。――で終わり。欲しけりゃ、もう一度探しに行けよ」

「それはいいな。どうだ? 二人で冒険に出てみるか?」

 ヴィクターは本気とも冗談とも取れない調子で言った。

 リットが顔をしかめても、思わせぶりに笑うだけだ。

 これがもうすぐ病気で死ぬ男の言うことだろうか。本当に病気なのだろうかと疑いも出てきていた。

 ヴィクターが病気というのは、ヨルムウトルでローレンから聞いていたのが最初だ。それから一年以上も経っている。それなのに、体はおろか顔にも病に伏せた様子がない。

 こうして元気な姿を見ていると、世界中が口裏を合わせて、自分を騙そうとしているのではないかとさえ思えてくる。

 そもそも、なんの病におかされているのかもわからない。それはリットが意図して聞かないようにしてきたからだ。

 聞いてしまったら、二度と這い上がれない水の底で、もがくだけのような息苦しさにまとわり付かれるに違いない。

 今も喉に張り付いたように、次の言葉が出なくなっていた。

 リットが自分にしかわからない心地の悪い静寂を感じていると、その一瞬を見逃さず、グリザベルが自分が会話の中心になろうと声を上げた。

「神の産物は見付けようとして見付かるものではないからな。大昔の戦争もそれが発端になったと言われておる。元は小さな国二つの小競り合いが、世界中を巻き込んでしまった。しかし、そのおかげで異族交流が盛んになった。世の流れとはわからぬものよ。――さて、我が導いた一つの答えに面白いものがある」

「結果がどうあれ、戦争なんてものはないほうがいい。何百年経っても傷跡は残るものだ。未だ憎しみ合ってる人達を見てきたからな。――オレが自分の足で歩き、自分の目で見てきた冒険者時代の話だ」

 グリザベルとヴィクターは、どちらとも自分の話がしたいと含みを残したまま言葉を止めた。

 二人は「聞きたいか?」とは言わない。それを言ったら負けのような空気が流れだしていたからだ。

 それでも、核心部分には触れず、興味を誘わせるような会話は続いていた。

 リットは二人の牽制気味の会話を聞きながら、あることを思い出していた。

 オークの村でローレンが靴屋のレプラコーンを呼び出した木笛のことだ。

 レプラコーンの二人は、走ってきたわけでもなく、飛んできたわけでもなく、その場に突然現れた。

 現れる時と消える時に旋風が起こったので風を使った魔法の一種だと思ったが、その後チルカが使った風の魔法は、直接移動するわけではなく、飛ぶ時の初速を速める為のものだった。

 風の魔法で姿が消えることはありえない。

「あれが神の産物ってもんか……」

 自己確認の為のリットの小さなつぶやきは、グリザベルとヴィクターの会話を止めた。二人とも悔いた表情でリットを見ており、図らずしもリットは興味ある会話の勝者になっていた。

「マヌケ面でこっちを見んな。アホがうつる……」

 リットは魔法が使えたら、風の力でそっぽを向かせてやるのにと思いながら手を払った。

「神の産物のことは知らぬと言っておったはずだ。友に隠し事とは感心せぬな……」

 グリザベルはわずかにシワができるくらい下唇を突き出して、小さく不貞腐れている。

「隠してたわけじゃねぇよ。思い出したんだ。コンプリートって靴屋を経営してるレプラコーンが得意客にやるっていう木笛をな」

「それならオレも持っていたぞ」

 ヴィクターがぽんっと手を打って言った。

「持っていた? 今はないのか?」

「シルヴァが日に何度も笛を吹いて、レプラコーンを呼び出してな……。面倒くさい客と認識されたらしく、回収されてしまった」

 ヴィクターは思い出を懐かしむように目を細めた。

「瞬間移動するというならば、魔法の力ではできぬことだ。――が、そういくつも同じものがあるのならば、本体は木笛ではなく別なものであろう。神の産物の力に触れたのならば、なにか役に立つかも知れぬな。他に思い出すことはないか? そのレプラコーンのことでもよいぞ」

「そうだな……。嫌味で、口が悪くて、いちいち喧嘩を売る。気に食わねぇ奴だ」

「リット……お主のことではない。レプラコーンのことを話せと言っておるのだ」

「……だから、今話しただろ」



 夕方になると、ゆっくり落ちてくるかのような春雨が、地面のにおいを湧き上がらせた。

 細い雨に煙る街の風景に色はなく、人の姿も影だけが動いているように見える。いつもは夕焼けを映し出すリル川も、今日は灰色に濁って流れていた。

 雨に射抜かれた春花の花びらだけが、景色に儚い色を付けている。

 そんな世界が広がっているせいだろうか、明かりが灯るいつもの酒場は、街中の色を集めたかのように感じた。

「まいった……急に降り出してきやがったた」

 リットは酒場の床に、雨の雫を落としながら歩く。

「春雨だろ。女と一緒で気まぐれなもんだ」

 店主は注文を聞くことなく、ウイスキーの入ったコップをカウンターに置いた。

「女は気まぐれ……よく聞くセリフだな」

「雨は恵みだ。なけりゃ困るところも一緒ってわけだ」

「オレの周りじゃ男も気まぐれだけどな」

 リットはカウンターの椅子に座ると、息をつくまもなくウイスキーを一口流しこんだ。雨に冷えた体が温まることを予想させる熱い液体が胃に落ちる。

「知ってるよ。まさに今、目の前にいる男がそうだからな。なんか食ってくかい?」

 カウンター向こうの鍋からは、蒸し魚の匂いが漂ってきていた。

「いやいい。帰ったら今日はカモの煮込みだから」

「魚は嫌いだったか?」

「好きなんだよ。カモの煮込み」

「晩飯前は何も食べるなって言われてるのか? すっかり所帯じみたにおいがしてきたぜ」

 店主は鼻をつまんでリットをからかった。

「そう、まだにおいだけだからな。酒の匂いで誤魔化しが利く。そっちはもう手遅れだな。染みるどころか浸ってやがる」

「いいもんだぜ。家族っていうのはな」

「別に否定はしねぇよ。ただこうまで睨まれてちゃ肯定もできねぇな」リットはウイスキーを一気に飲み干すと、カウンターの端に座る大きな白い羽に目を向けた。「飯前に酒場に来るなんて、今頃グレたのか?」

 リットの言葉が聞こえると、羽の隙間から睨みを利かせていたマックスの瞳が更に細くなった。

「店先で雨宿りしてたから、店の中に引っ張ったんだ。マックス様に風邪をひかれたら困るからな。あんな端じゃなくて、もっと暖炉のそばで温まっていって欲しいんだけどよ……」

 店主は困った顔をしながら空になったコップにウイスキーを注ぐ。

 リットはその店主の困った顔に向かって頷いた。

「バカは風邪ひかねぇからいいんだ。ほっといてやれ」

「あなたは! またそうやってすぐバカにする!」

 マックスはずんずん歩いてきて、リットの目の前のカウンターを叩いた。

「ほら来た」

 リットはわかっていたようにコップを持ち上げて、振動でこぼれないように酒を守った。

「リットが睨まれる理由がわかったよ……」

 店主は苦笑いを浮かべると、マックスのコップをリットの隣に移動させた。マックスはなにか言いたげにいしていたが、他の客に呼ばれて店主がカウンターを外してしまったので、仕方なくリットの隣の椅子に座った。

「また……街外れに……」

 マックスが歯切れ悪く言う。

「行ってたぞ」

「最近仲がいいようで……その……父さんと」

「やめとけ。ヴィクターとオレ。どっちに嫉妬をしてるかは知らねぇが、どっちでも気持ち悪いぞ」

「そういうことじゃない!」マックスはカウンターを叩き割るかと思うほどの力で手のひらを叩きつけた。「ただ……心配なんだ」

「なら始めからそう言え。ここは城じゃなくて酒場だ。誰もオマエを王子として扱わねぇ。要するに、気持ちを察して動いてくれる奴はいねぇってことだ」

「いやいや、マックス様はどこにいても王子だぜ」

 店主が料理を運ぶ途中で、巻き込むなといった風に言葉だけを残していった。

「これから言いくるめて酒を奢らせようとしてんだから、余計な口を挟むんじゃねぇよ」

「くだらない」

 マックスは冷たく言い放つと、やけ酒でもあおるように一気にコップの水を飲み干した。

「ここはそういうくだらないことを楽しむ場所だ。月が昇る時間になれば、鼻にピーナッツを詰めただけで笑い転げるようになるぞ」

「くだらない」

 マックスは声も表情も変えず同じセリフを言った。

「ところで、帰んねぇのか?」

「言われなくても、すぐにでも帰ろうと思ってた」

 立ち上がろうとするマックスの腕をリットが掴んだ。

「まぁまぁ、そうなんでも悪く取るな。城に帰れって言ってんじゃねぇよ。浮遊大陸には戻んないものなのか?」

 マックスは天使族であり、天使族は神に一番近い場所とされている『浮遊大陸』に住んでいるものだ。

「僕は一度も浮遊大陸に行ったことがない。母さんが面倒くさがるから……」

「エロ助ってのは、格式高いんだろ。普通は孫の顔を見せに行ったり、見に来たりするもんじゃねぇのか」

「エロス家だ」

 マックスはコップに口をつけながら冷ややかに答える。

「そう言ったろ」

「……言っていない」

「似たようなもんじゃねぇか」

 リットは続きを促すようにマックスのコップに瓶を傾けた。

「母さんが勘当同然で家を飛び出したから、僕だけ祖父母に会うのもきまりが悪いんだ。あなたならわかるでしょう……この気持ち。――って、なんで僕はこんな奴に、身の上話をしているんだ……」

「簡単だ。酔ってるから、口が滑ってんだろ」

「僕はお酒は飲まない」

「さっきから飲んでるのはオレの酒だ。店主がカウンターにいないのに、水のおかわりが出てくるわけないだろ。オレは酒場で水は飲まねぇしな」

 リットが酒瓶を掲げて見せると、マックスは急に顔が赤くなり倒れるようにカウンターに額を打った。

 声をかけても反応はなく、静かに寝息を立てるだけだ。

「酒とわかった途端に酔って寝るとは……鈍いんだか、鋭いんだか」

「おいおい、マックス様に無茶なことするなよ」

 店主は「大丈夫か?」とマックスに声をかけるが、やはり反応はない。

「酒を飲ませただけだ。それに、ちゃんと連れて帰るから安心しろ」

「グンヴァとはわけが違うんだ。マックス様は気難しい人なんだぞ」

「そんなことねぇよ。見ろこの顔。酒場によくいる酔っぱらいの寝顔と一緒だ」

 リットはマックスの顔とテーブルに一人座る老人の顔を見ながら言った。

 店主もリットの視線を沿うように老人を見ると、急ぎ足でその老人の元へと向かった。そして、肩を揺すって起こした。

「ちょっと、じいさん困るよ。息子さんに飲ませすぎないように言われてるんだから」

「悪魔の言うことなんざ聞く必要はねぇ。この店の売上を下げようとしているんだからな。酒を好きに飲めない人生なんて死んだも同然だ。死んだ後にも酒があるとは限らねぇ。だから今のうちに飲めるだけ飲むんだ」

 老人は寝ぼけと酔いにまかせて、盛大に体を揺らしながら言った。まるで実りすぎたつくしが風に揺られているようだ。

「名調子だ。いいぞ、じいさん」

 リットが酒の入ったコップを掲げると、老人も同じように自分のコップを掲げた。

「ありがとよ、若いの」

 老人は乾杯するようにコップを少し動かすと、残っていた酒を飲んだ。

「かんべんしてくれリット……煽るな。酒もあおらせるな。何を考えてるんだ」

 店主は参ったと頭を抱える。

「最近色々ブレてきてるから再確認だ。やっぱりここは居心地がいい。安心した」

「こっちはアンタの人生が心配になるよ……」






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