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ランプ売りの青年  作者: ふん
命の灯火編(下)

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151/325

第一話

 ヴィクター・ウィンネルスの譲位と、モント・ディアナの王位継承の発表は、太陽が二つ昇ったかのように国中を騒がせた。

 そして、すぐに三つ目の太陽が昇ることになった。

 モントとモルゲレーテ国の第二王女ソアレとの婚姻の発表だ。

 今までモントが結婚を拒んでいたのは自分の未熟さゆえであり、結婚自体に不満があるわけではない。王位継承を承諾したということは、国を治められるという自信の表れでもあった。

 疑問の声はいくつか上がったが、反対する者はいなく、近年最も忙しい冬になった。

 譲位式と婚礼の儀が終わる頃には、肌を引っ掻いていく冷たい風は生命を運ぶ暖かい風に変わり、真っ白だった雪の絨毯は朧に春色に染まり、乾いていた空は青く艶を帯びていた。

 ヴィクターが安堵のため息をつけるようになったのは、視界の端にすら雪が映らなくなってからだった。

 一冬のあいだに積もった雪解け水は、ティアドロップ湖に水を張る。

 その周辺では、湧き上がるように命を咲かせた若々しい緑が、風に揺られ堅苦しく頭を下げていた。

 ヴィクターは寝転がり、光を揺らせる春の風を吸い込むと、料理を味わった後のようにゆっくりと吐き出した。

「自由のにおいだ」

 懐かしむような笑みを浮かべるヴィクターの顔の横に、土に突き刺すようにリットの足が下ろされた。

「……なにが自由だ。国の中じゃねぇか」

「心の持ちようの話だ。王という衣を脱ぎ捨て、一人の男に戻る。それとも、妻も子もほっぽり出して、旅に出ろとでも言うのか?」

「冒険者ってのはそういうもんだろ」

「旅に出るだけが冒険ではない。未知のものに触れるのが冒険だ。子供の頃は冒険だらけだっただろう?」

 そこまで言うと、急にヴィクターは体を起こした。

「甘いことばかり言ってるから、蜂にでも刺されたか?」

「いや……モントの嫁は見たか?」

「酒飲んでるところを、無理やり連行されて紹介されたよ」

「そうか。もったいない……。実にもったいない。あんないい女を何年も待たせていたとは……。モントは何を考えていたんだ……」

 ヴィクターは腹の奥を絞るような声で、憂いを響かせた。

「モントの結婚相手は、そっちが勝手に決めたんだろ。なに初めて顔を見たみたいなこと言ってんだよ」

「オレが会ったのは、ソアレ王女がまだ色々小さい子供の頃だ。それがあんなに育つとは……」

 ヴィクターは湖の上に広がる青空を眺めた。ちょうど女体に見える変わった雲が流れていたからだ。

 雲は風に流され形を変え、気まぐれな幽霊のように姿を消した。

 世界中に緑の匂いを届けようと吹き抜ける強い春風が、ティアドロップ湖に白波を立たせる。

 空にも湖にもある、はっきりと目に映る青と白。視界をぼやけさせるのは距離だけだった。

 ティアドロップ湖は対岸が見えないほど大きく、岸の向こうに生い茂る木々は想像の中だけで風に揺れている。

 春だけしか水がない見頃が短いティアドロップ湖だが、周りに人の姿はない。

 魚のいないティアドロップ湖よりも、リル川のほうが生活に近いからだ。

 ティアドロップ湖は大人の目を盗んで遊びたい子どもや、恋人が逢瀬を楽しむ場所となっていた。

「なにか足りないものがあるとは思わないか?」

 ヴィクターは湖を見つめながら言った。

「デリカシー以外になんかあるのか?」

「違う。女だ。せっかくの人目に付かない湖だというのに、水浴びをしている女の姿がどこにもない」

 ヴィクターは湖の奥底を覗くかのように目を凝らして遠くを見ていた。

 ヴィクターは「水が跳ねれば誰かがいる可能性が高い。リットも目と耳を凝らせ」と言うが、酒焼けた声で囁かれるような葉音が聞こえるだけだった。

「いきなり王様辞めて……なにがしてぇんだ」

 リットが一呼吸置いてから話しかけると、ヴィクターも一呼吸置いてから答えた。

「言っただろ。冒険者に戻ると」

「そうじゃねぇよ。急にこっちに擦り寄ってきた理由だ」

「息子に昔の自分の姿を重ね合わせて、血が騒いではいかんのか? それに、どのみちモントに譲位するつもりだった。いや、遅すぎたくらいだ」

「だからって、譲位も婚姻も一気にさせるこたぁねぇだろ」

「今言っただろ。遅すぎたんだ。先送りにしていたものは、いつか一気にやるべき時が来るぞ。責務だけではなく感情もな」

 ヴィクターは視線を湖からリットへと移した。

「なんだ、説教か?」

「そう聞こえるなら、なにか身に覚えがあるということだ。今ちょっと父親らしいと思っただろ?」

 ヴィクターはリットの背中を叩きながら、冗談を楽しもうじゃないかと誘うように笑う。

 リットにはその笑い声は「頭の片隅に留めておけ」とでも言っているように聞こえた。



「下僕二号が結婚するなら、その奥さんは私の下僕というわけで、その下僕の子供は当然私の下僕になる。問題は何人子供を作るかね」

 まだしばらく湖を見ていると言うヴィクターを残して、リットはティアドロップ湖を後にした。

 その帰り道、指を折って不気味なことを言っているチルカに出くわした。

「妖精の取引はいつからそんな物騒になったんだ」

「なによ、下僕一号。いつになったらこの国を乗っ取ることができるのか、計算してるんだから邪魔しないでよ。アンタにかまってる暇はないわ」

「身の程を知れ。オマエの国なんか、蜂の巣の一室を間借りするくらいがちょうどいいだろ」

「蜂の巣より中身が詰まってない頭のくせに、何言ってるのよ」

 チルカがしっしっとリットに向かって手を払う最中、突然目の前に真っ赤なキイチゴが現れた。

「おまちどー」

 チリチーはキイチゴのヘタを持ってチルカの目の前で揺らす。

「なんだ、リッチー。チルカの下僕になったのか?」

 リットはチルカが受け取る前に、そのキイチゴをひったくって口の中に入れた。

 頬をシワにするような酸っぱい味が口に広がった。

「まさかー。最近忙しかったからね。気晴らしにチルカと出掛けてるとこ。ソアレも誘ったけど、まだやることがあるって。王妃も大変だねぇ」

 チリチーは他人事のように言うと、自分もキイチゴを食べ始めた。

「この国に慣れるのは時間が掛かるかもな」

「なんで?」

「国民が馴れ馴れしいからだ。オマエも苦労するぞ。こんなのんびりした国から、堅苦しいところに嫁いだらな」

 リットがもう一個キイチゴを食べようと手を伸ばしたところで、チルカに蹴りを入れられた。

「ちょっと、これは私のよ。アンタは味なんてわからないんだから、そのへんの雑草に色塗って食べてなさいよ」

 チルカはキイチゴを抱えると、小さな口で食べ出した。

「リットも食べるなら、取りに行く? もうちょっと歩いたところに、いっぱいなってるよ」

「行かねぇよ。酒がなる木でも見つけたら教えてくれ」

「まぁまぁそう言わず。お金欲しいでしょ? 私には媚を売っておいた方がいいと思うよ。お酒飲めなくなってもいいの?」

 チリチーはリットの背中を押して無理やり歩かせ始めた。

「なにが正義の味方だ。脅しじゃねぇか」

「ジャムを作るからいっぱいいるんだって。たまには日を浴びる仕事も受けなきゃ」

 ディアナ国に来てからずいぶんと経ち、リットが持ってきたお金も底をつきていたが、チリチーの何でも屋の顔の広さを使い、ランプの修理の依頼を探してもらい酒代を稼いでいた。

 仲介料を取らない代わりに、たまに今回のように別の仕事も手伝わされることもある。

「人間のクズを集めてギリギリ形を保ったような男なんて連れてく必要ないわよ。分け前が減るじゃない。蜂蜜を買うんだから、分け前が減るのは嫌よ」

「キイチゴを取るのに、狭いところに入れるチルカは助かるけど、運ぶことを考えると私一人じゃ大変だからね。ソアレもいる計算で引き受けてたから。いやー、予定が狂った狂ったっと」

「つーかよ、リッチー。報酬が出るような仕事を王妃にやらそうとするなよ……」

「私も一応王女なんだけどね」

「一応程度の王女だろ。王女が出歩いて勝手できるなんて、この国だからできることだぞ」

「なら、今のうちに楽しんどかないとね」

 チリチーはカゴを一つリットに投げ渡すと、脇道にそれて歩いて行った。

「意気揚々と歩いてるけどよ。キイチゴが実をつけるのは夏じゃないのか? 今の時期花しか咲いてねぇだろ」

 リットがチリチーの背中に声をかけると、チリチーは立ち止まり、顔の横で人差し指を横に振った。

「チミは今なにを食べたのかね」

「……何を食わせたんだ」

「リットが勝手に食べたんでしょ。キイチゴだよ。まぁ――普通のかどうかわからないけど。城の庭、誰が作ったか知ってる?」

 ディアナ城の庭園はマニア・ストゥッピドゥという植物研究家が作ったものだ。

 次々に新種を発見したり、品種改良を成功させたり、薬草学にも影響を与える天才なのだが、全ての天才が声望高いとは限らない。

 人体に有害な植物の研究もしていたり、その植物の影響で頭がおかしくなったせいもあり、悪評も多い。

 チリチーの話によると、そのマニア・ストゥッピドゥが庭園を作りに来た時に、品種改良されたキイチゴを植えた場所があるらしい。

 こういう勝手なことをしていくのも、悪評の原因の一端だった。

「早咲きのキイチゴ。体に影響はないけど、繁殖能力が強いから、春には丸裸にするくらい実を取れって言われてるの」

「マニア・ストゥッピドゥにか?」

「そう。それでもどうにもならなくなったら燃やせってさ」

「そんな危ないもん植えさせるなよ……」

「ここは畑からも離れてるし、まぁいいかなと。いざとなったら私が燃やせばいいしね」

 チリチーの指先が膨れ上がり、大気を焦がす音を鳴らし、周囲の気温を僅かに上げた。

 そして、ロウソクの火を消すように、指先にフッと鋭く息を吹きかける。肌火を抑えるのに、そんな動作は必要ないのだが、チリチーは得意気に片眉を上げていた。

「ふーん……」チルカは一瞬考え事するように視線を落としたが、すぐに視線を上げた。「もったいないわね。その指先をコイツの喉にでも突き刺せばよかったのに」

 チルカはリットに向かって小石を投げ、リットはその小石をまとわり付いてくる虫のように手で払った。

「リットとチルカはいつも言い合いしてるよね。過去になんかあったの?」

「過去だけじゃなく、現在進行であるわよ。聞きたい?」

「言いたいんでしょ」

「そう。この口汚くて、小汚い奴に不満がいっぱいあるの」

 チルカは食べかけのキイチゴをリットに向かって投げつけた。

 口紅を擦ったような薄く赤い汁がリットの服を汚す。

「意地汚ねぇ奴がなに言ってんだ。リッチーに焼いて消毒してもらえ」

 リットもその辺になっている木の実をもぎってチルカに向かって投げたが、的が小さいせいか当たらずに茂みに飛んでいってしまった。

「バカが投げるものは当たらないようになってるのよ」

 チルカは鼻で笑って、リットをバカにする。

「あっそ」

 リットは再び木の実をもぎると、投げるのではなく、チルカの頭の上で握りつぶした。

 ドロドロとした果肉がチルカを頭から汚していった。

「二人共汚い……」


 しばらくけもの道とも言えないような生い茂った草だらけの道を歩いて行くと、緑の葉に飾り付けられたように赤い実をつけるキイチゴの木があった。

「おぉ、今年もいっぱいなってるね」

 チリチーは子猫の顎でも可愛がるように、キイチゴの実を人差し指でくすぐった。

「この実ひとつひとつが酒に変わると思えば……まぁ、悪くねぇな」

「カゴいっぱい取ってお酒一本くらいだろうね。あっ、棘があるのもあるから気を付けて」

「コイツの事か?」

 リットが顎で指すと、チルカはわかるかわからないかくらいに小さく口を歪ませて笑った。

「そうよ、綺麗な花には棘があるの。少ない脳みそを全部使って覚えておきなさい」

「花より虫のほうが棘を持ってるやつ多いじゃねぇか」

「同族嫌悪はそこらへんにして、キイチゴを集めないと日が暮れるよ」

 チリチーは枝についた棘だけを指で焼き落としながら、抜き取るようにして実をカゴに落としていく。

「ちょっと、コイツと同族にされるのは納得いかないわよ。だいたい種族からして違うわ」

「甘いね、チルカ。リンゴに蜂蜜をかけて焼き上げたよりも、甘々な考えだよ。自分と近しいものとは反発しあうもの。つまり、人間と妖精の違いは羽の有無だけかもしれないよ」

「恐ろしいこと言わないでよね。コイツが生まれたってだけで、人間は下等な生物よ。妖精と同じなわけないじゃない」

「私から見たら妖精も人間も、肌があって骨があるだけで同じに見えるけどね」

「訂正しなさいよ、この不思議生命体。狂った妄言だとしても、私の心は汚されたわよ」

 チルカはチリチーの耳元でやかましく騒ぎ始めた。

「こりゃ、おもしれぇ。不思議生命体に不気味生命体が絡んでるとは」

「アンタこそ、無意味生命体のくせにうるさいわよ! お酒飲んでダラダラ生きてるだけじゃないの。スライムと変わりないわよ」

 リットとチルカの口喧嘩を挟みつつ、遅れながらキイチゴを取り終える頃には、青かった空は滲むような赤へと変わり始めていた。

 空っぽだったカゴも、慎重に運ばないとこぼれ落ちそうなほどキイチゴが山盛りに積まれていた。

「さて、帰る前に少し枝を落としておいたほうがいいかな」

 チリチーが繁殖し過ぎないように枝を焦げ落とそうと指先に燃える火を灯す。

 そして、指先が枝に触れた瞬間、チルカが小さな皮水筒に入っている少量の妖精の白ユリのオイルを投げかけた。

 思いもしない燃焼に、チリチーは尻を落として驚きの悲鳴を短く上げた。

「こういう生態系のバランスを崩すものは、勝手に植えたらだめなの。思いもよらない成長をするのが植物なんだから。どこかのバカが勝手に品種改良をしたものなら尚更ね」

 キイチゴの木は飛び火する前に消えたが、生命の色のない黒色に変わっていた。

「あーあ……毎年楽しみにしてたのに」

 チリチーは寂しそうな瞳で燃え焦げた木を見ている。

「普通のキイチゴの木があるんだから、夏に採ればいいじゃない」

「今更フェアリーらしくしようたってな。オレのとこの妖精の白ユリを放置してる時点で、もう無理だろ。オマエが太陽神に見放されて、太陽に焼かれて死ぬ日も近いな」

「アンタのところは森でも草原でもなくて、ただの庭でしょうが。そうだ、リッチーも庭に植えればいいじゃない」

「セレネお母さんが大事にしてる庭園に、この無法者みたいなキイチゴを植える……意外に大丈夫そうかな?」

 チリチーはキイチゴの実を見て難しそうな表情を浮かべたが、リットを見て自信を取り戻したように頷いた。

「オレとキイチゴを一緒にすんな」

「まぁ、仕方ない。急激に繁殖して庭園を壊すかもしれないなら、諦めるしかないね。来年から春の楽しみは夏の楽しみへってことで」

「どっかのボンクラと違って聞き分けがいいわね」

 チルカは蔑むような視線をリットに浴びせる。

「どっかのボウフラと同じくらいうざってぇ奴だな」

 リットも同じような視線をチルカに浴びせた。

 リットとチルカが同時に拳を握った瞬間、チリチーはキイチゴの入ったカゴをリットに押し付けた。

「喧嘩するのはいいけど、落としたらお酒も蜂蜜も買えなくなるよ」

「リッチーに感謝と怨嗟しなさいよ。この場はリッチーの顔を立てて一時引いてあげるけど、帰ったらアンタには気の抜けない一日が始まることになるわよ」

「そっちこそ、蜘蛛の巣に引っかからねぇように気を付けろよ。糸巻きにされてるオマエを見つけたら、グリザベルみてぇな高笑いを響かせてやる」

「もう……せっかく止めたのに……」






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