第二十一話
「四大元素とは四大精霊の魔力の一部であり、これを借りることにより魔法というものに変わる。ゆえに、四大精霊にできぬことは、いかに魔力が高くてもできぬということだ。つまりは、時や生死に干渉することはできぬ。しかし、神の気まぐれかいたずらかは知らぬが、時として理を覆すものが存在することもある。――実はそれに近いものが身近に存在しておる。魔力は流れるものであり、留まることは本来できぬ。しかし、特殊な面体にカットした宝石に魔法陣を使って魔力を注ぎこむことに成功した者がおる。その宝石のことを魔宝石と呼び、その技術を確立したのがディアドレであり、我の先祖というわけだ」
グリザベルはこれ以上ないほどに得意気な顔で、バニュウの瞳を見つめた。
バニュウが一番食いつき良く話を聞いていたからだ。目をまんまるに開き、耳をそばだて、グリザベルの話を一言残さず聞き逃すまいとしている。
後はセレネとモントが、グリザベルが気分を害さないように相槌を挟みながら聞いているだけだ。
ヴィクターは真剣な眼差しでグリザベルのことを見ていたのだが、顔と胸元を行ったり来たり不自然に視線を彷徨わせていたせいで、妻達からテーブルの下で太ももをつねられたり、足を蹴られたりと、注意を受ける始末だ。
今は夕食中。グリザベルが一緒に食事をとっている理由は、グリザベルがディアナ城にしばらく泊まることが決まったからだ。
リットにヴィクターの元へ案内されたグリザベルが、ディアナ城に厄介になりたいと話したところ、「リットの友人ならば」と「グリザベルの顔と体に惹かれた」という二つの本音から簡単に了承をもらい、歓迎の夕食へとグリザベルを招いた。
簡単な自己紹介を済ませ、食事が始まり、その最中の歓談で、「グリザベルは今まで何をしていたの?」というチリチーの質問から、あの長話へと続いていた。
皆がグリザベルとはこういう人物だと納得している中、シルヴァだけが目を吊り上げてヴィクターを睨みつけていた。
「どうした、シルヴァ」
ヴィクターはズボンの下で赤くなった太ももをさすりながら聞いた。
「なんでも……。別にパパが謝ることないわよ」
「ん? オレは謝るつもりなんかないぞ」
「なんで謝らないのよ!」
シルヴァは突然声を荒げた。
「どうした? シルヴァ」
いつもの調子ではないシルヴァに、ヴィクターが心配そうに聞いた。
「納得いかないの。リットお兄ちゃんが女連れ込んでも歓迎されてるのが。私がミディムを家に呼んだ時は、十分で追い返した」
「ミディムって、オレンジの実を捨てて皮だけ食べて「こりゃ美味いっすねー」って言ってた。あのアホのミディムのことか? 結局ゲロを吐いて料理を台無しにした奴だぞ」
「リンゴなら皮ごと食べるじゃん」
「フォークで髪を梳かしてたぞ……」
「オシャレに気を使ってんの」
「唐辛子の鷹の爪を、本物の鷹の爪だと思っているような男だぞ」
「わかった、認める。ミディムはアホだよ。でも、顔はイケてたの。これ差別だよ。パパさいてー」
「差別じゃなくて区別だ。大人の恋愛は、思慮分別に従って正しい判断をできるようになってからだ」
ヴィクターが強めに言うと、シルヴァは黙った。
ヴィクターの言葉に反省したわけでも、言いくるめられたわけでもなく、前を向いたまま目線だけ天井を見るように上げていた。
「物事の道理をしっかりと考えてから、判断することだよ」
言葉の意味を理解していないことに気付いたモントが説明をするが、それでもシルヴァは疑問に口をつぐんでいた。
「……服を買う時みたいに、自分に似合うかしっかり悩むということだ」
モントはわかりやすいように、シルヴァの好きなものに例えて説明をし直した。
「あぁ、そういうこと」ようやく合点がいったシルヴァは大きく頷く。「でも、服は買っておくことが大事なの。着なくても、他の子が着てたら最悪じゃん。前に超カワイイ黒のシースルーレースのハイカット・トングが売ってたの。でも、その頃はレースアップのロングオープントゥハイヒールが流行ってたから諦めたの。だって、ヒールが高いのが流行ってるのに、私だけサンダル履いてたらマヌケじゃん。したら。次の日ジュエリーがそれ履いてんの。それから、ハイカット・トングが流行りだしちゃって。皆ジュエリーを褒めるの。おかしくない? 最初に目をつけたの私じゃん。なのに誰も私を褒めないの。だから、もうそんな思いはしたくないの」
シルヴァはせき止められていた川の水が一気に流れるようにまくし立てた。
「……わかった。じゃあ、そのなんとかトングを買ってやるから、アホのミディムのことは忘れなさい」
「あなた……違うでしょう」
セレネは首を横に振って、ヴィクターの言葉を否定する。
「なんでだ? シルヴァから男の影が消えるなら、店ごと買っても安くないぞ」
「そうじゃないでしょう。そんな解決法じゃ、この先シルヴァにいい人ができても、付き合わないで終わっちゃいますよ」
「大賛成だ」
「あなた……」
ヴィクターを睨むセレネの瞳には、非難の色がはっきりと読み取れた。
「セレネの言うとおりですわ。恋は教わるものじゃなくて、感じ覚えるもの。そう、私とダーリンが出会った時のように」
メラニーが艶っぽく吐息を混ぜながら、スッとヴィクターの手に這わせるように自分の手を合わせる。メラニーの肌火がヴィクターの手を温かく包むと、すかさず腕を組むようにして、空いているヴィクターの手にセレネが手を合わせた。
「ちょっと、三人ともこっち見て。親のイチャつきじゃなくて、今は私の恋の話をしてるの。恋って言葉は、私みたいに可愛い子のためにある言葉だよ。それなのに、私が恋しなくてどうすんの」
「あら、恋はどんな男女にも平等に訪れるものよ」
ミニーの意見をシルヴァは鼻で笑い返した。
「ミニママ、違う。それは恋じゃなくて、妥協のし合い」
シルヴァ達が実りのない議論をしている中、夕食をツマミにリットは黙々と酒を飲んでいたが、酒瓶が空になるとコップを置いて一息ついた。
「よくまぁ、こんな騒がしいのに寝られるもんだ。病気なんじゃねぇのか?」
リットは隣で寝息を立てるスクィークスの頬をフォークで軽く突いたが、スクィークスは枕にもたしていた頭を少し上げて顔をしかめるだけで、枕に顔を埋め直した。
「……子守唄」
それだけ呟くとスクィークスは再び寝息を立て始めた。
グリザベルの冗長な話と、シルヴァの内容の乏しいまくし立てるだけの話は、スクィークスにとってはちょうどいい子守唄だった。
「ところで、グリザベルはなんでディアナ国に来たんですかァ? まさか、旦那が手紙の返事を書かないからって、直接取りに来たってことはないっスよね?」
ノーラはパンケーキにフォークを刺し、切らないまま丸ごとかじりつきながら言った。
「ディアドレの軌跡を辿ってきたんだとよ」
「ほうほう。でも、この国でディアドレの名前なんて一回も聞きませんでしたよ」
「オレもそこは気になるんだけどよ。あの様子じゃしばらくは話を聞けそうにないな」
リットはグリザベルに視線を向ける。
グリザベルは得意顔のままで、まだバニュウに話を続けていた。前にリットも聞かされた魔女三大発明の話をしている。
「ディアドレって魔女だろ? 魔女っていえば、ティアドロップ湖の話しかないぜ」
リットの空のコップを見つけたグンヴァが、なみなみと酒を注ぎながら言った。
「ティアドロップ湖って、春になるとできる湖のことっスよね」
「そうだ。魚もいねぇから、男は寄り付かねぇな。花は咲くから女子供は好きだぜ。秋になると、『オーケストラベル』って鈴の形をした花が咲くんだけどよ。風に吹かれると本当に鈴みたいな音がなるんだぜ。そうやって音で秋虫を誘って受粉させんだ」
「よく知ってますねェ」
男は寄り付かないと言う割には、グンヴァは湖周辺の花について詳しかった。
なんの気なしに言ったノーラの言葉に、グンヴァは過剰に反応を示した。
「わ、わりぃかよ! 俺様がティアドロップ湖の花に詳しくて迷惑でもかけたか? ああん?」
グンヴァは両眉をくっつけるように眉間に深いシワを作ると、下顎を付き出して歯をむき出しにしてノーラを睨んだ。
「赤いっスよ……顔」
「酒を飲んだら赤くなるに決まってんだろ。まさか、テメェに惚れたとか思ってんじゃねぇだろうな」
グンヴァは更に凄んだが、やりすぎたせいでただのブサイクな顔になってしまっていた。
「詳しいのは、惚れてるカロチーヌの気を引こうとしてるからだろ」
「アニキ!? 言わねぇって男の約束だろ」
まるで顔にロープを引っ掛けて引っ張られたように、勢い良くグンヴァがリットを見た。
「そんな約束してねぇだろ」
「言わなくてもわかるだろそこは!」
「なんか新鮮な反応っスねェ。旦那ってば浮いた話ないっスから」
好きな女をばらされて男が照れる様子を見たノーラが、感慨深げにしみじみと呟いた。
「別に好きなわけじゃねぇよ。ただ……少しいい娘だなって」
「またまたァ、白状しちゃったほうが楽っスよォ」
特にノーラにとって興味のある話題ではなかったが、もじもじとするグンヴァは隙だらけで、簡単にオカズを掠め取れるとわかったノーラは、ここぞとばかりにはやし立てた。
「だから、好きじゃねぇって! でも、あえて良いところを挙げるならだな。誰にでも別け隔てなく、満遍なく優しいんだ。でも、八方美人ってわけじゃねぇんだな」
グンヴァは口ごもりながらも、すっかりその気になって話していた。
「はいはい。いますよねェ、そういう優しい女性って」
ノーラはグンヴァの皿に乗っているソーセージにフォークを刺すと、口に運んで咀嚼しながら相槌を打った。
「何が悲しくて、男の恋の話を聞いて酒を飲まなきゃいけねぇんだよ」
「お兄ちゃんなんスから、なんかアドバイスあげればいいじゃないですかァ。仮にもドラセナと恋人同士だったんでしょ?」
ノーラの言葉に、またグンヴァが勢い良くリットを見た。
「そういうことは前もって教えてくれよ! 女の口説き方を俺様に教えてくれ」
「オレじゃなくて、アドバイスしたくてうずうずしてる奴に聞けよ」
リットはヴィクターに向かって顎をしゃくる。
ヴィクターはいつでも聞いてこいといったような笑みを浮かべていた。
「オヤジはダメだ。誠実さが足りねぇ。ちゃんと一対一の恋愛のアドバイスを知りてぇんだよ」
グンヴァの声は小さいものではなく、聞こえていたヴィクターの笑みは苦笑いに変わり、そのまま俯いてしまった。
「花でもやりゃいいだろ」
「こんな冬の時期に花なんかあるわけねぇだろ」
「あるだろ。高嶺の花が」
「ぜってー、もうリットのアニキには恋の相談はしねぇ……」
期待していた答えではなく、いつものようにジョークを聞かされたグンヴァは、落胆に押しつぶされたかのように肩を落とす。
「そうしてくれ。もししたくなったら、オレが酔っ払って記憶がぶっ飛んでる時にしろ。ただ、酔ってる時の発言に責任は持たねぇぞ」
「旦那も意固地っスねェ。いいじゃないっスか。過去の経験からアドバイスするくらい。若者を導くのは年上の義務っスよ」
ノーラは蒸し川エビをグンヴァの皿から取ると、なれない手付きで丸まった身から頭をちぎり、殻を取って、咥えるように口に運ぶ。
プチプチと身が弾け切れる感触を前歯に感じながら、とろりと舌に溶けるエビの甘さを楽しむと、口から尻尾を引き抜いて皿に落とした。
始めから胴体など存在してなかったかのように、綺麗に身が食べられていた。
「リスクを考える前に体を求める年齢の恋愛と、リスクを考えてから体を求める年齢の恋愛は別もんだ。オレがおせっかいだとしても、参考にならねぇよ」
リットはノーラが残した海老の頭をつまむと、投げ捨てるように口に入れた。
「メリットだけ考えればいいじゃないっスか」
「そういうのを浮かれてるっつーんだよ。オレはマックスじゃねぇから浮かぶ必要はねぇよ」
自分の名前がリットの口から出ると、マックスは遠くの席からリットを睨んだ。
口にはしないが、僕の名前を出すなとでも言いたげだった。
「私はメリットばかり考えますよ。甘い味で胃も心も満腹だとか、しょっぱくても次を食べたくなる味だとか。そう考えることで、食べ物にハズレなしっス。黒パンと旦那のスープは別もんですけど……」
「そりゃ、食い物の話だろ。――まぁ、グンヴァが食いたがってる意味では同じだけどよ」
薄ら笑いを浮かべるリットを見たグンヴァは、飲みかけていたスープを途中で下ろす。
「もう、飲めねぇ……」
「それじゃあ、残りは私が」
ノーラはグンヴァがテーブルに置いたスープを自分のもとに引き寄せた。
「まっ、応援もアドバイスもしねぇけど、冷やかすくらいはしてやるよ」
リットは酒瓶を手に取ると、グンヴァのコップに注いだ。
「それ、一番いらねぇよ……」
「冷やかされてるうちに、向こうもその気になるかもしれねぇぞ」
「どうせまた適当に言ってんだろ」
グンヴァは恨みがましい視線をリットに向けたまま、喉を鳴らして酒を飲んでいく。
「適当でもねぇよ。昔はよく手伝わされた。まぁ、そいつはツラだけはいい奴だったけどな。異性を意識させるのには、一番手っ取り早いんだとよ」
ローレンは意中の女性を口説く時は必ずと言っていいほど、その女性を酒場に連れて来ていた。先ほどのリットの言葉通り、冷やかされる目的もあるが、「やめたまえ」と自分は周りに一喝できる人物であることも、それとなく知らせるためだった。
「アニキより、そっちの男にアドバイスを貰ったほうがよさそうだ。今度紹介してくれよ」
リットはカロチーヌの姿を思い出していた。いや、姿というよりも一部分だ。
すぐに思い出せるほど大きく、フルーツでも入れているかのような形の良い乳房は、紛うことなくローレンの好みの範疇に入っている。
「やめとけ。アイツはオマエの飲み残しなんて気にせず、スープを平らげるぞ。ノーラみてぇにな」
「どういう男だよ……そいつは」
グンヴァは苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「その顔通りの男だ」




