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ランプ売りの青年  作者: ふん
命の灯火編(上)

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第二十話

「リットの知り合いだったのか……。悪かったな」

 店主はリットとグリザベルの顔を交互に見ながら言った。

「グリザベルを不気味な奴って言ってたことか?」

「わざわざ言うんじゃねぇよ! あぁ……すまなかったな、グリザベルさんとやら」

 店主は申し訳無さそうに頭を掻きながら低頭した。

「謝るこたぁねぇよ。不気味なのは間違ってねぇからな。カビ臭え廃城に住んでた変わり者だ。それも――ヨルムウトル城にな」

 リットが『ヨルムウトル』と口にした瞬間。椅子から転げ落ちる音が三つ。それにカウンター後ろの棚にぶつかり倒れる音が一つ。

 それっきり静寂が訪れた。

 その静寂を縫うように、グリザベルの喉から笑いが響いた。

「安心せい。ヨルムウトルの呪いはとうに解けておる。未だこうして不安がる理由も、全て解決済み。ヨルムウトルには晴天が訪れておるわ」

「……本当だろうな?」

 グリザベルの言葉を聞いた店主は、穴ぐらから敵を注意深く確認しながら出てくる兎のように、ゆっくりとカウンターから顔を出した。

「嘘だとしても、ヨルムウトルに行かなけりゃ問題ねぇだろ」

「そうなんだがよ。普通はヨルムウトルの名前を聞けばビビるだろ。ウィッチーズカーズの効果が切れても、暗闇に閉じ込められてた国だぜ。一時は闇に呑まれたなんて噂もあったしよ」

 店主の恐々とした声に、グリザベルは自慢気に鼻息を混じらせていた。笑みを浮かべ、衣擦れを響かせて足を組み直すと、表情とは裏腹な控えめな咳払いを響かせる。

「風邪じゃねぇんだから、ウィッチーズカーズは感染らねぇだろ」

「わかってるけどよ。もし、なんかあったら恐ろしいじゃねぇか」

「ヨルムウトルに行った本人が元気なんだから、恐ろしいも糞もあるかよ」

 グリザベルはここだと言わんばかりに自己主張の強い咳払いをするが、リットと店主は気にせずに話を続けていた。

「やっぱり感染るじゃねぇか……。リットが来てから、ウチの店は大変なんだぜ」

「その話は堂々巡りだって、さっき結論が出ただろ。損得で言えば、得の方が多いんだから、むしろ呪いより加護だろ」

 リットと店主の会話は途切れることはなかったが、グリザベルの咳払いがだんだんはっきりと言葉を帯びてきたので、たまらずリットは睨みつけた。

「うるせぇな! なんだよ」

「なんだは、我のセリフだ! 今、格好良く我を紹介するチャンスを逃したのだぞ!」

「なんだよ格好良くってのは」

「ヨルムウトル。闇。この二つのワードが出たら、我のことを詳しく紹介すべきだ。闇を払い、ヨルムウトルに晴天をもたらした。偉大なる魔女――グリザベル・ヨルム・サーカスと。それをなんだ、二人だけで楽しそうに喋りおって! 我は蚊帳の外か!」

 威厳もなにもなく、グリザベルは椅子に座ったまま両足で地団駄を踏む。

「先に自分で、ヨルムウトルに晴天が訪れてるって言ったんじゃねぇか。したけりゃ、その時に自己紹介しろよ」

「そんなの自画自賛でマヌケみたいではないかぁ……。マヌケは嫌なのだぁ……」

 消え入りそうなグリザベルの呟き。

 店主はどうしたらいいかわからずに、「あー」と「えー」をまばらに口にするだけで、言葉を紡げずにいた。

 リットだけ気にした様子もなく、店主に「なんかツマミに食うもんをくれ」と、ウイスキーの続きを飲み始めた。

 出された、ひよこ豆と豚の尻肉の煮込みを一口すすると、リットはカウンターに肘をついて、うなだれているグリザベルを見下した。

「それで、マヌケはここになにしに来たんだ?」

「マヌケじゃないもん……。だから我は何も言わぬ……」

 グリザベルは不貞腐れたように顔を逸らす。

「話すのも話さないのも、オマエの勝手だからいいけどよ。話し出すのを待つのは、これを食い終わるまでだぞ」

 リットは大きな尻肉の塊を食べやすいようにスプーンで崩すと、味わうことなくひょいひょいと口に運んでいく。

「待て待て! そうがっつくではない!」

 グリザベルはか細い腕でリットのスプーンを持つ手を掴むと、玩具の取り合いをする子供のように乱暴に引っ張った。

「素直に話す気になったのか?」

「そんなに我のことが聞きたいのか。しょうがないの」

 グリザベルは鼻をすすり、肩を揺らして、涙を引っ込めようとする。

「鼻をすすりながら、よくそこまで強がれるな……」

「深淵の穿孔より吹かれし魔女の葬送曲を頼りに、帰路の葛藤のごとくそびえ立つ山を超え、憤怒に叫ぶ川を渡り、辿り着いたこの土地で、一時の安息に身を委ねているところだ」

 グリザベルは目尻に涙を残しながら、羽毛を浮かせるような淡い息を吐いて、精一杯不敵な笑みを浮かべてみせたが、リットは無言でウイスキーを飲んでいる。

「おい、リット。なんか言ってやれよ」

 店主がリットの目の前のカウンターを人差し指で小突くと、リットは店主に耳打ちをした。

 店主はグリザベルに向き直ると、言いにくそうに口を開いた。

「あーその……。やり直しだそうだ」

「……ディアドレの軌跡を辿り、帰ろうかと悩むほどの険しい山と、激しく流れる川を渡って、ようやく人のいる場所に着いて、一息ついているところだ。――これでよいか!」

「バカが勇んで旅に出たはいいが、考えなしでろくに旅の準備もしねぇもんだから、山と川を歩き疲れて、ようやくディアナ国に着いたものの、人に話しかけるのも恥ずかしいから酒場の隅で丸くなってたんだろ」

「いちいち意地悪な言い方をするでないわ!」

 グリザベルはカウンターを勢い良く叩いたが、手のひらに走った痛みと痺れに、思わずうずくまってしまった。

「女にはもっと優しくしてやったほうがいいんじゃねぇか?」

 店主はリットとグリザベル。どちらにも呆れながら言った。

「冗長な話を聞きたけりゃ優しくしてやれよ。オレ以上にこの酒場に入り浸られるぞ」

 リットはひよこ豆と豚の尻肉の煮込みをすべて口に運ぶと、最後にウイスキーを流し込んで立ち上がった。

「待て待て、帰るなら金を払っていけ」

 店主は慌ててリットの腕を掴んで引き止めた。

「ランプの修理でチャラだろ」

「酒はな。煮込みの代金をもらってねぇ」

「男にももっと優しくした方がいいぞ」

「優しくしたら、今以上に酒場に入り浸られるからな」

 店主がリットの言葉を真似て言うと、リットは「負けたよ」とでも言うように肩をすくめた。

 そして煮込みの分の代金をカウンターに置くと、酒場を出て行った。



 陽は落ち始め、遠くのリム山が影で真っ黒に染まっている。川沿い通りは冷えた風を運び、人々を家路へと急がせる

 リル川の水面は夕焼けを吸い取って、金底の上を流れるように輝いていた。

 その全てを順に見ながら、グリザベルは白い息を吐いた。

「この国は面白い。欲深き王だが、皆に好かれておる。ヨルムウトル王とは違うの」

「元が村出身の冒険者だから、とっつきやすいんだろ。しょっちゅう街に降りてきてるしな。国の人間に限った話じゃねぇ、手を出した女に恨まれる気配もねぇよ」

「詳しいの。ディアナ国には長く滞在しておるのか?」

「婚約周年祭前だから、二週間ちょっとくらいだな」

「婚約周年祭。あれは良き祭りだった。あれほど盛大に行われる祭りは初めて見たぞ」

 グリザベルは立ち止まると、川沿い通りを端から端まで指して、あそこには何の露天が出ていたと細やかに説明し始めた。

「そんな前からいたのか?」

「初日からいたぞ。初めての祭りに、旅銭を使い込んでしまうほど楽しんでしまった。少々私物を売るはめになったが、祭りということもあり、道に物を広げるだけで飛ぶように売れた。我には商才もあるのかもしれんな」

「ショバ代も払わずに勝手に商売してると、あちこちで目を付けられるぞ」

「憂懼することはない。この国の王が魔宝石を買っていったということは、許可を貰ったと同義。我の威光に許可を出さねばと駆られたに違いない」

 グリザベルの高笑いを聞きながら、リットはヴィクターと風呂に入ったことを思い出していた。露天商の見慣れない女というのはグリザベルのことだろう。

「色目を使ってると、許可だけじゃなくて、子供ももらうことになるぞ」

「色目など使っておらぬ。我の威光に引き寄せられたのは否めないがな」

「変わってねぇな……」

「お主もな」

 リットの呆れた言い方とは違い、グリザベルは満面の笑みで答えた。

「なに笑ってんだよ」

「こういう会話だ。我はこういう会話を求めていたのだ。「お食事はどうなさいますか?」「もらおう」などという宿の義務的な会話ではなく、こういう友との会話に飢えていたのだ。今のは、我の人生で使ってみたかった言葉十位の中には入る会話だ」

「まだ、友達が増えてねぇんだな。姿が見えないってことは、とうとうマグニにも見捨てられたか」

「とうとうとはどう意味じゃ! 見捨てられてなどおらぬ! 冬に山道を歩くと凍ってしまうから、今回の旅には同行できなかっただけだ」

「オレはとっくに見捨ててるからな。その癖に野良猫みてぇについてきやがる……。どこまでついてくんだよ。宿は反対側だろ」

 一緒に酒場を出た時からおかしいと思ったが、グリザベルはリットの後をついて回っていた。

 宿屋は城の城門へと続く道がある中央広場ではなく、城下町の入口付近にある。リットの後をついて行っても、グリザベルの泊まっている宿には戻れるはずはなかった。

「リットと同じ宿に移るためだ。この雪のように積もる話もあるだろう」

「ブラインド村はその後どうだ?」

「すっかり緑の風景へと変わったぞ」

「そうか、それはよかった。じゃあな」

 リットは片手を上げてグリザベルに別れを告げると、そそくさと足を速めた。

 しかし、遠く離れる前にグリザベルの手がリットの上着の裾を掴んだ。

「待てい、積もる話があると言っただろうが!」

「今ので終わりだ。雪のように積もる話も、もう春になったみたいに溶けて消えた」

「リットが終わっても、我は終わっておらぬわ。リットが嫌と言うのなら構わぬ。お主がおるということは、ノーラとチルカもおるだろう」

「オレが決めることじゃねぇからいいけどよ。許可は自分で取れよ」

 リットはグリザベルの他愛のない話に耳を貸さずに歩くが、グリザベルは気にもとめず溜まっていた話題を一気に話していた。

 マグニのハープの腕前が上達したことや、観光客が徐々に増えてきたこと。ブラインド村の村長に子供が生まれ、ジャック・オ・ランタンはその世話を手伝っていることなど、関係ないことまで自分のことのように自慢気に話していたが、城門まで歩いてくるとグリザベルの表情が変わった。

「これは城か? それとも城のような宿か? どちらにせよ、リットが泊まれるとは思えぬが……」

「女なら一度抱かれりゃ、一生タダで住めるぞ」

 リットが門番に通ることを伝えると、城門が開く重たい音が聞こえた。

「リット様。お客様ですか?」

 通りがけ、グリザベルを見た兵士がリットに聞いた。

「ペットだ。ペット禁止か? この城は」

「いえ、そういうわけでは……」

「ならいちいち聞くんじゃねぇよ。もう、こっちにもあっちにも説明するのが面倒くせえ。――そっちもだ。聞きてぇことがあるなら、ノーラにでも聞け」

 リットは門番とグリザベルに向かって言うと、城に向かって歩き始めた。

 城の中に入り廊下を歩いていると、陽気に聞こえる四つ脚の足音が前方から聞こえてきた。

「はぁあーい、リットお兄ちゃんじゃん。この時間にお城にいるの珍しいね。でも、ちょうどよかった」シルヴァは甘ったるい声で挨拶をすると、急にリットの目の前で髪をかき上げてポーズを取った「どう?」

 シルヴァはいつもどおり、体にぴったりとしていて、胸元が大きく開けたドレスを着ている。

 リットにはいつもとの違いがわからなかった。

「鼻毛でも処理したのか?」

「……違うわよ。毛先だけ丸めて、ゆるふわに巻いてみたんだけど、イイ感じじゃない?」

「似合ってるぞ。頭の中とお揃いでな」

「だよねー。見えないところまで気を使うのがオシャレよね。ラバドーラもメチャ体に模様入れてんの。タトゥーじゃなくて、夏の間に体に絵を描いてもらって日焼けするらしいのね。でも、オマエミイラじゃん! あっ、ラバドーラってミイラなんだけど、布でキチキチに巻いて超エロい体を強調してんの。でも、布を巻いてるから、誰も肌なんか見たことないっての。したら、見えないところも気を使うからオシャレだって。それって超納得じゃん?」

 シルヴァは「わかるでしょ?」とでも言いたげに、リットを指差した。

「だから、頭がゆるふわなんだろ」

「違うわよ。何聞いてたの。髪は見えるところでしょ。見えないオシャレのことを話してんの」

「だから、頭の中がゆるくてふわふわしてんだろ」

「そう、それ」シルヴァは満足気に頷くと、リットの隣りにいるグリザベルに目を向けた。「ところで、これ誰? 女の子を連れ込んだらお父さんに怒られるよ。私が勝手に男の子を部屋に呼んだ時は一週間外出禁止食らったね」

 リットはため息をつく。自分にシルヴァの紹介をした時のヴィクターの気持ちがなんとなく理解できた。そして、先程からずっと紹介しろと裾を引っ張ってくるグリザベルにも、似たような感情を抱いていた。

 リットは咳払いを一つ挟むと、グリザベルとシルヴァの間に立った。

「グリザベル。シルヴァ・クリゲイロだ」

 グリザベルは緊張に震える声で「あぁ」と短く言うと、握手のために手を伸ばした。

「シルヴァ。グリザベル・ヨルム・サーカスだ」

「はぁあーい。よろしくー」

 シルヴァはグリザベルの手を握る。

 リットは二人を見ながら、似たような光景が最近あったことを思いだしていた。

「一応、グリザベルは昔の知り合いだ」

「あれ? リットお兄ちゃんが手紙書いたのって、ついこの間じゃん。もう来たの? それって超ヤバイ女じゃん」

「如何にも。我はヤバき女なのだ」

 褒め言葉と受け取ったグリザベルは「フハハハ!」高笑いを響かせる。

「こいつはグリザベルって紹介しただろ。手紙を書いたのはエミリアのほうだ」

 リットの言葉にグリザベルの高笑いが止まった。

「待たぬか! 我は文の返事など一つももらった覚えはないぞ」

「そりゃそうだろ。こっちも書いた覚えがないからな」

「納得いかぬー。文の一つくらいすぐ書けるではないか。我は文がほしいぞー。友と文のやりとりをするのが、子供の頃からの夢だったのだ」

 駄々をこねるよなグリザベルを、シルヴァはのんきに眺めていた。

「これって修羅場ってやつ?」

「包丁持ってオレの心臓を刺してたらな」






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