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ランプ売りの青年  作者: ふん
命の灯火編(上)

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142/325

第十七話

 婚約周年祭も最終日になり、街は賑わいよりも喧しさを纏っていた。

 婚約周年祭の期間は一週間。それに対して、ヴィクターの王妃は五人。セレモニー的なものは、王妃の人数分の五日間だけである、

 残りの二日間は、まだしばらく続く冬を乗り切り、春を待ち望むための祭りという意味合いが大きい。

 冬は寒く、家にこもりがちになってしまうので、その憂鬱を吹き飛ばすために騒ぎに騒ぐのだった。

 街では、赤ワインにシナモンとハチミツを入れて煮立てたホットワインが城からくばられ、所々で焚き火がおこなわれている。

 特に今日のような最終日は、家の中にいると空気の読めていないと思われてしまう。

 この日ばかりは子供も老人も、ホットワインを片手に外を歩いていた。

 盛り上がる街。その外れにあるティアドロップ湖には人の姿どころか、動物のいる気配もなかった。

 冬はただの雪捨場になっているティアドロップ湖だが、ここ一週間降らない雪のせいで、全体が足場のように冷え固まっている。

 リットは足を滑らせながら歩きまわり、街で場所を聞いた聖女ガルベラの墓を探していた。

 ガルベラに興味はない。そう言ったのは本心だった。しかし一度気になりだすと、体の内側から針で突かれたような不快感が広がり、どうにも収まりがつかなくなってしまった。

 引っかかっているのは、ガルベラが何をしたかだ。

 聖女という言葉がつけられているということは、なにか良いことをしたのだろうと漠然と思っていたが、その良いことというのは度を越すほどのことではないと、聖女という言葉と釣り合わない。

 そして、その出来事は今まで一度も耳にしたことがなかった。

 そんな疑問を感じながら、リットはなにもない湖周辺ではなく、遠く離れた雑木林の方へと歩いて行った。

 葉の枯れ落ちた冬の雑木林は明るくて、見上げれば伸びた枝が空にヒビを入れていた。

 生物の少ない冬は鉱物のような無機質な匂いを広げる。

 雪が積もり固まった道は、落とし穴のように時々足を吸い込んでいく。

 思い通りにならない雪道にうっすら額に汗をかきながら歩いていると、木が少なくなっている場所を見つけた。

 その中心には雪に埋もれた墓石があった。



 ――ガルベラ・アネンタイヤ。ここに眠る。



 憶測だが、墓石にはこう書かれていた。

 というのも、墓石はヒビだらけでところどころ崩れ落ちてしまい、刻まれた文字は八割程度しか読むことができなかったからだ。

 有名な割には手入れされることなく風化してしまっている。

 誰もお参りに来ないのだろうかと、リットが辺りを見回していると、自分のではない足跡が墓に向かって付いているのに気付いた。

 自分よりも一回り小さいその足跡から推測すると、男の足跡ではないだろう。もし、男だとしたら少年のものだ。

 リットは行きの足跡から、帰りの足跡へと視線を移すと、それを目で追って振り返った。

「なによ! いきなりビックリするわね!」

 突然リットの目の前に現れたチルカは、リットの頭を叩いて驚かそうとしたままの姿勢で固まっている。

「驚いたのはこっちだ。さっきまでいなかっただろ」

「こっちはアンタよりずっと先にこの辺にいたわよ。地面を初めて歩く大デブみたいに、フラつきながら歩いて来たのはそっちよ」

「糞なら、もっと遠くでしてこいよ。そこから新しい妖精が湧いて出てきたら困るからな」

「アンタ、そのうち妖精の襲撃にあって殺されるわよ。ここに他の妖精がいなくて良かったわね」

 チルカは目尻を険しく吊り上げると、口元だけひん曲げて笑みを浮かべた。

「なんだ。そんなもん探してウロウロしてたのか」

「太陽神の話もう忘れたの? こっちはアンタと違って暇じゃないのよ。ちょっと暖かくなってきたからって、冬眠から覚めるバカをねぐらに戻したりしないといけないんだから。アンタの家の妖精の白ユリだって私がいなければ、とっくに枯れてるわよ」

「ほっときゃ勝手に増えてるだろ」

「私が虫を統率してなければ、とっくに全部食べられてるわよ。あんな狭い庭の妖精の白ユリなんて」

 植物はすべて一つの太陽により芽吹き、太陽の恵みとなって大地に根を張る。森の植物も、草原の植物も、庭の植物も、全部繋がってる。と言うのは前にチルカが言っていたことだ。

 チルカが森から離れた人里に降りても、太陽神の加護があるのはそのおかげだった。

 リットの家では庭の管理をし、ヨルムウトルでも枯れ木の様子を確かめたりしていた。

「だから妖精を探してたのよ。もし、ここで生活してる妖精がいたら、私が勝手にでしゃばったら悪いでしょ。アンタ、自分の店で勝手に商売を始められたらどう思う?」

「ショバ代と売上の一部を貰う。楽して儲けてツイてるな」

「……質問を変えるわ。アンタの家に勝手に住み着く無作法者がいたらどう思う?」

「今、目の前にいる奴のことか? 物理的にも社会的にもぶっ潰してやりてぇよ」

「可愛い子と生活出来るだけありがたく思いなさいよ。もめないための下調べをしてたの。ここはいいわよ。栄養のある土に、たっぷりの雪解け水。春になったら色とりどりの花が咲き乱れるでしょうね」チルカはまだ来ぬ春にうっとりと目を閉じるが、半開きまで目を開くとリットの顔を見た。「アンタに言うだけ無駄でしょうけど」

 チルカは無駄な話題を振ったと、額に手を付いて自分に呆れていた。その仕草は、同時にリットをバカにしたものだった。

「別に興味がないわけじゃねぇぞ。植物がなけりゃ、酒が作れねぇからな」

「私は可憐な心持ちの話をしてるの。アンタみたいに、お酒を飲んで下品な話をするようなのと一緒にしないでよね」

「酒ってのは上品に飲んだほうが下品ってもんなんだよ。ちょうどいいだけ飲んで帰るなんて、作法ができちゃいねぇ。酒を飲んで無駄に口を滑らせてこそ、情報が回るってもんだ」

「アンタ、それバカの考えよ。そうやって日々バカを磨いてるのね。そのうち頭も磨かれて光るんじゃないの? それで、バカこそなにしてたのよ。人気のないところに男一人でいるなんて気持ち悪すぎるわよ」

 街が盛り上がってる中、一人街外れにいるのは不審に思える。チルカじゃなくても、同じような質問を投げかけただろう。

「そこの墓の中にいる奴に会いに来たんだけどよ。出てきてくれねぇみてぇだ」

 リットは顎をしゃくって、ガルベラの墓を指す。

「誰よ。アンタの知り合い?」

 チルカは墓の前まで飛んで行き、墓石に刻まれた名前を見ていた。

「知り合う前に死んじまったよ」

「ボロい墓ね。野良犬の墓の方がしっかりしてるわよ。よっぽど嫌われてたのか、誰からも関心されなかったんでしょうね」

 何らかの意図で隠されているなら別だが、明らかに放置されたままの墓は、チルカの言葉通りのように思える。

 花が捧げられた様子もないし、墓石が拭かれた様子もない。ただ、そこにあるだけの墓だ。

「他に墓を見かけなかったか?」

 もしかしたら同名の別の人物の墓かもしれないと思ったが、チルカから帰ってきた言葉は予想通りのものだった。

「あるわけないでしょ。そんなにいくつもあったら墓地じゃないの。私は墓地を管理する気なんかないわよ」

「お似合いだと思うぞ。花畑にいるよりもな」

「ありがと。なら、アンタは最初のお客様ね。なんだったら、今すぐそこの墓に埋めてあげるわよ」

 チルカはガルベラの墓を一度指差してから、拳を握り親指を下に向けた。

 リットは何を言い返すでもなく、チルカの親指の下の地面を見ていた。

「これ、掘り起こしても大丈夫だと思うか?」

「アンタ、普段は興味ないとか言って斜に構えてる癖に、自分が気になることには向こう見ずよね。オークの村に行ったり、海賊になったり。呪われたり死んだりするのは勝手だけど、こっちに迷惑をかけないでよ。墓を掘り起こして出てくるのは骨か虫くらいよ」

 確かに、墓を掘り起こしたところでなんの意味はない。

 リットはつま先で掘りかけていた雪を踏み鳴らした。

「こうやって、謎が増えてくんだな」

「どうでもいいことを気にするわね。私としては、いつ帰るかのほうが気になるんだけど。いつもなら、用も済んだし帰るって言い出してる頃じゃない。まさか、王子になろうなんて思ってるの? 似合わないわよ。人魚がズボンをはいてるようなもんね」

「まぁ、そのうちな」

「私としては別にいいんだけど。モントっていう小間使いができたし。ただ、なんか気持ち悪いんだけど。顔のことじゃないわよ。顔はいつもどおりの気持ち悪さだから、今更言うことじゃないわ。ここの女好きの王様はアンタにいて欲しいみたいだけど、アンタそんなのに気を使うような男じゃないじゃない」

 チルカの言うことに身に覚えがあるリットは、答えのないひねくれた笑みを作った。

「よく見てんな。オレのこと大好きなのか?」

「アンタの言う「大好き」が「殺したい」って意味ならね。言わないだけで、ノーラだって気付いてるわよ」

「ってことは、オマエはノーラより気を使えない奴ってことだな」

「アンタに気を使うくらいなら、そこら辺の氷に頭をぶつけて死ぬわよ」

「手伝おうか?」

 リットが足元にある氷を拾おうとすると、固く握られた雪球がリットの顔に飛んできた。



 チルカと別々にティアドロップ湖を後にしたリットは、街に戻り川沿い通りを歩いていた。

 一度、馴染みとなった酒場へと向かったのだが、途中で今日は店には誰にもいないということに気付き、無駄足を悔いながら次の目的の場所へと向かった。

 歩く先々で振る舞われるホットワインの誘いを断り、向かうはグンヴァ率いるブラックエンペラーの屋台があった場所。

 案の定、ホットワインではなく酒を振る舞っていた。

「おう、リットのアニキ! 朝から見ないから、不思議だったぜ」

 すっかり良い感じに酔ったグンヴァが、回りきっていない呂律でリットに声を掛けた。

「ちょっと――ティアドロップ湖に行ってた」

 リットはあえて『ティアドロップ』という言葉を強調して言ってみたが、グンヴァが特に反応を見せることはなかった。

「この時期にティアドロップ湖に行ったってなんにもないぜ。それより、酒だ酒。ホットワインなんか飲んでも、ちーっとも酔えないぜ」

 グンヴァはフラフラになった手でリットにコップを渡すと、盛大にこぼしながらビールを注いだ。

「今日はビールなのか」

 リットは酔っぱらって使い物にならないグンヴァではなく、その横にいるテイラーに聞いた。

「鮮度が悪くなってきたビールだから、ただで振る舞ってるんだよ。まぁ……お腹を壊すことはないと思うけどね」

 テイラーは長い二股の舌をペロッと出して、シュルシュルと笑った。

「ところで、ガルベラについて何か知ってるか?」

「名前は知ってるよ」

「他には?」

「女ってことくらいだね」

 それからリットは、ここにたむろする別の人にも話を聞いたが、誰からも詳しい話はでてこなかった。

「なんで知りたいんだ?」

 アリゲイルが酒を飲みながら聞いた。ワニ口を大きく開けて酒を飲む様は、飲むというより流し込むだ。

「興味本位だ」

「ガルベラってのは、今流行ってるのか? 最近、別の奴にも聞かれたぞ」

「知り合いか?」

「いや、見たことねぇ奴だ。寒そうにフードを深く被ってて、顔はわからなかったけど、あの声は女だ。まぁ、男でもケツの穴を蹴られた後は女みたいな声になるけどな」

 アリゲイルは下品な笑いを響かせると、新たに注いだビールを一気に流し込んだ。

「ガルベラなんていう死んだ女はどうでもいいんだよ。問題は俺様とカロチーヌのことだ。どうしたら、進展できる」

 グンヴァは絡むようにリットの肩を抱く。

「酒の勢いで気が大きくなってるうちに抱いてこいよ。捕まりたくないなら声を掛けろ」

「どうやって声を掛けりゃいいんだよ」

「自分の魅力を上手く使えよ。――金をチラつかせるとか、権力で脅すとかいろいろあんだろ」

「もっと真面目に答えてくれよ……リットのアニキ……。このまま錆びついて終わるなんか嫌だぜ」

「錆取りにこするから、余計に錆びてくんだよ。思いばっかり募らせてると、イザという時に暴発しちまうぞ」

「そんなこと言われても、経験ねぇからわかんねぇよ。……平均何秒くらいだ?」

「調子が良けりゃ三秒で終わる。こっちはオマエの青春の悩みを聞きに来たわけじゃねぇんだ。もうからかうジョークも出てこねぇぞ」

 リットはビール樽の栓抜き金具を握り、勝手に新しくビール樽を開けると、酔っぱらいがそこに群がるように集まってきた。

「酒っていうのはいいねぇ。どの種族も皆同じ反応だ」

 テイラーは満足気な表情で、餌に集るアリのような人達を見ていた。

「それだけ抑圧された人生を過ごしてるってことだ。抑圧に慣れた奴らは、なにか与えられることばかりを願うだけだ。そんな中酒を振る舞うなんて、なかなかできることじゃねぇ。立派なもんだ」

「……何が欲しいんだい?」

「手羽の部分かな」

 リットはまるごと燻製にされた鳥肉に視線をやった。

「目ざといねぇ。さっきできたばっかりだよ」

 テイラーは口を使って鳥の燻製を引き裂くと、リットに渡した。

「目ざといも何も、食ってくださいってこれ見よがしに吊るしてあんじゃねぇか」

 山鳥の他にも、魚や鹿の足などが燻製にされて干されていた。

「普通は遠慮するもんだよ」

「遠慮してるぞ。だから、店ごと寄越せとは言ってねぇだろ」

「あの城と交換なら考えるよ」

 テイラーはディアナ城を指差すと笑う。リットもつられて笑った。

「――また来たら、アンタに知らせるよ」

「なにをだ?」

「さっきアリゲイルと話してただろ。ガルベラのことを探してる女」

「そうだな……頼む」






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