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ランプ売りの青年  作者: ふん
命の灯火編(上)

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第十五話

 闇を切り抜いたかのような白い月が浮かび、砕かれた鏡のような星が広がる深夜。

 皆、その夜空に見惚れて口を閉ざすだろう。そう思えるような静かな夜になるはずだった。

 自分の部屋の椅子に座っていたリットは頭を垂れると、音を立てないように酒の入ったコップをテーブルに置いた。

「リットぉ」

 ドアの向こうから聞こえてくるヴィクターの低い不気味な猫なで声は、よく研がれた剣の切っ先で背中を静かになぞられたかのように寒気となってリットを襲った。

 このテンションのヴィクターにからまれてはたまらないと、リットはランプの明かりを消して、戦場で身を潜めるように息を押し殺す。

 しかし、火を消すのが遅かった。

 ヴィクターはドアの隙間から漏れる明かりをしっかりと確認していたので、ドアの前から離れることはない。

 ノックの音は徐々に大きくなっていく。

 あまりのしつこさに、リットが細くドアを開けると、その隙間からヴィクターの手が伸びてきて、ドアを押し開いた。

「リットぉ、お風呂入ろぉ」

 ヴィクターは気持ち悪いほどの笑顔で、低い猫なで声を響かせる。

「……なんの恨みがあって、気持ちの悪い声でオレを風呂に誘うんだよ」

「父親と息子。なにか足りないものがあると思わないか? ――そう、裸の付き合いだ」

 言いながらヴィクターは、自分の肩にかけていたタオルを取って、リットの首にかけた。

「オレはこれから寝るとこなんだよ。いい感じに酔いが回ってきたところだからな」

「それはいかん! 寝酒は風邪をひく。風呂に入って汗と一緒にアルコールを流した方がいい」

「モテる男ならわかるだろ。しつこい奴は嫌われるぞ」

「時には恥も外聞も捨てて、しつこく泣きつくのがモテるコツだ」

 ヴィクターはリットの腕を掴んで部屋から廊下へ引っ張り出すと、背中を押して歩き出した。

「なにもこんな夜更けじゃなくていいだろ。行き帰りで風邪をひきそうだぞ」

 廊下は暗く寒く、吐く息は白い。天井に月と星があれば外と変わらなかった。

「一日の疲れを癒やすには、湯に浸かるのが一番だ」

「男じゃなくて、女に癒やしてもらえよ。かみさんがいるだろ。何人も」

「この時期にそういうわけにはいかないだろう。正直言うと、オレだって息子じゃなくて娘と入りたいぞ。もう何年も一緒に入ってない。娘の成長は嬉しくもあり、悲しくもあるもんだ……」

「入りゃいいじゃねぇか。街を歩いている娘を適当にとっ捕まえて」

 ヴィクターは「そりゃいい!」と大笑いを響かせた後、急に真面目な顔になり、「殺される」と神妙な声で呟いた。

「普通の男なら、とっくの昔に殺されてるだろ」

「今日も生き延びられたんだから、オレは大したもんだな」

 ヴィクターが意識したかどうかはわからないが、その言葉はリットにはいろいろな意味が混ざって聞こえていた。

「言ったオレも悪かったけどよ。気を使わせんなよ」

「なにがだ?」

 ヴィクターにとぼけた様子はなく、本当に疑問の声だった。

「……まぁ、いいけどよ。で、なんでいきなり風呂なんだ?」

「それが今日街をまわっている時にな、見慣れない屋台を見つけたんだ。屋台といっても絨毯一枚を広げた質素なもので、商品はその上に置いてあるだけだった。たぶん他所の国から来たんだろうな。店主は見慣れない女で、これがまたイイ女だったんだ。厚着に負けない胸の膨らみ。オマエにも見せたかったぞ」

 ヴィクターは目を閉じてその時の光景を思い出し、スケベな笑みを浮かべた。

「その話と風呂を繋げると、その女の乳を風呂でどうにかしたにしか聞こえねぇぞ」

「婚約周年祭中に物騒なことを言うな! 誤解されたらどうするんだ!」

「誤解ってのは潔癖な奴が言うことだろ。かみさんを増やそうとしたんじゃねぇならなんなんだよ」

「魔宝石を買ったんだ。熱の性質のな。おっと、そうだ。ぼやぼやしてると、ウィッチーズカーズの影響で温かい風呂が氷水に変わってしまう。急ぐぞ、ほらほら」

 ヴィクターはリットの背中を押したまま、子供のように走りだした。



 ヴィクターに急かされてたどり着いた脱衣場には、マックスの姿があった。

「待たせたな、マックス。いやー、リットが渋るもんでな」

「父さん……なんでこんな男を」

 マックスはいつもどおり不機嫌な顔をリットに向けた。

「オレからしたら、すんなり裸の付き合いを受け入れるオマエのほうが疑問だよ」

「僕はかいた汗を流すためだ。あなたと違って、日夜鍛えているからね」

 言葉どおり、マックスの体は彫刻のような体をしている。

 目鼻立ちがはっきりしているマックスの顔に、筋肉の固く締まった体つきはよく似合う。唯一似合わないのは、背中の純白の羽。邪魔に思えるくらいだ。

「無駄に体を鍛えてどうするつもりだよ」

 リットはシャツを脱ぎながら言った。マックスよりも一回り以上も細い腕があらわになる。

「清く正しく生きるつもりだ」

「清く正しく生きてきて、眉間の皺以外に手に入れたものはあったか?」

「……胃痛だ」

「それじゃ、今度からは胃も鍛えねぇとな」

 思ったよりも面白かったマックスの返しに、リットはマックスの背中を叩いて笑う。

「二人共もういいだろう。流すのはグチではなく汗と汚れだ」

 ヴィクターの体もマックスに負けじと鍛えられている。この二人に挟まれると、リットの体はこの上なく貧相に見えた。

「筋肉を信仰してる奴に、ろくな奴はいねぇな。酒の神バンザイだ」

「なにをわけのわからないことを……。――どこを見ているんだ」

 会話をしているにもかかわらず、リットの目が自分の目を見ていないことに気付いたマックスは、注意するように眉をひそめた。

「そっちのほうは鍛えてねぇみたいだな」

「寒いからだ」

 マックスは素早くタオルで股間を隠した。

「しょうもないことを言ってないで早く入るぞ」

 ヴィクターがドアを開くと、熱く、ふくよかな木の匂いがする湯気がこぼれてきた。

 煙る視界の向こうに、薄く四角い浴槽が見える。

「この匂いはどっかで嗅いだな……」

 リットが視界の悪い浴場の中を慎重に歩いていると、石材の床ではなく木の感触が広がった。

 隣りでジャブジャブお湯に入っていくが音が聞こえたので、これが浴槽であることには間違いなさそうだった。さらに一歩踏み出すと、温かいお湯が足裏に触れた。

「自慢のヒノキ風呂だ。と言っても、東の国と交易する前に作ったものだから、ヒノキがあまり手に入らず小さいがな」

「小さいって、三人いっぺんに入れりゃ充分でけえよ」

 リットが湯に浸かると川の氾濫のように浴槽から湯が流れ、更にマックスが湯に浸かると滝のように流れだした。

「唯一オレが恵まれなかったものと言えば、ここから温泉が湧き出なかったことだな」

 ヴィクターは喉を鳴らして「あーっ」と唸り上げると、埋まるように湯に沈んでいく。二日も歩きまわった体は相当疲れていたらしく、すっかり締まりのない顔になっていた。

「魔宝石を買う金がありゃ充分だろ。それにしても、よくヒノキが手に入ったな」

「冒険者時代のコネをフル活用したからな。昔に行った東の国の温泉宿が忘れられなくてな。あれは良いものだった」

「確かに。東の国の温泉は良かったな」

「おぉ! リットも行ったか。あそこは食い物が美味くてな。なんと言っても、豆料理の種類には驚かされた。キツネに化かされたかと思ったくらいだ」

 ヴィクターの話を聞いて、自分も同じような感想を抱いていたことを思い出すと、リットの顔に自然に笑みが湧き出てきた。

「宿に着くまでの迷路みてぇな道はイラついたけどな。あと、あの長ぇ階段も」

 リットはてっきり同意の言葉が返ってくると思ったが、ヴィクターからの返しは無言だった。睨みつけるほど真剣な目つきで、腕を組んで何かを考えている。

「そんなものあったか? 清流に囲まれた森の奥深くの温泉だろう?」

「森? 山だろ」

 噛み合わない話題に首を傾げると、示し合わせたかのように、二人同時に温泉の名前を口にした。

「龍頭温泉郷だろ」「龍玉温泉だろ」

 やはり、リットとヴィクター。二人が行った場所は違っていた。

「リットは北島に行ったのか。オレは南島だ」

「東の国の大地震があったのは数年前だろ。ガキどもの歳を考えると、行ったのは大地震前ってことになるよな」

「そうだな」

「北島の大灯台が壊れてねぇ時じゃねぇか。なんでまた反対の南島に行ったんだよ」

「今、リットが自分で言っただろう。壊れる前の大灯台には観光客が溢れている。なら、まだ手付かずの秘境を求めるなら反対側だ。オレは冒険者だぞ、宝を探しに南島に行ったんだ」

「でも、見つけたのは着物美人だろ?」

「それは、探さずともそこらを歩いている。リット、知ってるか? 南に行くほど着物の生地が薄くなっていくんだぞ。あれこそ宝と言ってもいい」

 ヴィクターは極上の香りを吸ったかのように鼻で大きく息を吸い込み、満足気な顔で口からゆっくり息を吐き出した。

「まさか、本当にそれが宝とか言うんじゃねぇだろうな……」

「目的は龍玉という宝石だ。万病に効果がある宝石という情報を聞いて行ったんだが……。まさか、あっちに効能がある湯のことを龍玉と呼ぶとはな」

「しょうもねぇ話だな。一夫多妻の言い訳にもできねぇぞ」

 リットとヴィクターが笑い合っていると、その中に乾いた咳がひとつ混じった。

「なんだ、マックス。こっちが話が膨らませてる間、ずっと頬を膨らませて。ヴィクターが股間を膨らませた話はつまらなかったのか?」

「前にも言っただろう。僕はそういう下品なジョークは大嫌いないんだ」

「んなこと言ってるから、体が鍛え上がるんだっつーの。街行く女が全部美人に見える前に、その性欲の発散方法はやめたほうがいいぞ」

「余計なお世話だ」

 マックスがそっぽを向くと、濡れた羽の飛沫がリットの顔に叩きつけられた。

 リットの顔は汗と湯気で既にしたたるほど濡れていたので、リットは特に何を言うでもなく、適当に手で顔を拭っただけだ。

「つーか、誰も結婚してないけどいいのか? 跡継ぎとかよ」

「息子達なら上手くやるだろう。なんて言ったってオレの息子だからな。あっちの方は目覚めたら止まらないはずだ」

「聞かなけりゃよかった……」

「安心しろリット。オマエにもオレの血が流れてるってことは、目覚めるはずだ」

「だから困んだよ。目覚めはともかく、暴走されたらたまったもんじゃねぇ」

 しばらく湯の気持ちよさに身を委ねて無言の時間が続いたが、おもむろにヴィクターが口を開いた。

「ところで、リットは何をしに東の国へ行ったんだ? オレみたいに冒険ということもあるまい」

「海賊になりに行ったんだよ。……結果的にな」

「海賊になるなんて愚の骨頂。それにバニュウのいる船まで襲って……。本当に下劣な男だ」

 マックスはタオルで顔の汗を拭きながら言う。

 先程から湯の温度が上がってきているが、妙な意地のせいか三人とも湯船から上がろうとしない。

「アイツを船に乗せるのは早すぎたんじゃねぇのか。あの素直さじゃ、船乗りの下劣なジョークを全部真に受けて育つぞ」

「僕もそう言ったんだが、外の世界を知っておくには早いほうが良いという意見が多くてね。困ったものだよ」

「まぁ、海を渡る必要はねぇが、一度国の外に出るのはいいことかもな。どこの国もこんな生ぬるい国ってわけじゃねぇからな」

「僕も一度手痛くやられているしね……」

 マックスはリットに会いに、国を出たことを思い出して苦笑いを浮かべた。

「いい機会だから言ってやるけどよ。理想を押し付けるのは、妄想の中の女だけにしとけ。相手にプレッシャーをかけるだけだぞ」

「あなたはとてもそうは見えないが」

「そんなことねぇよ。だからいつも酒を飲んで、プレッシャーを誤魔化してんだよ」

「そんなの欺瞞だ……」

「そう言い切れるほど、人生経験豊富じゃねぇだろ」

 マックスは納得のいかない顔をしたが、反論できるほどの言葉も持っていなかったので、そのまま黙ってしまった。

「オレもリットに言いたいことがあるぞ。商船の船首像を壊していっただろう」

「オレも言いてぇことがある。石像の服の下に乳首なんか作ってんじゃねぇよ。職人泣かせも大概にしろ」

「職人は喜んで作ってくれたぞ。胸の大きさ、角度。乳輪から乳首に至るまで、綿密な打ち合わせの元作られたものだ。国宝と言っても良い出来だったんだぞ」

「海賊の縄張りで、自由に公然わいせつなんかしてるから打ち首にしてやったんだよ。落としたのはそっちの首じゃねぇけどな」

「初の航海を終えて、胸に抱いてるのがゴミだぞ。イイ女が台無しだ」

「あいにく貧乏で、洒落たアクセサリーを贈る金がなかったんでな」

「それはいかんな。いつでも機嫌を取られるように、服やアクセサリーを買えるくらいの蓄えはしとけ」

 ヴィクターは龍の鱗と瓶底がすり替えられたことを咎めるつもりはないらしく、そこには触れなかった。

「んなので解決してたら、金がいくらあっても足りねぇよ」

「解決にはならん。――ただ、先延ばしにはできる。そしてほとぼりが冷めた頃に、たたみかけて謝るわけだ」

「せこい賄賂ってわけか」

「円満の秘訣だ」

 三人の表に出さない意地の張り合いは、マックスが鼻血を出しながら浴槽から飛び出るまで続き、その頃にはのぼせた体が腫れたように真っ赤になっていた。






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