第十四話
夜といえば夜といえるし、朝と思えば朝と思えた。薄暗い森の中は、時間が止まったかのような錯覚に陥る。
虫の羽音と木々の葉擦れが、不規則に不気味に耳を通り抜けていった。
「旦那ァ見てくだせェ」
ノーラは屈みこむと、ふいに言った。棒切れで地面をつつき、文字を書くように動かしている。
リットがノーラの後ろから体を突き出し覗いてみるが、ノーラの後頭部以外はなにも見えなかった。
「なんだ?」
「なにって、キノコっすよキノコ」
ノーラが振り返ると、ようやく影に隠れたキノコが姿を現した。パッと見た感じでは一般的なキノコの形をしているのだが、藤色の笠に気味悪く中太りした柄は、いかにも食べるなと警告しているように見える。虫に食われた傷からは傘の藤色よりも、濃い紫色の粘液を垂れ流していた。
「キノコじゃなくて花を探せよ」
「こんなに毒キノコっぽい毒キノコを初めて見たんで、つい。でも、さっきから花なんて一輪も見かけませんぜ?」
ノーラの言うとおり、花は咲いていなかった。背の高い草や低い草の中に隠れているのではないかと、拾った枝で掻き分けながら歩いているが、緑の草や茶色の地面ばかり。その中で見つけた紫のキノコに、ノーラが視線を奪われるのも仕方ないことかもしれない。
「元々が口頭伝承だし、あまり期待はしてなかったけど、花自体見かけないとはな……」
「伝言ゲームって、元の言葉との間違いを楽しむようなもんですしねェ」
「それに国王に限らず権力者の話っては、良いとこ取りで伝えられるもんだしな。せめて話にかするようなものが見つかりゃいいんだけど」
「じゃないと、ピクニックで不味い飯を食いに来ただけになっちゃいますもんね」
二人は妖精の白ユリと一緒に、どこか体を休められるような場所も探していた。願わくばテントを張れるようなひらけた場所がいいのだが、体温を奪うような冷たい地面じゃなければどこでもいい。切り株なんてものはないだろうから、朽ちて倒れた木でも見つかれば少しは休むことが出来る。
リットがランプを胸元まで持ち上げて歩き出すと、後ろ首に痛みが走った。これが初めての痛みというわけではなく、この森に入ってから幾度も襲われていた。
小石をぶつけられたような小さな痛みが一瞬走るだけなので支障はない。
花を見つけるために下ばかり向いているので、伸びた枝に掠った可能性もある。それか虫にでも刺されたのだろうとリットは気にしなかった。
しばらく歩き、蔦が巻いた木が多くなると、ようやく一休みを出来そうな場所を見つけた。足を伸ばせるほど僅かにひらけた場所で、畳まれたままのテントを放り投げてその上に座る。歩いている最中は感じなかったが、座ると一気に足に疲れが襲ってきた。
「旦那ァ……。いつ帰る予定ですかァ?」
ノーラも疲れたらしく、畳まれたテントの上に横になって体を預けると、目をつぶったままリットを呼ぶ。
「ランプのオイルの貯えが無くなってきたらだな」
「それって、どのくらいですかァ?」
「思ったよりも森の中が暗くてランプを灯しっぱなしだから、予定より早くなりそうだ。そうだな……。二日くらいか」
「それならあんまり奥まで行くことはなさそうっスね」
「街に有益な情報がない限り、また来ることになるけどな。リゼーネに来てから、食って寝てばかりのオマエにはダイエットになっていいだろ」
「これ以上痩せたら、私干物になっちゃいますよォ」
「オマエは痩せてるんじゃなくて、ちっこいだけだろ」
「器は大きいんスけどね」
ノーラは顔だけリットに向けてそう言うと、驚いたように何度も目をパチパチさせた。そして、指で目尻を擦るとリットの顔をよく見るように目を細めた。
「旦那ァ。なにもこんな時にイメチェンしなくてもいいじゃないっスか」
「オレはいつも変わらないだろ。大人扱いして欲しかったら――」
「そうじゃなくて――」
ノーラに指を差され、頭を触ってみると確かに髪が盛り上がっていた。リットはランプの火を消すと、火屋のガラスを鏡代わりにして覗き込んだ。
「なんだ……これ」
頭頂部の髪の根本が植物の蔦で結わえられている。解いて見てみると、近くにある木に巻かれた蔦と同じものだった。
「ずいぶん楽しそうなことしてくれるじゃねぇか」
「私がする理由なんてないじゃないっスか。第一私じゃ旦那の頭に手が届きませんって」
リットは「それもそうだ」と納得すると、再びランプに火を灯して辺りを注意深く見回した。
垂れ下がる葉に反して天空へ向かって伸びる枝を生やした木に、乱雑に生える長短様々な草。これが正しいのかは分からないが、歩いてきた景色と変わらない。
「あとは光に誘われて付いてきた迷い蛾が一匹か……」
おかしいなと腕を組み考えこんでいると、緑黄色に発光した迷い蛾が、リットの顔を目掛けてものすごい勢いで飛んできた。
「蛾ってことはないでしょう! せめて蝶とかなんかないの!」
突然飛んできたことにも驚いたが、喋り出す蛾にリットは口を開けて呆けていると「なんとか言いなさいよ」と頬に何かを投げられた。
痛みに思わずランプを落としてしまうと、地面に小石が転がっているのが照らされた。もう一つ目に映ったのは、ランプの光が離れると蛾が別の色に光っていることだ。緑黄色ではなく、淡く白い光。ようやく姿が見えてきた。
羽の生えた小さな人間が、羽を動かして宙に浮いていた。すぐに妖精だと言うことがわかったが、同時に道中の後ろ首に走る痛みの正体も分かったリットは、苛立たしさも湧き上がり始めた。
人差し指を伸ばして妖精の頬に触れると、そのままピッと弾くように押し飛ばした。妖精は悲鳴を上げて、木々の隙間を飛んでいく。
「妖精が姿を現すなんて珍しいっスねェ……」
リットと同様に口を開けて呆けていたノーラが、妖精が飛ばされた方角を見ながら言った。
「あんなもん蛾だ蛾。ったく……驚かせやがって」
リットは落としたランプを拾い上げる。火屋が割れていないか持ち上げて確認していると、遠くから勢いを付けて飛んできた妖精が、近づくに連れて白い光から緑黄色に変わるのが見えた。
「なーーーにすんのよ!」
リットの頬に当たったのは、今度は小石ではなく拳だった。
「そりゃ、こっちのセリフだ! なにしやがんだ!」
「私を蛾と呼んだことと、ぞんざいに扱ったことの罰よ」
「蛾と間違ったのはオマエのせいだ。オレが木に塗ってた液体を触っただろ」
「さわ……ったわよ! 悪い? これ見よがしに塗りたくってたら気になるじゃないのよ!」
「……だからだよ」
リットがランプを妖精に向けると、白く輝く光とは別に両手が緑黄色に発光していた。
「うわっ! 気持ち悪っ! なんてことしてくれるのよ!」
「うるさい羽虫だな。閉じ込めるぞ」
リットはランプの火を消すと、上部の穴を妖精に向けた。
「まぁまぁ旦那、落ち着いて落ち着いて」
舌戦を繰り広げる二人に、ノーラが止めに入る。
「なにコイツ。アンタの嫁? だとしたらとんだロリコンね」
妖精がそう言って嘲笑すると、リットが拳を握り親指を下に向ける。それを見た妖精も同じく拳を握り、中指を上げて応戦した。
「旦那ったらすぐ喧嘩を買うんだから……」
しばらくリットと妖精の舌戦は続いたが、言いたいこともあらかた言い合った為、ひとまず収まっていた。今はノーラを間に挟んで離れて座っている。
「私はドワーフのノーラっス。で、あそこで機嫌が悪そうにランプに付いた土を払ってるのが人間のリットっスよ」
「……チルカ・フリフェリー。見ての通り妖精。フェアリーよ」
「やっぱりそうなんスねェ。妖精とはあまり交流することがないんで、会えると嬉しいっスね」
「ふーん、アイツと違ってなかなか見る目があるじゃない。やっぱりダメね、人間は」
チルカの不機嫌な顔は和らいだが、上から目線の態度は変わらなかった。
「せっかくだし、一緒に御飯でも食べて仲良くしましょ。ね? 旦那」
「コイツに餌をやる必要なんてねぇだろ」
リットは親指を反らせてチルカを差すと、乱暴に水筒に入った水をあおった。
「旦那ァ……。目的忘れてはしませんか?」
妖精がこの森にいるということは、妖精の白ユリの話も真実味を帯びてきたということだ。
リットにとってもそれは嬉しい事なのだが、チルカとは見事なまでに反りが合わない。
しかし、エミリアの依頼を遂行させる為の数少ない糸口だ。リットは断腸の思いで歩み寄ることにした。
「仕方ない……。ほらよ」
リットはリュックから干し肉を取り出すと、チルカの目の前でヒラつかせた。チルカは受け取ると、鼻を摘んで顔をしかめた。
「妖精が肉なんて食べるわけないでしょ!」
チルカはリットの眼前まで飛んで行くと、腰に両手を当てて少し腰を突き出しながら頬をふくらませ、体全部を使って怒りを表現する。
「虫だって食うんだから、肉だって食うだろう」
リットが虫を追い払うように手で払うと、チルカはわざと光る羽をリットの目の前ではためかせて抗議をする。リットが眩しそうに目をつぶるのを見て満足そうに笑うと、再び頬をふくらませ始めた。
「虫も食べないわよ! 妖精の好物といったらハチミツとか花蜜に決まってるじゃない」
「あのなぁ……。そんなもん持って森に入ってくるわけないだろ」
「もういいわよ。自分で探すから」
チルカはリュックの隙間から顔を突っ込むと、中に入っているものを物色し始める。
手のひらサイズのチルカでは、頭を突っ込んだくらいではリュックの中を見渡せるはずもなく、右足と左足を交互にバタつかせながら、ヘビの口に飲み込まれるように、肩、腰、太ももと、体を滑り込ませていく。やがて目当ての物を見つけたのか、リズミカルに羽を動かしながら激しく空中を蹴りだした。
「足と羽しか見えないと虫に見えるっスねェ」
「話し掛けてこない分、蛾の方がマシだけどな」
リットとノーラの二人が様子を伺っていると、筒蓋を取ったような音が聞こえてきそうなくらい勢いで、チルカがリュックから飛び出てきた。その腕には、レンズ豆を大事そうに胸に抱えていた。
「まったく……。肉臭くて、油臭くて、最低の気分よ」
チルカは片手で乱れた髪をかきあげると、豆の重さにフラフラ飛びながら近くのキノコの上に腰掛けた。慣れた手付きで薄皮を剥くと、顔をレンズ豆に押し付けるようにして食べ始めた。
「ああいうのって夢っスよね。一度でいいから、顔ほどもある肉とか果物とか食べてみたいと思いません?」
「デカイのは態度だけで充分だ」
チルカの自分勝手な態度にすっかり機嫌が悪くなったリットは、葉にかぶれた腕を苛立たしそうにかきながら答えた。
チルカは頭を横に振ると、ため息を吐きながら片手で眉間に手をやる。
「さっきから愚痴愚痴と根暗な男ね。妖精に恨みでもあるの?」
「恨みは今出来たんだよ。寿命が長すぎてボケでも進んだか? よく見りゃ随分白髪も進んでんじゃねぇか」
「これは金髪っていうのよ。田舎者ね、妖精どころかエルフも見たことないの? 妖精もエルフも太陽神の加護を受けているから、髪の毛は太陽と同じ色の金に輝くのよ」
「へー、そうなのか。オレはてっきり、頭に栄養が行き渡ってないから色素が薄いんだと思ってたな」
リットとチルカの二人は、眉を持ち上げるようにして睨み合い、再び視線に火花を散らす。
「旦那ってばァ……。友好的にしないと、妖精の白ユリのことを教えてもらえないですってェ」
「なにそれ?」
チルカは『妖精の白ユリ』という単語を聞いてきょとんとしている。
「ほれみろ。豆を一粒無駄にしただけじゃねぇか」
「リットって根暗の上にケチなのね。こんな豆一粒じゃ、その無駄にでかい図体の足しにもならないでしょ」
口を開けば口喧嘩を始める二人に割りこむように、ノーラが続けた。
「光る花ってことしか分かってないんスけどね。それを探しに来たってわけっスよ」
「光る花かぁ……。光る花ねぇ……」チルカは下を向いて考え始めると「『サンライト・リリィ』のこと?」と聞きなれない名称を口にした。
チルカの口から新たな情報が出てきたことに、リットは思わず「サンライト・リリィ?」と聞き返した。チルカと出会ってから、初めて悪意のない返答だった。
「クスクス。知らないんだ」そう言いながら、チルカはリットの周りのを縦横無尽に飛び回り、リットが苛立ちに眉毛をピクピク動かすのを見ると、意地の悪い顔を近づけて「――知性が無いのね」と小馬鹿にして笑った。
「本当に癪に障る奴だな……。とか言って、実はオマエも知らないんじゃないのか?」
リットも負けじと意地の悪いシワを口角に刻んで笑うと、チルカは勝ち誇った笑みを浮かべる。
「光る花なら、この森にあるわよ」




