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ランプ売りの青年  作者: ふん
命の灯火編(上)

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第十四話

 稲妻混じりの雨――ではなく、歓声と拍手の音。

 リットはリル川に建つ見張り塔の上から、二日目の婚約周年祭を見下ろしていた。

 ちょうどヴィクターとクリゲイロ家が川沿いの通りを歩いているところだ。

 ヴィクターとハイヨは街人ひとりひとりと握手をしながら軽い談笑をし、グンヴァは不機嫌な顔でふんぞり返っている。シルヴァの周りには若い男が集まり、シルヴァを祭り上げるようにチヤホヤしている。その男の子達を、時折ヴィクターが睨みを利かせて牽制していた。バニュウは友人と思しき子供とその親と親しげに話をしている。

 目を凝らすのに疲れたリットは、一度かたく目を閉じると、ゆっくりと空を見上げた。

 雲一つない冬日和。青く濁る空には、斬り筋のような太陽の光線がくっきりと浮かんでいる。

「冬らしくねぇ空だな」

 思わずこぼれたリットの声に答えたのは見張り兵だ。

「この婚約周年祭中は、毎年良い天気ですよ」

「毎年か? 冬のこの時期に?」

「はい。王妃様方の祈りが通じているんでしょうね」

「なるほど。女の執念か」

「僕の言った意味以外のことで納得しないでください」

 この会話を聞かれたとしても、怒られるだけで済むのがディアナ国だが、不本意に評判を下げられたらたまったものじゃないと、見張り兵は慌てて訂正を求めた。

「聞かれたとしても、コイツだけだろ。まともに口を開いてるのを見たことがねぇよ」

 リットは見慣れた枕ではなく、枕を抱いて床で眠るスクィークスを足先で小突いた。

「あぁ! ダメです。ダメダメダメー! 王子ですよ!」

 見張り兵がリットからスクィークスを守るように立つが、スクィークスは枕に顔を埋め直すだけで起きることはなかった。

「王子だと思ってんなら、汚れた床で寝るのを止めてやれよ」

「スクィークス様はこれでいいんです。この日当たりの良い場所で、お昼寝をするのが好きなんですから」

「こいつネズミの獣人だろ。なんで猫みてぇな習性をもってんだよ」

「知りませんよ。でも、起こさないでくれって言われてるんです」

「母親のピースクにか?」

「いいえ、スクィークス様本人にですよ」

「こいつ寝言以外で喋るのか」

「喋りますよ。一日何ワードか喋ると疲れて寝ちゃいますけど」

「そりゃ、面白い」と、無理やりスクィークス起こそうとするリットを見張り兵が必死に止めていると、ちょこまかした足音が二つ。見張り塔の階段を上がってきた。

「こらー、スクーイちゃんをイジメちゃ、めっ! ですよ」

 真っ直ぐに切り揃ったおかっぱ頭を揺らしながら、ピースクはリットの顔に人差し指を向けようとするが、背が小さすぎるために届かずに胸を指している。

「そうだ、イジメはよくねぇ。オマエは死刑だ」

 リットが見張り兵に向かって首を掻っ切る仕草をすると、見張り兵は驚愕に目を見開いた。

「そんなー! それはないですよ!」

「だとよ。許してやったらどうだ? チビスケ」

 リットはピースクに振り返った瞬間に笑いを吹き出した。

 ピースクは隣りにいるノーラと同じ背丈をしており、並ぶと姉妹のように見えたからだ。

「こらー! なに笑ってるですか! 私はリットちゃんに言っているのですよ。それに、私はリットちゃんより、ずっとずーっと歳上なんです」

「ダメですよ。そういう反応は、旦那を楽しませるだけっスよ」とノーラに諭されているピースクの姿は、ノーラの妹にしか見えない。

「それで、なんの用だ?」

「なんの用って……。旦那が私に昼ごはんを買いに行かせたんでしょ」

 パンに焼き魚に骨付きもも肉。チーズ、ハチミツたっぷりのガレット、そして焼きリンゴ。

 ノーラは抱えている様々な食べ物を落とさないように気をつけながら、少しだけ揺らして見せた。

「昼飯を買って来いとは言ったが、食い物に囲まれてこいとは言ってねぇぞ」

 ノーラの体は三分の一が食べ物に隠れていた。

 リットはそこからパンをひねり取ると、冷たい床に腰をおろした。

「いやー、どこの街でもそうですけど、屋台ってのは不思議なもんです。まるで自分が巨人族になったように、食べ物を買っちゃうんスよねェ」

「人の金でか」

「旦那がお給金をくれれば、自分のお金で買うんスけどねェ」

「タダ飯タダ寝タダ糞させてやってんだろ。ランプの一つでも作りゃ、金をやるよ」

 そう言ってリットがパンにかじりつこうとしたところで、ピースクの人差し指がリットの目の前で揺れた。

「こら、リットちゃん。ちゃんとノーラちゃんにお礼を言わないとダメですよ」

 スクィークスの癖毛に隠れる小さな耳とは違い、髪飾りのようなピースクの大きなネズミ耳がピクピクと動いている。

 本人は怒っているつもりだが、小柄で童顔のピースクに叱られても、何の迫力もなかった。

「ままごとは勘弁してくれよ……」

「ままごとじゃなくて、私はママです。しっかりお礼を言えない子は、しっかりした大人になれませんよ」

「とっくの昔からなれてねぇよ。こっからなれるっていや、煙たがれるオッサンくらいなもんだ」

「ひねくれちゃいけません。リットちゃんはやればできる子だって私は信じています。さぁさぁ、ノーラちゃんにお礼を言うのです」

 ピースクはあからさまに作ったしかめ顔をリットに顔を近づけると、腰に手を当ててリットがノーラにお礼を言うのを待った。

 リットはため息を一つ挟むと、ノーラの顔を見た。

「ありがとよ、ノーラ。人の金で無駄遣いしてくれて」

「いえいえ、これからもしっかり無駄遣いしますってもんでさァ」

 ノーラはまんざらでもない笑顔で頷きながら言った。

「はい、よくできました」

 ピースクは短い腕を伸ばして、リットの頭を撫でる。

「本当にままごとじゃねぇか……」

 そう呟いたリットの声は、ピースクには届かなかった。

「さぁ、皆でご飯を食べますよー」ピースクは見張り兵も呼ぶと、今度はスクィークスの頭をなでた。「スクーイちゃんも起きてくださーい」

 スクィークスは返事の代わりにあくびをして体を起こしたが、目は線になったままで開いていない。そして、すぐにコクンと倒れるように抱いている枕に頭を預けた。

「もう、スクーイちゃん。起きないとめっ! ですよ」

「下の川に流しゃ起きるだろ。落とすんなら手伝うぞ」

「そんなことしちゃいけませーん! お兄ちゃんらしく優しく頭をなでて起こしてあげてください」

「……そんな変態的行為初めて聞いた」

「モントちゃんはそうやって起こしてますよ」

「それじゃ、そのモントを呼んで愛撫で起こしてもらえよ」

「エッチなことは言っちゃダメなんですー!」

 ピースクのぷりぷり怒る姿は子供そのものだった。

「でも、寝てばっかりで、婚約周年祭はどうするんスか? ソリに乗せて引っ張るって手もありますけど」

「毎年ちゃんと起きてるから大丈夫です。その代わり、体力を温存するためにこの時期はいつも以上に寝ちゃうんですよ」

「いくら風通しがいいとこで保存してるとはいえ。寝かしすぎるとカビが生えちゃいますよ」

 ノーラは見張り塔で寝るスクィークスを、冬風吹きさらしの中でよく寝られると不思議そうに見ていた。

「まぁ、起きててうるせぇ奴よりも、眠ったまま静かな奴のほうがいいな」

 リットはパンを半分ほど食べ終えると立ち上がった。そしてヴィクター達が通りすぎたの確認すると、出口に向かって歩き出す。

「あらら、旦那。まだいっぱい残ってますよ」

「オレはパンだけでいいって言っただろ。残りは責任持って食えよ」

「言ってみただけっス。もとよりそのつもりで買い込んできましたから」

 ノーラはもも肉にかぶりつくと、油でテカテカになった唇で笑みを作り、リットに手を振って見送った。



 リットがパンを持ったまま川沿い通りのベンチに腰掛けていると、ふいに軽く頭を叩かれた。

 振り返ると、チリチーが「やほー」と手を振っていた。

「おう、お姫様は終わりか?」

「そうだね。やっぱりヒラヒラは疲れちゃうよ。動きやすいと言ったらやっぱりこれだね」

 チリチーはズボンに包まれている自分の太ももを勢い良く叩いた。

「ちょうどいい時に来たな。このパン温めなおしてくれよ」

 リットは冷えて固くなったパンをチリチーに投げ渡した。

「私は焚き火じゃないんだけどなぁ……」

 チリチーは口を尖らせながらも、パンを手で包んだ。一瞬、肌火が強くなると、手を開いた時にはパンには焦げ目が付き、焼きたてのように湯気が立っていた。

「便利なもんだ」

 リットがパンを受けと手を伸ばすと、チリチーはパンを持っていた手を引っ込めて、反対の手を差し出した。

「気持ちはいかほどで?」

「金取んのかよ……」

「冗談冗談。一回目はサービスしとくよ」

 そう言ってチリチーはパンをリットに渡した。

「お姫様なら、民に施せよ」

「ドレスを着てない私は、正義の味方なのさ」

 チリチーはもったいぶった態度で舌を鳴らす。

「正義の味方は報酬を求めるのか?」

「正義は労働。労働と対価って大事だよ」

「しっかりしてるこって」

「それで、リットはお祭りを見て回らないの?」

 チリチーはリットの隣に腰掛けると、祭りを楽しむ人達を見て、自分も楽しそうに笑った。

「一日見て回りゃ、もう見るとこなんかねぇよ」

「一日見て回ったって、お酒飲んで寝てただけじゃん」

「なんだよ、つけてたのか」

「違うよ。昨日は私のお母さんとお父さんの婚約周年祭だもん。一緒に歩いてたらリット達を見つけたの。リットもグンヴァも、イビキをかいて地面で寝てるんだもん。あれは恥ずかしかったよ……」

 チリチーは両頬に手を付けると、長いため息を吐いた。

「裸踊りをしてたよりマシだろ」

「……そんなことするの?」

「中にはそんな奴もいるってこった」

「うーむ……酔っぱらいの行動は謎だねぇ」

「同感だな。酔っ払った次の日には結婚してることもあるし、父親になってることもある」

 リットは知り合いを思い浮かべて指折り数えていく。

「リットは赤ちゃんってどうなの?」

「赤ん坊ね……。一日中寝て、泣けば世話する奴を奴隷のように扱えるし、時々乳も吸える。――悪くねぇかもな」

「そういうことじゃないんだけど……」

 チリチーは呆れた半眼の眼差しをリットに向けた。

「自分の父親を思い浮かべろよ」

「リットも同じお父さんでしょ」

「あれ見て結婚とか子供とか考えられるか?」

 リットの言葉にチリチーは目を丸くすると、急にお腹を押さえて笑い出した。

「大丈夫、大丈夫。リットはお父さんほどモテそうにないもん」

「あのなぁ……。ガキじゃねぇんだから、好き同士じゃないと子供ができないなんて信じてるわけじゃねぇだろ。気付いたらあちこちに子供がいたなんてシャレになんねぇんだよ。オレの人生、働くだけで終わっちまう」

「まぁ、確かに。お父さんが王様にならなかったら、家族総出で寝ずに働いてるね。私は今の生活は幸せだけどね。お母さんがいっぱいいるなんて、なかなか体験できる人生じゃないよ」

「そっちは否定するつもりはねぇよ。オレには合わねぇけどな」

 堅苦しい生活のわけでもない。門限はあるものの好きに酒も飲めるし、好きに街を歩ける。好みの酒場も見つけたし、顔馴染みもできた。

 それでも、ここで暮らすというのは何か違う気がしていた。

「でも、リットの暮らしも楽しそうだよね。いろんなところに行ってるんでしょ?」

「好きで行ってるわけじゃねぇけどな。最近は家にいることのほうが少なくなった。今もこうしてディアナにいるしな」

「リットの住んでる町を治めてるのはリゼーネだっけ。イモが名産なんだよね」

「あれはリゼーネ王国の名産ってだけで、オレの住んでる町はそうでもねぇよ」

「なにが有名なの?」

 リットは自分の町を思い浮かべたが、これといったものは出てこなかった。

「そうだな……。煮玉子が経営する酒場と、お節介婆さん。あとは巨乳好きのナルシストか」

「それって……、ただリットの友達を並び立てただけじゃないの?」

「少なくとも最後のは違えよ」

「最後のと言うと……巨乳好きのナルシスト。――好みはこんな感じ?」

 チリチーが大きく息を吸い込むと、胸元から勢い良く炎が飛び出る。そして胸元の激しい炎が収まると、チリチーの胸は一回り大きくなっていた。

「詐欺師になれるな」

「シルヴァには羨ましがられるけど、元の体型以外を維持しようとすると疲れるんだよね」

 チリチーが息を吐くと、革袋の水筒にパンパンに溜めていた水を飲みきったように胸が小さくなった。わずかに伸びたシャツの皺が悲しく残る。

「オレは別に巨乳好きじゃねぇけどよ。なんだこのガッカリ感は……」

「まさか欲情されるとは……。妹なのに」

 リットの視線が胸元から動かないのを見て、チリチーは伸びたシャツを直した。

「そういんじゃなくてよ。酒だと思ってたもんが、ただ小便が詰められた瓶だった時みたいな感じだ」

「もうちょっと、気を使った例え出てこなかったの……」

「酔いつぶれて寝てたら急に背中が温かくなって、毛布を掛けられたと思ったらオッサンがもたれ掛かって寝てたとかか?」

「いや……うーん……でも、こっちのほうがマシなのかな?」

「選ばせてやるから。ゆっくり考えろよ」

「こんなの即答だよ。どっちも嫌」

「即答は困る。ゆっくり考えてもらわねぇと、体が温まらねぇだろ」

 リットはチリチーの体から放たれる熱で、ちゃっかり暖を取っていた。

 話には入ってこないものの、周りには人が集まりだしている。皆、チリチーの熱にあやかろうとしている人だった。

「まぁ、いいけどね……。暖房代わりでも。役に立ってるわけだし」

「さすが、リッチーは国民に愛されてるねぇ」

「……うるさいよ、リット」






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