第十三話
合図もなく祭りは始まった。
おねだりする子供の声。それを躱したり受け入れたりする親の声。物売りの声が響き、芝居小屋の客引きが声を張り上げる。恋人の口喧嘩や、家族の談笑。
喜怒哀楽が声になって響く、お祭り特有の浮き足だったような喧騒の中にリットはいた。
「いやー、うるせぇもんだな」
リットは買ったばかりのアップルパイを食べながら、屋台に肘をついて、走り抜けていく子供を見送った。
「うるさいって……。もっと言うことはないのかい? 甘いとか、サクサクしてるとか、美味しいとか。普段は絶対にこんな値段じゃ食べられないもんだよ」
屋台の店主がため息をつきながら、アップルパイを切り分けている。
「美味いし、甘いし、サクサクしてるな」
「今全部自分が言ったことじゃないか」
「そう思ってんだからいいだろ。それともその言葉を使う度に、金でも払えってのか?」
「営業妨害さえしなけりゃ、払わなくていいよ」
言いながら店主は、客にアップルパイを渡した。
その客達は屋台の横に立って肘を付いているリットを見て、店の手伝いをするわけでもなく、買い物に並ぶ客でもないこの男は何者だろうと言う疑問の視線を送っていた。
「仕込みの客だと思えよ。よくあるだろ」
「そのつもりなら、声に出した時点でお終いだよ」
「酒でも出せば、存分に金を使ってやるよ」
リットは最後の一口を放り込むと、口元に付いたパイ屑を指で拭った。
「うちはお菓子だけで酒は出さないよ。酒場に行ったらどうだい? 今日は朝からやってるはずだよ」
店主はリットと話しながらも、しっかりと他の客に対応している。ここのアップルパイは人気らしく、客足が止むことない。
「夕方までは、爽やかに酒を飲む客以外は入店禁止って追い出されたんだよ」
「川沿いの屋台は見てきたのかい? ワインの試飲会をやってるはずだよ」
「ワインねぇ……。まぁ、タダ酒を断るわけにはいかねぇか」
「そうだろう。ほら、行った行った」
店主は手切れ金のようにアップルパイをリットに無料で渡すと、背中を押してリットの重い足を歩かせた。
面倒くさそうに一歩二歩と踏み出したリットだが、人波に流されると自分の意志とは関係なしに足が進んだ。
肩と肩が触れ合うようにひしめく人の塊に体を温められ、冷たい川風が顔を通り抜けていく。まるでのぼせたような気分でしばらく人波に紛れていると、他よりも一際威勢のいい声が聞こえてきた。
「アウトローワインだ! 飲んで損はないぜー!」
そう声を張り上げているのは、若いワニの亜人の男だ。その横では、トカゲの亜人の女がコップに入ったワインを客に渡していた。二人共、新種の羊かと思うほど厚着をしている。
「ワインの試飲ってのはここでいいのか?」
「そうだ。今日は大盤振る舞いだ。好きなだけ飲んでいけよ」
「なら、遠慮無く貰うか」
リットは手を伸ばすが、酒が渡されることはなかった。顔を上げると、ワニの男が首を横に振っているのが見えた。
「アウトローワインだ」
「聞いたよ。だから、それをくれって言ってんだろ」
「それ、じゃなくて、アウトローワインって言うんだよ」
「まさか……。その恥ずかしくて脳天をくすぐられるような名前を口に出せって言うつもりか?」
「この国一番のカッケー名前のワインだぜ? 呼べねぇ奴にはやれねぇな」
ワニの男は長くて大きな口を、リットを飲み込みそうなほど開き笑う。
「いいから、そのアウトローワインを早く寄越せよ。権力の犬ワインに名前を変えて叫ぶぞ」
「しゃーねぇな。次からはもっと大きな声で頼むぜ。じゃないと聞こえないからな」
この一帯からは、喧騒に負けないように「アウトローワインおかわり!」という大きな声がひっきりなしに響いていた。
「ほら、たんと飲みな」トカゲの女から渡されたのは、琥珀のような色をした白ワイン。「これは圧搾機を使わずに、白ぶどうの自然の重みを利用して――」
「あー、そういうのはいい。胃に流しこみゃ、同じワインだ」
そう言ってリットは甘ったるいワインに口をつけた。
甘いだけではなくアルコール度数も高く、一杯目を飲み終えると、リットも他の客同様に「アウトローワインおかわり」と、恥ずかしげもなく言うようになっていた。
それから二、三杯ワインを飲み、川風が気持ちよく感じる頃になると、ここと向かいではずいぶん客層が違うことに気が付いた。
こっちにはいかにも酒飲みといったガラの悪い客が集まっているが、向かいでは品の良い爽やかな客が集まっている。
同じ立ち飲みでも、向こうは紅茶で談笑。こっちは酒で下品なジョークだ。
「よくまぁ、近くで店を開く気になったな。どう見てもこっちは底辺だ。この店に合うのは、川沿いじゃなくて橋下だろ」
リットは向かいで一人で切り盛りする女の子を見ながら言った。
「アタイだってそう思ってるよ。でも、アニキがねぇ……」
トカゲの女はワニの男ではなく、リットと一緒に向かいの店を見ながら答えた。
その視線の先には、締まりなく緩んだ顔を晒し、リズミカルに蹄の音を立てながら向かってくるグンヴァの姿があった。
「アニキってのはアイツのことか?」
「そうだよ。グンヴァは、アタイ達『ブラック・エンペラー』のリーダーだからね。どうしても、ここに店を開くって聞かないのさ」
「そりゃまた、腹筋を鍛えるのにはちょうどいい名前だな」
浮き足立っていたグンヴァだが、リットの姿を見ると硬直した。緩んでいた顔も、一瞬にしてしかめっ面になる。
「なんでリットのアニキが!」
「追い出されて追い出されて、たどり着いたのがここなんだよ」
「アウトローの鑑だねぇ」
ワニの男がたまらないといった風に低く喉を唸らせる。
「タダ酒を飲めるところがあるなら前もって教えておけよ。この――ブラック・エンペラーのリーダーなんだろ?」
リットは酒臭い息をグンヴァの顔に吹き掛けるように喋った。
「そうやってからかわれるから言わなかったんだよ……。バレたもんは仕方がねぇ……紹介するぜ。ワニの男がアリゲイル・パニックで、トカゲの女がテイラー・リッパーだ。この店はアリゲイルの家の手伝いみてぇなもんだ。祭りが終わっても贔屓にしてやってくれ」
リットが「よろしく」と言ってくる二人に「あぁ」と短く返したところで、急にグンヴァに肩を抱かれ、顔を寄せられた。
「アリゲイルとテイラーに余計なこと言わなかっただろうな」
グンヴァは小声でリットに確認する。
「なんだよ。余計なことって」
「カロチーヌのことだよ」
「知らねぇよ。そんな奴」
「向かいの店を開いてるカロチーヌのことだよ。リッチーに――」
そこまで言って、グンヴァは余計なことを言ったと顔を曇らせた。
言葉を途中で止めたものの、リットが思い出すには充分なところまで話してしまった。
「あぁ、オマエが好きな女か。それで、そんな似合わねぇもんを持ってるのか」
グンヴァの手には、ニンジンのハチミツ煮が入った瓶があった。
「なんで、俺様のやることなすこと、裏目にでんだよ……」
「本当にいいのか? あれで。頭に葉っぱが生えるほど髪を洗わねぇ女だぞ」
リットは遠巻きに女を観察した。
最初は緑のリボンに見えていたが、よく見ると葉っぱだった。そうなると、オレンジの髪に付いている小さなニンジンの髪飾りも本物だろう。
歳はリットより少し上くらいだが、グンヴァと比べると一回りくらい歳が違う。
「洗わねぇわけねぇだろ! カロチーヌはアルラウネだ。むしろ水浴びは好きなんだよ!」
「リーダー、詳しいね」
声を荒げてしまったことにより、テイラーにも聞こえてしまっていた。グンヴァは肩を落とすが、テイラーの軽い反応を見ると、既に知られていたのだろう。
「俺様の口はすぐ余計なことを口走る……。心と一緒でアウトローな奴だぜ……」
「なんだよ。ジョークを言う余裕はあるんじゃねぇか」
「でも実際イイ女だよ。あの歳で結婚してないのが不思議なくらいさ」
テイラーの話によると、カロチーヌは家の畑を手伝い、こうしたイベントにも率先して出るタイプであり、働き者で器量もいいので、周囲からの評価はすこぶる高い。よく縁談の話がくるが全て断っているらしい。
「イイ女過ぎるから、かえって手を出しにくいんだろ。わかるぜ……俺様にはその気持ち」
「アホか。イイ女ってのは、手を出されるからイイ女なんだよ。遠くから称賛されるだけの女はタダの美人だ。絵画や彫刻となんら変わりやしねぇよ。周りがイイ女って呼ぶってのはそういうこった。」
「やめろ! やめてくれ! カロチーヌが俺様以外の男とそんなことをするなんて想像したくねぇ!」
グンヴァは手に持った瓶が割れそうなほど、強く握りしめて叫んだ。
「アンタ、グンヴァをからかってるね?」
「奥手な奴は、勝手にドツボにハマるからおもしろい。ちょうどいい酒の肴ができた」
リットがグンヴァをからかっていると、甲高い笛の音色が遠くでかすかに響きだした。
それに、ドラムの音、弦楽器の音、別の笛の音、様々な楽器の音が徐々に重なり近づいてくる。
隣りの通りからガラスを叩くような打楽器の音が聞こえたかと思うと、リットの近くにいた酔っぱらいが突然奇声を上げてテーブルの上に立ち上がり、足を小躍りさせて陽気に笛を吹き始めた。
周りは待ってましたとばかりに、その男に拍手を送る。
そうして、通りの先へ先へと音が続き響いていった。
「なんだ? 発作か?」
「違うよ。広場で音楽会が始まったのさ。いつからかは忘れたけど、広場の音楽に合わせてあちこちで楽器を演奏する人達が出てきて、街中に音楽が広がるようになったんだよ。場所によって楽器が違うから、どこを歩いても新鮮な音楽が楽しめるよ」
テイラーは長く細い舌を突き出すように伸ばすと、口笛を吹くように息を吹き出した。
民族楽器のような耳をくすぐるような振動した音が、音楽に合わせて音階を奏でる。
「陽気な奴らが集まってんだな」
「ヴィクター王とメラニー様達も、どこかでこの音楽を聞いてるんだ。そう思うと楽しくならないかい?」
「魚が腹踊りするほうがよっぽど面白ぇよ」
リットがコップの中の酒を飲み干すと、うなだれていたグンヴァがリットの肩を掴んで立ち上がった。
「あーもー! めんどくせえ! こうなりゃ酒だ! 酒を飲んで全部忘れてやる!」
「ここは酒場じゃなくて、試飲会場だろ」
「酔いつぶれるまでが試飲だぜ!」
グンヴァはリットの空のコップにワインを注ぐと、勢い良くコップを合わせて酒を煽り始めた。
リットが目を覚ますと既に夕方になっていたが、まだ街で音楽は鳴り響いていた。
「起きたかい?」
テイラーも今起きたばかりらしく、トカゲ口を大きく開けてあくびをしていた。
「毎回毎回、酔い潰れて目を覚ました瞬間は、ダメな生活をしてるのが身に染みるな」
リットが冷たい地面からゆっくり体を起こして立ち上がると、マントがはらりと落ちた。
「寝ている間にヴィクター王が来て、アンタに掛けていったんだよ」
「どうりで半身が冷たくて、半身が温かいわけだ」あくびで涙が溜まったリットの視界には、太陽の光の代わりに灯る街灯の火が滲んでいた。「こんなこと続けてたら、間違いなく死ぬな」
リットは冷たくなった鼻をすすりながら、テーブルに肘をついた。
「あの……温かい紅茶でもどうですか」
そう言ったのはカロチーヌだ。心配そうな顔で、リットや地面で寝る酔っぱらいを見ている。
「商魂たくましいな」
「いえ、違います。体が冷えたままだと風邪を引いちゃいますよ」
カロチーヌは起きてる人達に紅茶を振る舞うと、自分の屋台へと戻っていった。
「酒飲みを注意するわけでもなく、寝てる酔っぱらいを無理に起こすこともない。なるほど……イイ女だ」
「そうだろう。女のアタイから見てもイイ女だからね」
「そうなると、グンヴァにはますます手に負えねぇな」
「グンヴァもイイ男だよ。こうやってはみ出し者をまとめ上げて、楽しませてくれるからね。ここは誰でも住みやすい国だよ」
「自覚してるはみ出し者ってのはタチが悪いな」
リットはニンジンの味がする紅茶を飲んで、温かい息を吐く。
「はみ出し者って言ったって、別に盗みや殺しをするわけじゃないよ。人と違うことが楽しいっていうのは、なかなかに生きづらいものさ」
「まぁ、そうかもな。酒を飲まない奴ばかりのところに放り投げられたら、オレは頭を掻きむしって発狂する自信がある」
「……それはただの病気じゃないのかい?」
「病気の一つもしてこその人生だ」
リットの言葉は、グンヴァの呻き声と重なった。
「うぅ……さみいぜ」
身震いしながら起きてきたグンヴァは、冷たくなった頬をさすりながら白い息を吐き出した。グンヴァの背中には、ヴィクターの上着が掛かっていた。
「馬なのに寒がるなよ」
「馬だからさみぃんだよ……。犬猫の毛皮と一緒にすんな。――ん? なんだそれ?」
リットに似付かわしくないティーカップを見て、グンヴァは眉をひそめた。
「さっき、カロチーヌに貰ったんだよ」
「なに! それを俺様に寄越せ!」
グンヴァはリットの返事を聞くことなくティーカップを取り上げると、一気に飲み干した。
「別に飲むのはかまわねぇけどよ。カロチーヌに淹れてもらったお茶を飲むよりも、オレと間接キスした割合のほうが大きくねぇか?」
リットの言葉を聞いた途端、グンヴァの口からは全ての水分が流れでたと思うほど、紅茶やよだれが混ざったものが垂れ落ちて地面に絵を描いた。
「酒の飲み過ぎだ」
「そういう意味で吐いたわけじゃねぇよ! ……リットのアニキって疫病神なんじゃねぇだろうか。どうもリットのアニキが来てから、俺様の周りには不幸が連なってる気が……」
「王様を通り越して神とは、オレも出世したもんだ」
「その言葉を聞いたら、マックスのアニキは怒り狂うだろうな……」
二人の様子を見ていたテイラーは「仲良いねぇ、アンタら」と笑った。




