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ランプ売りの青年  作者: ふん
命の灯火編(上)

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第四話

 急かすような冬の夕暮れ。

 家族団欒に仕事のストレスを持ち込まないために、外で一杯ひっかけてから帰る。

 嫌な一日だったと思って帰るより、良い一日だったと思って家に帰るほうがいいからだ。寒風に体を冷やしてしまうと、知らず知らずに気分も落ち込んでしまう。だから酒で体を温めて帰る。

 そんな建前を目の前にぶら下げながら、酒場に向かう者が多い。

 ランプの火に誘われる羽虫のように、窓から明かりが漏れるアールコール亭にもぽつぽつと客が入り始めていた。

 まだ空いてる席のほうが多いが、アールコール亭は外まで騒がしい音を響かせている。

「帰ってきたんなら、挨拶くらいしろよな」

 リットの幼馴染である『バド・ウォチング』が、カウンターに短い髪の影を落とし、無精髭を手のひらでなぞりながら少しふてくされたように口をとがらせた。

「どうせすぐ出ていく予定だからな。いちいち挨拶回りになんか行かねぇよ」

「なんだ、そうなのか。てっきりランプ屋じゃやっていけないから、この店を継ぐ為に戻ってきたのかと思ったぜ」

「気ままな――暮らしを楽しんでるってのに、いまさら親と暮らせってか?」

 リットは最初「ひとり暮らし」と言いかけたが、思えばひとり暮らしを楽しんだのは最初の二、三年であり、ノーラと暮らしている期間のほうが長かった。それに加えて今はチルカもいる。突っ込まれるのも説明するのも面倒臭いので、「こき使われるのが目に見えてる。そっちもそうだろ?」と話題を変えた。

 するとバドは顔をしかめて「いまだにこれもんよ」と、リットに見せ付けるように汚れたシャツを引っ張った。

 バドの家は小さな牧場を営んでおり、土汚れたシャツは家畜の世話でついたものだ。いまだに雑用を押し付けられていることを表していた。

「だろうな。特にバドの親父さんは元気だったもんな」

「そうでもないぜ。最近は腰が痛い痛いって、休憩を挟まなきゃやってらんねぇってよ。おかげで疲れる雑用は全部オレだ」

「オレがこの村を出てから、七、八年は経ってる。ほぼ十年だ。そりゃ、体も悪くなるってもんだな。オレらが子供の時、家畜小屋に石をぶつけて壁に穴を開けた時はすげぇ怒られたな……。もうその元気はねぇか」

「まぁ……飯食って、酒飲んで、糞するくらいには元気だ。ここにも時々飲みに来てるぜ」

「酒を飲み歩く元気があるならなによりだな」

「そっちはまだ心配いらねぇな。なんたって、ルーチェさんは若いもんな」

 バドは腕を組むと、たまらないと唸るように言った。

「人のおふくろを名前で呼ぶなよ」

「皆名前で呼んでるぜ。こっちの心配はありありだな。狙ってる男は数知れずってな」

 バドは棚に飾られている家族三人の小さな肖像画に向かって、腕を伸ばし人差し指を突きつけた。

「若いたってもう四十だ。この絵の時と違ってシワだってできてる」

 リットは肖像画を伏せると、棚から酒瓶を取り出した。

「どうせ狙ってるのはシワだらけのおっさん達だ。シワとシワを合わせて――」

「アホなこと言ってんなよ。別に再婚しようが構わねぇが、この村に住んでる限り、未練ありありだから無理だろ」

 リットはコップに並々酒を注ぐと、バドの目の前に乱暴に置く。コップの縁からこぼれた酒は、カウンターに水溜りを作った。

 バドは嬉しそうにコップの縁に唇をつけると、下品に音を立てて酒をすすった。

「持つべき友は、酒場の息子と食い物屋の息子に限るね」

「別にタダってわけじゃねぇよ。ダチ特典は小指の爪の高さ分だけだ」

 リットは自分のコップにも酒を注ぐ。

 バドがコップを掲げたのに気付くと、リットはそれにコップを合わせ、二人当時に酒を飲む。

 先に一息ついたバドがおもむろに口を開いた。

「そういえば……リットの父ちゃん具合が悪いらしいな」

「……そうらしいな。噂で聞いた」

「相変わらず、興味なしか?」

「オレに言わせれば、なんで興味を持たせようとするかが不思議だ」

「そりゃ、皆が興味を持つ話題だからだろ。普通自慢するぜ?」

「普通は戸惑うんだよ。脳みそが空じゃなけりゃな」

 リットはあおるように酒を飲み干した。

「こっちの空のコップに酒を注いでくれりゃ、話題を変えてやってもいいぜ」

 バドは催促するように、空になったコップの縁を人差し指の腹で叩いた。

 リットは短くため息をつくと、バドのコップに酒を注いでやった。

「変わらねぇ故郷に涙が出そうだ」

「これでも、リットのいない間に色々変わったんだぜ。ディランも別の町で商売を始めたし、ベンはこの間雪に足を滑らせて足の骨を折っちまっただろ――」

 バドが友人の近況を話し始めると、リットは懐かしい友人の顔を浮かべながら相槌を打った。

「――それにニッカーは失踪中だ」

「なんでまた失踪なんかしたんだ?」

「妹のニヘラが結婚したせいだ」

「シスコンだったもんな……」

「あと村長の娘も結婚したぜ。付き合ってた男とそのままな」

「……なんでいまさら『ドラセナ』の話なんだよ」

「なんでって、そこにいるから」

 バドは席を三つ開けて座っている女に向かって顎をしゃくると、そのままカウンターに突っ伏してしまった。

 女はカウンターに肩肘をついて、クルミ色のふんわりとした巻き毛の隙間から、睨むような瞳をリットに向けていた。

「……ずっと待ってた。注文を聞かれるのを」

 そう言った低い声色からも不機嫌なのがわかる。

「ここじゃ、注文は聞くもんじゃなくて言うもんだ。昔に言っただろ、ドラセナ」

「そういう気を使わないところ、ほんっと変わらないわね」ドラセナは語気を強めると、バドの隣の席に移動してきた。「てっきり昔の恋人の顔なんて忘れたのかと思ったわよ」

「忘れるようなことじゃねぇだろ」

「私の初めてを奪ったから?」

「恩着せがましく言うなよ。オレも初めてを奪われたんだからな」

「同じ初めてでも、男のほうが得してるじゃない」

「まぁな、男に生まれてよかったと改めて思ったもんだ」

 リットはハーブ酒とカリンの果実酒を混ぜたものをコップに注ぐと、ドラセナの前に置いた。今でもドラセナの好きな酒を覚えてることが、自分でも意外だった。

「まったくだ。生まれ変わっても男でいたい」

 バドはすっかり酒臭くなった息を吐きながら顔上げた。まぶたが溶けたように、まどろみの表情を浮かべている。

「バドも相変わらずね……。お酒が好きなのに弱いんだから。変わらないのはあなた達二人くらいよ」

 ドラセナはため息と笑いが混じったような吐息をこぼすと、リットとバドの顔を一回ずつ確かめるように見て笑顔を浮かべた。

「他は変わったらしいな。バドから聞いたよ」

「私も結婚したのよ」

「それも聞いた。付き合ってた男と結婚したってことは、隣町の町長の息子だろ? なんで、まだこの村にいんだ?」

「そう、隣町の町長の息子よ。次男だから、こっちの村に引っ越して来たの」

「そういえば、一人娘だもんな」

 バドやドラセナと話していると、抜け落ちた思い出が埋まっていく。

 なんとも奇妙な感情が、リットの背中に込み上げてきていた。気持ち悪いわけではなく、むず痒い感覚だ。

 ドラセナは隣のバドが再び突っ伏したのを確認すると、カウンターを指でノックするように叩き、リットにこっちを見るように合図を送った。

「ねぇ、私と別れたこと後悔してる?」

「してる……。って言わないと怒るんだろ」

「そうね。そう言ってくれたほうが、昔の恋人っぽい雰囲気に浸って話せるわね。もう遅いけど」

「全部が恋愛感情で埋まってたわけじゃないからな。世間一般の元恋人の雰囲気にはなれねぇだろ」

「私はリットとは違うわよ。親が、ある程度の身分より上じゃないとダメって言うから」

「まぁ、オレは条件にピッタリだったな」

 リットが何杯目かわからない酒を自分のコップに注ごうとしたところで、ノーラ達が帰ってきた。

「いやァ……。寒いっスねェ」

 ノーラは床に寝転がる酔っぱらいを跨ぎながら店の中に入ってくる。

「ごめんね。ついつい連れ回しちゃって。リットがなかなか子供を作らないもんだから」

 ルーチェがノーラの頭に積もった雪を払いながら言う。

「お婆ちゃんになるのは、まだ先がいいんじゃなかったのか?」

「女心と親心は変わりやすいもんなんだよ。二つも揃ってる私はコロコロ変わるってもんさ。それより、アンタ。店番は?」

「してるだろ」

 リットは店全体を指すように両手を広げた。

 リットが適当に酒を出したせいで、客は床やテーブルで飲みつぶれている。女一人で切り盛りするアットホームな酒場が、すっかりリット好みのだらしない酒場に変わってしまっていた。

「まったく……。頼むんじゃなかったよ」

 ルーチェは呆れてため息をつくと、口うるさい奥さんを持つ客から順番に起こし始めた。

「酒飲んで稼げるんなら、ここを継いでも良かったかもな」

「自分で飲んでちゃ稼げるわけないだろう。私が死ぬまでに、しっかり飲んだ分を孝行するんだよ。ドラセナも、いまさらこんな男とヨリを戻そうと思うより、今の旦那の元に早く帰ってあげな。男なんていついなくなるかわかんないよ」

「それはないわ、おばさま。私、今幸せだもの」

 ドラセナは本当に幸せそうな笑みを浮かべた。

「……当て付けか?」

「そう感じるなら。リットは今の生活に満足してないのかもね」

 ドラセナは「どうなの?」といった具合に首を傾げた。

「滿足してないのは私よ。このバカのせいで、優雅な生活なんてできやしないわ」

「私は満足してますよ。変なスープを作るのはやめてほしいっスけど」

 いつの間にかカウンターの前に、ノーラとチルカが腰を下ろしていた。

「誰?」

 ドラセナは初めて合うノーラとチルカを見て、驚きに顔を歪めた。

「バカと大バカだ」

「ってことは三バカ?」

 ドラセナはノーラとチルカを見た後、最後にリットを見た。

「なによ、この失礼な女。アンタのコレ?」

 チルカは顔をしかめると、下品な仕草で小指を立てた。

「鼻糞でもほじるのか? 深追いして鼻血を出すなよ」

「鼻血を出したのはアンタでしょ。お酒を飲み始めた頃、見栄張って強いお酒を飲んで鼻血が止まらなくなったらしいじゃない」

 チルカはリットの顔を覗き込むように近くまで飛ぶと、まるで彫り込んだような嫌味な笑みを浮かべた。

「そうねぇ。たしか……あの時、リットは半泣きになってたわね」ルーチェはからかいの笑みをリットに向ける。「そのせいで、勝手にお酒を持ち出したのがバレて怒られたのよね」

「僕はお酒を飲むような歳になってから、ママに怒られて泣いたのぉ?」

 チルカは幼児に話しかけるように、わざとらしい温かな声色でゆっくりと言った。

「鼻血が止まらなくて涙が出てきたんだよ。怒られて泣いたのはオレの財布だ」

「まぁまぁ、旦那ァ。大人になっても怒られて泣くことはありますって」

 ノーラも笑いながらあやすように言った。

 女性陣がひとしきり笑った後、急にドラセナの声色が変わった。

「――それで、リット。どっちと結婚して、どっちを生ませたの? どっちにしても、私と結婚しなかった理由がわかるわ」

 ドラセナの瞳は軽蔑の色に染まっていた。

「わかるなよ……。こんなのと結婚する奴と思われたら、本気で落ち込むだろ」

「アンタと結婚する気なんて、カエルが利口になるくらいありえないけど、その言い方はカチンとくるわね」

「なら、頭を割って中身を冷やせよ。リスの玉サイズの脳みそも、凍れば少しはまともになるだろ」

「酒臭い息と下品な言葉しか出せない口を閉じなさいよ。池に小石を投げられて、口をパクつかせてる鯉よりマヌケよ」

 リットとチルカの口喧嘩は、ドラセナが帰ったことに気付かないほどヒートアップしていった。

 口喧嘩が終わったのは、バドが寝起きに伸ばした腕がチルカの顔面を叩いた時だった。




 夜になり、酔っぱらいの鼻歌もイビキもなくなったアールコール亭は静かだった。

 ノーラとチルカは奥の部屋で既に寝ている。

 酒場では、リットとルーチェが後片付けをしているところだ。

「アンタはここで寝なさいよ。暖炉は一晩中つけておいてあげるから。それでも寒かったらお酒を飲んでもいいからね。でも、飲み過ぎないこと。それと、とにかく風邪をひかないようにね。毛布くらいは持ってきてあげるから」

 ルーチェはテーブルを拭きながら言った。

「なぁ、おふくろ」

「文句は聞かないよ。ノーラちゃんとチルカちゃんの分でベッドが足りないんだ。椅子で我慢しな」

「そうじゃなくてだな……。あの……なんだ……。なんて呼べばいいか……」

 リットが口ごもると、ルーチェはすぐに何を言いたいのか理解した。

「『ヴィクター・ウィンネルス』。アンタの父親のことかい?」

「そうだ」と、リットはきまり悪く人差し指を振る。「そのウィンネルスが、具合悪いって知ってるか?」

「アンタねぇ……。お父さんって呼べなんて言わないけど、せめて名前で呼んであげるっていうのが礼儀だよ」

「ヴィクターね……。ヴィクターが――」

「知ってるよ。この間ここに来て、元気にお酒を飲んで帰っていったよ」

 リットが同じセリフを言う前に、ルーチェは答えた。

「それじゃ、そう長くないってのは?」

「知ってるよ。でも、元気だった」

 ルーチェは声色を変えずに答える。

「……それならいい」

 リットの声色は、色々な感情が混ざった複雑なものだった。

「それで、リット。いつまで家にいるんだい?」

「二、三日と言いたいところだけど、明日には出る。早く行くって約束しちまったしな……。帰りにはまた寄るつもりだ」

「お城の人に迷惑かけるんじゃないよ」

「……かけたから、城に行くんだ」

「アンタは本当にいくつになっても……」ルーチェは棚から木箱に入った高級な酒を取り出すと、リットに突き付けるように渡した。「これを渡して、ちゃんと謝るんだよ」

「ガキの使いか。いらねぇよ。どうせ、すぐに解放されんだから」

「そういう問題じゃないんだよ。手ぶらだと失礼だと思われるじゃないか」

 リットは諦めて酒を受け取ると、そのままカウンターに置いた。

「わかったよ」

「それじゃあ、私も寝るけど……。それ、自分で飲むんじゃないよ」

 ルーチェはリットに釘を刺すと、疲れたあくびをしながら奥の部屋へと歩いて行った。

 リットはその背中を見守ると、下唇を付き出して、前髪を揺らすように上に息を吐いた。

 そして、これから起こる面倒事を思いながら、カウンターに肘をついた。






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