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ランプ売りの青年  作者: ふん
命の灯火編(上)

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第三話

 積もった雪を踏み固めるように、馬はゆっくり歩く。時折、自然に固まった雪の小丘に、車輪が跳ねて大きく揺れた。

 リット達は、もう何日も馬車に揺られていた。

 降りしきる雪のせいで目の前がわずかに見えるだけ。横を見ても、雪が枯れ木に積もった風景が続くだけで、どのくらいの距離を馬車で移動しているか見当がつかなかった。

 着の身着のまま連行されたわけではなく、馬車の中には支度を終えた三人のリュックがある。

 しかし、手は縄で縛られていた。飛んで逃げられないように、チルカだけは紐で繋がれている。

 このよくわからない待遇に、ノーラは不安に縫い付けられたように口を閉ざし、リットも馬車の中から黙って遠くを見つめることが多くなっていた。

 変わらないのはチルカの態度だ。馬車に乗った時から今まで、リットの顔周りを飛び回り、罵詈雑言を浴びせ続けている。

「全部アンタのせいよ。わかってんの? 羽化途中で死んだセミみたいに遠くばかり見てないで、なにか言いなさいよ。私に謝罪するとか、神様に命乞いとか、兵士を説得するとかあるでしょ。私一人で喋ってバカみたいじゃないのよ。せめて暇つぶしに、ブサイクな顔をこっちに見せなさいっての」

「……バカと自覚しただけ一歩前進だな。もう一歩前進したけりゃ、口に雪を詰めて、腹でも下して暇をつぶせ」

「アンタ、やっと喋ったと思ったらそれ? 悪事を反省して黙ってたわけじゃないの?」

「うるせぇな……。人が物思いにふけってるのを邪魔すんじゃねぇよ」

 リットはチルカをひと睨みすると、再び外の景色へと目を向けた。

 リットの住んでいる町はリゼーネ王国に治められているが、国境寄りに位置しているため、隣国であるディアナ国が治める土地の方が近くにある。

 ディアナ国はここ三十年ほどで大きく成長し、今では不況知らずと呼ばれるほど豊かな国だ。

 チルカは初めてリゼーネの外に出たのだが、人間の統治とは関係のない森の中で暮らしていたので、そんなことはどうでもいいことだった。苛立たしげに飛び回り、壁を叩いたりしている。

「じっとしてらんねぇのか! ハエだって冬は静かにしてんぞ!」

 たまらずリットは物思いにふけるのを止めて大声を上げた。

「太陽も出なくてイラついてんのよ。だいたい処刑されるのを黙って待ってろって言うの?」

「処刑なんかされねぇよ。誰もんなこと一言も言ってねぇだろ」

「言っ――てないわね……」

 リットの言うとおり、兵士は『処刑』ではなく、『身を拘束して移送する』と言った。処刑とは、チルカが勝手に思い込んでいただけだ。

「早とちりもいいところだな。勝手に思い込んで、何日も騒いでたんだからよ。頭の悪い犬だって、数時間も自分の尻尾を追い回してたら飽きるぞ」

「わかってたんなら、早く言いなさいよ! 今まで黙ってた理由がわかんないわ!」

「寿命は縮まったか?」

「何日モヤモヤした時間を過ごしたと思ってるのよ! 縮まるに決まってるじゃない!」

「それが理由だ」

「アンタ本当にバカじゃないの? 信じられないくらいバカよ! カエルが思い込みで空を飛ぶくらいのバカだわ」

 チルカはリットの髪を束で掴み、怒りに任せて強く引っ張った。

「おい! ハゲたらどうすんだよ!」

「馬の尻尾の毛でも切って、頭に貼り付ければぁ? アンタのハゲは誤魔化せても、私の縮まった寿命は誤魔化せないのよ」

「ゴマ見てぇな小せぇ心臓してるくせに、無駄に長い寿命があるんだからいいだろ」

「よくそんなくだらないシャレが今言えるわね。私の寿命はたった一分でも、アンタの一生よりずっと価値があるのよ!」

 チルカは物凄い剣幕でリットに言い寄るが、リットは盛大に笑い飛ばした。

「なに笑ってんのよ!」

「ジョークじゃねぇのか? 今の最高に面白かったぞ」

「ちょっと! そこの名前も知りたくない兵士! その腰にぶら下げてるものが飾りじゃないなら、殺風景な雪景色に、血の花を咲かせなさいよ!」

 チルカは無言でリット達を見守っていた兵士に怒鳴り散らした。

「あの……困ります。そんなことできません」

 兵士はリットを一瞬見て、チルカに申し訳なさそうに答えた。

「なに、この腐れ男の肩を持つの? 嫌ね、人間ってすぐ徒党を組むんだから。自分と同じような形のものしか受け入れない。そのくせに、力のある者には擦り寄るんだから。卑しいったらありゃしないわ。そんなんだから、アンタはこんな雑用みたいな仕事を言いつけられるのよ。どうせ媚び売ることだけ得意で、なんでもホイホイ引き受けるんでしょ。アンタ一生出世できないわ。そのうち年下にまで、へーこら頭を下げて生きていくことになるわよ」

 兵士がなにも言い返してこず、下手に出ていることに気付いたチルカは、ここぞとばかりに嫌味をぶつける。

「オレのガキでもペットでもねぇから、叩き切ってもいいんだぞ。顔がついた虫にここまで言われて黙ってたら、ディアナ国の兵士の名折れだろ」

 ただ黙ってチルカの暴言を聞き入れている兵士に、リットが煽るように言った。

「いえ、仕事柄こういうケースはよくあることですから」

「そりゃまぁ……できた人間だこと」

 リットは感心ではなく、呆れてみせた。

 そこにすかさずチルカが言葉をねじ込む。

「黙って聞き入れるのがカッコイイと思ってんじゃないわよ。だいたいねぇ、そんなに忠実に仕事がしたいなら、令状通りに働きなさいよ。二人って書いてあったんでしょ? それを三人も連行するなんておかしいじゃない。臨機応変に対応した。なんて言葉で片付けるんじゃないわよ。アンタはどっちつかずのしょうもない奴よ。種のない綿毛みたいに役立たずね」

 チルカは兵士に罵詈雑言をぶつける度に、晴れやかな顔になっていく。溜まっていた鬱憤をぶちまけてすっきりしたようだ。

「ストレス溜まんねぇか?」

「……溜まります」

 この兵士の気持ちを表すように、馬車はゆっくりと雪道を進んだ。



 それからまた何日か経ち、雪は止み、冬晴れの気持ちの良い日が続いた。

 雲がないまま陽は傾き、雪に夕日の色を映し始めた頃、馬車は小さな村に足を踏み入れた。

「縄を解いてくれよ。馬車を降りるから」

 唐突なリットの一言に兵士が目を丸くした。

「それはできません。城まで連れて来いと言われています」

 兵士から出た言葉は当然のものだ。しかし、リットは兵士の言うことを聞く気はなかった。

「実家に帰んだ」

「しかし……」

「ここまで来て逃げやしねぇよ。んなことで怒るような男でもねぇだろ。アイツは」

 リットは前に向かって顎をしゃくる。その先には、薄くディアナ国の城の屋根が見えていた。

「……わかりました」と兵士が言うと、御者台にいるもう一人の兵士にこのことを伝えた。

 馬車が止まると、兵士がリット達の縄を解く。

「信用してあなた達を馬車から降ろします。絶対に城まで来てくださいよ」

 そう言い残すと、馬車は城へ向かって走っていった。

「縄をかけられたり、いきなり知らない村で降ろされたり、もうわけわかんないっスよ……。説明してくださいよォ、旦那ァ」

「……そのうちわかる」

 ノーラの質問には答えずにリットは歩き出した。わき目を振ることなく、迷いのない足跡を雪の上に残していく。

 ノーラとチルカはその後に続いた。

「そう言えば実家って言ってましたね。ここは旦那の故郷なんスか?」

 ノーラはキョロキョロと辺りを見回す。

 これといって特徴がない村だが、雪道がしっかり踏み固められているくらいに人通りが多い。ディアナ国に近いこともあって、この村に寄る商人や客が多いからだ。

「そうだ」

「ってことは、豚小屋を探せばいいわけね」

 チルカは嫌味な笑顔を浮かべて目線を下げた。

「そうだな。オマエは豚小屋を探せ。家で人間と一緒にいるより、豚小屋で豚と一緒にいるほうがお似合いだ」

 リットは不機嫌に鼻を鳴らすと、村に来て初めて辺りを見回した。

 見知った顔はなかったが、何年も昔にずっと見ていた景色は、思い出を語りかけてくるように変わらずに広がっていた。

 日当たりのせいか一本だけ高く伸びた木。その下には、つい最近切ったばかりだと思われる丸太が積まれている。

 若き日のリットは友人とこの木の下に集まり、丸太に腰掛けて一晩中バカ話に花を咲かせていた。

 丸太の端に酒瓶が二本転がっているのが見える。どうやらまだここで、どうでもいいバカ話は続けられているようだ。

 思わずリットの足は、実家ではなく丸太に向かっていた。

「アンタ丸太に住んでるの? それで、エルフでも気取ってるつもり?」

 丸太の前で立ち止まったリットに、チルカがイライラしながら言った。

「黙って見てろよ」

 リットは丸太の右の切り口にピッタリと背中を合わせると、そこから慎重に大股の歩幅で一歩、二歩と歩き、十歩目で止まった。そして、通りの中央にある井戸を見て、自分と井戸が真っ直ぐに繋がってるのを確認すると、足元の雪を手で掘り返した。

 ノーラとチルカは、リットの奇怪な行動を眉をひそめて眺めている。

 手首が埋まるくらいの深さまで雪を掘ると、数本の酒瓶が顔を出した。

 リットはその中から一本を引き上げると、こびり付いた雪を払い落とし、チルカに見せ付けるように持ち直す。

「な?」

「な? じゃないわよ。だからどうしたってのよ」

「冷えた酒ってのは、また違う美味さがあるもんなんだよ」

 そう言ってリットは瓶口に直接口を付けて飲み始める。

「でも、勝手に飲んでいいんスか? 土じゃなくて雪の中に埋まってるってことは、旦那のものじゃないでしょ」

「かまいやしねぇよ。誰のかは知らねぇが、どうせ知り合いのだからな」

 リットは足で乱暴に雪をかき集めると、穴を塞いで元通りにする。

 この村のいつもの冬だ。わざわざ寒い中外に出ては、ランプの明かり一つで朝まで飲み明かした。そして、飲みきれなかった酒はこうやって隠しておく。

 始まりは確か、誰かの父親の真似事だった。家族に隠れて夜中にちびちびやってるのを見かけてから、誰かが真似をし、そこから自然と仲間が集まり始めた。

 娯楽が少なくなる夜が長い冬は、毎日のようにこうして飲んでいた。

 隠していた酒を勝手に飲んでは怒られ、勝手に飲まれては怒っていたのを思い出す。

 思い出すと、急に懐かしさが込み上げてきた。

 その感情に身を任せるように、リットは丸太に背中を預けて再び酒を飲み始めた。

「アンタなにくつろぎ始めてんのよ。そっちはお酒を飲んで温まってるんだろうけど、こっちは寒いの。わかったら、馬のように足を動かしなさいよ」

 チルカの言葉に何も言い返さずに、リットは歩き始めた。思い出に浸る柄じゃないと思ったからだ。


 リットが再び足を止めたのは、家の前に着いた時だった。

「アルコール亭?」

 チルカが看板の文字を読み上げる。

「アールコールっスよ。旦那のフルネームがリット・アールコールっスから」

 だんまりを決め込むリットの代わりにノーラが答えた。

「アンタ、アールコールっていうの? アールコールがアルコール好きって単純すぎるわよ」

 チルカは一度口から鋭く空気を漏らすと、大口を開けて笑い声を響かせた。そして、リットに人差し指を向けて笑い転げる。

「だから、コイツには知られたくなかったんだ……」

「私はもっと早く知りたかったわよ。こんなバカ丸出しで面白いこと。ねぇねぇ、なんで早く言ってくれなかったのよ。アルコール片手に『アールコールだ』っていう決めセリフでもあんでしょ?」

「あるか、んなもん」

 リットはチルカの言葉が返ってこないうちに、乱暴に音を立てて店のドアを開いた。

 二つのテーブルとカウンターがあるだけの小さな店だ。

 その店の中では、女性がテーブルを拭いているところだった。『ルーチェ・アールコール』。リットの母親だ。

 ルーチェは店に入って来たリットに一度視線をやったが、すぐにまたテーブルを吹き始めた。

「まだ、準備中だよ」

「そう言わず、ツマミくらい出してくれよ。せっかく帰ってきたんだからよ」

「こういうのはね。勝手に帰ってきたっていうんだよ。子供まで作って……。心構えがいるんだから、結婚したなら手紙くらい寄越すのが息子ってもんだと思うけどね」

 ルーチェはテーブルを拭くのを止めて、ノーラとリットの顔を見比べながら言った。

「オレのガキじゃねぇよ」

 リットが手近な椅子に腰掛けると、ノーラとチルカも適当なところに座った。

「そりゃよかったよ。いいかい、リット。子供ができるっていうのはね、心構えがいるんだよ」

「昔から何回も聞いてるっつーの。いきなりガキができたら大変なんだろ」

「アンタじゃない、私がいるんだよ。結婚の報告があれば、二、三年のうちにお婆ちゃんって呼ばれる心構えができるけど、いきなりお婆ちゃんなんて呼ばれるのはゴメンだよ」

「んなの、オレにガキができてから心配しろよ」

「アンタは子供なんかつくりそうにないしねぇ……。まったく……誰に似たんだか」

 ルーチェは持っていた雑巾をリットに投げ渡すと、後頭部の髪留めをはずして、髪をきつくまとめ直した。

「おふくろの惚れた男には、似なかったらしいな」

「惚れていたのは昔のこと。とっくに吹っ切れてるよ」

「よく言うよ。いつでも寄れるようなとこを選んで店を建てたくせに」

「親の恋愛に口を出すと、アンタがどうやって生まれたか、こと細やかに話すよ」

「わーったよ。掃除でもしてるから、親の性事情を聞かせるのはやめてくれ」

 リットはお手上げだと言わんばかりに両手を上げた。そして雑巾を手に取ると、テーブルを吹き始める。

 その間、ルーチェとノーラとチルカは自己紹介と談笑を始めていた。

 時折、チルカがちらちらと意地の悪い笑みをリットに向ける。

 その笑みを見たリットは、自分の子供の頃の話をされているのだとわかっていたが、中途半端に止めたら余計に火がつくことがわかっていたので、だまって掃除を続けていた。

 リットが最後にカウンターの上を拭いていると、ドアが開く音が聞こえた。

 てっきり客が来たのかと思ったが、来るのではなくルーチェ達が出て行くところだった。

「おい、どこ行くんだ? 店を開かねぇのに掃除させたのかよ」

「ノーラちゃんとチルカちゃんに村を紹介しに行くんだよ。掃除が終わったら、店番も頼むよ。たまに帰ってきたんだ。親孝行くらいしてきな」

 ルーチェはそう告げると、リットの返事も聞かずに店を出て行った。

 リットは溜息をつくと、今しがた閉じられたドアから視線を外した。

 残りのカウンターを適当に拭き、雑巾を乱暴に端においやると、棚から酒瓶を取り出してコップに注ぐ。

 酒は懐かしい味がした。






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