第二十五話
砂浜でゆらゆらと煙りが登り、高い秋の空に消えていく。
「もったいないのニャ……」
パッチワークが焚き火を見ながら、大げさに嘆息を漏らした。傍らには身支度の終えた鞄が置いてある。
今日はシッポウ村から出て、カラクサ村へと向かう日なのだが、リットとパッチワークの二人は朝早くから海岸にいた。
「これが残ってたら、下手したらオレとオマエの首が飛ぶんだぞ。収穫祭のカボチャ飾りになるのはごめんだ」
そう言ってリットは、紙束を焚き火の中に入れた。これがパッチワークに用意させていた最後の紙だ。
紙は苦しむように丸まり、燃えカスとなり舞い上がっていき、黒い雪を降らせる。
「国印を塗りつぶして他に利用する手もあったのニャ。燃やすなら安い紙でよかったのニャ」
「高い紙だからこそ、脅しの意味があったんだろ。それに、持ち帰る途中にエミリアにバレてみろ。道中ずっと小言だぞ。証拠もなく燃やすに限る」
リットは舞い上がる燃えカスの隙間から、遠くのエミリアを見た。
エミリアは、帰る間際になってごちゃごちゃやっているリット達を見て、苛立たしげに腕を組んでいる。
「ニャーの努力が水の泡ニャ……」
パッチワークは肩を落とし、焚き火を見つめた。
「まだ水の泡にはなってねぇよ。――これで水の泡だ」
リットは空瓶に入れていた海水を焚き火にかけて火を消す。焚き火は一際強い煙を上げ、流木の白い灰を黒い消し炭に染めた。
まだ流木の節に残る火を見つけたパッチワークは、足で砂をかけて消した。
「さすが猫だな。小便の後は砂かけか」
「今のニャーは、お金にもならないジョークを聞く余裕はないのニャ」
「そう拗ねんなよ。魔界の品が流通してなかったのは、オレのせいじゃねぇんだから」
「覚えておくといいのニャ。猫の呪いは恐ろしいのニャ」
「なんだ猫の呪いってのは。尻尾でも生えるのか? もう、前に一本生えてんだからケツにはいらねぇよ」
「一生臭いが取れないくらい、ドギツいマーキングをしてやるのニャ」
パッチワークは四つ足になり尻尾を垂直に高く上げると、睨むような目つきでリットの脚を見た。
「そこでストップだ。こっちにケツを向けるか、片足をあげたら、玉を蹴りあげるからな」
「……冗談ニャ。でも、貸し一つは忘れないでほしいのニャ」
「人助けってのは、無償でやるから意味があるもんだ」
「神様だって金を取るのに、なんでニャーが無償で助ける必要があるのニャ。天国への道は金で開けるというのがニャーの持論ニャ。金は積めば階段になるのニャ」
「それじゃあ、オレは地獄から女神のパンツでも覗くとするか」
そう言ってリットが見上げたのは空ではなく、灯台だった。
来た時と変わらない灯台は、相変わらず角笛岬から空を破るように高くそびえている。
唯一違うのは、今は目には見えなくとも、希望の光を放つ灯台だということだ。
「その時は拙者も一緒でござるよ。拙者も死んだ後は、女神の尻を眺めて過ごしたいでござる」
リットが目を閉じて、光を放つ灯台を思い出そうとした瞬間。コジュウロウの声が聞こえてきた。
「……おい、パッチワーク。猫の呪いってのは、やかましい奴を地獄までお伴させることか? 猫の手を借りたい状況でも、こんな奴の助けはいらねぇぞ」
「猫の品位が下がるようなことは言わないでほしいのニャ」
「気にしないでござる。拙者、男よりおなごが好きでござるし、猫より犬が好きでござる。だから二人に何を言われても、痛くも痒くもないでござる」
コジュウロウは腰に手を当てて、威張り腐った態度で勝ち誇った笑みを浮かべた。
「ついでに、金も甲斐性もねぇな」
そう言うとリットは、手のひらを上に向けてパッチワークに差し出した。
「威厳もへったくれもないのニャ」
パッチワークはリットの手のひらに向けて手を振り下ろす。
からかいの笑い声の代わりに、パチンと小気味のいい音が響いた。
「はいはい。どうせ拙者はダメ人間でござるよ。拙者に負けず劣らずのダメな二人に言いたいことがあるでござる。エミリア殿がご立腹でござるよ。イーッとなってるでござる。イーッて」
リット達がエミリアの元へ向かうと、エミリアはリットの顔を見て、大きくため息を吐いた。
「なぜいつも待たせるんだ」
「待つ苦労は身にしみてわかってるだろ? そうなりたくねぇからだ。待たせれば待たなくて済むからな」
リットは顎をしゃくってエミリアを指すと、さぁ歩こうと言わんばかりに鞄の肩紐を掛け直した。
「まだだ。コジュウロウに礼を言っていないだろう。――すっかり長い間世話になってしまった。礼を言う」
エミリアはコジュウロウに向かって深々と頭を下げる。
「気にしないでいいでござる。拙者美人には優しいので有名でござるから」
「本当はオツルやアキナ達にも礼を言いたいのだが……」
「いいでござるよ。朝も早いからゆっくり寝かせておくでござる。それにオツルがいたら、こんなことはできないでござる」
コジュウロウは別れの抱擁をねだり、エミリアに向かって腕を広げるが、エミリアは動く気配がない。なんとも言えない空気が流れ、いたたまれなくなったコジュウロウは、そのままの体勢でリットへと向いた。
「されたら困ることを、やらせようとするんじゃねぇよ」
「大陸のおなごはもっと積極的だったと記憶してるでござる……」
「都合のいいことしか覚えてねぇからだろ」
リットはコジュウロウに背を向けると、別れの言葉の代わりに右手を上げた。
「帰りの船が沈まないように祈ってるでござるよ。それで、今度は拙者がリット殿の家に行くでござる」
「ちょっと待て……今、不吉なことを言わなかったか?」
リットは振り返り、眉をひそめてコジュウロウを睨んだ
「船が沈む云々は冗談でござる」
「うちに来るとか言っただろ」
「そっちは冗談ではないでござる。大陸に用事がある時は、リット殿の家を拠点にするでござる」
「嫌がらせか?」
「なぜ単純に友情と捉えないか、甚だ疑問にござる……」
コジュウロウは蜘蛛の巣を被ったようなしかめっ面をリットに向けた。
「単純に友情以外のものが透けて見えるからだろ」
「まぁ、いいでござる。リット殿がダメでも、ローレンにイミルおばば。頼れる人は、他にもいっぱいいるでござるから」
「酒でも持ってくりゃ考えてやるよ」
一言残すと、リットはコジュウロウに背を向ける。
リット達は秋の装いを始めて、色を変えていくシッポウ村を後にした。
数日が経ち。リットは空を見上げていた。
雲が一つだけある晴れた空だ。空が凛々しく晴れる秋晴れで、遠くの島の輪郭までくっきりと浮かび上がっている。
「慌ただしかったな。カラクサ村でゆっくりする余裕もなかった」
「誰のせいだと思ってる……。一日でも遅れたら、父上の船には乗れなかったんだぞ。そしたら、他の商船が来るまで何週間も待つことになる」
リット達は、エミリアの親が持つ商船。マダム・シルバーランド号に乗り、ドゥゴングへと向かっている途中だった。
「間に合ったんだからいいじゃねぇか」
「いいか、いつもそう都合よく物事が運ぶわけじゃないんだ。リットの気まぐれは多くの人に迷惑がかかり、その迷惑は巡り巡って自分に返ってくるものなんだぞ」
聞いているのかいないのかわからない飄々とした態度のリットに、エミリアは止まることのない小言を浴びせる。
二人の様子を少し離れたところから、ノーラ、ハスキー、パッチワークの三人が眺めていた。
「旦那はもちろんのこと、エミリアも懲りないっスよねェ。旦那に言うだけ無駄なのに」
「いえ、無駄ということはありませんよ。いつかリット様も耳を傾ける日が来るはずです」
「ニャーは無駄だと思うニャ。お兄さんを押さえつけても、横に広がるだけニャ。だいたい、エミリア様は小言が過ぎるんだニャ」
「パッチワーク! 貴様、エミリア様をそんな風に見ていたのか!」
ハスキーに突然叫ばれたせいで、パッチワークは全身の毛を逆立ててその場で跳び上がった。
「ビックリしたのニャ……。でかいのは図体だけにしてほしいのニャ」
「貴様の態度の大きさも大概だ! 堂々と上官の悪口を言ってのけるとは、立場をわきまえろ!」
「取り巻きと部下は違うのニャ。上官を持ち上げるだけにしか使わないなら、その筋肉は意味がないのニャ」
「ずる賢いだけの貴様に言われる筋合いはない!」
「あーもー! うるさいのニャ!」
パッチワークがハスキーの鼻先に猫パンチを食らわすと、ハスキーは喉の奥から低い唸り声を上げて威嚇した。
「こっちも懲りないっスねェ……」
ハスキーとパッチワークの喧嘩は一向に止まる気配がない。
かと言って本気の喧嘩というわけでもないので、ノーラはボーッと眺めていた。
しばらくすると、ノーラの影に長い髪の影が重なった。
「ハスキー! パッチワーク! 二人共やめろ!」
エミリアの一声で、二人の動きが止まる。そして、すぐにハスキーは直立して敬礼をしたが、パッチワークは腑に落ちないような表情で渋々背筋を伸ばした。
「何が原因だ」
エミリアが聞くと、パッチワークが刺すような勢いでハスキーに人差し指を向けた。
「誰がではない。喧嘩をした時点で両方が悪い。私は何が原因かと聞いているんだ」
獣人の二人は耳と尻尾をうなだれて、エミリアの説教を受けていた。
「端から見ると、エミリアに説教されてる姿ってのはマヌケだな」
つい今しがたまでエミリアの説教を聞いていたリットは、耳栓のように小指を耳の穴に入れて言った。
「人の振り見て我が振り直しますかァ?」
「まぁ、そのうちな」
「またまたァ、直す気なんてないくせに」
「死ぬ間際の一秒前でも、そのうちに入んだよ」
「それじゃあ、私もそのうち旦那の役に立ちましょう」
「死ぬ前の一秒で何の役に立つつもりだ」
ノーラはリットの質問に答える前に、勿体ぶって指を左右に振った。
「旦那ァ、一秒もあれば抱きしめることも手を握ることもできるんですぜェ。それに比べたら、旦那の役に立つなんてちょろいってなもんですよ」
「人間より長生きの種族のくせに、オレより早く死ぬつもりか?」
「いつ死ぬかなんて誰にもわかりませんよ。でも、旦那が先に死ぬと困りますねェ……」
ノーラは腕を組んで考えこんだ。頭の隅から何かひらめきが転がってこないかと、頭を左右に振っている。
「つーか、いつまで人の家にいるつもりだ?」
「さぁ? 旦那が結婚してから考えるとして、あと五十年くらいはいますかねェ」
「爺さんになっても結婚できるとは、オレも捨てたもんじゃねぇな」
リットとノーラが話している間。エミリアの説教はピークに達そうとしていた。
しかし、それを邪魔するかのように、聞き慣れた空砲の音が聞こえた。
乾いた秋の空に、続けざまに五発の空砲の音が鳴り響く。この忙しなく乱暴な感じは間違いなくアリスが指示する空砲だった。
「ムーン・ロード号をバカにできねぇな……。こっちも行き帰り、イサリビィ海賊団に襲われたとなっちゃな」
リットはうんざりとした表情で、まだ遠くに浮かぶボーン・ドレス号に視線を向けた。
「ヒャッハー!」とご機嫌な雄叫びを上げて、最初にアリスが船に乗り込んできた。次々に見知った顔が見えて、最後にセイリンの姿。
リットは船員達の一番後ろに並び、目立たないように体を縮こませていた。
セイリンの前口上を聞きながら、こっちに気付かないことを願っていると、イサリビィ海賊団はいつもの様に船内を物色するわけではなく、一人一人船員の顔を確かめ始めた。
リットが諦めのため息を吐いたのは間もなくだった。意地の悪い笑顔を浮かべるアリスの顔が目に入っている。
「見ろよ! 頭ぁ! コイツ震えて縮こまってるぜ」
アリスはリットの居場所を知らせるように叫んだ。
「……なんのつもりだよ」
リットが小声で言うと、アリスは更に笑みを深くした。
「リットが言ったんだろ? 「いつかって言ってる間は、そのいつかは一生こねぇ」ってな。だから早々に借りを返しにきたってわけだぜ」
「暇人か、オマエらは……」
「なんとでも言えってんだ。――さて、アタシはこの上着を貰う。代わりにこの上着をやるぜ」
アリスはリットから乱暴に上着を剥ぎ取ると、どうみても女性ものにしか見えないフリルの付いた上着を渡した。
「なんのつもりだ……」
「だから言っただろ? 借りは返すって。今までからかわれた分を全部返してやるぜ」
いつの間にかアリスの後ろには人魚達が並んでいた。そして、リットが今着ているものから、鞄の中の着替えまで、全て女性ものの服と取引されていく。
気付けば最後の一人。セイリンがリットの目の前に立っていた。
「で、最後はバカ軍団の大バカ大将か?」
「パンツ一枚で居直られてもな」
セイリンは裸同然のリットの姿を見て、この上なく面白そうに喉を鳴らして笑った。
「そうだ、パンツ一枚だ。久しく嗅いでない男の股間の匂いを嗅ぎたいってんなら持ってけよ」
「それは勘弁しておいてやろう。――私がリットから貰うのは時間だ」
そう言うとセイリンは、コートの上着から一枚の紙を取り出してリットに渡した。
それは、一枚だけ捨てずに残しておいた招待状。リゼーネの国印が押してあるものだ。
「取引だ。時間を貰う代わりに招待状をやる。いつか演奏を聞きにこい」
「この格好でか?」
リットは腕を広げてパンツ一枚の姿をセイリンに見せ付ける。
「演奏会だ。蝶ネクタイくらいはしてこい」
「なんなら、パンツを穿かなくても股間を隠せるくらい、大きな花束も持っていってやるよ」
「それは楽しみだ」
セイリンは口角を僅かに上げた微笑を浮かべると、急に体を反転させた。やはり別れの言葉はなく、部下達に撤収の命令を出した。
マダム・シルバーランド号に被害はなく、被害を被ったのはリット一人だ。いままではこんなことがなかったので、甲板の上ではどよめきが広がっている。
そのどよめきは、ボーン・ドレス号からの空砲の音で止まった。
威嚇の為の空砲は、船に接近する時に使うもので、離れる時には使うことはない。
しかし、ボーン・ドレス号は空砲を鳴らしながら離れていく。それが、別れの挨拶のように聞こえた。
「ったく……どうしろってんだよ。裸でいても、服を着ても変態じゃねぇか」
リットは足元に散らばる女性ものの服を手にとって、なんとか着れそうなものはないかと探すが、いかにも女性らしい服ばかりだ。
「ドゥゴングに着いたら服を買ってやる」
エミリアは狼狽するリットを見て、笑いを押し殺しながら言った。
「船の上で女の服を着ろってか? 飢えた男どもに襲われるじゃねぇか」
「それなら私と一緒に寝るか? 下着も貸してやるぞ」
「……効いたよ」
「最後の最後に言ってやったな」
満足気な笑みを浮かべるエミリアを尻目に、リットは海を眺めた。
そして、秋風に混じらせるように細く長い息を吐くと、セイリンから貰った招待状を風に流した。
「こら、海にゴミを捨てるな」
エミリアは風になびく長い髪を押さえながら海を覗き込み、波に飲まれていく紙の行方を見た。
「捨てたわけじゃねぇよ。予約席に置いておいたんだ」
「また、わけのわからないことを……」
エミリアの呆れた視線に、リットは答えがない曖昧な笑みで返した。
秋深まり、空は高い。波は大きく、涼しい強風が吹き抜ける海賊日和。
沈みゆく太陽が空を燃やし始めた。
薄雲の隙間を抜けて細く光る夕焼けは、シッポウ村から届く灯台の光のようだった。
三章の「東の国の灯台編」はこれで終わりです。




