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ランプ売りの青年  作者: ふん
東の国の灯台編(下)

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第十六話

「それじゃあ、後は頼んだぞアリス」

 ムーン・ロード号との取引も終えて、帰路につこうと舵を切ったところで、アリスの返事も聞かずにセイリンが海に飛び込んだ。

「なにを急いでたんですかねェ、セイリンは」

 ノーラは今しがた上がったばかりの水しぶきを見ながら言った。

 飛び散った水滴が、海面に幾重にも波紋を作り清涼に消えていく。

「考えやがったな……」セイリンのマーメイド・ハープは角笛岬の崖下に隠してある。手ぶらでいいはずなのに、セイリンは大きな手荷物を持っていた。「まんまと、エミリアの支配下から逃げやがった」

 それが酒瓶だと気付いたリットは、胸の奥で地団駄を踏んだ。

「心配いらねぇぜ、リット。頭がいなくなったってことは、アタシがキャプテンだ。――キャプテン・ガポルトル様だぜ!」

 アリスは声高々に叫ぶと、喉がひっくり返ったような笑い声を響かせた。

「それじゃあ、オレは提督とでも名乗らせてもらうか。リット提督……悪くないな。ノーラ! 提督命令だ。アリスちゃんのお船を沈めろ」

 リットはこれでもかというくらい下卑たからかいの笑みを浮かべた。

「その言葉、後悔するぜ。――人魚ども! キャプテン命令だ! リット以外禁酒令解禁だぜ!」

 アリスの宣言に、人魚達は上等な舞台劇のカーテンコールのように歓声を上げた。空砲まで撃ち出し、狂喜乱舞する祝宴を始める用意をしていた。

 その様子を見てリットは、喉の奥から低い笑い声を響かせた。

「なにがおかしいんだ?」

 アリスは上機嫌に水を差され、目尻を険しく吊り上げる。

「エミリアのことをなんもわかっちゃいねぇ。反発すればするほど――」

 リットが言い終える前に、「なんの騒ぎだ」と船室に引っ込んでいたエミリアが、階段を上って甲板にやってきた。

「アリスが酒を呑むんだとよ」

 子供の告げ口のように、リットは軽々とした口調で言った。

「それはおかしな話だ。私はまだ、禁酒を解いてはいないぞ」

「キャプテンはアタシだ。エミリアも命令には従ってもらうぜ」

 エミリアの口うるさい小言を、アリスは余裕綽々の態度で、触手に持った酒瓶を掲げて答える。

「いいか、船長というのはいつも冷静で細心でなくてはダメだ。酒が入っていて安全な航海が出来るとは思わないが?」

「アタシを誰だと思ってんだ。キャプテン・ガポルトル様だぜ?」

「そのキャプテン・ガポルトル様は、酔うと前後不覚になるんだ。リットの前で裸になったのを覚えていないのか?」

「いくらアタシでも、そんなことするわけないぜ」

 アリスはエミリアの言葉を笑い飛ばしながら、同意を求めるようにリットを見た。

 リットはアリスと目を合わせると頷いた。アリスの言葉ではなく、エミリアの言葉を肯定した頷きだ。

「見たぞ。日焼け跡までしっかりとな。なかなか、中途半端なお宝をお持ちのようで」

 アリスの胸は普段布一枚で抑えられているが、それが無くなり胸が解放されたからといって、大きくなるわけでもなかった。ローレンなら見向きもしない程度の胸の大きさだ。

「本当に、み、見たのか! このスケベ野郎!」

 アリスの顔は夕焼けを浴びたかのように紅潮している。流れる汗の湿気で、くせ毛がいつも以上にカールしていた。

「さぁな、納得のいく方で答えてやるよ。どっちがいい? 見たか、見てないか」

「最悪だぜ……。よりによってこんな男に……」

 アリスの体は怒りに震え、喉は焼けついたようにカラカラに乾き、心は絶望に打ちひしがれていた。過去を消し去るように頭を床に叩きつけて自分の行為を省みるが、痛みが走るだけで現状は何一つ変わりはしなかった。

「たかが乳を見られたくらいで、純潔を奪われたみてぇな言い草だな。オレは気にしねぇから、存分に裸でうろつけよ」

「アタシが気にすんだよ!」

 アリスは言葉と一緒に唾を吐きつけた。

「どうだ? お酒の力は恐ろしいだろ、アリス」

 エミリアが慰めるようにアリスの肩に手を置くと、アリスはその手を振り払った。

「酒はやめたくねぇ……。でも、リットに裸を見られるのも嫌だ……。どうすりゃいいんだ……」

「なんなら、オレも一肌脱いでやろうか?」

「……黙ってろ、リット」

 エミリアが睨みをきかせて一言叱責すると、リットはもう邪魔しないと両手を上げて振った。

「どうだ? アリス。お酒を減らした方が、身のためだと思うが。それとも、これから先もリットに嫌味を言われ続けるつもりか?」

 アリスは苦悶の表情を浮かべて、エミリアの提案に乗ろうかどうか迷っている。

「ありゃもう、小言というより脅しだな」

 リットは口を出さない代わりに、隣りにいるノーラに話し掛けた。

「旦那で学んだんじゃないっスか? ただの小言じゃ効果ないって」

「オレのおかげでエミリアも成長したってわけか」

「都合の良い考え方っスねェ。でもアリスが折れたら、旦那の禁酒も長引くんスよ」

「なぁに、小娘の目を盗んで酒を飲む方法なんかいくらでもある」

「なんで今までその方法をしなかったんスか?」

「……エミリアの目が百個あるからだ」

「旦那ァ、禁酒頑張ってくださいね」

「頑張りたくねぇよ、そんなもん……」

 リットはまだしばらくは続くであろう禁酒生活に肩を落とした。



 難破船にも寄らず、隠れ家に戻ったボーン・ドレス号の上でアリスが吠えた。

「誰だ! こんなところを焦がした奴は!」

 その声は禁酒の苛立ちもあって、とてつもなく大きな声だった。

「なんでオレを見て言うんだよ……」

「火を使うなんて干からびるようなことをするのは、人間のリットしかいねぇだろ」

「知ってるか? あんな面白みのないエミリアも、一応は人間だぞ」

「聞こえてるぞ、悪口が」

「悪口言われたくねぇなら、淑やかに微笑んで酌の一つでもしたらどうだ?」

「その手に乗るか。だいたいリットはだな――」

 エミリアの小言を右から左へ聞き流しながら、リットは焦げ跡がある前甲板の手すり付近まで歩いた。

 確かに焦げ跡がある。

 こぶし大の大きさの焦げ跡は、墨を垂らしたかのように真っ黒で、船の中心に向かって広がっていた。

 今まで気付かなかったのが不思議だ。

 リットはしゃがみ込むと、焦げ跡を触り確認した。指にじゃりじゃりとした燃えカスが引っ付き、もろくなった木くずが剥がれた。

「ランプのオイルで燃えたわけじゃなさそうだな」

 もし誰かが火のついたランプを倒したなら、オイルが木に染み込みもっと奥まで焼けているはずだが、甲板の床は表面が焼け焦げているだけだった。 

 ランプを倒し急いで消し止めたとしても、オイルが染みこんだ跡があるはずだが、それもない。

「ロウソクが倒れたんじゃないのか?」

 エミリアがリットの肩越しから、焦げ跡を覗き込んだ。

「ロウソクなら、溶けた蝋が残ってるハズだ。ここまで焦げるくらいならな。――さて、ノーラ。言い訳はあるか?」

 リットは立ち上がるとノーラの顔を見た。

 リットと目が合ったノーラは、静かに目を細める。

「そうですねェ……。言い訳というか、お願いなんスけど。その疑いの視線はやめて欲しいっスね」

「焦がすっていったら、オマエのお家芸だろうが」

「この船が食べ物でできてるっていうんなら、チャレンジしますけどねェ。だいたい私が船の上で火を使ったんなら、今頃この船は海の底に沈んでますぜェ」

「それもそうか。オマエが犯人なら、オレらは火葬されて、アリス達は食卓に並んでるところだ。――元からあったんじゃねぇのか? この焦げ跡は」

 リットはアリスに確認するが、アリスは喉に絡まった痰を取るようなあくびをすると、目尻に溜まった涙を乱暴に擦りながら口を開いた。

「アタシが見逃してるわけないだろ。何年この船に乗ってると思ってんだ。誰がやったかなんて、もうどうでもいいぜ。床板を張り替えておけよ。酒も飲めねぇし、アタシは不貞寝するぜ」

 アリスはおまけのあくびを浮かべると、海の中へと飛び込んだ。

「それじゃ、やっとけよ。エミリア」

 リットもメインマストの桟橋に足を掛け、隠れ家の廃船へと帰ろうとしたが、もう片方の足を桟橋に乗せる前に、エミリアに肩を掴まれた。

「ちょっと待て、どこへ行く気だ」

「アリスの言ったことを聞いてなかったのか? 酒が飲めねぇ奴は不貞寝していいんだとよ」

「いいわけあるか。こういう雑用は、私達下っ端の仕事だ」

 エミリアはリットの肩を掴んだまま焦げ跡の前まで引っ張ると、逃げないようにリットの胸元に自分の肩を付けて立ちふさがった。

「……まだ、そういう自覚があったんだな。海賊の船長に説教して、無理やり禁酒させたくせに」

「それとこれとは全く話が違う。部下でも進言できる立場にいるのならするべきだ。王の側にも側近がいるだろう」

「そりゃ王様もストレスが溜まるだろうな。好き勝手できねぇんじゃ、王様になる意味がねぇ」

「……リットは人の上に立つ立場には向かないな」

「なる気もねぇよ。で、どうすんだ? 三人ともアホみてぇにボーッと突っ立ったままじゃ、床板の修理なんてできねぇぞ」

 リットはつま先で焦げを蹴り落としながら言う。

 表面の焦げが落ちると、ささくれた木目が見えてきた。

「これでいいんじゃないっスか?」

「だな。どうせボロ船だし気付かねぇだろ」

 リットはノーラの意見に賛同すると、身を翻すが、またもエミリアに肩を掴まれてしまった。

「ダメに決まっているだろう。アリスは張り替えろと言ったんだ。私は木材を持ってくるから、リットとノーラは床板を剥がしておけ」

 エミリアは「いいか、サボるなよ」と、途中何回か振り返りながらボーン・ドレス号を降りていった。

「ずぼらなアリスには気付かれねぇと思うんだけどな」

 エミリアが行ったことを確認すると、リットは甲板の物陰に隠してあった酒瓶を拾い一口飲んだ。久しぶりに誰の人目も気にすることなく飲める酒は、一瞬にして体中をめぐったような気がした。

 リットは良い気分で飲める酒に口元を緩めると、足元に酒瓶を置き、代わりに落ちたままになっている錆びついた鉄梃を拾った。

 そして、その先端を床板の隙間に入れて、テコの原理で板を持ち上げた。

 隙に溜まった塵と、海水が乾いて塩になったものが隙間から這い上がってくる。

 まんべんなく板を持ち上げて、古釘が浮いたところをノーラが釘抜きを使ってチマチマと抜き取っていく。

 板一枚を剥がすのに、然程時間は掛からなかった。

「なんでここだけ焦げたんスかねェ」

 手持ち無沙汰になったノーラが、剥がし終えたばかりの板の上に乗り、綱渡りのように片足でバランスを取りながら言った。

「さぁな」

 リットも板の端に腰を下ろすと、飲みかけの酒に口をつけた。数回喉を鳴らして一息つくと、また足元に酒瓶を置く。

「木も日焼けするんすかねェ」

「するけど、焦げはしねぇよ」

「今回の航海中は曇りの方が多かったですしね。でもあの時は、今みたいに西日がきつかったっス」

 ノーラは目をギュッとつぶって顔を背けた。太陽ではなく、太陽の光を反射する酒瓶からだ。

「なんだあの時って」

「ほら、あの大っきい船に乗り込んだ時っスよ」

「あぁ、ディアナ国の船か。ムーン・ロード号ね……。空でも飛ぶつもりで命名したのか知らねぇが、大層な名前の船に乗ってるわりには、どうしようもねぇ船員達だったな」

「結局最後まで誰も口を開きませんでしたもんねェ。旦那の無愛想な顔が怖かったんじゃないっスか? 睨みまで効かせちゃってまァ」

「見てたのかよ」

「見えたんスよ。老眼のおじいちゃんみたいな顔してましたよ」

 ノーラはリットの表情を真似して目を細めた。

 その顔をわざわざ見せ付けるように近づけてくるノーラに、リットは酒瓶を傾けて西日を反射させて顔に当てた。

 眩しさに完全に目を閉じたノーラは呻き声を上げる。

「目が……目がァ……焼かれたっス」

「懲りたら、おとなしくしてろ」

 フンッと鼻を鳴らしたリットが瓶口に口をつけようとしたところで、木材を肩に担いだエミリアがボーン・ドレス号に戻ってきた。

「こら、なに酒を飲んでいる」

「いいだろ、ちゃんと床板を剥がしておいたんだからよ。いいかげんストレスが爆発しそうだ」

「ストレスのはけ口に、ノーラに酷いことをしたのか」

 エミリアはうずくまっているノーラの頭を撫でながら言った。

「なぁに、ただのじゃれあいだ。なっノーラ」

「違いますよォ。旦那ったら、私の目玉で目玉焼きを作ろうとしたんっス」

 ノーラはよよよと泣き崩れる真似をする。

「焼くつもりなら、しばらくオマエの顔に光を当ててるっつーの。――そうだよな……。火元が出火箇所にないってことは、収れんされて焦げたってこともありえるのか……」

「人生とは修練っスよね」

「おい、ノーラ……。テレスに毒されたのか?」

「いやー、毎晩毎晩ダジャレを言われ続けていたせいか、しばらく聞いていないとちょっと恋しくなったりするんスよねェ。で、収れんってなんスか?」

「光の束が一点に集まることだ。凹面鏡とか水晶を使って、太陽の光を一点に集めて強い光にすれば火を起こせる」

「それは、まさに北の大灯台に使われる反射鏡のことじゃないか。でも、あの船には龍の鱗はなかったハズだぞ。中にないとすれば……外で使われていたということか」

 エミリアはムーン・ロード号の外装を思い出そうとするが、大きさ以外に余り特徴のない船なので、これといって龍の鱗がありそうな場所が思い浮かばなかった。

「テレスから四年前に進水式を済ませたって情報を聞いたからな。造船を始めたのはもっと前からだろうよ。龍湾海峡から龍が飛んでいったのは数年前だし、鱗が落ちた時期と同じくらいだ。問題はどうやって確認して、どうやって取るかだ」

「素直に頼んで、船を見せてもらえばいい」

 エミリアは力強く頷きながら言った。

「オレ達の顔を覚えられてたら、通報されるぞ。海ならイサリビィ海賊団のおかげで逃げ切るけど、陸なら無理だ。リゼーネに戻る前にお縄につきたいのか?」

「それは困るが……。可能性があるなら、賭けてみる必要もある。それに万が一があっても、誠心誠意話し合えば理解してもらえるハズだ」

「……わかった。言葉を変える。オレは捕まりたくねぇんだよ」

「ならば、どうするというんだ。ムーン・ロード号は、今はまだカラクサ村に停泊していると思うが、帰国されたら打つ手がなくなるぞ」

「なくもねぇんだけどな……。面倒くせえし、手っ取り早くアホに頼んでみるか」

「リットがアホと呼ぶのは……ローレンだったか」

「いや、もう一人のアホだ。一度シッポウ村に戻った方がよさそうだな」






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