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ランプ売りの青年  作者: ふん
東の国の灯台編(下)

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第十二話

 嵐の隙間に晴れがあるのか、晴れの隙間に嵐があるのか、海は忙しくなく表情を変えた。

 晴れの日を狙って何回か船を出したが、龍の鱗が見つかることはなかった。

 夏も終わりになりつつあるが、まだ暑さの取れない日が続きそうだ。

 同時に嵐も終わり、そぼ降るような秋雨が降り続いている。

 イサリビィ海賊団の隠れ家にも雨は降り、幾重にも波紋を広げて海面を歪ませている。

 しかし、そこにボーン・ドレス号の姿はない。

 リットは部屋でハンモックに背中を預け、また強くなり始めた風を音に聞いていた。

 ハンモックの下には読みかけの本が置かれている。開いたまま置かれているので、活字の山が無秩序に散らばっているようだ。

 腕をダランと下に伸ばした位置には角が丸くなった小さな木のテーブルが有り、飲みかけのコップが倒れ、食べかけのチーズが直に置かれたままになっている。

 三灯用の燭台の上に一本だけあるロウソクは、片側ばかりが溶けて蝋が冷え固まり、樹皮に溜まった樹液のように歪な形をしていた。

 蒸し暑さに何度か目を覚ましたリットは、その度に体の向きを変えてハンモックを揺らす。

 ようやくベストの寝心地の場所を見付けて寝息を立て始めたリットだが、勢い良くドアを開ける音に起こされた。

 錆びついた金具の音が悲鳴を上げ、壁にドアノブがぶつかる。

 入り口付近に置いてある鉢植えが揺れた。

 鉢から伸びる茎には、夕焼けの光を吸ったような赤々しいトマトが生っている。東の国へ苗ごと輸出するものを取引して手に入れたものだ。

 ドアを開けて部屋に入るなり、ノーラはトマトを一つもぎ取った。

「ただいま帰りましたよォ、旦那ァ」

 ノーラが丸かじりしたトマトからは、果汁がはじけ飛ぶ小気味の良い音が聞こえてきた。

「……言うことが違うだろ」

「それじゃあ、旦那の良き理解者が帰りましたよォ」

「……誰がトマトを食っていいって言った?」

 リットは寝返りを打って、口の端から種つきの汁を垂らしているノーラを見た。

「旦那ってば放っておくもんですから、熟しすぎて実が割れちゃって、まぁもったいないってなもんでさァ」ノーラは押しこむようにトマトを食べきると、指に付いた汁を舐めとった。「だいたい旦那ってトマト好きでしたっけ?」

「他に良い物がなくて取引しただけだ。苗付きで腐んなくていいと思ったけど、いつでもいいと思ったら食うタイミングを逃しちまったんだよ」

 リットはハンモックの網目に突っ込んでいた左手を抜き取ると、その手を落ちているコップに向けるが、寝たままの体制なのでコップには手が届かない。

 見かねたノーラはコップを拾ってリットに渡した。

 リットはコップを受け取ってから起き上がると、これもまた取引をして手に入れた、装飾された銀製の高価そうな水差しから水を注いだ。

 リットは一気に飲み干し、水差しの中身が空になったのを確認すると、捨てるようにテーブルに置いて、またハンモックに背中を預けた。

「もう、すっかり我が家ですねェ」

 ノーラはリットの一連の動作を見守ると、しみじみと呟いた。

「で、オマエはなんだ? トマトを盗み食いに来たのか? マヌケヅラをわざわざ見せに来たのか?」

「トマト諸々を盗み食いにきたんスよ。マヌケヅラはついでですから、おかまいなくッス」

 そう言ってノーラは、テーブルに置いてある食べかけのチーズや干し肉をつまみ始めた。

「船で断食でもしてたのか?」

「シッポウ村の時は美味しいものを食べましたけどね。船の上ではブエーってなもんですよ。ほとんどお酒で、私が食べるようなのはしょっぱい野菜ばっかりってなもんですよ」

 ノーラは床に落としそうなくらい舌を出して不快な顔を晒している。

「野菜ばっか食うのは、青虫かチルカか――そうだ。エミリアもいたな」

 リットは顔を上げて、部屋の前にいるエミリアを見た。なにやら大荷物を両手に抱えている。

「そういうリットは酒ばかりを飲んでいるじゃないか」

 エミリアは呆れ声とため息を吐きながら部屋に入ると、ノーラにテーブルの上の物を片付けるように言った。

 そして、物がなくなったばかりのテーブルに、抱えていた荷物を置いた。

「エミリアとノーラの水が無くならないように、オレは気を使って酒を飲んでるわけだ」

「まったく……物は言いようだな。パッチワークから伝言だ。問題ないと伝えたら、了解したと言っていたぞ。なんのことだ?」

 パッチワークには夏が終わっても連絡がなければ、セイリンの弱みとなる紙をバラ撒くように言ってあった。

 セイリンは約束を違うようなことはしないし、脅されるようなこともなかったので、リットはエミリアにパッチワークに「問題ない」と言付けを頼んだ。

 それでエミリアとノーラはセイリンに船を出してもらい、隠れ家から離れていた。

「不自由なく暮らしてるから心配するなってことだ」

「いつの間に、パッチワークとそんなに仲が良くなった」

「さぁな、友情なんてそんなもんだろ?」

「……怪しいぞ」

 リットに似つかわしくない「友情」という言葉を聞いて、エミリアは眉をひそめた。それと同時にリットも眉をひそめる。

「なんの臭いだ?」

 リットは鼻を鳴らした。生乾きの洗濯物のような臭いが部屋を充満していたからだ。

「アキナからの土産だ。残さずに食べていたから、気に入ったと思ったらしいぞ」

 エミリアは荷物を解き、中から納豆が入った藁をいくつか取り出す。

 部屋に充満する臭いが強くなり、ノーラは鼻を摘んで顔を背けた。

「気に入ったなんて一言も言ってねぇのに……嫌がらせか?」

「アキナがそんなことをするわけないだろう。リットが顔を見せないから心配していたぞ」

「なら、心配ないって伝えといてくれ」

「自分で行って伝えるべきだ。今回も私に任せきりじゃないか」

 エミリアはテーブルにシッポウ村からのお土産を次々と並べていく。

「具合が悪かったんだからしょうがないだろ」

「二日酔いは同情できることではない」

「……二日酔いじゃねぇよ。四日酔いくらいだ」

「堂々と言うことか。あと、これはパッチワークからだ。ずいぶん食べ物の好みが変わったんだな」

 エミリアは発酵させた魚の内臓が詰まった瓶を、リットに一度見せてからテーブルに置いた。

「それは食べ物なんスか? どう見ても吐き戻したものにしか見えませんが……」

 ノーラは牛の糞を素足で踏んづけた者を見るような目で、リットと瓶を見比べている。

「ただの塩漬けだ」

「とうとう旦那の舌も、腐ったものまで食べられるようになったんスねェ……」

「食わせろって言ったって食わせねぇけどな」

「そんなの食えって言ったって食べませんよ」

 ノーラは蓋の閉まった瓶を遠ざけると、残りのチーズを食べ始めた。

「それより、エミリアはいいのか? ずっと東の国にいて」

 リットは荷物を広げるついでに勝手に部屋の整理を始めたエミリアに声を掛ける。

「ハスキーにリゼーネに戻ってもらった。もうしばらくかかると伝えてもらうためにな」

「本当に兵士って暇なんだな。部下を持つ役職の奴がしばらくいなくてもいいなんて」

「それだけ、東の国の大灯台が優先されているということだ。龍の鱗が闇に呑まれる現象に効果があるとわかれば、すぐに国を挙げて大規模な捜査が始まるだろう」

「リゼーネの王様は魔宝石でも持ってるのか? あんまり欲をかくと、ヨルムウトルみてぇに滅ぶぞ」

「欲ではなく善意だ」

「そんな人間いるかよ。善意丸出しの奴は盗人くらいのもんだ」

 リットは大きく伸びをすると、ようやくハンモックから降りた。

「そういえばヨルムウトルも、フェニックスの捜索とかでお金がなくちゃったんですもんねェ」

 ノーラが「食べます?」とチーズを差し出すが、リットは手で払い拒否した。

「そういうこった。どうせ、龍の鱗を探すことになるなら、今国を挙げて探してくれってもんだ」

「国帑も無限ではない。元から大灯台に龍の鱗が使われていたら捜索隊が出るだろうが、今の段階だと無理だ。だが、夏も終わり暖流が弱まるから、その影響で発見する確率が上がるかもしれないとセイリンが言っていた」

「早いとこ見付けたいもんだ。いいかげん金持ちの船を襲うのにも飽きたからな」

 リットはざっと部屋を見渡す。部屋にある殆どの物が機能に関係ない無駄な装飾が施されたものばかりだった。

「私は輸送船の方がいいですけどね。いろんな国の美味しいものが食べられますから」

「私はリットとノーラが国に目を付けられないかの方が心配だ……」

 エミリアは肩を落とす。少なからずリットを誘ったことに責任を感じていた。

「そうなったら、本格的に海賊になるから心配すんな」

「余計心配になったぞ……」



 その後。エミリアは散らかし放題のリットの部屋の掃除で疲れて寝てしまった。

 リットとノーラは、ノーラが食べ尽くした食料を補充するため、貯蔵庫の洞窟へと向かっているところだった。

 そこで酒樽を抱えてきたアリスと出くわした。

「よう、二日酔いは治ったのか? 男のくせに情けねぇ奴だぜ。アタシは二日酔いなんかにならねぇぜ。酒なんか小便と一緒に出ちまうからな」

「どうりで、海のかさが増えてるわけだ。海の中で小便するのはほどほどにしとけよ。廃船が流されるぞ」

「バカ! 海の中でするわけねぇだろ。海の中で生活するって言ったって、それとこれとは別だ!」

 顔を熟したトマトのように真っ赤にするアリスに、ノーラが呆れ顔を向ける。

「旦那にからかわれるのはわかってるんスから、言わなければいいのに」

「普通は言葉を選ぶだろうが!」

「選ばないから旦那なんスよ。例えば、そこにおじいちゃんがいるとします。すると旦那は、こう言うわけです。「よう、くたばり損ない。ボーッと突っ立ってるとすぐにお迎えがくるぞ」って。アハハってなもんですよ」

「ひでえ奴だな……」

 アリスは軽蔑の瞳をリットに向ける。

「アリスだって口が悪いじゃねぇか。どうせ酔っぱらいの口癖を真似してんだろ」

「そ、そんなことないぜ。アタシは生まれながら男らしいアリスって有名なんだ」

「生まれた時は、棒と玉二つでも付いてたのか? それとも、その膨らんだ乳を玉と勘違いしたか? 確かにそれなら男らしいな。そんなでけぇ玉を持った奴は見たことねぇ」

「そういうことじゃねぇよ!」

 アリスが怒鳴ると、リットの顔に盛大に唾が飛んできた。

「大方、船の横っ面にでも張り付いて、船乗りの下劣なジョークを聞いてたんだろ」

 リットは顔についた唾を手で拭いながら言う。

「なんで知ってる? テレスに聞いたのか!」

「いや、オレがそうだったからな。実家が酒屋のせいで四六時中聞いてた」

 急にアリスは顔から怒りの感情が引いた。代わりに、わかりやすい媚の笑みを浮かべた。

「酒屋の息子か……。よし! これからは少し歩み寄ってやるぜ」

「アリスは歩み寄んない方がいいと思うんっスけどねェ……。反応が良いのは旦那の格好の餌っスよ。セイリンみたいにスッと返せるか、テレスみたいに反応が薄くないと」

「そうだな……って、ちょいと待て。なんでノーラまでアタシをアリスって呼んでんだよ」

「なんでってアリスはアリスじゃないっスか。ガポルトルって呼ばれてるの聞いたことないですぜェ」

 ノーラの言うとおり、ほぼ全員と言っていいほどアリスと呼ぶ。ガポルトルと呼ぶのは一部の部下達だけだった。

 その部下達もアリスに訂正されて呼び直す。最初からガポルトルと呼ぶのはイトウ・サンとスズキ・サンだけだった。

 しかしアリスの方は、イトウさんとスズキさんと間違えて覚えたまま呼んでいる。

「ガポルトルの方がカッコいいだろう。アリスなんて名前は、いかにも女らしくてダサ過ぎるぜ」

「そうっスかねェ……。アリスも可愛くていいと思うんスけど」

「ノーラはノーラでいいのか? もっとカッコいい名前に憧れたりしねぇのか」

「私は本名じゃないっスから。えっと……」

 ノーラは雲に答えが書いてあるかのように、空に視線を向けて思い出そうとするが、結局思い出せずにリットの顔を見る。

「モニマミニィだろ。オレが忘れたらどうすんだよ。もう一生本名を思い出せねぇぞ」

「その時はノーラでいいっスよ。気に入ってますし」

 ノーラがあっけらかんと笑っている間、アリスはブツブツとノーラの本名を反覆していた。

「モニ、ミニ、マ――なんだその舌を噛みそうな名前は!」

「ガポルトルだって舌を飲み込みそうな名前じゃねぇか」

「ガポルトルより、ララルラルの方が歌ってるみたいでいい感じっスよ。いっそアリス・ララルラルって名前に改名しません?」

「そりゃいい、陽気な海賊にピッタリな名前だ。そうしろよララルラル」

「ララルラルって呼ぶんじゃねぇよ! ガポルトルだ! ――ガ!――ポ!――ル!――ト!――ル!」

 アリスは一音一音大声で叫んだ。

「いいじゃねぇか、古代言語で『ララル』は『呪い』で、『ラル』は『人』だ。呪われし者で海賊っぽいだろ」

「ちょっといいじゃねぇか。……本当だろうな」

「本当だ」

 リットは即答する。

 その反応を見てアリスは頷くと、持っていた酒樽を投げ捨てて、リットの胸ぐらをつかんだ。

「なんで表情を変えずに嘘をつけるんだ! アタシが信じたらどうするんだよ!」

「わかったわかった。じゃあ、アリス・バカニナルってのはどうだ?」

「いえいえ、アリスも女性です。いずれ子供を産みます。ですので、アリス・ハハニナルってのはどうですか?」

「……いつからいたんスか?」

 ノーラは突然現れたテレスに、驚きで見開いた目を向けた。

「ダジャレのにおいがしましたから。ママニナルの方がよかったですかね?」

「そういうことじゃないんスけど……。どっちかというとママニナルの方が、ギャップがあっていいんじゃないっスかねェ」

「めんどくせぇ奴が来たな……。長引きそうだし、アリス・ヤケニナルで決定でいいだろ」

「よくねぇよ! つーか、人の名前で遊んでんじゃねぇ!」

 それからしばらくこの問答は続き、終わる頃には日が暮れ始めていた。

 叫び疲れたアリスは、酒樽を抱きかかえて荒い息を吐いてへたり込んでいる。

 反対にテレスは、滅多にすることない満面の笑みを浮かべていた。

「また、ダジャレ大会をしましょうね。アリス」

「うるせぇよ! バーカ!」






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