第八話
廃船の甲板に椅子が二つとテーブルが一つ。
よく陽の当たる方の椅子にはエミリアが、絶壁にはぐれ生えた樹の葉で作られた日陰のある椅子にはテレスが、二人共自分の都合の良い世界から出ることなく話をしている。
「どうにか船の情報を得られないか? 無駄に被害を出したくない」
エミリアが少し暑そうに、手で扇いで太陽に光る金色の前髪をふわりと揺らした。
「ドゥゴングから出る船なら、街に住んでいる人魚に多少のツテはあるのですが、積み荷の内容まではわかりませんよ。せいぜい、いつ頃出港するかがわかるくらいです」
「珍しい積み荷を運んでる船に限定できるか?」
「無理ですね。漁船、商船くらいの区別はつきますが。なにせ、普通に料理店で働いてる人魚達なので」
テレスの言うとおり、ドゥゴングにいる人魚達は海賊というわけではなく、ただ船がある港町に住んでいるだけで、船の上で揺れる国の旗を見て積み荷を判断する能力は持っていない。
もし持っている者がいたとしても、イサリビィ海賊団の耳に入ることはない。
ドゥゴングの人魚達は、商船とも交流を持っているし、イサリビィ海賊団とも交流を持っているので、どちらにも事細やかな情報を教えることはないからだ。
「積み荷はわからなくとも、船の外観を見ることができるなら、風変わりな船があったらわかるということか」
「そうですね、それくらいならできます」
「変わった船に乗っているのならば、変わった積み荷を積んでいるかもしれないな」
「珍しい船と言えば、コンプリートの『ジャイアント・ブーツ号』が有名ですね」
コンプリートの靴屋は各国で商売できるように、靴だけを運ぶために作られた商船がある。
船は片靴を模した形をしており、一般的な船よりも高くそびえ立つメインマストから広げられた帆は遠巻きでも近くで見ても長靴に見える。
港に訪れた船を初めて見た者は、巨人の靴が流れ着いたと噂を立てるという。
「レプラコーンの靴屋か……。昔は私の屋敷もコンプリートで靴を買っていたな。姉上がレプラコーンを無理やりに屋敷に引きとめようとしたせいで、拒否され買えなくなってしまったが」
「靴屋の話は退屈です」
吐く息を計ったかのような一本調子でテレスは言う。
「そうだな、話の腰を折ってすまない。私の身の上話はどうでもいいことだ」
「いえ……あの、そうじゃなくてですね。靴屋と……退屈でですね。その……」
「気を使ってもらってすまない。だが、悪いのはこちらだ。話を戻そう」
エミリアが頭を下げて詫びると、珍しくテレスの声に感情の色が混ざった。
「……はい」と言ったテレスの声には不満と落胆が色濃く見えるが、エミリアはそれに気付くことはなかった。
「機能性だけではなく、装飾にも金銭を使う余裕がある船ならば、趣味として珍しい物を扱うことがあるかもしれない」
「木の精が乗っている船とかだと、珍しいかもしれませんね」
「木の精か……。子供の頃に父上に聞かされた話で、『シー・ドリアード号』という船があるそうだ。ドリアードの住む木を使って作られた船で、どんな大嵐でも難破することがないらしい。精霊の住む木を使うとは、あまり趣味がいいとは言えんな」
「……これは諦めた方がいいんでしょうか?」
「なにがだ?」
エミリアはテレスの意図に全く気付いていない。
テレスはつまらなそうに目を伏せると、海水が入ったコップで体の乾きを潤した。
「いえ……。ドゥゴングの港に珍しい船が停泊したら、報告を貰えるように手配します」
「頼む。まだ聞きたいことがあるのだが、テレスはペングイン大陸近くの海まで行ったことがあるか?」
テレスは、エミリアが何を聞きたいのかをすぐに理解した。
「あります。同じですよ。太陽が届かないかぎり、海の底も真っ暗です。まぁ、太陽の有無に関わらず、海底は元から真っ暗なんですけどね」
「そうか……。他に闇に呑まれる現象について知っていることがあれば教えてもらいたいのだが」
エミリアは椅子を少し右にずらして、より太陽の光が当たるように移動した。
テーブルに乗っているエミリアのコップの中の水は、太陽の光を存分に浴びてお湯になっていたが、エミリアは気にすることなく、それを喉に流し込んだ。
「憶測は色々聞きますが、どれも信憑性のないものばかりですね。『ヘル・ウインドウ』の近辺でちょっとしたイザコザが起きてることくらいでしょうか」
『ヘル・ウインドウ』というのは、森と魔族の土地を繋ぐ地下道だ。
とても短い地下道で、窓から覗くように簡単に魔族の土地へ行けるので、いつからかそう呼ばれていた。
「そういえば、リゼーネも魔族の観光客が減っていたな」
「一連の流れが魔族のせいではないかと噂が立ったせいで、なにかと揉めているようです」
「それは、魔族も憤懣やるかたない思いだろう」
「海での噂は、海風と同じくらい気まぐれなものですから。事実とは違うかもしれませんが」
テレスは肩にかけている昆布の端を掴むと、軽く振って波立たせて、風を表現しながら言った。
突然揺らされたことにより、昆布からラウネが顔を出した。
びっくりした様子で目をパチクリさせていたが、テレスが「すみません」と一言謝ると、ラウネはあくびをしてまた元の昆布に戻っていった。
「そうか……。龍の鱗の噂が聞けたとしても、見つからないことはありえるな」
エミリアは、陽光で輝く金色の髪に似つかわしくない暗い声で言った。
「闇に呑まれた海でも海流はあります。龍の鱗が海に落ちていたら、三角航路を漂ってるかもしれませんよ」
テレスが僅かな可能性を示唆すると、エミリアは力強く頷いた。
「確かにそうだな」
「元気が出ましたか?」
「あぁ、慣れない環境のせいか、どうも弱音が顔を出してくる」
「元気が出てなによりです。では――改めて……。弱音を吐く奴に用はねー」
「まったくそのとおりだ。シッポウ村で決心をしたはずなのに、これでは情けないな」
エミリアとテレスは同時に笑いをこぼした。
エミリアは恥ずかしいところを見せてしまったと照れ笑いを浮かべているが、テレスはそういうことではないと言いたげな乾いた笑いだった。
笑い声だけで間が持つわけもなく、無言の間が訪れる。
滝の音とさざ波の音が混ざり、耳を手のひらで押さえた時のようなゴオゴオとした音が流れる。
遠くから海賊達の歓声だが悲鳴だかわからない途切れ途切れの声も聞こえてきた。
テレスは、その中からまともな足跡が近づいて来るのを聞いていた。
人魚達は足音がしない。セイリンの足音は杖をつく音が混ざるし、足の短いノーラの足音は人の倍多く聞こえる。
エミリアはテレスの目の前にいる。
ということは、残りは一人しかいなかった。
「リット。ちょうどいいところに来ましたね」
テレスに呼び止められたリットは、テーブルを挟んで椅子に座っている二人の姿を見る。
「どういう組み合わせだ?」
エミリアの姿を確認したリットは、すっと後ろ手に酒瓶を隠した。
「まぁまぁ、座ってください」
テレスは近くにあった木箱を引きずって来ると、無理やりリットを座らせた。
「なんだっつーんだよ……。――わかったぞ。説教だな。もしくは小言だ」
「して欲しいならするぞ。ちょうど理由も見付けたことだしな」
エミリアはリットの手から引っこ抜くように酒瓶を奪い取ると、わざわざ見えるようにテーブルに置いた。
「勘弁してくれって、小言も説教も。せっかくのほろ酔い気分が台無しになる」
「そういう時はアカンベェで返すのがいいですよ」
リットは半眼でテレスを一瞥すると、木枯らしのような冷たい息を短く吐いた。
「……で、なんだ? 仲良くおしゃべりでもするのか?」
リットの呆れ顔は、急に驚きの顔に変わった。ひんやりとした水々しいテレスの手が、リットの手を握っていたからだ。
「無視って大事ですよね。気付かれないよりは、無視された方が幸せというものです」
「……赤潮で頭ん中、汚染されてんじゃねぇのか。それとも魚のフンまみれにでもなったか?」
「汚染よりも、太陽の光線が怖いです」
「おい、エミリア。テレスの脳みそを半分にでも斬ったのか?」
「そんなことをするわけないだろう。ただ二人で話をしていただけだ。――それよりテレス。太陽が苦手なら、もう少し左に移動した方が、陽に当たらないですむぞ」
「……はい」
「で、何を話してたって」
リットは不機嫌に言った。
理由は目の前にあるのが酒瓶ではなく、エミリアが使っていたコップに変わったからだ。
水が九に対して酒は一。エミリアが作った水割りは、もはやただの不味い水だ。こうなると、かえって酒の風味が邪魔になる。
「龍の鱗と闇に呑まれた話をしていた。あとはその流れで、ヘル・ウインドウで揉め事が起きているとかだな」
「疑いが晴れるまで、魔族側が貿易制限をかけているそうです」
「なるほど。それでパッチが魔界の品物を欲しがってたってわけか」
「パッチワークがか?」
エミリアは聞いたことがないと首かしげる。
「なんだよ。部下の趣味にまで口出すのか?」
「趣味ならいいが……。どうもリットとパッチワークは、コソコソと二人で良くないことを企んでいる気がしてな……」
「あれは友情を深めてんだよ。そんなオレと猫の友情物語より、龍の鱗は見つかりそうか?」
あからさまな話題のすり替えだが、龍の鱗の話の方が重要なので、エミリアは納得のいかない顔のまま、先程までテレスと話していたことをリットに伝えた。
「確かに、適当に船を出すよりも、目星をつけた方が無駄足にならねぇか。それにしても、いちいち船に名前なんか付いてんだな」
「船は未開の海を渡るパートナーだ。パートナーには名前がないと不便だろう」
「ということは、エミリアの親父の船にも名前があんのか?」
「『マダム・シルバーランド号』だ。マルグリッド家の名前にもあるシルバーランドは、航海中一度も事故に見舞われなかったらしく、それにあやかって名付けたと父上が言っていたな」
「そりゃいい。マダムの処女航海はさぞ盛大に行われたんだろうな」
コップの中のほぼ水の酒を飲み干したリットは、さり気なく酒瓶に手を伸ばすが、リットの手より先にエミリアの手が酒瓶を掴み、リットの手が届かないテーブルの端にまで移動されてしまった。
「飲み過ぎだ。ここに来てから酒しか飲んでいないじゃないか」
「酒しかないんだからしょうがないだろ」
「ここには湧き水があるだろう」
「そりゃ、知らなかった。でも、エミリアも知らないだろ。ここには酒もたっぷりあんだよ」
リットは腰を浮かせると、勢い良く手を伸ばして酒瓶を掴んだ。
「リットの言うとおり、湧き水を汲みに絶壁を登るより、洞窟にお酒を取りに行くほうが早いですね。エミリアとノーラくらいですね、湧き水を飲んでるのは。わたしは水分が取れれば海水でもなんでもいいですし」
「それにしても飲み過ぎだ。イサリビィ海賊団は皆片手に酒瓶をもっている。「少しは控えたらどうだ」と、一日に何度このセリフを言っていることか」
「いちいち全員に声掛けてんのかよ。犬だって飽きたら吠えんのをやめるぞ。まぁ、噛みつかれないだけマシか」
リットがからかうような笑い声を響かせて酒瓶を傾けると、エミリアは諦めたように目を伏せた。
しかし、リットはその無言を了承の意味で受け取り、気持よく喉を鳴らす。
「まったく……。本当に龍の鱗のことを考えているんだろうな。私達がここにいる理由はそれだぞ」
「そうだな。じゃあ、『バカの悪趣味号』がドゥゴングに入港したって報告が届いたら、それに狙いを付けて船を出すか。あの『お魚さんと愉快なお仲間号』を」
リットは海賊船に目を向ける。
風雨にさらされ、太陽の光に灼かれた船は、海に黒い涙を流しそうなほど薄汚れている。
元々が沈没船ということもあり、今まで見たどの船より古びて見えた。
「お魚さんと愉快なお仲間号ではなく、『ボーン・ドレス号』ですよ。元々の船の名前は知りませんが」
テレスもリットと同じようにボーン・ドレス号を眺めて言った。テレスにとっては、ボロボロでも長年乗り続けてきた船であり、気持ちまではリットと一緒ではなかった。
「たしか、元は沈没船だったな」
「そうです。それも貴族船ですね。船の中に大量のドレスと白骨が散乱してましたから、嫁入りに行くところだったんでしょう。――あと、魚達の産卵場所でもありました」
「その亡骸はどうしたんだ? まさか海に捨てたりしていないだろうな」
無視を決め込むリットとは違い、エミリアは全く気付かずに話を続ける。
「ちゃんと、泣きながら埋めました」
「そうか……それなら魂も少しは報われるな」
エミリアが良かったと頷いてる間、テレスは無表情のままリットをじっと見ていた。
「……いくら見ても助けねぇぞ」
「仕方ないですね。では、またノーラと夜通しお喋りすることにします」
「それがいい。アイツもお喋りだからな。逃げないように食い物で釣っとけ」
「リットも一緒にどうですか?」
「オレはいい。いつかは知らねぇけど、その時間はいつも具合が悪くなんだ。なんせ、仮病持ちだからな」
「仮病を言い訳に使うな。断るならしっかり理由を言うのが礼儀だ」
エミリアは眉間の皺を曇らせた。
「仮病っていったって、症状はあんだぞ。顔は熱っぽいし」
「酒のせいだ」
「頭痛もする」
「飲み続けているからだ」
「……じゃあ、首を絞められたような息苦しさってのはどうだ?」
「それは……一概に酒のせいと言えんな」
「じゃあ、それにしといてくれ、それが一番酷い症状だ。オレの仮病の」
ひょうひょうと言ってのけるリットに、エミリアは眉間の皺をさらに深くさせた。
「いいか? リット――」
「よくねぇよ。その入り方は、結局小言じゃねぇか」
「リットがそうさせるんだ。悪いが今日は納得がいくまで付き合ってもらうぞ」
その夜、エミリアとテレスの話し声が尽きることはなかった。




