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ランプ売りの青年  作者: ふん
東の国の灯台編(下)

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第五話

 微風極まる大海原にポツンと浮かぶ船以外はなにもない。

 目を眇めたくなるような、眩しい太陽が海賊船だけを照らしている。

 船底を撫でるように静かに波がざわめき、太陽の光りが海に身をゆだねて乱反射していた。

 ゆりかごのように静かに揺れる船の上、リットはデッキブラシを手に、水を甲板に伸ばしながらこびりついた汚れを海へと掃き出していた。

 しかしいくら掃除をしても、海水に濡れた尾びれを引きずりながら人魚が移動するので、掃除など無意味に思えてしまう。

 リットはたまらずデッキブラシを放り出して、ラム酒の瓶に持ち変えると、近くで羅針盤を見ているアリスに、八つ当たり混じりの厳しい口調で話し掛けた。

「こんな海の真ん中で帆を畳んで、干物にでもなる気か? 早く船を動かせよ」

「あぁー、うるせぇ奴だな。オマエは航海士か?」

「そう言えば儲かる場合はな」

「心配しなくても、すぐに出すぜ。その間、下っ端は下っ端らしく掃除でもしてろってんだ」

 アリスは羅針盤から視線をそらさずに、触手に持っているラム酒を一気に飲み干した。

「海賊のくせに、海で迷子になったとか言うなよ」

「自分ちの庭で迷子になるマヌケはいねぇぜ」

「じゃあ、第一号か?」

 アリスは痰を切ったように短く笑うと、「アタシだってイライラしてんだ」と口調を強くする。「――おーい! まだか!」と怒鳴るのは、それからすぐのことだった。

「船長! 北北西に商船発見!」

 マストの見張り台ではなく、海から顔を出した人魚が叫んだ。

 船が通ることで海底に大きな流れができ、プランクトンが巻き上げられ、それを餌とする小魚が集まりだす。その小魚を狙って、今度は大魚が集まってくる。逃げ惑う小魚の動きで大魚の動きも活発になり、群れ全体の活性が上がるのだった。

 イサリビィ海賊団は、その海中の魚達の様子を見て商船の位置を確認する。

 望遠鏡を覗くより遠くの船を見つけられるし、向こうに気付かれる前に先に移動することができる。

 人魚やスキュラならではの巡邏の仕方だった。

「カームで停船中のところを狙う。船を引く用意をしろ!」

 セイリンが命令すると、急に船内は嵐が来たかのように慌ただしくなった。

「よっしゃあ! 紙と筆を持って来い」

 アリスが待ち焦がれていた報告を受けて、語尾を上機嫌に上げる。

「またか……。紙だってタダじゃないんだぞ」

 セイリンがオーバーコートを羽織り直しながら呆れ顔を見せた。

「一応知らせてやるのが海賊の慈悲ってやつだぜ、頭」

「まったく……。早く書いて、海に飛び込んで船を引いてくれ」

 セイリンはアリスの持っていた羅針盤を取ると、指針を確かめながら船首の方に向かって歩いて行った。

「さてさて、――この手紙を見付けた運の良い諸君。っと」

 アリスは文字を言葉に出しながら、紙に筆を走らせる。

「そりゃ、東の国に来る時にハスキーが拾った手紙と一緒だな。その時はたまたま運良く見付けたけどよ。誰にも見付けられなかったらどうすんだ?」

「かまいやしねぇぜ。これはただの警告だからな」

 アリスは飲み干したラム酒の瓶の中に、今しがた書き終えた警告文を入れた。

 そして、海面の波を読むと、手紙の入った瓶を海に向かって投げた。

 トプっという軽い音が聞こえると、瓶は波に揺られながら船と同じ進路に向かって流れていく。

「無駄だと思うけどな。波も穏やかだし、船に追い抜かれるんじゃねぇか?」

 リットは瓶の行方を見守りながら言った。

 瓶は息継ぎをするかのように、波間から瓶口を出したり引っ込めたりしながら流れていっている。

「いいんだよ。アタシが好きでやってんだからな。好きなことをしてこその海賊ってもんだぜ」

「せめて乾いた瓶を使わねぇと、中でインクが滲んでたぞ」

「いちいち細かいことを言うんじゃねぇよ。ケツの穴が小さい男だぜ」

「そっちはケツの穴が開きっぱなしなのか?」

 アリスは顔を赤くして、口をパクパクさせるだけで何も言わない。荒い呼吸が二、三回聞こえると、ようやく絞りだすように「うるせぇ! 変なこと言うんじゃねぇよ!」と声を張り上げた。

「どこで聞き耳を立てて覚えてきたかは知らねぇが、下品な言葉を使う割には免疫がねぇな」

「ほっとけってんだ!」

 アリスは毛が逆立つように触手を上げると、大口を開けて今にも噛み付きそうな勢いで吼えた。

 セイリンの「アリス! 話し込んでないで、早く船を引け!」という言葉に、アリスは「わかってるよ! 頭ぁ!」と不機嫌に返事をした。

 アリスが二本の触手で船べりを掴んで海に飛び込もうとしたところで、リットが呼び止めた。

「おい、気を付けろよ」

「なにがだよ。こっちはいつもやってんだ。今更優しい言葉なんか掛けてきても遅いぜ」

「そりゃ、優しくもなる。開きっぱなしなら、海で泳ぐ度に海水が入って大変だろ」

 アリスから言葉は返ってこない。

 代わりにリットの視界には、食べごろのリンゴ様な真っ赤なアリスの顔と、それと同じくらい赤い触手がしなって襲い掛かってくるのが映っていた。



 空気を破壊するような爆発音を響かせ、海の静寂を破りながら海賊船は商船へと近付いていった。

 弾は入っておらず、船が壊されることはないが、突如として煙を吐きながら近づいて来る海賊船は、商船内を慌てさせるには充分過ぎるものだった。

 帆を畳んだままの船が向かってくるのは、実に不気味な光景だ。

 この微風では逃げることも出来ず、商船は立ち往生するしかない。

 やがて商船は、横付けされた海賊船から発生する波で大きく揺れた。

 商人達の不安は、イサリビィ海賊団が船に乗り込んで来る度に大きくなっていくことになる。

 商船と海賊船を繋げるように置かれた気の板を渡って、次々に人魚の海賊が商船を占拠していくからだ。

 片足が尾びれの女が、杖に両手を付いて体重を預けながら、首だけを動かして静かに甲板を物色している。こそこそと耳打ちするクラゲの女は、瞳に感情の色がないのでなにを密談しているかわからない。

 機嫌の悪いスキュラの女は、今にも誰かに襲いかかるのではないかと不安が募る。

 商人達には、その横にいる、顔に吸盤模様が付いた男の存在さえも不気味に映っていた。

「旦那。見られてますよォ」

「人間を襲うタコにあったことねぇんだろ。皆、今日の波と同じでのんきな面してやがる」

 リットはまだ痛む、頬をさすりながらぶっきらぼうに言った。

「人をからかうから、そういうことになるんだ。少しは口を慎め」

 リットの影に隠れているエミリアが、非難するように咎めた。

「説教したいなら、いいかげん踏ん切りつけて同じ立場になれよ」

 リットが背中を押すと、エミリアはよろけながら隣りに並んだ。

 エミリアは一度リットの方を見たが、周囲の空気が変わるのを敏感に感じ取ると口をつぐんだ。

 セイリンが杖を付いて大きく揺れながら一歩前に出ると、肌で感じ取れるほどに甲板に緊張が走る。

「スムーズに話を進めたい。この商船の船長は?」

 船長も一歩前に出ると、意を決したように「私です」と苦しげに言った。

 セイリンと一言二言交わすと、船長はすぐに貨物室へと案内を始めた。



 階段を下りて窮屈な貨物室の中に入ると、皆それぞれ狭い通路にバラけていった。

 セイリンも「探しものがあるんだろ? 私達は勝手にやってるから、そっちは船長と一緒に探せ」とリットに残し、貨物室内を物色し始める。

 リットは貨物室を一度ぐるりと見回してから、船長に向き直った。

「龍の鱗はあるか?」

「龍の鱗ですか?」

 船長は未知の言語を聞いたかのように、戸惑いの表情を浮かべている。

「東の国の龍が落としていった鱗だ」

「聞いたことがありませんね……。この船では扱ってないです」

 船長の口ぶりは正直そのものだった。海賊相手に誤魔化し過ごそうという気持ちが微塵も感じられない。

 穏便にお引き取り願う為の計算か、それともただの天然かはわからないが、リットの第一目的である龍の鱗はここにはなかった。

 初めから見つかると思っていなかったリットは、早々に諦めて適当に近くの木箱を開けた。

「これはなんだ?」

 他の木箱より一回り小さい木箱の中には、苔が生えたような緑色をした貝が詰まっていた。

「それは、友人の錬金術士に頼まれた品ですね」

「『人魚の卵』か? よく、こんなに集めたな」

「はい、今回はこれを運ぶために船を出したようなものです」

 言ってから船長は、「しまった」といった具合に顔から血の気が引いていった。

 自ら貴重品と言ってしまったようなもので、海賊に狙われると思ったからだ。

「こんなのより、ベッドとかないのか?」

 リットの人魚の卵に興味が無いという言葉を聞いて、船長はほっと胸をなでおろす。

 途端に、体中の血液がめまぐるしく循環したかのように、船長の額からは汗が吹き出ていた。

「おいおい……大丈夫か? その汗」

 船長は「緊張が緩むといつもこうなんですよ」と、ポケットからハンカチを出して汗を拭く。

「それでなくても、夏だしな」

 不用心にも、すっかりリットに安心してしまったのか、船長はベラベラと話し始めた。

「東の国にも錬金術を浸透させたいらしく、積み荷の殆どはその為の道具です」

「錬金術なんてろくなもんじゃねぇ。何か一つ発見される度に、物の価値が変わるんだからな」

「確かに……。価値が上がったり下がったり、商人泣かせの技術ですね。最近ではステンドグラスに新しい色が加わったらしいですよ」

「緑だろ。結構前に情報だけは入ってきてる。どっかの教会が大金を払って、ステンドグラスの張替えをするってな」

「セントツーカ教会ですね」

「そうそう、それだ。ガレット地方にある胡散臭え教会だ」

 船長は同意するように笑っていたが、急に笑みを消した。

「あの……海賊の方ですよね?」

 丘での事情に詳しいリットに、船長は疑問の勘定を抱いていた。

「海賊は副業。本業は酒飲みだ。それにしても、なんもねぇ船だな。ちゃんと商売できてんのか?」

 リットは近くの木箱を開けながら言った。

 ここら一帯にある木箱には、他国には売りにくいような民芸品が多い。

「ぼちぼちです」

「まぁ、人魚の卵がこんだけありゃ儲かるわな」

 リットは箱にぎっしり詰まった、人魚の卵を見ながら言った。

「これは、まだ売り物じゃないんですよ」

「買い手がついてねぇのか?」

「そうではなくてですね……。人魚の卵じゃなくて、人魚の卵に似たものなんですよ。今の段階では」

「偽物ってことか?」

「いえ、偽物ではなく、錬金術士の研究の結晶です。人魚の卵を人工的に生産する方法を発見したのです」

 船長は故郷の国を誇るように、どこか自慢気な口ぶりだった。

「ほう……」

「この船は、道具と一緒に最新の成果も東の国へ送るところだったのです」

 風変わりの格好をした他の海賊よりも威圧感がなく話しやすいせいか、船長は先程からぽろぽろと重要な事をリットにこぼしている。

「……やっぱり、これ貰ってくぞ」

 リットは、セイリンに突きつけられた思い出があるナイフを横の木箱に置くと、人魚の卵が入った木箱を引き寄せた。

「勘弁して下さい! それがないと本当に困るんです」

 顔色を急激に変えた船長が、許しを請うようにリットの服の裾を握りしめた。

「友達に謝って許してもらえ」

「確かに私は友人の錬金術士に輸送を頼まれましたが、大元は国の命令です。それに、まだ生産に時間が掛かるので、この機を逃すと、また一年はかかることになるんですよ!」

「だからだ。オレが持ってるのを売るまでは、安値で流通してもらっちゃ困んだよ」

 過去にも似たようなことで損をしたことがあるリットは、せっかく高い金を出して買った物を、仕入れ金額よりも安くは売りたくなかった。

「何年かすれば、天然物の方が値段が上がることもよくあります! どうか、これは――これだけは勘弁して下さい」

 船長は思いつく限りの例を出しながら、リットに考え直すように頼み込んだ。

 しかし、リットは首を縦に振ることはない。

「オレがジジイになるまで待てってのか? そっちに拒否権はない。――これどっかで聞いたセリフだな……」

「宝石もありますよ! もしもの時の為に国から用意されているんです」

「石ころに興味はねぇよ。命令の失敗を伝えるのが嫌だったら、その宝石を持ってどっか別の国に亡命しろ」

「せめて――せめて、他のものにしてください!」

 まるで死刑囚がまだ生かしてくれと哀願するように、船長は必死にリットに食い下がった。

「あのなぁ、取引内容はオレが決める。当然アンタに拒否権なんてもんはねぇ。――これも、どっかで聞いたな……」

 リットは服の裾を握る船長の指を一本一本外すと、人魚の卵が入った木箱を持ち上げた。

「また、一から頑張れ。龍の鱗を見つけりゃ、一年後は邪魔しねぇよ」



「遅かったな」

 リットが甲板に出ると、エミリアが手持ち無沙汰にウロウロしているところだった。

「ゴネられたもんでな」

「なにも泣かせることないだろう……」

 エミリアはリットの後ろにいる、リットから受け取ったナイフを持って鼻をすすりながら歩いてくる船長を見ながら言った。

「ありゃ、嬉し泣きだ。また、一年後に船旅が出来るのが嬉しくてたまらないんだとよ」

「とても、そうは見えないが……」

「オレのことより、そっちはどうだ?」

「うむ、織物を買った。丸めれば枕にもなるし、折って下に敷けば背中も痛くならないからな」

 エミリアの足下には、布一反まるごと置いてあった。

「買った? もしかして、それが前に言ってた秘策か?」

「そうだ。なにか問題あるのか?」

「金を使ったら、物々交換にならねぇだろ」

「海賊でいる間はお金を使うことはない。よって貨幣は媒介物ではなく、ただの物品だ。物品と物品を交換するのが、物々交換というものだ。なんら問題はない」

 エミリアは曇りのない眼で堂々と言ってのけた。

 セイリンは既に説き伏せられた後らしく、エミリアに何か言うことはなく、荷物を運ぶ部下に指示を送っていた。

「金で解決か。そいうところはお嬢様だな」

「人を傷つけるくらいなら、金銭で解決した方がいいに決まっている」

 エミリアはリットの木箱に一度目を向けると、鋭い視線をリットに戻した。

「そう睨むなよ。あの船長と国に取っては痛手かも知れねぇが、オレの行為にありがたみを感じる奴もいる。錬金術士に恨みを持ってる奴なんて、腐るほどいるからな」

「人の仕事にケチをつけるのは感心しないな」

「錬金術なんて名ばかりで未だに金は作れねぇし、なにか発見する度に価格崩壊が起こる。そのうちエミリアのオヤジの商売にも影響が出るぞ」

「私は錬金術士のおかげで助かった一人だ。妖精の白ユリのオイルは、錬金術の蒸留技術で作っているのだろう?」

「そうだ、そこだな。蒸留技術でウイスキーを作ったことが、錬金術士の最初で最後の人の役に立つ発明ってことだ」

「結局、行き着くところは酒じゃないか……」

「なら、それが真理ってことだ。国やギルドで禁酒のお触れを出しみろ。良くて暴動、最悪亡命だ。一般人は王様がいるってことよりも、酒があるってことのほうが大事なんだからな」

「相変わらず極論で押し切るな。リットは……」

 リットとエミリアの会話を黙って聞いていた商船の船員の中には、声に出さないもののリットの言葉に頷く者が数人いた。






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