第一話
久しぶりに現れた船は、シッポウ村の港町跡からしっかり姿を確認できるくらい遠くに、乗り捨てられたように乱暴に停泊している。
住人はその船を、好奇な目と懐かしむ視線を混ぜながら遠巻きに眺めていた。
まだ平和なシッポウ村では、死の象徴の海賊旗も朝一の洗濯物のように爽やかにはためく。
海賊船から降ろされた小舟が、波に揺られ逆らわずにゆっくりと海岸に漂着した。
小舟から降りたセイリンは、まだ船の上に居るかのように体を揺らしながら歩いてくる。
海洋生物の牙のようなひしゃげた杖をつき、砂中に引きずり込まれるように片足を砂に取られながら、砂浜の中央付近で待つリット達に向かった。
リット達の目の前まで歩いてくると、セイリンは笑いが混ざったような息を吐き捨てた。
「――ダメだ。――アホか。――論外だ」
セイリンはリット、ノーラ、エミリアの姿をそれぞれ順に見ながら、あえて短く言った。
「なんだよ。約束を破る気か?」
「違う。武器の一つもなしで、どうやって海賊になるつもりだ」
シャツとズボンに、リュックを背負い腰からランプをぶら下げたリットの姿を見て、セイリンは呆れたようにため息を付いた。
「ランプ売りが武器なんか持ってるわけねぇだろ。誰かを殺す気も、殺せる気もねぇよ」
「結構なことだ。無益な殺生は敵を作るだけ。その為にも脅しの武器は必要なんだ」
「ずいぶん、お利口さんな海賊なこった」
「海賊と言ってもバカの集まりではない。死人が出れば、無駄に風当たりが強くなることくらいわかっている」
そう言うと、セイリンは次にノーラを見た。
セイリンの射るような瞳に捉えられたノーラは、一度体が大きくビクッと震えた。
「私もっスか?」
「ピクニックにでも行くつもりか?」
セイリンはノーラのリュックを奪い取ると、中に入っていた食料品をその場に景気よく捨て始めた。
「あぁ……勿体無い」
「食料ばかり。もっと他に持っていくものがあるだろう。――それと、エミリアと言ったか?」
「正しくは――リリシア・マルグリッドフォーカス・エルソル・ララ・トゥルミルスバー・カレナリエル・シルバーランド・エミリアだ」
「そんな長い名前は、海に放り投げてエビの餌にでもするんだな」
セイリンは下から順にエミリアの格好を確認していく。太陽の光を反射する白銀の鎧を舐めるように見て、最後に顔で視線が止まった。
エミリアとセイリン。お互いの睨んだような視線が交差する。
「鎧を着込んでいる海賊なんてどこにいる。売っ払って酒代にでもしろ」
「異議なし」
リットが拾ったおにぎりの砂を手で払い、口に入れながら言った。
「ありだ! そんなことできるわけがないだろう」
「船の上は動きやすさが命。そんな格好をして海に落ちたら、底までまっしぐらだ」
セイリンの正論に、エミリアは歯噛みするように顔を強張らせた。
「まぁ、リゼーネ王国の紋章が入った鎧なんか着て海賊やってたら、国にも迷惑掛かるだろう。鎧だけじゃなく、剣にも紋章が入ってるしな」
エミリアの鎧の肩辺りにあるリゼーネ王国の紋章に、リットがベタベタ指紋を付けて汚しながら言った。
エミリアは目をつぶり顔を上げ、太陽の光を顔中に浴びると、意を決したように目を開けた。
「……すまない、ハスキー。私が船に乗っている間、預かっていてくれるか?」
「はっ! しっかり保管しておきます!」
エミリアはその場で鎧を脱ぎ始める。鎧を全て外し、撫でるように吹いてくる冷たい海風を体に浴びると、ハスキーから渡された上着を羽織った。
「パッチワーク。私がいないからといって羽目を外すんじゃないぞ」
「……ニャーは信用されていないんだニャ」
エミリアはもう一度ハスキーとパッチワークを見渡すと、セイリンに向き直った。
「さぁ、行くぞ」
そう言ったエミリアの瞳には、言葉とは裏腹に行きたくなさそうな色を滲ませている。
それに気付いたセイリンは、哀れみにも似た視線をエミリアに投げかけた。
「そっちも苦労しているんだな」
「あぁ、この男には苦労掛けられっぱなしだ」
「オレが命の恩人でもあることを忘れねぇように」
リットは灯台から回収した妖精の白ユリのオイルが入った瓶を、エミリアに投げ渡した。
「それはもちろん感謝しているが……」
「――が、なんだよ」
「まさか、海賊に身を寄せるハメになるとは」
「お互い様だろ。東の国に誘ったのはエミリアだ。諦めるこったな」
「決心がつかないなら置いていくぞ。私にとっては、その方が都合がいいからな」
先に波打ち際に着いたセイリンが、砂浜に乗り上げた小舟を海に押しやりながら言う。
砂浜に力強い船底の跡を残し、船首を向かい来る波にぶつけて白波を立たせた。
船底が海水に浸る音が聞こえると、リットは足を早めた。
「そっちも諦めるこった。オレの都合が最優先だからな」
海底の砂に残らない足跡をつけて、海水を吸って重くなったズボンを纏った足を上げて小舟のへりをまたぐ。
小舟に乗り込むと、波にきしむ音が響いた。
「自分勝手な振る舞いは、無用に敵を作ることになる」
「人思いは、味方のふりした奴が増えるだけだろ」
「間違ってはいない。――が、周りは皆敵か?」
「敵か味方かじゃなくて、他人か知り合いかだ。敵も味方も、一握しかいないような奴のことをいちいち考えるわけないだろ」
リットはリュックを下ろすと、そこに頭を預けた。
「楽観的な男だ。羨ましい」
「……弱みを握られてる癖に、ずいぶん突っかかってくるな」
「一応褒めたつもりだ」
「そっちは悩める女なのか?」
聞いたものの、リットは興味なさそうにあくび混じりだった。あくびの呼吸音は波に飲み込まれ消えていった。
「聞いてどうする?」
「ランプが壊れてる程度の悩みだったら直してやるよ」
「そんな大層な悩みはない」
「そりゃ、よかった」
リットとセイリンの会話がピタリと止まってから一分程すると、ノーラに背中を押されながらエミリアがやってきた。
エミリアの決心と足取りは同調していなく、底なし沼を這うようなスピードで小舟までやってくる。
ようやく全員が小舟に乗り込み、いざ進もうとした瞬間。ハスキーが近寄ってきて大声を上げた。
「リット様! エミリア様をよろしくお願いします!」
「逆だ。オレがエミリアに守ってもらうんだ」
「旦那ァ、そんな情けないことを堂々と言わないでくださいよ」
「任せろって言ったら、なにかあった時に命をかけることになるだろうが」
「男とは命をかける生き物と聞きましたぜェ」
「また変なこと覚えてきやがって。オレはヨボヨボのジジイになってから、布団の上で苦しんで死ぬって決めてんだよ」
リットが言い終えると、小舟が大きく揺れた。
「余計な口を叩いていると、先に船の上で苦しむことになる」
オールの役目を果たしていない杖を使い、セイリンは器用に波をかき分けていった。
海賊船には、船底から船首にかけて、フジツボや貝や藻。それに漂流物がびっしりとこびりついていた。そのせいで、まるで木ではなく貝殻で作られた船のように見える。
貝を潰すように足裏を船壁に掛けて、垂らされたロープに掴まり甲板へと上がる。
セイリンが先に甲板に降りたところで、部下達が何か声をかけている。歓迎の言葉ではないのは確かだった。
「――頭ぁ! やっぱりアタシは反対だぜ!」
「ワタシもアリスの意見に賛成です。癪ですけど」
比喩ではない青白い肌の女が、癪という言葉をやたらと強調して言った。
「おい、テレス! アリスじゃねぇ! ガポルトルだ!」
テレスと呼ばれた女はアリスを無視して、髪の分け目を手櫛で整えている。
しっかり真ん中で分けられた真っ白い髪は、床に付きそうなくらい意味ありげに長く伸びていた。
「文句は口に出して言うもんだぜ。それともいい天気のせいで、脳みそが干からびたか?」
アリスが声を荒げて金色の瞳で睨みつけると、テレスは赤色の瞳で冷たく睨み返した。
「アリスとテレス!」セイリンが一喝すると、アリスは口をつぐんだ。台風一過のように静まった甲板を中ほどまで歩くと、セイリンは話を続けた。「私は今更意見を聞きたいわけじゃない。これは決定事項だ」
「でも、頭! 頭はあの男の性格の悪さを知らねぇんだ!」
アリスが甲板に降りたばかりのリットに向けて、槍先でも向けるように鋭く指をさした。指だけではなく、蔓延る触手も嫌悪をあらわすかのように一斉にリットに向いている。
「知っている。――身をもってな」
「歓迎の言葉にしては辛辣だな」
リットはアリスの触手を嫌味ったらしく握手をするかのように握った。
「さわんな! バカ! 歓迎なんかしてねぇよ!」
「オレがやった指輪を大事そうに付けてるくせによく言うよ」
アリスの右手中指には、汚れて陰った青空色したトルマリンの指輪がはめられていた。
「あら、まぁ」
テレスが芝居がかった風に口を押させながら、からかうように言った。
「違うぜ! 奪ったんだ! オマエだってアタシがやった――」
アリスは世界から音が消えたかのようにそのまま黙る。
「貰ったパンツを、オレがはいてるかどうか確かめるてみるか?」
「確かめるわけないだろ! このバカ!」
アリスは吐き捨てると、腕につながった鉄球を乱暴に引きずりながら何処かへ歩いていってしまった。
アリスのからかいがいがある反応を見たリットは、小さく笑みを浮かべた
「それにしてもボロい船だな。まぁ、コジュウロウの家よりましか。……どっかから拾ってきたのか?」
リットが塗装の剥げた甲板を見渡していると、耳の奥を痒くさせる不気味な音が聞こえた。
錆びついた滑車を回す音だ。
バンダナを巻いた人魚の海賊達がロープを引き、いつでも船を動かせるように帆を動かしていた。
帆はツギハギだらけになっていて、様々な国の布を使って修繕しているのが見て取れる。
「捨てられていたのは海の底だ。引き上げて動かせるようになるまでに五年は掛かった」
「本当に拾ったのか……」
「波に呑まれ水の重さで沈んだ船が海底の岩に挟まっていたのを見付けたんだ。運が良いことに損傷はさほどなかった。修理よりも、海面に引き上げて水を抜く作業に時間が掛かった」
「人魚なら船に乗るより泳いだほうが早いだろ」
「この脚は人間よりは早く泳げるが、人魚より早く泳げない。だから、私は船に乗りたかったんだ。最初は船の修理の材料を集めるために、他の船に乗り込んで無理やり物々交換をしていた。それがいつの間にか海賊と呼ばれるようになった。別に構わないがな。さて、――アリス! 船を出せ!」
セイリンが大きな声で言うと、船のどこからか渋々といった具合のアリスの返事が聞こえてきた。
「テレス。武器を持っていない三人になにか渡してやれ」
セイリンは言うなり身を翻して船首の方に歩いて行った。
テレスは貴婦人のようにフリルの付いたドレスの裾を持ち上げて、腰を曲げて了承の返事をする。
ドレスの中に脚がない。そして、手を離してドレスの裾が床についた時に、うねうね動いていたのをリットは見逃さなかった。
「皆様、こちらです」
テレスは武器庫へと案内するために、船室へと続く階段に向かった。
テレスに続いて、リットが階段の一段目に足を置いたところで上から声が聞こえてきた。
「なんで頭は、こんな奴らを船に乗せたんだ?」
アリスが触手で舵輪を握りながら、リット達に怪訝な瞳を向けている。
エミリアは立ち止まり、アリスに向かって頭を下げた。
「世話になるぞ、アリス」
「ガポルトルだ!」
ノーラもエミリアのマネをして頭を下げる。
「よろしくっス。アリス」
「ガ・ポ・ル・ト・ル!」
アリスは一音一音区切って、呼ばれたい名前を強調する。
「また会ったな、アリスちゃん」
リットだけ嫌味たっぷりに片手を上げて、アリスの名前を呼んだ。
「ガポルトルだって言ってんだろ!」
アリスは階段降りていくリット達に向かって、唾を飛ばしながら怒鳴った。
この船は元々貴族船だったらしく、階段横の壁には無駄とも思える装飾が施されていた。
「よそ見をしていると危ないぞ」
エミリアの忠告に「大丈夫だ」とリットが言おうとした瞬間。階段を踏み外してしまった。
反射的にリットが手を伸ばすと、なにか柔らかいものを掴んだ。オークの村でスライムを触った時のような、冷たく、どんな風にでも形を変えそうな絶妙な柔らかさだ。
「手を離してください」
リットが掴んでいたのはテレスの腕だった。
「なんじゃこりゃ……。骨がねぇのか。気持ちわりぃな……」
ブヨブヨともプニプニとも言い難い感触をしているテレスの腕を、リットは何度も握って確かめている。
「本当っスねぇ」
興味が湧いたノーラも反対側の腕を掴んで感触を楽しんでいた。
「ワタシはクラゲですから」
テレスの声色には、どことなく「驚いたか」と言うような自慢気な色が混ざっていた。
「それを見た時からそんな感じはしてたな」
リットはフリルが付いたドレスに見えるテレスの脚を見ながら言った。
「……その反応はつまらないです」
「先にアリスに会ってるからな。アイツの触手もドレスに見えた。……その昆布はクラゲと関係有るのか?」
テレスの生肩には、胸が隠れるくらい長い昆布が数枚掛けられている。
「干上がり防止です。夏場は太陽のせいで、すぐに乾いてきますから」
「乳を隠してるわけじゃねぇのか?」
「ブラじゃないです。乳首がないので、見られても恥ずかしくありませんから」
テレスは昆布をどけて、リットに胸を見せつけた。テレスの言うとおり乳首はなく、まんまスライムのように乳房が揺れていた。
「そういうのは人に見せるものではないだろう!」
怒鳴ったのはエミリアだ。素早くテレスの胸に昆布を掛け直した。
「乳首があるから胸なのです。乳首のない胸は、腕や首を出してるのと同じなのです」
「そうではない! 胸は胸だろう。テレスはもっと恥じらいを持つべきだ!」
「エミリアだって恥じらいはない方だけどな。普通の女は、汗でピッタリ肌に張り付いたシャツ姿を男には見せねぇよ」
「私は他人においそれと胸を見せるほど、恥がないわけじゃない!」
エミリアの声が船室に反響するせいで、何人もが一斉に説教をしてくるような気分になる。
「そんなに立派に膨らんでんだ。恥じるような乳じゃねぇよ。まぁ、乳首に噛みつくようなヘビの絵でも書いてるなら、恥じらった方がいいかもな」
「話を横道に逸らすな! そういう言動をすること自体が恥知らずと言うんだ」
「だいたいな、セイリン以外は全員半裸のようなもんだ。人魚達なんて皆下半身丸出しで歩いてるぞ。いちいち難癖付けてまわるつもりか?」
「難癖ではなく注意だ! 風紀が乱れてはいかんだろう!」
エミリアの言葉に辺りは静まり返った。
エミリアの迫力に負けたテレスが恐る恐る口を開く。
「あの……ここは海賊船ですよ」
「それがどうしたと言うんだ。海賊なら何をやってもいいわけじゃないだろう。海賊といえども、グループで生活をしているんだ。決まりは作るべきだ」
「無秩序というわけではなく、『イサリビィ海賊団七つの掟』というのがあります。それで、ですね――」
リットはエミリアの説教の矛先がテレスに戻ったのをチャンスにと、テレスの脇を抜けて階段を下りていった。
「旦那、旦那」
後から付いて来たノーラが、リットを呼び止める。
「なんだよ」
「旦那もエミリアに欲情するんスか?」
「あと五年経って、立派に尻が成長したらな」




