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2-3


「まず、君のここへ来た目的は? この街には何をしに?」

「えっと、ある秘術を探しに!」


 突飛な解答にネフィーは目を細めた。

 秘術? 秘めた術。そんな風に呼称されるもの、といえば、ネフィーにはひとつしか思い当たらない。


 ――未踏査域は、金銀財宝とありとあらゆる古代の知識が詰まった場所だ。

 そして多くの挑戦者たちにとって、そこは己が名誉を得るための場所でもある。

 数多くの〈怪物〉を打ち倒し、罠をくぐり抜けて、三つの階層を駆け抜けて。その最終階層にて待ち受ける打倒困難の仕掛けを突破した強者ひとりに授けられると噂される、世界でたったひとつの断術。

 名を、唯一断術という。


 他のあらゆる断術を用いても不可能な奇跡を呼び起こすと言い伝えられる、禁断の術式。

 

 ネフィーは思い当たったその術式の存在に、無意識的に唇を噛んだ。奇跡の術式。未踏査域の数だけ存在する、選ばれた人間だけが行使できる神の御技。まさに、神業。

 まったくもって、苦々しい気持ちだった。

 あんな術式の存在、聞きたくもない。


「秘術ってなにかな?」


 ソナはこちらの苦い表情に気付いた様子もなく、しばしぽかんとした顔をした後にライに尋ねた。

 彼は快活に答える。


「うん、えっとな……スタリアと断術を切り離して独立させ、組成・切断・起動するための方式を探して!」

「…………」


 ソナが黙りこんだ。

 ネフィーも少しばかり呆気にとられる。


 組成・切断・起動。どれも断術の使用段階を示す言葉である。世界に張り巡らされたある金色の糸が『組成』、糸を切るのが『切断』、切った糸を断術として起動させるための詠唱が『起動』といった具合だ。だがこれは決して一般的な言葉ではなく、専門用語と言って過言でない知識であり、そう知る人間はいないのだ。どうやらさっきネフィーを褒めたときのこともあったように、彼は断術についてまるで知識が無いどころか知識は深いようである。その知識の深さに少々驚いた。


 で、もうひとつはスタリアと断術を独立させるという点だった。


 そんなことは不可能なはずだと反射的に思った。スタリアと断術は切っても切れない存在、相互共存の関係にある。スタリアを根源とした『組成』を切らねば、断術は発動しない。金糸の切断が断術起動の必要最低条件のひとつなのだから、スタリアと断術を別物として考える、という思考が、そもそもネフィーには信じがたいものに思われた。結びついたふたつをばらばらに独立させる、なんてことができるものか。


 だがネフィーの脳裏を駆け巡った思考は言葉にされることはなかった。ちゃんと理解したのか怪しいが、ソナが話を再開したからだ。


「その秘術の噂はどこから?」

「噂じゃないよ。とだけ。聞いた場所は言えない」

「ふむ。じゃあその秘術のあるアテは?」

「未踏査域。の、どっか。正確な場所は知らない」


 ライは淡々と受け答えしていく。そのたびにソナの瞳が嫌な光を帯びて輝くが、何も指摘しないあたり嘘をついている様子はないらしい。する、と顎を撫でて、ソナは視線を虚空に投げた。


「ほむ。なるほど。じゃあまとめると、君はその秘術を探す為に余所から来た、そういうことだね?」

「あぁ、そうだけど、ひとつ追加すると故郷に帰りたくないからかな! ちょっと色々いざこざがあってね、戻るわけにはいかないんだよ。あ、その故郷の名前も教えらんないな」

「家出みたいなもの?」

「家出、永久版、かな!」


 実にあっけらかんとそんなことをのたまってからから笑うライ。快活な印象の彼にしては後ろ向きな発言内容だった。

 ソナがしばしの黙考の後、また笑顔を深めた。


「じゃあ次。君がルルバから落ちることができた理由は?」

「言えない」


 ライは即答した。

 それまで呑気に輝いていただけのそれが、急に確固とした強い意志を宿してきらめく。まるで宝玉のような赤い目に、ほんの少しネフィーはびくついた。ああいう眼はどうにも嫌いだ。アシュといい、ソナといい、どこか覚悟の据わったこういう目が、ネフィーは大嫌いで仕方ない。


 さっきまでの無邪気な雰囲気はどこへやら、凛と姿勢を正してライはソナに真正面から言い切った。


「これに関しては殺されたって言わないよ。俺だけが知っていればそれでいいこと。君が聞いたって百害あって一利なし、さ」


 じぃ、とソナはその言葉の真意を探るように、ライの目を見た。その心境を掠め取ろうとするような視線に見えた。

 その視線から逃げることなく、ライはまっすぐに、ソナの視線を受け止める。


 真っ直ぐと、真っ直ぐのぶつかり合い。ネフィーの大嫌いな視線戦争の末、予想外なことにソナがあっさりと折れた。


「……ふぅん。じゃあ質問変えよっか、君が話していたっていう声は何かな?」

「ああ、なんだ、そっちなら答えられるよ!」


 珍しくソナはそれ以上追求しなかった。よもや、彼女があの少年に圧されているということはあるまいが、引き下がるのは珍しい。少しだけ不自然に思った。


 だが話題をさらりと変えてソナが発した質問に、またライは表情を一転させた。明るく無邪気な楽しそうなその笑顔も癪に障る。どうもネフィーはこのライ少年が全面的に苦手らしい、とそのときに悟って、彼女は眉間に皺を寄せる。


 ライは考え事をするように目を泳がせた後、不意に自分の腰に巻いたベルトの小物鞄に手を突っ込んだ。どりゃ、とやる気のない掛け声を入れたかと思えば、なぜか渾身の力を込めたといった様子で鞄から手を引き抜こうと試行錯誤し始めた……の、だが。


「っだぁぁぁぁ、痛い痛い痛い痛い! 痛いよジア! ボタンで攻撃しなくたっていいだろ!?」


 と、突然鞄に叫んだかと思えば。


「うっさいなぁバカなのライ!? 僕は目的地だけ答えろって言ったよな、なんで他のことまですらすら答えてる上に僕まで引っ張り出そうとしてんの!?」


 先ほど聞いたばかりの若き青年の声が、その鞄の中から聞こえてきた。


「何言ってんだよ、ジアだって大事な仲間だぞ」

「そういう嬉し恥ずかしいこと言うのは後でいいです! とりあえず僕を離せ!」

「やだよなんで嫌がるのさ!」

「普通に考えて僕はタブーだろ! 触れちゃいけないナントカだろ!? なぁ!」

「え、ジアって触ると呪われんの?」

「そうは言ってないッ!!」


 なんだこれ。

 ネフィーはぽかんとして呆れ返った。


 漫才のように緊張感にまるで欠ける会話が目の前で繰り広げられていた。それも、どう見たって掌くらいのものを入れるのが限度の小物鞄に手を突っ込んだ少年と、その鞄の中から聞こえるくぐもった声の、である。心底バカらしいひとり芝居に見えないこともないが、腹話術の類ではなさそうな、実に奇妙な現場だった。


 思わず情報屋と顔を見合わせる。ソナは笑いをこらえたのと不思議がっているのとを混ぜ合わせたひどく間抜けな顔をしていた。かなり希少価値の高い表情だが、残念ながら記録装置などは持っていない。持っていたらソナの手に届かないくらいの大金を積んで他の情報屋に売り払ってやるのに。


 その奇妙な顔を観察でもして後で皮肉のひとつでも、と思ったところで、ぽんっ、という何かが抜け出るような音と共にライの一際大きな歓声が上がった。


「ほらっ、観念しろよジア! もうこうして外に出ちまったからには喋らざるを得ないぜ!」

「だからなんでお前はこんなにバカなの!? お前頭の良さまでワールド・ラインに吸い込まれたわけ!? ああぁぁぁぁぁもうこれ本来なら国家ものの機密なのに……僕が売り飛ばされたらどうしてくれんだよッ!」

「大丈夫だよ、俺が命を賭けてジアを守るから!」

「そういうのは可愛い女の子に言え! 野郎に言われても嬉しくもなんともねーわ!」


 少し口調が荒くなったその声に、二人してライの方を振り返って――もれなく二人は絶句した。


「有り得なさすぎる……これならまだ弟君のほうが優秀だったよ……長旅が続いたから、ついに気が触れちゃったのかな……?」


 人形が、浮いていた。


 街の子どもが手にしているような、てのひらにすっぽり収まる程度の大きさの人形だ。というか子どもが手作りしたのかもしれない。髪に当たる部分は茶色の毛糸で短めに縫われていて、人の肌であろう顔や腕、足などは肌色ではなくモスグリーンの布で出来ている。目……だと思われる小さめのボタンは両方で色が違って、右が黄色、左が黒。オーバーオールを着た男の子を象った人形らしい。


 何度でも言うが。


 オーバーオールを着た男の子を象った人形が、浮いていた。

 困ったように丸い右手を顎の下に持って行き、ひとりでに喋りながら。


「…………え」

「ってひょぉぉぉぉぉぉ!? ににににににに人形が喋ったぁぁぁぁぁぁ!!」


 あまりに非日常的な光景に「まさか霊魂の類なのでは」と背筋を凍らせ短い声を上げたネフィーと対照的に、本気で仰天したのかソナがバカでかい絶叫を上げた。それはやたら狭い小屋の壁を反響して耳をつんざく。今のはまず間違いなくご近所にも聞こえていただろうから後で謝りに行かなくてはなるまい、などという思考はちょっと現実逃避的ですらあったのは、自分でもすぐ気がついたことである。


 目を剥いて驚いたネフィーたちに、ライは至極不思議そうな眼を向けた。


「……ん? なに、どうした? なんかあった?」

「なななななんかも何もそれはなんだよライ君!? まさか君の亡くなったおじい様とか言わねぇだろうな! 人形が喋るなんてききき聞いたこともななないぞぉぉぉ!?」

「あたしもさすがに知らないけど……?」


 かなり戸惑った様子のこちら(主にソナ)にライは困ったようなはにかみを返した。うぅん、とひとつ唸ってからその人形を見上げ、


「こいつはジア。五年前からずっと一緒に居る俺の相棒で、兄貴分なんだ。ちょっと変わった見た目だけど気にしないでくれよ」

「いや気にするでしょ……ちょっとどころじゃなく気にするでしょ……」


 ツッコミが口をついて出る。普段なら思うだけで口に出すのはそうないが、今は状況が状況だ。


 ……人形と言うか、ぬいぐるみである。そのぬいぐるみが兄貴分とな。いや喋っているし浮いているし、とりあえずただのぬいぐるみではないことは確かだがしかし兄貴分とな。頭が一瞬で混乱した。あれか、東の国じゃこういうのが流行っているのか? それとも北の国? 南か、西か? どちらにせよバデニッシュ近郊では見たことのない現象である。


 物を持ち上げる、という断術は世に存在するが、言葉を話させる断術は対象が意志の宿る物であった場合に限って可能とされている。ただのぬいぐるみに会話断術をかけたところで無駄に終わるだけのはずなので、このぬいぐるみには意志がある、そう考えるべきなのだろう。もしくは未踏査域のどこかから持ち出された未知の技術? いや、しかしこのぬいぐるみの身体の構成に使われている布は、どう考えてもそこらによくある加工品……。


 謎のぬいぐるみの正体について自分の中の情報を洗い直して推測する作業を始めよう、そうすればきっと落ち着くはずだと自分に言い聞かせて集中しようとしたその瞬間、


「……あの、二人とも」

「やっぱ喋ったあぁぁぁぁぁぁ!?」

「ひっ!?」


 ソナのまたでかい悲鳴につられて、思わず情けない小さな悲鳴を上げてあとじさった。顔を上げた目と鼻の先に先ほどの人形がふよふよと浮いていて、じっと光の無い両眼でネフィーを見つめていたからだ。


 ちょっと待てなにそれ怖い。


 いつもは隠し通す臆病虫な自分が顔を出して顔からさっと血の気が引いた。こんなときでも、外套に隠れてその顔を見られていないことを祈る自分が、ひどく呑気にも思えたしバカみたいだと思ったが、どうにも癖は治らない。


 ネフィーとソナの反応に、その人形は困ったように頭をかく動作をした。


「あっははは……やっぱそうだよねぇ……いや僕も最初はびっくりしたから、そりゃまぁ驚くよねぇ……」

「さ、最初は驚いた……?」

「うん、まぁ。自分の気がおかしくなったかと思う程度には。あ、でもお嬢さん方、そんなに驚かないでくれない? 僕だって好きでこの姿なわけじゃないんだよ」


 そう言って、憂鬱そうにため息を吐き、くるりと一回転するぬいぐるみ。


「ご紹介に与った、ジアと言います。五年前からライのところに厄介になってるんだ」


 優雅に腰を折ったその姿が人間で、声の通り二十代の青年であったなら何の違和感もないのだが、なにせ折られた腰は柔らかい布に覆われて綿の詰められた身体であり、見た目はてのひらサイズのぬいぐるみである。そこはかとない違和感がネフィーの視界を襲った。何と言うか、ちょっと……ぬいぐるみ自体は可愛いけれども何かが違う気がする。なんだか色々間違えてしまった感じがする、そんな印象だった。


「……へぇ、喋るぬいぐるみかぁ!! ルルバから落ちるに続いて聞いた事のない事案だねぇ!!」

「え、そうなの?」

「そうそう、とぉぉぉっても珍しいのさ! いやぁどうもねライ君、それでは君に情報提供をしてもらったお礼と言っちゃあなんだけれど、ひとつ提案があるんだぜ?」


 にやり、とソナは早速仕事の顔に切り替えて怪しく微笑んだ。


 その笑顔にネフィーの背筋がぞくりと粟立つ。

 痛烈なほど嫌な予感が全身を駆け抜けた。ネフィーはこれまでの彼女との付き合いの中でも何度かこの笑顔を見たことがあった……そして、この笑顔で告げられたことはどれもこれも、ネフィーにとって最大級の嫌がらせばかりだったということを思い出した。


 今からでも遅くないと即座に自分に言い聞かせて、この場から逃れるべくソファを立った直後、ソナはとびっきりイイ笑顔で提案した。


「ライ君が未踏査域に用があるってんならちょーどイイ!! ネフィーに『奥地』の開錠依頼が来てるんだ。どぉだいネフィー、今回の依頼、ライ君たちを連れて行ったらさっきの一ヶ月分と足して二週間分の情報代をチャラにしてあげるぜ?」

「……! ……はっ」


 もう遅かった、と悟ったのは、合計一ヶ月二週間分の情報代がタダになると聞いて足を止めた、自分の愚行に気がついた後である。



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