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にしししし、とその様子を見てソナは笑う。その動作に合わせて、頭の高い位置で結わえた亜麻色の髪がくるんと揺れた。
オレンジ色が基調の上衣にショートパンツ、ロングブーツとありがちな服装だったが、彼女はまるで個性です、と主張せんばかりに明らかに二周り大きい漆黒のロングコートを羽織っている。それさえ無ければ見た目だけはよくいる街娘だ。細めた双眸の奥からは悪戯っぽい光の宿る灰色が覗き、少年を眺めている……否、観察しているらしかった。
初対面の人間を観察する癖があるのはいかがなものかとネフィーは思ったが、自分もあまり人のことを言えないので文句を言ったことは無い。
そうでなくても、ネフィーはソナとの会話が非常に苦手なのだ。というよりも、ソナという人間自体が。
「それで? あんたの名前は?」
「俺の名前? ……あ、そっか、まだ名乗ってないんだっけ」
いつもの調子で話し始めたソナに少年が態度を軟化させたのを察知したネフィーは、心の中で舌打ちした。
こいつもやっぱり騙されてる。ネフィーとソナ、どっちがマシかなんて、彼女達を知る人間百人に聞けば百人はネフィーと答えるのに。ソナは体裁だけはいいからなぁ――呆気なく騙された少年に心の中で合掌した。
だがそれを知る由もない少年は、適応力が高いのかもう気圧された様子もなさそうに名乗りを上げた。
「俺はライゼルっていうんだ。よろしく!」
何の疑いもなさそうに、にこやかに笑った彼。その表情を見てソナの目が一瞬光ったのを見逃すネフィーではない。
「へぇ、じゃあライ君と呼ばせてもらおうかぁ。見たところこの地方の人じゃねーみたいだけど、職業は旅人さん?」
「うーん、まぁそうとも言えるんだろうけど……気持ちとしては医者かな!」
「へぇ、お医者さん……わっかいのによくやんなぁ、オレ感心だよー!」
「あっはは、なんだか照れ臭いなぁ。医者って言ったって色々問題点は山積みなんだけどさ、なんかそう言ってもらえると嬉しいぜ!」
はぁ。ネフィーはため息をついた。
もう今のやり取りで、少年の情報は幾つも抜かれている。ライゼルという名前、この地方でないという言葉に対し反応が無いことから他地方出身のこと、医者であること、若いこと、問題点を抱えているらしいということ……パッと見は大したことではない。だがその小さな情報が集まれば、元の情報よりもより重要な情報を類推することは十二分に可能なのだ。
本来、こうもペラペラと情報屋を名乗る人間に喋るべきではない。
警戒心ってものが、このライゼル少年からは一切感じられないのだ。能天気でのほほんとしたその態度がどこか忌まわしく思えて、ネフィーはこいつつくづくバカなんだと悟り頭を抱えた。ちゃんと会話が成立するかさえ不安になってきたくらいには、この少年の前途が心配である。
悪女ソナ。彼女と十分話していると、相場金額にして三万エルンの情報を抜き取られる。その伝説を知らずに罠にかかった(むしろここに連れてきたのはネフィーなので、ネフィーがかけたというべきかもしれないが)哀れな子羊が、またひとり誕生した。
ネフィーがやれやれと呆れ返っていると、ソナはライから視線を移してこちらを見た。
「で、じゃあ今日はライ君からの情報提供と開錠報告ってぇワケだな? 見たところ、ネフィー名前も名乗ってなさそうだし、事情の説明もしてなさそーだけど。だいじょーぶなんだろね?」
「そりゃ何も説明してないわよ。初対面の人間にそう軽々しく自分の名前なんて名乗りたくないわ」
「だけど初対面の人間は拉致してこれるんだよな……。謎だよなぁ、ネフィーの思考回路って」
「……なんか言った?」
「いいやぁ別に。ネフィーは気難しいねって言ったのさぁ」
大仰に肩をすくめたソナは、じゃあまずはこいつから紹介しようか、とネフィーを指し示した。名乗りたくないと言ったのを聞き流したわけではないだろうから、多分ネフィーの意志を汲みたくないだけだ。
こいつはすこぶる性格が悪い。あれと言えばこれをして、それと言えばどれと何度も聞き返すような奴である、人に喧嘩を売るのは十八番。付き合っていては身がもたないのは知っているので、ネフィーは黙ることにした。
この軽薄で男言葉を使う少女が、いつも誰より正確な情報をつかんで掲示板に書き込む……もっと言えば今朝の掲示板に「横取り大活躍」などと書き殴った、十四歳の凄腕情報屋。
――だなんてとても見えないのに、現実とは時に御伽噺より奇妙である。
「あんたを拉致してきたこいつの名前はネフィー。職業は無所属開錠士。オレのひとつ上なのに天才の異名を欲しいままにする、超イツザイの開錠士さぁー」
「……随分嫌味な言い方するのね、ソナ。あんたこそ悪女なんて呼ばれてる身の上でしょ。よく言うわ」
「そんな言い方はやめてほしーね。オレは経歴が経歴だからそんな言われ方するだけさ。その経歴だって運が物を言ったところも多いしー」
「どの口が運とか言ってんの? 邪魔は片っ端から叩き潰す主義のくせに」
ネフィーの言い返しに、ソナは微笑を深めただけだった。
……笑顔だけなら可愛いのだが、その奥に隠された悪意や企みが滲み出ていて、ネフィーはその顔が嫌いだった。他の人間が何故この笑みに隠れた違和感に気付かないのか不思議でならない。こんなにも厭な笑顔なのに、なぜソナの経歴をも知る人間であっても「笑顔は完璧なのにな」なんて言えてしまうのか、ネフィーには心底謎だった。
不愉快なその笑みから目を逸らした先にたまたまライの姿を捉えた、と思うと、彼は不意にきらっと目を輝かせた。
「か、か、開錠士ッ!? えええええすごい、君開錠士なの……その齢で! へぇぇぇぇ、すごいねぇ……最高位断術使いってことだろう? そりゃすごいや!」
「……うっさいんだけど」
「いやだってすごいものはすごいじゃないか! 開錠士の使う開錠断術にはスタリアの持つ特性傾向と個人のスタリアの操作精度が深く関わってきて、それらは大体二十五歳を超えてから安定してくるから、開錠士は基本ニ十五歳以上。二十歳だって珍しいのに、君十代でしょ!? すごいや!」
馬鹿みたいに騒がしい賞賛の言葉。しかし、それにまじえて彼が興奮した様子で口にした台詞に、ネフィーは少なからず驚いた。
スタリアの特性傾向、操作精度。どちらも専門用語に分類される、一般にはあまり知られていない言葉だったからだ。
開錠士の基本適正の基準は、実はあまり知られていない。一般的な認識としては「断術が上手い人」くらいのものである。だが本来の断術における特性傾向、つまり断術の源である個人のスタリアの開錠断術の向き不向き――つまりはまぁ、「攻撃に向いているか補助に向いているか」という区分わけのようなもの――と、本人がどれだけ綺麗にスタリアを操作できるのかという段階を示す操作精度について知る者は、さほどいない。
ふむ、とネフィーは少しだけ考え直す。ライは医者だと名乗った。開錠断術が最高位なら、次席は医療断術である。これはスタリアの適合者が少ないという意味であり、また、膨大な知識と技術が必要だということだ。医者の肩書は伊達ではないらしい。
……ただし「ルルバから落ちる」というとんでもないことをやらかしたこいつが、果たして本当に医者なのかは怪しいところだったが。
興奮冷めやらぬ様子で「すごいすごい」とまるでバカのひとつ覚えのように連呼するライに、ネフィーは至極冷たい目を向けた。いつまでもはしゃがれては迷惑極まりない。
「あんた分かってる? 今の立場」
「え? 俺の立場?」
あ、分かってなかった。どんだけ田舎者なのコイツ、とため息をつきながら、ネフィーはなにひとつ悪びれた様子もなさそうに言った。
「利用させてもらったわ。ここであんたがルルバから落ちることができた理由と、もう一つの声の正体について洗いざらい吐いてくれれば無事に帰す。そうじゃないならこっちは実力行使も厭わない」
「……えっと?」
「要はさ、ライ君。あんたは知ってることをいろいろ話さないと、ここから無事では帰れないよって言ったんだって」
「…………マジ?」
「嘘をついてるように見える?」
「いえ見えません」
ライは即答した。顔からは少し血の気が引いているようにも見える。
初対面のこいつには申し訳ないが(……多分そう思っているはずだ、多分)あんな不可思議な現象を情報源とせず放置する手はネフィーにはなかった。存在するはずがないスタリア操作が赤ん坊以下のライ、ジアと呼ばれたもうひとつの声、一体それが何なのか気になる……、
……と、いうわけでは、実はない。
本当のところ、ネフィーには声が誰だろうと、ライのスタリア操作が上手かろうと下手だろうと知ったことではない。知らなくたって生きていけることだ。どうせ他人のことである、ネフィーがそれを知ったから何かが変わるわけでもないだろう。
だが、ネフィーは日夜開錠士という危険な仕事に携わる。その仕事柄ゆえに、そういった奇矯な情報は得ておくに越したことはないのだった。
開錠士は、エリアの鍵を開けるだけの仕事で済めば良いが、依頼の内容によっては未踏査域の中にまで踏み込み、その中の施錠断術を開錠せねばならないこともある。
施錠断術、と呼ばれる封印の術式は、何も未踏査域の入り口だけに仕掛けられたものではない。未踏査域は大きく分けて三つほどの「階層」に分かれていて、各階層との間には道を阻むかのように施錠断術が施されている。この各階層の施錠断術を解き放つのも、むろん開錠士の仕事である。
そして未踏査域内には、野生動物よりよほど凶悪な〈怪物〉が徘徊していることもあれば、古代の守護兵が武器を手にうろついていることもあるのだ。
正直いつどこで殺されてもおかしくない敵地のド真ん中のようなもので、そこに遠路はるばる鍵を開けるためだけに行かなければならないことも多い。
そんなとき頼りになるのは、仕事先の情報だった。
どんな〈怪物〉が出て、それの弱点はなにで、そいつの嫌う物は何か。先に踏み込んだ挑戦者たちから収集した情報が、ネフィーの生命線となる。そしてその情報を得るには、情報屋から買うしかない。
より確実性を期すため複数の情報屋を利用しているネフィーだが、情報を得るには多くの資金が必要である。ここでネフィーを助けているのが、彼女の持ち合わせた高度な断術技術であった。
一般の開錠士ひとりに対して、開錠報酬は相場一万エルン。ひとつのエリアの開錠に平均十人は必要な場合がほとんどなので、十人合わせて十万エルン。開錠依頼を出す挑戦者は、最低でも十万エルンは払わなければならないことがほとんど――だがネフィーを始めとした数人は、話が別になる。
なぜなら彼女たちは、開錠に十人を必要とする一般の施錠断術を、ひとりで開錠することができるからである。
ひとりで開錠できるから、開錠という一点において徒党を組む必要が無い。ソロ、と呼ばれる個人で活動することも、チームと称される十人以下の人数で行動することもできる。さてこれが何を示すかというと、開錠士のリスクとリターン両者の増加、そして依頼主にとってのリターンの増加を示す。
開錠士はひとり、もしくは十人以下で開錠した場合、相場のひとり一万エルンよりも多額の報酬を要求することができるという決め事がある。これはひとり分の取り分が増加するわけで、これがリターンに該当する。ただし人数が減るので、未踏査域奥地へ赴いての開錠などでは〈怪物〉に襲われた際の危険が増す。これがリスク。
対して依頼主にとってのリターンとはずばりそのまま、払うべき報酬額が少なくて済むのだ。
チームの際は必ずしも該当する例ではないが、ネフィーのようなソロが開錠依頼を成功させた場合、ネフィーは三万エルンを請求することができる。このとき、ネフィーひとりに三万払うか、それとも十人の開錠士に十万払うかを天秤にかけて、金額がより少なくて済むネフィーに仕事を依頼する人間は多いのだ。
――実際の生活において、ネフィーは貯蓄以外では三万エルンも必要としない。この街では生活費に多くて一万と五百エルンといったところで、では残り半分はと言えば貯蓄と、そして情報屋から情報を買うための金に回している。
よく法外な値段だのぼったくりだの文句を言われるが、仕事はちゃんとしているのだから黙ってほしいものだとネフィーは常々思っていた。こっちだって命がかかっているのだ、情報と言う生命線をおろそかにして死ぬのだけは勘弁願いたい。
実際、情報をまともに集めないで死んだ人間を、ネフィーは大勢知っているのだから。
そんなわけで日夜金を必要とするネフィーだが、このソナと対峙するときには金以外にも必要なものがある。それが、ソナの生業でもある情報のことだった。
ソナから情報を得たいなら、金を払い、その上で得たい情報相応の情報をソナに譲り渡す必要がある。大体彼女の話術にはまって相応以上の情報を喋らされることが多いが、まぁ要は彼女の知らない情報はそのまま金の代わりになる、ということである。
「そういう点では、あんたは貴重な情報源ってわけだな。ライ君や」
「……情報源、って言われてもなぁ」
「ルルバから落ちることができる人間なんて、オレ聞いたこと無いぜ? 『悪女』『地獄耳』『死神』『悪魔』『史上最悪のあぶれ者』――そうまで呼ばれたこのオレが、だ」
にや、とソナは笑う。
やはり思った通り、さすがのソナでもそんな人間は知らなかったらしい。となればここで彼に事情を吐かせれば、たったそれだけでネフィーは情報費を節約できるから、更なる安全を求めて策を立てることができるようになるだろう。節約費用は情報相場を鑑みれば、およそ一ヵ月分。
つまりはネフィーの安全確保、たったそれだけの理由で、ライは連行されてきてしまったわけで。
少しばかり申し訳ない気持ちがないわけではなかった……気もするが、世間は言わば弱肉強食。逃げたいならこの場でネフィーとソナをどうにかして逃げればいいし(そう簡単に逃がすつもりはないが)、そうでないなら喋ればいいだけだ。もし隠し事なんて高度な真似ができるなら、ネフィーとソナを騙せばいいだけ。実にシンプル、ドライで冷めた関係。
ネフィーはだが、それくらいの関係性が好きだった。
あまり人に深入りしすぎると痛い目を見るのは、とうの昔に学んだことだ。
「じゃあ、ライ君。君にはいくつかの質問に答えてもらう。答えてもいいし、答えなくてもいい。ただ全部答えられないのは困るんで、無理矢理聞き出すところもあるかも、だけどな。心の準備は?」
「……うーん。まぁ、いいや。質問だろ? 俺が答えられるの少ないかもだけど、それでいいなら!」
ソナの「無理矢理」が、いわゆる拷問を含むことを知らないからか、ライは笑顔でそう言葉を紡いだ。そうかい、と言ってソナは彼の目をじっと見る。
爛々と輝く灰色の瞳は、今まで人の嘘を見抜けなかったことがない。
しばらくそうした後、ソナは「じゃあ」と切り出した。