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1-2

 


 そこには予想通り、人混みをずかずかとかき分けてこちらに直進してくる、ネフィーの倍はありそうな大男がいて、彼女は盛大にため息をついた。


 なんでよりにもよってコイツに遭うのか、自分の不運を呪いたい気分だった。この男はネフィーの嫌いな人種の上位五名には入る、天敵と言っていいほど忌避したい相手なのだから。


 焦げ茶のオールバックに群青の軍服、背中に吊るしたままのバカでかい大剣。首筋に大きく走った傷跡と馴れ馴れしい態度に、人を見透かしたような金色の瞳の男――国家直属開錠部隊隊長、アシュロン・トアダガン。


「……何の用なの、アシュ」

「いや、見かけたから声かけただけだぜ? そんくらい良いだろ?」

「うざい。話しかけないで。嫌い」

「がふっ、俺お前にそんなに言われるほどひどいことしたかぁ……?」

「生理的に無理」

「そんなきっぱり言わなくてもいいじゃねぇか!」


 情けない声を上げながらもへらへらと笑顔を浮かべたままのそいつが、ネフィーは心底苦手だった。それこそ、ここに来た三年前、初対面のときからずっとだ。


 昨日リバース・エリアの手柄を横取りされたのにも関わらず、アシュはぽんぽんと、何を気にした様子もなさそうに言葉を口にする。


「いやぁな、昨日のアレを見て新人どもが戦意喪失しちまってよォ……今日は休みにしたんだ。奴らからすりゃこれまで必死に鍛えてきた開錠〈断術〉を、目の前で年端もいかねぇガキが自分より遥かにうまく使いこなしちまったんだ。衝撃的ってもんだろう」

「……あっそ。随分と精神のヤワい連中ね」


 至極冷たく言い放てば、アシュはおいおい、と呆れたように肩をすくめた。


「お前さんが例外なんだよ。十五で普通、あんな面倒くせぇ開錠できねぇんだからな? カルだって二十歳であの腕前なのは少数だっつーのに、お前さんはどんな才能を授かったんだか」

「他が使えないだけ」


 素っ気なくネフィーは答えた。


 この街に来て、開錠士として初仕事をした日からずっと、誰もに言われ続けた言葉だった。とっくの昔に聞き飽きて嬉しさなんてカケラも湧いてこない。それも、この男に言われたとあっては。


 いつも不機嫌気味の態度を更に降下させたネフィーに気付いているのかいないのか、そいつは対照的に上機嫌な様子で戯言をほざく。


「ああそうだネフィー。最近、〈奥地〉のほうの開錠依頼が多めに出回ってるみてぇだ。未踏査域の中に否が応でも入らなきゃならねぇ依頼だからな、そういうときは遠慮なく俺を頼れよ!」

「殺されたいのあんた?」


 思わず反射的に噛み付いた。彼女からすればそれはバカにされたも同義の言葉である。きっと敵意を込めて睨みつけてやれば、そいつはひらと手を振ってさっさと話題を切り替えた。


「まぁそう睨むなって。そうそう、カルが死ぬほど悔しがってたから、今度会ったとき気をつけろよ。無暗に喧嘩を売ったりはしねぇと思うけど、嫌味のひとつやふたつ言われると思っといたほうがいいぜ」

「なんであたしは仕事をしただけなのに嫌味なんか言われなきゃならないの。そもそもあんたの監督責任でしょ。部下の管理もできないなんて上司失……あ、あんたはそもそも人間失格だっけ」

「随分格下げされてんな!? 俺はまだ一応人間のつもりだけど!?」

「まだってことは人外になる予定があるんだ。じゃあそこらの虫ケラになりなさい。踏み潰してあげる」

「無表情で言うなよ怖ェな!」


 割合本気で言ったつもりだったのに、からから笑うそいつに腹が立って仕方が無い。


 こういう風に、刺々しく言葉を投げつけて攻撃的な雰囲気をまとえば、周りに人がいなくなると学んだのは何年前だったろうか。そのはずなのに、こいつは構うことなくこちらに絡んでくるから嫌いだった。ネフィーは人が嫌いなのに。


 いい加減鬱陶しくなってきて、ネフィーは自ら話題を振った。


「……国家直属開錠隊の隊長ともあろうあんたが、あたしと話してて平気なわけ? あんたのバカみたいにでかい声のせいで、周りがこっち見てるんだけど」

「あん? んなの関係ねーよ。俺はお前がここに来たときから知ってるんだ、自分の子どもみたいなもんさ。子どもと話すのに場所なんざ関係ないだろ? それに同じ開錠士同士なんだしさ」

「あたしはあんたに子ども扱いされるいわれはないし、そもそも同じ開錠士って言ったって無所属と所属じゃ天と地の差なんだけど理解してんの」

「理解してなきゃこんな仕事やってけねーよ」


 気だるげにそう言ったアシュだが、ネフィーはこいつ絶対分かってないなと呆れ返った。


 ――国家直属開錠士とは、数々の貴重な遺産が眠る未踏査域をある国家が踏破する上での鍵開け士の部隊のことを指す。国家は未踏査域にある現在技術より遥かに発達した兵器や知識を求める場所が多い。軍事力のためであったり、国内平定のためであったりと理由は様々だが、とかく未踏査域を踏破し、そこの技術を持ち帰ることを必要とする場合ば多いのである。


 そんな国がいちいち鍵開け士を雇うのは手間がかかり、かつ資金にも限界というものはある。ということで、、国家は未踏査域の調査と鍵開けを両方行える特殊部隊を編成するのが、現世界情勢における定石となりつつあった。

 つまりは、「国家の支援を後ろ盾に受けた開錠士」を指す。


 ……そして、バデニッシュのあるミーリック帝国の国家直属開錠隊隊長が、このアシュだというのだから世界は案外に分からないものだ。こいつは器は大きいし人を見る目もあるし、加えて実力も申し分ないが、いまいち忠誠心に欠けている。知る限り、どんな国だろうと功績に応じて給金の下りる直属隊の仕事を横からかっさらう、ネフィーのような無所属鍵開け士と所属鍵開け士の溝は深く、本来は街で出会おうものなら殺し合いに発展しかねないくらい殺伐とした関係だ。


 というのに……こいつはまったく場を省みない。


 この場を、たとえばこいつの部下であるカル、本名カルディオ・ク―ズでも見ていたら、アシュはこっぴどく叱られてネフィーを敵意の目で睨みつけるはずなのだが。


 そこまで考えて、ネフィーはアシュを追い払うために言ったはずの言葉が、結果として雑談を引き延ばしていることに気付いて早口に告げた。


「……あたし急いでるんだけど」

「あれ、そうだったのか? 全然そんな風には見えなかったぜ?」

「訂正、急ぐことに決めた。あんたと話すのは時間の無駄」

「そうかいそうかい、じゃあまた今度な!」

「二度と会いたくない」

「結局会っちまうけどな! がはははははっ」


 うっさい、さっさとくたばれ老いぼれめ。

 そう言い返すのも億劫になって、ネフィーは足早に踵を返した。



 広場を出て大通りを避け、路地裏を回って今度は街の反対方向へ。目指す情報屋はこちらの方角に拠点を構えている。


 広場のある街の南東方向は、大規模な露天市場や宿などが立ち並ぶ〈挑戦者〉のための地域だ。大半の鍵開け士もそこに居を構え、挑戦者が依頼を出しやすいようにしていて、そればかりは人嫌いのネフィーも妥協した点だった。

 そもそも生活費のために開錠士になったのに、仕事が入らないのでは本末転倒なのだから。


 で、反対方向の北西。こちらは街の住人たちのための地域、とでも言える場所だった。


 未踏査域に挑戦するわけでもない、ごく一般的な市民たちの暮らす場所だが、見ようによっては南東よりも発展した地区でもあった。なぜなら南東の移動方法のほとんどが徒歩なのに対し、こちらは〈断術〉と呼ばれる技術の用いられた移動手段や光景が数多く見られる場所だから、である。


 断術、とはその名の通り「断つ」術だ。


 世界中の人間が、たとえ赤子であっても使用できるほど一般的なそれは、世界中に張り巡らされたあらゆる法則の糸を「切る」ことで現象を引き起こすという至ってシンプルな理論の元に成立している。普段はそう意識しないが、ネフィーたちの視界には金色の極細の光の糸が「景色」に溶け込んでおり、いざ断術を使おうと意識することで糸が「鮮明化」する。それを、引き起こしたい現象の種類に応じて「切る」だけだ。


 例えば小規模な火を熾したいなら、糸を二本、斜めに。水を出したいなら糸を一本水平に――無数の組み合わせによって引き起こせる現象が異なるが、方法はわかりやすい。


 その糸の強度は現象によって大きく変わり、日常生活で使う程度の断術を使うなら指をひょいと振るだけで切れてしまうほど弱い。ただし誤っての使用を防ぐべく、糸を「鮮明化」する過程をすっ飛ばすと、どんな簡単な断術でも使用できないのだが――逆に、ネフィーの生業である施錠断術の開錠、つまり開錠断術は、断術の中でも最高難易度の術式である。そのために糸を切る順序も本数も角度も複雑だし、糸の強度は平均二千百九十七回切らなければならないほどに強い。


 南東での移動手段が徒歩に限られているのはこれに由来する。もし断術による浮遊可能な移動装置などを挑戦者エリアに設置した場合、誤って挑戦者が糸を「切り過ぎ」てしまうと、力の反発によって思わぬ事故が起きることがあるからだ。しかし、北西の一般市民地区ならばまず技術的な問題で「切り過ぎ」ようがない。彼らは日常生活に使える程度の技術しか、備えていないのだから。


 そういうわけで、北西には空飛ぶ移動装置や昇降機が設けられ、上下移動も水平移動もそれを使うのがほとんどセオリー。その地域を徒歩で行く者は、この地域に用のある挑戦者か開錠士に限られ、一般市民との移動方法の住み分けがなされているのだった。

 

 無論ネフィーは開錠士であるので、徒歩での移動を強いられる。前にこっそり昇降機に乗ろうとしたら、目ざとい係員に見つかって危うく反国家攻撃組織(テロリスト)の一員として連行されるところだったので、もう試していない。


 路地裏のうらぶれた木造とも、南東の分厚い石造りとも違う、赤レンガ造りの家々の間を、巨大な円盤型の水平移動断術機――ルルバが二十人もの市民を乗せて頭上をゆったり飛ぶ。その様は、さながらおとぎ話のようで笑える光景だった。ルルバ自体が未踏査域から出土した遺産であるせいか、どこか古代に逆戻りしたような奇妙な気分になる。だがどうしてかどこか未来的でもあって、現実味の湧かない気分になるのだ。


 ルルバが出土していない地方から来た挑戦者や旅人は皆、これを見て圧巻の声を上げるのが恒例行事となっていた。「バデニッシュの名物はやっぱりルルバと食い物だろ」とアシュが誇らしげに言っていたのを思い出してしまって、ネフィーはぶんぶん頭を振る。

 思い出すだけで寒気がするような相手を思い出すなんて、思考の無駄遣いだ。


 ……さて、ルルバは見た目こそ機械だが、この大陸から海を隔てた向こうにある国の機械のように「電気」で動くわけではない。動力は機械の内部機構に埋め込まれた断術を刻んだ図形、断術陣だ。断術を使う上で糸を切るのに必要な力の源、スタリアこそが動力になっている。


 スタリアと呼ばれるそれは断術が誰もが使えるゆえんで、誰もが生まれたときに神に祝福され手にすることができる力、と言い伝えられていた。それはネフィーたちにとって呼吸と同じくらいに身近で当たり前のものなので、そもそもそのスタリアを所持しない人間の存在を想定などしていない。

 それはそうだ、そんな人間は生まれるはずが無いのだから。

 そんな人間はすなわち、神に見捨てられた存在だということなのだから。


 だが。

 彼女はその日、信じられない物を目撃する羽目になった。


「きゃああああぁああああああ!」

「オイッ誰か落ちたぞ!」

「そんな、ルルバから人が落ちるなんて……っ」


 なんだか物騒な言葉が遥か頭上から降ってきて、それを奇妙に思ったネフィーはせせら笑うように顔を上げた。ルルバは世界一の安全性が確認されている遺産だ。聞くところによれば、乗員が故意にルルバから落ちようとしても、人の体内に燃えるスタリアの引力性のお陰で、落下することは不可能だという。もし落ちそうになってもルルバ本体の持つ引力で引き上げられるから、誰もルルバから落ちることはできない。それこそ、生まれ落ちて一分と経たない赤ん坊であっても。


 だから、ネフィーは頭上の声を心底バカにしながら上空を振り仰ぎ。


「うっわぁあああああああああキミ! どどどどどどいてぇぇぇぇぇぇえ!!」

「どかれたらライが死ぬって分かってんの!? ちょっとごめんね、どうにか助けてもらえないかなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 と。


 悲鳴を上げて落下してくる影に一瞬唖然とした。

 頭の中の処理が確実に追いついていない。人が? 落ちてくる? どこに?

 ――あたしに。


 ネフィーはそれを理解した瞬間、砂色の外套を大きく翻して、中に着こんでいたチュニックローブの中から相棒を掴み取った。腕一本分ほどの長さしかないそれをほとんど間をおかずに「拡大」する断術を、指で糸を切って素早く行使。ロスタイムゼロで本来の長さを取り戻した銀色の長杖をぐるんっと手首で回して五本分の糸を切断した直後、ネフィーは矢継ぎ早に詠唱した。


 街の中で断術を使うなんて、と言う思考が一瞬頭を過ぎるが、このまま人影が真上に落下してきて押し潰されるよりは何倍もマシだと思うことにして。


「〈空〉〈風〉〈捕縛〉〈柔軟〉〈雲枕〉ッ!!」


 現象は詠唱に忠実に起きた。

 落下地点に据えられていたネフィーの頭上に渦巻くように翡翠の風が出現し、ぶわっと彼女の被っていたフードを煽って素顔をさらす。


 痛いほどに逆巻いた風の真下にいるのは危険なので、すぐさま飛びのいて距離を取ったそのときに、頭上から接近していた人影が翡翠の風にふわりと抱き止められたのを確認。ネフィーはゆっくりと、地面に向けて杖を下ろした。


 どうしてゆっくりなのか、というと、いきなり杖を振り下ろせば断術の効果は途切れ、この人影は石畳に叩きつけられることになるからだ。ネフィーとしては見ず知らずの他人なのでそれでも構わなかったが、目撃者からつべこべ言われて足止めを食らうのは望むところではない。


 そっと杖を下ろし終えた瞬間、落下してきた人影を包み込んでいた風は、ぱぁんっという柔らかな破裂音と共に弾け飛んで消滅した。同時に、石畳に下ろされた人影が「いてっ」と声を上げる。ネフィーにしては随分丁寧に下ろしてやったというのに、どうやらお気に召さなかったようらしい。


 そいつは落下の衝撃に備えてかぎゅっと目を閉じていた。もう何も危険はないというのに、目を閉じたまま「……あれ?」と間抜けな声を上げる。


 ネフィーは呆れ返って物も言えなくなりそうになるのを堪えて、代わりにバカにしたような口調で言った。


「……あのさぁ。あんた、何やってんの?」

「へっ!? あれ!? 痛くない!? あれ俺落ちなかったっけ!?」

「落ちたわよ。間抜けな悲鳴を上げて落ちてきたわよ。良かったわね、あたしじゃなかったらあんた、今頃石畳に激突してオサラバだったわよ」

「えっマジで!? ああああ~良かった、まだ俺死ぬには惜しい人間だから、こんなとこで死んじゃったらどうしようかと思ってたんだよねっ! いやいや危なかったぁ!」


 ぴょんと兎か何かのように勢いよく立ち上がった落下者は、ぱんぱんと服の埃を払うなり、にっこりと屈託なく笑った。


「助けてくれてありがとう! あっはははは、死ぬところだった! 命の恩人だな!」


 あっけらかんとそんなことをのたまう少年に、ネフィーは疑いの眼差しを向けた。




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