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0 生業

「ダメです、人数が足りません!」


 若い、まだ二十歳ほどの青年はそう声を荒げた。

 律儀に櫛を入れたらしい黒髪を無造作に流した彼のその表情は険しく歪められており、普段の整った顔に浮かぶ爽やかな笑顔の片鱗はどこにもない。まさに全力、そう形容するのが相応しいそれは、今の状況が芳しくないことを何より物語るものだった。

 青年の声に共鳴するかのように、


「もう持ちません!」

「あと十人はいねーと無理っすよ!」

「そんな人数どこにいんだよ!?」

「応援を呼びましょう!」


 などと次々に声が上がる。皆一様に額に冷や汗を浮かべ、着こんだ群青の軍服が激しい風にあおられてばたばたとはためいた。


 その間にも、状況は更に悪化していく。


 黒髪の青年を始めとした、実に七人もの人間が、「それ」を囲うように立って各々に武器を構えている。全ての武器が刃物であった。短刀、長剣に大太刀、種類は様々だがすべて「切る」性質を持ち合わせた武器だ。


 しかし、少々奇妙なことがある。彼らは「それ」を囲ってはいるが、「それ」に向かって武器を構えているのではなかったのである。それぞれ刃物を、まるで自分の周りに見えない敵でもいるかのように繊細に振るっていた――いや、敵に攻撃する、というよりは、糸を切るような動作だった。


 それを証明するように、七人のうちのひとりの女が巨大なハサミを携えていた。他者と十分な距離を取ってこそいるが大ハサミをぶんぶん振り回すその様はどこか滑稽であり、また恐怖的にも見える。


 だが、彼らのそのアクションこそが、本来なら現状を打破しうるたったひとつの方策のはずだった。


「お前らァ、なに弱音吐いてやがる!? それでも国家直属開錠士かコラ、名が廃るぞボケぇ!! 無所属に手柄かっさらわれたくねぇなら気合入れ直せアホどもが!!」


 青年たちの背後にそびえる小高い丘の上から、びりびりと空気が振動するような音を立てて大音声の怒鳴り声が発せられた。威厳と迫力を備えたそれに全員の肩がびくんと大きく跳ね上がり、「はっはいッ!!」と緊張感溢れる返事を返す。瞬間、彼らの獲物を振るう手は更に加速し、同時に「それ」の中央部に淡い金色の光が集合し始めた。


 「それ」とは、不明瞭で特定のシルエットを持たない、漆黒の影のようなモヤである。いや正確に言うならば、漆黒のモヤの前面に当たる場所に浮かぶ紫十字の紋様のことだ。


 モヤの大きさは巨大な宮殿ひとつをまるごと覆うほどであり、また密度が濃すぎるので中の様子を伺うことはできない。時折ばちばちと火花の散る音がそこかしこから聞こえる以外、「闇」と形容するのが正確であろう形のない存在だ。モヤの奥にはその大きさと同程度の建物を隠している、ということを知る者は多いが、このモヤを取り払える者は数少ない。


 ただのモヤだと思って突っ込んでいったが最後、そいつは瞬時に作動するトラップにかかって死ぬのが関の山。このモヤは建物全体を守護する言わば「施錠された鍵」であり、それらを「開錠」するために、青年たちの行っていた「周囲の空間を切る」行動が必要なのである。


 彼らの目には、世界中に張り巡らされた極細の金色の糸が見えていて、その糸を切ることでしかモヤを取り払うことはできないのだ。そう、その「糸を切る」動作によって、俗に術式と呼ばれる摩訶不思議な現象を呼び出すことでしか。


 丘の上で大声を張り上げた張本人の男は、眼下で歯を食いしばって術式を行使し続ける部下たちの様子を注意深く確認した。誰も彼も顔色が悪い。それはそうだ、通常なら十五分も耐えれば「開錠」されるはずだというのに、紫十字の紋様はビクともしていなくて、崩壊の予兆すらない。


 開錠術式の行使開始から既に二十七分の時間が経過していて、部下たちの体力が限界に近くなっていることを男は悟った。


「……あぁクソめんどくせぇ。また出直しか……それとも実は〈開錠不能領域(ロックエリア)〉? ったく、あーめんどくせぇなぁ……」


 がしがしと焦げ茶色の傷んだオールバックの頭を掻いた男は、背中にかけた自らの武器を振るって開錠することも考えたが、やめる。そもそもこの開錠は無理に行うべき任務でもない……あの中にひとり混じった、彼の補佐を務める黒髪の副官が言い出した新人研修のようなものだ。この道三十年の自分が出て行っては研修の意味がない。


 しばし考えた男は、すぅ、と息を吸った。このままでは埒が明かない。三十分近く粘って開くことができない扉を前に、これ以上長居は無用だろう。少しずつ光量を増してはいるものの、モヤに呑みこまれつつある光を見て男はそう判断した。光の爆ぜる音にかき消されないように、ありったけの大声を張り上げるべく大口を開けた、そのとき。


 たっ、と軽い足音と共に、男の横を水色の影が駆け抜けた。


 それは一切減速することなく丘の頂上から片足で踏み切り、空中に躍り出る。わざわざ見せつけるように宙で華麗な一回転を決めた影が誰なのか悟って、男は知らぬ間にため息をこぼした。また面倒なもめ事が始まるじゃねぇか、と悪態をついたが、それは他の誰に聞こえるはずもない。


 すたんっと着地したその影は、手にしていた自身の身の丈を超えるほどの銀色の長杖を地面に突き刺した。


 同時に、大きくはないのによく通るガールソプラノの声がその場に広がる。


「あー、全員邪魔。どいて!」


 いきなり来といて邪魔とは随分な言い草だったが、この声に釣られて何人かが影――もとい、白と水色で構成されたチュニックローブの上に砂色の外套をまとった、十代半ばの少女を勢いよく振り返った。瞬間、部下の表情が嫌悪に変わり、続いて複雑そうなものになるのを男はしかと目にする。厄介事が増えるのは、もはや避けられないことらしい。


 殺到した視線に動じた様子もなく、少女は杖を引き抜いた。シャン、という金属同士のぶつかる軽やかな音に次いで、少女の長杖の先に十三枚の鋭利な刃が展開した。これは長杖の頂上部に二重に溶接されていた金属製の輪の外周に、棘のように備えられた刃である。部下の集めていた金色の光を反射してひときわ煌めいたそれの輝く杖を、少女はくるっと慣れた手つきでモヤに向けて構えた。


 直後、展開された刃が右回りに回転を開始する。そのまま、二回転、三回転。その回転を確認するまでもなく、少女は長杖を手にしたまま、舞でも踊るかのようにくるり、とステップを踏んだ。


 たったそれだけの行動だというのに、少女のかざした杖の先端には、男の部下が三十分をかけて生成した光の球を遥かにしのぐ光量の金色が寄り集まっている。それがどれだけ驚異的なことなのかは、ぽかんと呆ける部下の顔を見ればわかることだった。


「……ああそっか。こいつの顔を見んのは、カル以外初めてか」


 ぼそりと呟いた声に気付いたはずではなかろうが、術式に向き合っていたカル、とあだ名のついた副官が少女を視界に入れたらしい。せめてもの意地だと言わんばかりに術式を行使したまま、ぎりと憎悪に歯を軋ませて吼えた。


「……〈水銀〉……トネフィー・マティット! 現在この場の開錠は、我々国家直属開錠隊が請け負っている! 貴様のような無所属の無頼者がおいそれと来て良い場所ではないぞッ!!」

「……あんたさ、それ毎回言ってるけど飽きない? 言ってるじゃん。あたしたちは無所属よ。横取りだとか言われても、仕事を請けてるんだから構わないでしょ。それにその様子じゃ開きそうもないし、時間の無駄だし労力の無駄だから、さっさとどいてほしいんだけど。巻き込まれて死にたいなら余所でやってくれる?」


 噛むことなくすらすらと辛辣なことを告げた少女は、はぁ、と大袈裟にため息をついた。その間にも杖先の光は増していき、それはかなりの速度を以って金色の鎖へと形状を変えていく。


 その光景に戦意が失せたのか、カル以外の新人たちはみな、いつの間にか術式行使をやめてしまっていた。いやこんなことで諦められてはこの先仕事などできないのだから、その諦めの早すぎる根性を後でみっちり叩き直す必要性がありそうだったが……男は、無理もないかと目を細めた。


 初めての研修で、よりにもよってこの少女と行き合ったのである。むしろまだ諦めようとしないカルは讃えられてしかるべきだ。この光景を見てしまっては、若い頃の自分なら戦意喪失していたはず。


「〈黒白(こくびゃく)〉〈道徳〉〈初手の太陽〉〈決め手の月〉〈束縛する鎖〉〈逆転〉――」


 少女が開始した詠唱に呼応するように生じた風に、彼女の外套がはためいた。頭上の金色の光が雨のように周囲一帯に降りそそぎ、後ろから見る彼女は不思議なほど神々しく見えた。


「――〈解読〉〈解析完了〉……、」


 カルが悔しげに呻くことにも気付かない様子で、彼女は最後の一言を口にする。


 少女の名はトネフィー・マティット。


 〈水銀〉の異名が囁かれる、わずか十五歳にして無所属開錠士の頂点に君臨する、希代の天才鍵開け士。


「〈開錠(アンロック)〉」


 瞬間、黄金の光の鎖は紫十字に隙間なく巻き付き、そして二秒とせずに封印の紋様は砕け散った。


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