好きなのです。
「あ……」
ふと、マスターの指に傷がついていることに気付いた。ナイフで切ったらしい傷に血が渇いて、乾いた切り口が変にくっついている。
「ん? ああ、さっき切ってしまったんですね。大丈夫ですよ。すぐ治ります」
マスターはめったに傷を治す魔法を使わない。私の時はよく使うのに。
そういえば、と、巣から落ちて足をひねった時は慌てた様子を見せてくれたな、と思い出した。いつも穏やかで、やさしいマスターがあんなに慌てるなんて、巣にいるもんじゃないなと、思ってしまった。
「イレーニャ?」
「何でもないです。痛くないですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。傷薬を塗ったらすぐに治ります」
って言っていても人差し指を使っていない。痛いんだ。
「痛そうな顔をしないで下さいよ。大丈夫ですって」
しかたないな、って言いそうな顔をしてふっと傷に息を吹きかけると、ぱっときれいに治った。魔法だ。
「君は人の痛みも感じられる人なんですね」
いいこいいこと頭をなでられる。くすぐったくて、でもうれしくて、目を閉じてあったかくて大きな手の感触を感じていると、仕上げ、といわんばかりに軽くぽんぽんとたたく。それがたまらなく心地いい。
「マスターも、私がケガした時、いたそーな顔してましたよ?」
首を傾げたら、珍しく、きょとんとした顔をしてマスターは私を見つめた。
「っそれは……」
言葉を詰まらせて目を見開いたマスターは、どこか照れたような様子でそっぽを向いて、あの時は気が動転してしまったんです、とぼそぼそといった。なんか、かわいいかも。
「でも、あんなマスター取り乱すんだったら、あんまり巣に行ってもなって思ったんです」
「? 最近戻ってないと思ったら、そういうことでしたか? 君が落ちなければ、私だってああなりませんよ」
「だって、しょっちゅう落ちてますし」
「なっ、けがは?」
焦った顔をしているマスターに、私は言わなきゃよかったかなと、頬を掻いた。
「あれが初めてで……。いつもは落ちてる途中で目が覚めて飛べるんですけど、あの時は地面にたたきつけられる直前に目が覚めたからとりあえず足から落ちるように体をひねったところで……」
「落ちて足をひねったと?」
「はい……」
あきれたようなマスターの顔には、はっきり、アホウドリって書いてある。私自身、そう思う。巣から落ちてけがをする鳥なんて、仔鳥ぐらいだろう。
「まったく……。気をつけてくださいね。いくら人より頑丈だとしても、頭から落ちたらひとたまりもないんですから」
「はーい」
マスターの言葉にうなずいて、なんだかうれしくなって、しなやかな腕に寄り添った。みんなはマスターのことを細い、とか、優男、って言うけれど、意外にしっかりしている。一度だけだけど、筋肉お化けと一対一で剣の稽古をしていたのを見たことがある。
すりすりと、白いシャツに隠されている腕に頬を擦り付けていると、困ったように笑って、マスターは、よしよしと撫でてくれる。その手に擦り付けるようにしてひとしきり撫でてもらって、満足すると、マスターを見上げた。
私を撫でているマスターも少し穏やかな色を戻した。研究の直後のマスターは結構ピリピリしている。
なんで、マスターが私をそばに置いているか、わからない。負担にならないようにと、すきを見つけて、マスターの、丈にあっていない外套や、ほつれた服等を繕っているけれど、それに気付いているかは、わからない。
「イレーニャ?」
「マスター、眉間のしわ、解けましたね」
わざと、言ってやるのだ。つんつんと手を伸ばして眉間を指でつつくと、驚いたようにマスターの眉が上がった。
「研究をしていると、寄っていくんですね」
「そうですよー」
知らなかった、とつぶやくマスターに、どれだけ私がマスターのことを見ているか、馬鹿でもちゃんと見てるんだよ、と教えてあげる。
腕に擦りついたまま頭を預けると、さらっと私の髪をなぜる細い指。
あったかい陽だまりのあるお昼。
やさしい歌を歌う風がお部屋に入り込んでつかの間の幸せな気分を彩ってくれた。