カラスとセイレーン
「バーナード!」
魔力を感じたのか、一人の女の怒鳴り声が聞こえる。びくっと体を震わせたバーナードに、ウィルが苦笑する。
「相変らず、苦手なんですね」
「嫁の怒りほど面倒なものはないからな」
「また変化して! そんなに馬鹿になりたいの!」
「うるせーな。このバカを足んねー頭で説得してる時に来やがったら腹立つだろうが! つーか、ガキどうしたんだ」
「お隣さんに預けてきたわよ! タコ! もとからない頭なのにもっとすっかすかになるからダメだって言ってるじゃない! ウィルも!」
「私はやってくれなんて言ってませんからね」
剣をしまって不機嫌そうな顔をして目を細める。突然の闖入者に腕を組んで、目の前に立った彼女を見据える。
「……どうするつもりなの?」
「私の命を月女神に捧げて……」
「バカ言ってんじゃないよ!」
パンと、ウィルの頬をはたいて、バーナードの嫁、サラが怒る。小気味良い音が響いて首をすくめたのはバーナードだった。見た目美少女の彼女の強烈な怒気怯えきっている。
「そんなことしたってイレーニャちゃんは戻らないわ」
「なんで、そういいきれるんです?」
「私が誰だか忘れたの? エルフよ。精霊力が、海の精霊力の一部があれてるわ。……イレーニャちゃんはディアナにさらわれたじゃなくて、ディアナが海を荒らさないように封じてくれたんだわ」
「……」
表情をこわばらせたウィルに、サラが普段は隠している笹の葉のようだといわれる耳を出す。
「どういうことだよ、サラ!」
「ンの前に、あんたはその粗末なモン隠せ! バカ犬」
鞭があればぴしりと打っていそうな怒声を響かせて、股間を蹴り上げようとしたサラにバーナードがしゅんと狼の形に変わって尻尾を股に挟んで伏せる。その隙に首輪とリードを通したサラはウィルに詰め寄る。
「マスターに取って私といた日々は重荷だったんだろうかって。そういったんでしょう?」
「……言ってはません。昔の記憶を覗いたんでしょう。覗かれた覚えがあります」
「……どう思っているの? イレーニャちゃんのこと」
核心をつく、その問いかけにサラの足元で伏せをしていたバーナードがピクリと耳を動かす。ウィルは、表情を硬くさせて、そして、ごまかすことは許されないといっているサラの表情に小さくため息をついた。
「確かに、重荷でした」
「……」
きっとにらむ彼女の目を受け止めてウィルは、それでも見返す。
「でも、……彼女と過ごしていく中で、心が洗われていくような、そんな心地よいものも感じていました」
目を閉じて、平和な日々を、彼女がドジをやらかしてその後始末に奔走される毎日。
たまにうまくいって、目いっぱい褒めると嬉しそうに笑って抱き付いてくる小鳥。
彼女との思い出は、彼女の笑顔だけだった。自分はうまく笑えていたのだろうか。
ウィルは、目を開いて凪いだ表情をしてサラを見返した。
「……許されているはずがないでも、許されるのであれば、彼女とともに歩みたいとも、思ったことがあります」
「……イレーニャちゃんは、自分の両親があなたの魔術によって殺されたことも知っているわ。それも受け止めたうえであなたのそばにいたの。わからない?」
「最初はわかりませんでしたよ。アホだから、一緒にいるのだと。思いだせば飛び出すだろうと。でも、そうじゃなかった」
「あなたの罪悪感があなたを苦しめて、そして……」
「彼女を苦しめている、といいたいのですか?」
「その通りよ。難しく考えてこの結果なんだから、難しく考えずに……」
その言葉をさえぎって、ウィルは彼女をにらむように見ていた。
「でも、私がやったことは清算されていない」
「じゃあ、何を求めるの、あなたは。運命に。自分の罪悪感が掬われるような悲劇が、たとえば、あなたの命がイレーニャちゃんの手によって奪われるとか? これ以上の悲劇が起こるとか? 起こってほしいの? 運命の女神はそんなおやさしくはないわ」
「……」




