カラスとセイレーン
久しぶりに、ウィルは、家としていたところに帰った。何も変わっていない、埃一つも落ちていないその場所を見て、小さく目を細めた。
がらんとした家は、家主がいつ帰ってきてもいいようにと、すべてがそろった状態で、待っていた。
「……イレーニャ」
ここにいたはずの白い小鳥はいなくなった。月女神にさらわれたという。
「……バカな子ですね。ほんと」
小さく絞るようにつぶやかれた言葉は、誰も聞くことなく消えていく。
ころんとソファーに転がった、あの、細やかな装飾をされた革のカバンが、半分開いた状態になっている。
「……」
手を伸ばさなくていいのに、手を伸ばしてしまった。
「……っ」
鞄の中に入っていたのは、かぴかぴになった揚げパンが二つ。どういうつもりだったのか、すぐにわかる。彼女は油ものは好かない。ましてや二つなんて食べられない子だ。
「バカですねえ……、本当に」
手が震えてしまった。切り捨てたはずの彼女への情が、震えだす。
見て、これは、買ってきて、たかが三日四日のものだ。満月は四日前。海にさらわれたら、二日で見つけ出せなければ、あきらめろ。この町にはそんな言い伝えも残っている。
鞄に手を当てて、膝をついて、肩を震わせるしか、ウィルにはできなかった。




