間違った覚悟
その日は肌寒い秋の日だった。凛と冷えた空気と冴えた夜空、星明りがきれいな日だった。この空のかなたには今も、戦に明け暮れる人たちがいる。
「イレーニャ」
いつまでも中に入ろうとしないイレーニャをバーナードは呼んでいた。
あの日、ウィルはイレーニャに何かをした。あの日以来、イレーニャはマスターといわなくなったのだ。
倒れこんだイレーニャを横抱きにして、うつむいた顔を決して見せようとしなかったウィルを思い出す。あれは絶対に泣いていた。
「一人で先祖のこと背負って……。お前自身がしたいことは何だったんだよ」
小さい背中を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
やがて飽きたのか、イレーニャはふらふらと家の中に入ってきた。
「飯、置いてあるから食えよ」
ウィルがいなくなって、目に見えてしおらしくなったのは誰もが認めることだ。扉を閉めて、最後の片付けのために中に入って、スープを食べ始めたイレーニャを見る。
「ねえ、筋肉お化け」
「ん? あ?」
あの日以来聞いていない、そのあだ名に思わず反応すると、スープを見つめたまま、イレーニャが鼻で笑った。らしくない。
「……マスターね、最後に会った時、求愛給餌してくれたの」
「……」
絶対そうじゃないと思いながら、バーナードは言葉を待つ。イレーニャはポケットの中から小粒の赤い魔晶石を取り出して、バーナードに投げてよこした。
「これは?」
「マスターが食わせてくれた奴。なに?」
なんとなく、予想はついているのだろう。バーナードもその魔晶石に精緻に書きこまれた術者の狙いにため息をついた。
「記憶を失わせるものだ。ちょうど、ウィルに関する記憶だけ消えるように細工されている」
こんな器用なことできるのはウィルだけだろう。よく、こんな小さな魔晶石にこんなこと書きこんだな、と変なところで努力するな、と感心した。
「……」
じっと持ったスプーンを見つめて、やがてふっと、吹っ切れたように笑った。
「じゃあ、マスターは、ここに帰ってくる気はないんだね」
「…………」
らしくない鋭い言葉に詰まりながらうなずいた。
「そういうことになるな」
魔力をぶつけて魔晶石の効果を相殺する。パラパラと散る破片には、ぬくもりのような残滓が感じられる。決して、害するために作ったものではないと、保証された。
「マスター、どこ行っちゃうのかな」
不安げな言葉に、バーナードは、唇をかみしめた。そんなバーナードに、なおもイレーニャは言い募る。
「全部覚えているよ? マスターが私の家を焼いちゃって、お母さんとお父さんが焔から守ってくれて、助けに来てくれたマスターが、私を連れ帰ってくれて、助かったって。マスターが原因だとしても、私は、マスターがいなかったら生きてられなかった。マスターも恩人なんだよ? 恨んでなんかないんだよ?」
まっすぐな言葉をなぜ、彼にぶつけてやらなかったのか、と、いや、ぶつけても、お世辞だと、笑ったのだろうか。バーナードは静かにため息をついた。




