彼女をかった理由
「来たぞ、カラスだ」
さざ波のように伝播するその囁きの海を、黒いローブと白いローブに身を包んだ男女は歩いていく。
「久しぶりだな、ウィル」
「お久しぶりですね、バーナード。私を呼びつけるということは相当なもので?」
ローブから手を伸ばして握手するウィルと呼ばれた、イレーニャと行動する男は、慇懃無礼な口調の中に少しとげを残した言葉を、向かいに立つ恰幅のいい、それでいて、よく鍛え上げられた筋肉を軍服に押し込んだ男に投げかけた。
「そう怒るなよ、朝早く呼び出してすまんかった。魔術傷が激しくてね、どの魔術を使われたのか、それを判別してもらいたい」
「そんなの法務の魔術師に……」
「それが、匙を投げやがったんだ。古代魔法は専門じゃないと」
「……」
まるでつかえねえと言いたげに視線を投げたウィルに、バーナードは肩をすくめた。
「晩飯おごるから力貸してくれ、ウィル」
「……」
そっとため息をついて、封鎖されているらしい人っ子一人いない森に入っていった。
「鳥ちゃんも一緒にな」
「鳥いうな! 筋肉お化け!」
ぴーぃと鳴くようにわめいたイレーニャにかかかと笑ったバーナードは、引き続き場を封鎖するために道に立ち、警護を始めた。
「イレーニャ」
「はい?」
「ちょっと、魔素が濃い。気をつけてくださいね」
「はい!」
大丈夫かな、と後ろを振り返ったウィルは、その背中に黒い手が迫っているのを見てため息をついた。
「後ろにいますよ」
「へっ? ひゃあっ!」
むんずと羽のある背中をつかまれたイレーニャは引きずられるように大きな木にぶらんと釣り下がった。
「イレーニャ……」
「ごめんなさい……」
あきれ混じりなつぶやきにしょぼんとしたイレーニャは後ろを振り返って顔をひきつらせた。
「や、きもっ!」
木にへばりついたようにいる、魔素、魔力の元になる物質が物体化したものに、捕らえられたイレーニャは暴れていた。ドロドロとしたものが、かろうじて目と口があるようなそんな形相に怯え、怖がるのは仕方あるまい。
「一人でできますか?」
「無理ですっ! マスタ~」
半泣きの声に、苦笑を隠しきれないウィルはローブに包まれた細い腕を伸ばし、ついとイレーニャをとらえた木を指さした。
「イレーニャ。飛んで」
ぱっと黒いものが霧散して、イレーニャが落ちる。ただで落ちたらけがでは済まない高さだ。白いローブがふわりと広がって、一瞬で彼女の背中に翼が現れる。
「マスター」
半泣きの声で飛んできたイレーニャを抱き留めて、よしよしと頭をなでてやる。それだけでなだめられる彼女はとても簡単な頭をしている。俗にいう、鳥頭だ。
「さて、行きますよ、ここの危険さは、これで分かってもらえたと思います」
「はい」
今度はしっかりと、ウィルの後を離れないようについていくイレーニャに、単純だな、とウィルはローブの奥で小さく笑っていた。
「カラスだっ」
小声の悪口に、そっとため息をつきながら、パッと散った兵士や、魔法騎士を見てひとつ足を止めた。
「マスター?」
「羽をしまってくださいね」
パタパタとしている白い翼に触れてそういうと、ウィルはすっと森の湿った空気を胸を膨らませて吸った。
「万物の力、素たる魔力よ、魔素よ。わが声にこたえ顕現せよ」
朗々とした声に、きらりと赤、青、金、銀、さまざまな色をした、粉のような光がはらりと視界に舞う。
「先にありし悲しき生贄を見せておくれ」
その声に精霊が答える。答えたのはシルフィード。慎ましき、風の精霊だ。
『いけにえは、呪いの贄』
ピクリとイレーニャの先の尖った耳が震えた。
「マスター」
「イレーニャ、バーナードのところに戻っていなさい。君には黒すぎる」
静かな声に、こくんとうなずいたイレーニャは、ぱっと翼を広げて森の木々をよけて、上へ抜けると、来た道の方角をすーと飛んでいった。
「……カラスは鳩を逃がしたか」
「まさか。せっかくの獲物を邪魔されないためですよ」
皮肉ったその言葉にそう返したウィルは、黒い笑顔を浮かべて、腰につけたポーチから透明な魔晶石と、ナイフを取り出して、先へ進んだ。