失われた家名と、失った平和と、罪滅ぼし
戦が始まって、三か月が経った。まだ、終戦を迎えることはなく、しかしながら民たちの生活にはあまり影響がないように見えた。
「……」
屋根に座ってしゅんとしているイレーニャを横目で見上げながらバーナードはふと、不思議な風が吹いていることに気付いて、その方向に目を向ける。
『鳥ちゃん、お前のことを待ってるんだぞ』
『戦線の状況が変わりそうだから、一時帰還を許されただけです。会うつもりはありません』
黒魔術師らしいというかなんというか。影に潜むウィルの姿にため息をついて、彼女の目から見えない場所へ移動する。近くにある薄暗い、森の中。イレーニャは、怖いといってめったに近づかない。
「久しぶりだな」
「ええ。お久しぶりです」
久しぶりに、向かい合ってみるウィルの姿は、相当やつれて、もともと鋭く整った顔だったのが、さらにこけて鋭い印象が強くなっていた。長くなった髪は後ろに一つに結わえて、前髪で片目を隠すようにしている。
バーナードの姿を見て、少しだけ表情が緩んだが、最近ほとんど笑っていないのだろう。顔がこわばっている。
「具合は悪くしてないか?」
「かろうじて持っている状態です。最後の魔術をかけるために、今、磨いている状態ですからね」
森の、葉の腐った匂いを含む湿った風が奥から吹き付ける。この森は、魔獣がいることで有名だ。だが、足を踏み入れても姿、いや、気配すら感じられなかった。
風に目を細めるウィルが何かをしているとしか思えない。隠された瞳に何か術式が組み込まれているのを見てとりながら、バーナードは見ないふりをした。
「最後の魔術?」
「……君なら、わかりますよね。これです」
草案らしい書きなぐられた魔法陣がかかれた紙を手渡して、ウィルは背中を向けた。
「今日の夕暮れ、イレーニャをここに連れてきてください」
「え? 会うつもりないって言ったじゃないか?」
「……」
うつむいた彼に、嫌な予感を感じて、紙を読む。そして、この魔法陣の意味を正確に理解した瞬間、ウィルの肩をつかんで振り向かせていた。
「お前、死ぬ気か!」
「……こんな馬鹿をやらかす王族、くそみたいな下流の民。自分が偉いとふんぞり返っている貴族たちに、平和ボケしている魔術師候補生。彼らにひと混乱を与えようかと思いましてね」
「……だからって、魔力を取り上げなくてもっ」
「前線はほとんど魔法合戦ですから、それだけで、両国にはかなりのダメージを与えられます」
「だが、お前がそんなことをする必要はないっ」
「……」
叫ぶように断言するバーナードにウィルは薄く笑って、ぎりぎりと万力のように肩をつかむ手を冷え切った手で払った。
「本当は、この世界の魔力を取り上げたいぐらい、ですね。……まあ、今回は、忘れ去られたラインベルグの一族の力を、それぐらいはこなせるということを示すためです。これ以上ないパフォーマンスでしょう?」