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テンポラリーラブ  作者: CoconaKid
第六章 ゴーイング
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 日はまた昇っても、それはお構いなしに毎日が無常にやってきた。

 それならば、何をやっても同じ事が繰り返されて、氷室は希望など持てなくなっていった。

 氷室の心は大きな穴が開き、中身が抜けて、幸江とのことも不承不承に付き合っていた。

 断る理由も作れずに、ただ食事を一緒にするという形式だけのデートを繰り返していた。

 気乗りはしないのに、うやむやになればなるほど、断り辛くなっていく。

 引っ込みがつかないところまで来ていた。

 父親は、早くプロポーズしろと何度もせかし、婚約指輪を買うために援助してくれたお金は、氷室の口座にとっくに振り込まれていた。

 氷室は時折、ジュエリーショップのショーウインドーを眺め、ひときわ煌くダイヤモンドの輝きを空虚に見ていた。

 このダイヤモンドを幸江に送れば真意に触れず、全てはその光に騙されて、事が上手く運ぶ気がしていた。

 幸江との結婚で得られるものは、約束された地位だった。

 それを手にしてしまえば、あとは適当に結婚生活ができるのかもしれない。

 幸江が作るものを食べ、身の回りの世話もしてもらえる。

 そして性欲を満たすだけのセックスもできて、そのうち子供ができたならば、それはそれなりに賑やかとなっていく。

 自分は仕事さえしっかりとして収入を得れば、家庭の事は幸江がきっちりとやってくれそうな気がした。

 幸江は見かけは悪くないし、大人しいときている。

 自分の意のままに操れて、後ろからついてくるタイプであり、それは尚更、氷室には都合が良いと思える要素だった。

 欲しいものを手にして、それだけの妻が漏れなく付いてくるのなら上等というものだ。

 ジュエリーショップのダイヤモンドを見つめながら、結婚とはそういうもののような気がしていた。

 幸せを味わうという自分の感情が何一つ含まれていないことを、氷室はこの時見逃していた。

 氷室はレールを引いた道の上に乗ろうとしていた。

 朝が来る度に憂鬱な思いを抱いて起き上がるのにも、いい加減飽きてきてしまった。

 誰かが背中を押せば、氷室ははずみで幸江にプロポーズしそうなところまで来ていた。


 なゆみがアメリカに行ってから数週間過ぎた頃、氷室が仕事から帰ってポストを覗くと、そこになゆみからの絵葉書が届いていた。

 それを手にしてすぐに読むが、氷室はその内容に衝撃を受けていた。

 なゆみは氷室と違って毎日を楽しんでいた。

 氷室が苦しんでいるのも知らず、なゆみは日本の暮らしを忘れるほどにアメリカで元気に飛び跳ねている。

 全く住む世界が違ってしまった。

 氷室は忘却のごとく、過去の人にされたような寂しさを感じ、益々心を痛めてしまう。

 氷室はその絵葉書きを何度も読んでいた。


 Dear 氷室さん、お元気ですか。

 私は、元気で頑張ってます。

 待ってましたというくらい、ここについてからはじけまくりです。

 つい羽目を外しがちですが、それだけ毎日楽しいです。ほんと最高!

 停留場でバスを待ってるとすぐに声を掛けられたりもします。

 また電話番号とかも手渡されたり、モテたりもしてるんですよ(笑)

 すけべな人にはもちろん気をつけてますので安心して下さい。

 寝るのも惜しいくらい、本当に楽しい日々です。氷室さんも夢を諦めないで下さいね。

 斉藤


「ふざけやがって、なんだよこの葉書きは。俺の気持ちも知らないで。なんか腹が立ってきた。しかし、夢を諦めないで下さいか。俺の夢って一体なんなんだろうな」

 氷室はその絵葉書をじっーと眺めて、ふっと息を漏らした。

 これからどうすればいいのか、考えている。

 こうなってしまった以上何をすべきか、優先することはなんなのか、葉書きを穴が開くほど見つめながら氷室は考えていた。

 そして目覚めたように突然決意して、幸江に勢いつけて電話した。

「幸江さん、今から会えませんか。大事な話をしたいんです」

 氷室はぐっと腹に力を入れた。


 その夜、幸江を名の知れたホテルのロビーに呼び寄せた。

 氷室が着いたとき、すでに幸江は待っていた。

「すみません、お待たせして」

 氷室は真剣な表情を幸江に向けた。

 広々とした吹き抜けのある、ホテルの一角のカフェエリアで、二人はコーヒーを囲んでお互いを見詰め合った。

 氷室がどのように話そうか、下を向いては言うタイミングを見計らっている。

 幸江は何も言わずにずっと氷室の出方を待っていた。

 氷室は覚悟を決めた。

「幸江さん!」

 背筋を伸ばして、彼女の名前を呼び、そして真面目な顔つきで一語一語誠実さを込めて幸江に話した。

 幸江は落ち着きを払い、氷室の言葉に耳を傾け、氷室が話し終わるまで聞いていた。

 少し間を空けた後、いつ言われても準備ができていたように静かに「はい。わかりました」と呟いた。

 同意した表情を氷室に返して、控えめに微笑していた。

 氷室の言葉を素直に聞きいれた幸江は、背筋を伸ばして、しっかりと氷室を見つめていた。

 氷室の方がなんだか面映く下を向く。

「幸江さん、今度幸江さんのご両親にもきっちりとご挨拶に伺います。私の口から報告させて頂きます」

「はい」

 幸江は氷室に全てを任した。

 氷室も緊張で顔が強張っていたが、少しほっとした表情になって「ありがとう」と幸江に伝える。

 これが自分の決めたことだと納得して、氷室はカップを手にしてコーヒーをゆっくりと飲みだした。

 幸江も合わせるようにコーヒーを飲み、二人は談笑をして和やかな雰囲気になっていた。

 幸江もまだ実感がわかないままだったが、氷室から目を離そうとしなかった。

 じっくりと見据えて、凛としていた。

 氷室は、幸江とこんな風に話したことがなかったと、幸江の真の部分を初めて見たように思えた。

 そのときの氷室の目には幸江はしっかりとした聡明な女性として映っていた。

 氷室も全てを受け入れた。

 それらは自ら判断して決めてしまったこと。

 これからは後には引けない。

 一心不乱に、この先のことに集中する。

 これから始まることだけに──。

 氷室の決意は固かった。


 また職場でも、氷室はけじめをつける。

 氷室は純貴に辞表を渡した。

「俺、今月一杯で仕事辞めさせてもらうよ」

「嘘だろ、コトヤン」

 氷室は純貴に説明する。

 自分のゆるぎない決意。

 それに向かって自分が進んでいること。

 全て手はずが整って、これから実行すること。

 洗いざらい話していた。

「そっか、やっと覚悟を決めたのか。それじゃ笑顔で見送るしかないじゃないか。まあ頑張れよ」

「うん、今まで本当にありがとうな。お前のお陰で色々と助かったよ」

「何を言ってるんだ。コトヤンの幸せ願ってるよ。結婚式には絶対呼んでくれよ」

「まだそれについての具体的なことは何も決まってないけど、でもそのときは是非来てくれ」

 二人は笑顔を交し合った。

「ところで純貴、お前もそろそろ落ち着いた方がいいんじゃないか。いつか取り返しの付かないことになるぞ」

「実はなもうすでになってたりするんだよ。今、妻と子供は実家に帰ってるんだ」

「おいっ、どうすんだよ」

「謝りにいくしかないじゃないか。許してもらえるかわからないけど。俺が言えた義理じゃないが、コトヤンはいい家庭作ってくれよ。やはりなんやかんやといっても結婚したらやっぱり女房には一番の情が湧くぞ」

 純貴の言葉は他人事のように軽々しく聞こえたが、彼が不意に目を伏せたとき、思いつめたやつれた部分が表れた。

 口では軽く言っても、本心は真摯に受け止めて、相当神経が磨り減ってるのかもしれないと氷室は察知した。

 何も言わずに純貴の肩に手を置くと、純貴は呆けた笑みを浮かべた。

 それが反面教師のように見え、自分はそんなことにはならないと、氷室も笑みを返していた。

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