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テンポラリーラブ  作者: CoconaKid
第六章 ゴーイング
55/60

 お酒が入ると笑い声も多くなり、なゆみを楽しく見送ろうと皆が気を遣って送別会を盛り上げていた。

 面識がない人とも、なゆみは過去の失敗談など交えて楽しく盛り上がる。

 そんな一人一人の顔をなゆみは見ながら、心から湧き上がる感謝の気持ちを述べていく。

 最後まで本当によくしてもらったこと、そして楽しかったことを言っていると、なんだか目頭が熱くなってきた。

「サイトちゃん、アメリカ行っても頑張ってよ」

「あまり無理しちゃだめだよ」

 ミナと千恵が声を掛けてくれる。

 残りの皆も合わせて心温まるような言葉を言ってくれた。

 だが氷室だけは、テーブルの端で顔を伏せるようにグデングデンになっていた。

「おい、コトヤン。大丈夫か」

 純貴が心配する。

「ああ、大丈夫だ。これくらいなんともない」

 だがろれつが回ってない。

 千恵はなんとなくわかったような顔になり、言い出した。

「今回は氷室さんが酔っ払ったので、サイトちゃんが氷室さんをタクシーまで送っていって下さい。そしたらおあいこでなんか気持ちよく終われるでしょ」

 酒も入っているせいで皆もノリがよく、いいアイデアだとはやし立てた。

 このときこそ氷室の役に立てることもあり、なゆみもすっかり乗せられて「わかりました」とそのノリに応えてガッツポーズをとった。

 氷室はそんな話が進んでるとも分からずに、正体が無くなるほど酔いつぶれていた。

 

 最後に皆と一人一人居酒屋の店の前で挨拶をする。

「いつまでも友達だからね」

 ミナが別れるのが名残惜しそうに言った。

「向こうからも時々連絡頂戴ね」

 千恵も優しい笑顔で別れを惜しんでくれた。

「斉藤、アメリカ人にレイプされんなよ」

 川野らしい締めくくりの言葉だった。

 なゆみは最後だと、体に力を入れて耐えた。

「はい気をつけます。川野さんもどうかお元気で」

 棒読みだった。

 さすがに周りも引いていたが、川野だけはニヤついて空気が読めていないようだった。

「斉藤さん、元気でな。それじゃコトヤンのこと頼んだよ」

「はい。専務も社長にどうぞ宜しくお伝え下さい。本当にありがとうございました」

 本当にこれで皆とお別れだった。

 皆が去って行った後、なゆみは一度大きく息を吐いて、そして壁に背をもたれて立っている氷室を見つめる。

「それじゃ氷室さん。行きますよ。歩けますか」

 氷室の手を取って引っ張ろうとすると彼の足がふらつき前屈みに倒れてきた。

 それを必死になゆみは体で受け止めた。

「お、重い」

「斉藤」

「はい、なんですか?」

「トイレ」

「早く行って来て下さい」

 氷室はふらつきながらトイレへと向かった。

 これも同じシチュエーションだと、なゆみは苦笑いになった。

 まさか次、吐くってことはないだろうかと心配になってきた。


 トイレから戻ってきた氷室を担ぐように、片手を自分の肩にまわして歩く。

 背中にはあのリュック。

 そしてキティのマスコットも付いて、それは相変わらず揺れていた。

 氷室は顔をうなだれ気味になり、前髪が目を覆い隠していた。

「氷室さん、吐き気はないですか?」

「ん? それはない。ただいい気分だ。なんか斉藤が側にいるような感じがする」

「ちょっと、私、ちゃんと側にいますよ。大丈夫ですか?」

 ゆっくりゆっくりと歩き、そしてタクシー乗り場に来た時、なゆみはあまりの重労働でぜいぜいと疲れていた。

「すみません。この人乗せて欲しいんですけど」

 タクシーの運転手に声を掛けると、おじさんはあまりいい顔をしなかった。

「いや、酔っ払いを一人で乗せるのは困るんだよね。目的地に着いたときおろして、路上で寝てしまうこともあるからね。最近そういうの多くて轢かれて死んじゃうケース多発してるし」

 なゆみはぞーっとした氷室がそんなことになったら恐ろしい。

「それじゃ私も一緒に乗ります」

「それならいいよ」

 なゆみは氷室を必死にタクシーの後部座席に詰めて、自分も乗り込んだ。

「お客さん、どちらまで?」

「氷室さん、氷室さん、おうちどこですか」

「あっち」

 なゆみは仕返しされている気分になった。

「あのー、お客さん、行き先が分からなければ発車できませんよ」

「あっ、ちょっと待って下さい」

 なゆみはリュックから手帳を取り出し、氷室の住所を探し出した。

「ここ、ここにお願いします」

 その住所を見せると、タクシーのおじさんはすぐに理解して車を発車させた。

 なゆみは、酔いつぶれている氷室をじっと見つめる。

(こんな氷室さん見たことない。いつだってしっかりとして冷静な人だったのに)

 最後の日にこんな氷室の姿を見せられて、なゆみはどうしようもなく胸が突かれるように切なくなっていた。

 そのとき車が大きく角を曲がると、その反動で氷室もなゆみにもたれかかってきた。

 重かったがなゆみは嫌がることなく氷室を受け入れ、体を密着させる。

 それでは足りないとばかりに、なゆみも自ら氷室の方へ首を傾け、さらに氷室の左手を両手で包み込んで目を閉じた。

 その二人の様子をタクシーの運転手はルームミラーを通じてちらりと一瞥していた。

 

 20分ほど走ったところでタクシーは止まった。

「お客さん、あそこに見えてるあのマンションがそうですわ」

「あ、はいっ」

 なゆみはお金を払い、氷室を引っ張り出す。

「氷室さん、お願い、立って」

「う、うーん」

 氷室は朦朧とした中で、タクシーから降りると、なゆみに支えられふらふらと立ち上がった。

 タクシーはすぐに去って行き、なゆみは氷室を支えながら目の前のマンションを眺めていた。

 5階建てのこじんまりとした建物だが、まだ見かけは新しい。

 この辺りはごちゃごちゃとした雰囲気があり、家や建物が密集している。

 道のずっと先には大通りが横切っているのか車が行き交っているのが見え、最寄の駅からも近い感じがした。

「ここに氷室さんは住んでるんだ」

 なゆみは自分にもたれかかっている氷室の顔をちらりと見つめる。

「氷室さん、勝手にあがっちゃいますけど、散らかっていても気にしませんから安心して下さいね」

 男の人の部屋など想像もつかないまま、とにかく運ばなければとなゆみは渾身の力を振り絞った。

 9月に入ったばかりとはいえ、まだ夜は湿気が多く蒸し暑い。

 氷室はなゆみには重すぎて真っ直ぐ歩こうにもヨタヨタしてしまう。

 ものすごい重労働をしている気分になりながら必死で進んでいた。

「氷室さん、何階ですか?」

「ん? 適当に……」

「適当にってそんなことできないでしょう」

 なゆみはよろよろとマンションの中に入っていく。マンションの入り口のドアを開けて入り込むだけでも一苦労だった。

 入り口近くの壁に郵便受けが並んでいて、そこに氷室の名前をみつけた。

 301となっている。

 三階に違いないと、エレベーターに乗り込んだ。

 氷室は寝ぼけて寝言をいうように「斉藤」と名前を呟いた。

「はいはい」

 なゆみはなだめるように返事をして、適当に相手していた。

 三階について、氷室の部屋のドアの前まで来た。

「氷室さん、着きましたよ。鍵はどこですか」

「カギ?」

 氷室はズボンのポケットあたりを触りだす。

「ここに入ってるんですね」

 なゆみは手を突っ込んでごそごそすると、氷室がくすぐったいとばかりに「ハハハハハ」と笑い出した。

「もう、氷室さん! しっかりして下さい。どうしてこんなことに」

 鍵がいくつかキーホルダーにくっついて出てきた。

 その中から家の鍵らしいものを選ぶ。

「これかな?」

 なゆみはそれを使って部屋のドアを開けた。

「氷室さん、帰ってきましたよ。おうちですよ」

 玄関は狭く、氷室を抱えて重なって入るのは一苦労だった。

 部屋に足を踏み入れれば、湿気が篭った部屋の暑さがもわっと体を包み込んだ。

「暑い」

 氷室がシャツのボタンに手をかける。

「ハイハイちょっと待って下さい。その前に靴を脱ぎましょうね」

 リュックを玄関にどさっと置いて、氷室を壁にもたせかけたまま、なゆみはしゃがんでなんとか靴を脱がせた。

 それから氷室を引きずるように廊下を真っ直ぐ進む。

 途中に小さなキッチンとユニットバスがあり、目の前のすりガラス張りのドアをあけると八畳くらいの部屋に出くわした。

「えっと、電気のスイッチはどこだ」

 その辺の壁を触ってスイッチを探しパチッとつける。

 明るくなってバーンと目に飛び込んできたその部屋に、なゆみは氷室を抱えたまま暫し呆然する。

 そこは小さなアートの空間だった。

 全体の色は落ち着いたアースカラーで統一され、ベッドもホテルのメイドが整えたように完璧に整えられていた。

 氷室の几帳面さが現れている。

 壁側には小さな棚があり整理整頓されて物が並べられている。

 棚の一番上にはお洒落なオブジェがついたブックエンドと本が置かれていたが、それは計算され たインテリアのように見えた。

 フローリングの床には洗練されたデザインの大きなラグ、そして小さなかわいらしいテーブルもインテリア雑誌の写真に登場しそうなくらいに見栄え良く添えられている。

 液晶テレビも存在感を出していた。

 部屋の隅には設計用に角度が自由に変えられるデスクが置いてあった。

 それはまさに完璧な部屋だった。

 なゆみが感心して突っ立っていると、氷室は隣でぐずつき出した。

「暑い」

「あっ、はいはい。えっと、エアコンのリモコンはどこだ」

 氷室をベッドにひとまずごろっと置いて、なゆみはテーブルの上に目をやった。

 そこにはテレビ用ともう一つ小さなリモコンが置いてあった。

「これだな」

 ボタンを押すとピッと音が鳴り、バルコニーに続く掃出し窓の上の壁に設置されていたエアコンが動き出した。

 これで一安心とばかり、氷室を見ると、氷室は自分でシャツのボタンを全開にしていた。

 なゆみはドキッとしたが、氷室が酔いつぶれて寝てることをいいことに、引き締まったボディをしっかりと見てしまった。

 意外と筋肉質で、腹筋が割れている立派な体つきに感心していた。

 ここまできたら、なゆみは氷室のシャツをぬがせてしまった。

「氷室さん、酔いつぶれて女と密室に二人っきりになっても危ないですよ。私だったからよかったものの」

 なゆみは仕返しのつもりだった。

「ん? そっか好きにしてくれ」

 なゆみはつい笑ってしまった。

 しかしすぐにその笑いが消え、氷室を寂しげな瞳で見つめる。

「氷室さん、それじゃ帰ります」

 なゆみは最後に氷室の顔をよく見ようと近づいたとき、「斉藤」と小さく声をかけられた。

「はい、なんですか」

 なゆみは耳を近づけた。

「…… 側にいてくれ」

 その瞬間、氷室はなゆみをいきなり抱きしめた。

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