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テンポラリーラブ  作者: CoconaKid
第四章 アストニッシング
35/60

 朝、店の前でなゆみが待っていた姿に氷室はドキッと胸が跳ね上がったが、奈津子も隣にいたためにいつも通りを装わざるを得なかった。

 なゆみの顔を見れば、どこか青白くやつれ、異変を感じた。

 不安げに見つめてきたあの赤い目。

 咄嗟についた言い訳も嘘に違いない。

 自分を頼ってきたことは明白だったのに、側にいた奈津子が邪魔でなゆみに問い質せなかった。

 逃げるように去って行くから、氷室は一日中気になって仕方がなかった。

 それとなく支店に電話をかけてみるも、そのときに限って川野が取るものだから、なゆみに代わって欲しいなどと言えずにいた。

 適当にそれらしいビジネスの話をしていたが、何度も同じことが続くと次第に話のネタにもつきてしまった。

 仕方がないと閉店間際を狙って再度掛けてみたのだった。

 その頃になれば、川野はきっとシャッターを閉める準備に入って電話から遠ざかる。

 そうすればなゆみか千恵のどちらかと話せるチャンスがあると思っていた。

 読みは当たり、その時電話をかければ千恵がちょうど出た。

 千恵もまたなゆみがおかしいことを氷室に告げたこともあり、氷室はただ事じゃないと確信した。

 閉店後、女性従業員たちが着替えて控室から出て来るのを、氷室は椅子に座りながら足をゆすって待っていた。

 何人かはすでに身支度を整えて先に帰っていったが、一人だけ中々出てこないのがいた。

 奈津子だった。

 氷室は時計を見てイライラしてしまった。

「おい、何してんだ。早くしてくれないか」

 大きな声で言うと、奈津子は「すみませーん」と軽々しく謝っている。

 出てくると、奈津子はにっこりと笑っていた。

 口紅の色が鮮やかになっているところを見ると化粧を直していたようだった。

「氷室さん、お待たせしました」

「何が待たせただ。遅いんだよ」

「じゃあ、お詫びに食事でも行きませんか」

 どうやら奈津子は氷室に気があるようだった。

「ヤダ!」

 子供っぽく素で嫌がった、氷室の叫びが速答で返ってくる。

「ええー、どうしてですか。いいじゃないですか」

 甘ったれた声、一番きれいに見える角度を知っているのか、首を少し傾けてそそっている。

 自分がかつてそうだったように、こういう遊びなれた女は、氷室は嫌いだった。

 しかし、うまく扱わないと、奈津子のような存在はややこしくなる。

 氷室は考えを巡らした。

「あのな、俺は(お前みたいな)女には興味ないんだ。アレだよアレ。特に少年(っぽい斉藤)好きのアレ」

 肝心な部分を飛ばして力説すれば、奈津子の顔が引き攣って歪んでいた。

 熱も冷めたようで、無言で歩きシャッターをくぐっていった。

 氷室はクククと笑いを堪えるのに必死になってしまう。

 上手く行ったことに満足していた。

 しかし、こんなところで時間を食ってるわけにはいかないと、戸締りをしっかりしてから慌てて走り出した。


 千恵も川野も去った後、シャッターが閉まった店の軒先でなゆみは氷室を待っていた。

 行き交う人にじろじろ見られながら、しょぼんとしていた。

 ビルの角から氷室が走ってやってきたのを見た時は涙が出そうになっていた。

「悪い、待たせたな」

 氷室は必死で走ってきたのか、少し息が上がっている。

「氷室さん……」

 氷室を見た安心感から、張り詰めていたものが切れると、涙がジワリとこみ上げた。

「どうした、一体何があった」

 なゆみは唇をわななかせるだけで、言葉がでてこない。

「ほら、落ち着け。ちゃんと聞いてやるから、慌てるな」

 頼もしいばかりに、この時の氷室は大人の男だった。

 子供っぽく振る舞って、すぐに切れるかと思えば、なゆみの事を心配して優しく包み込もうとする。

 このギャップが激しいほど氷室のいい所が浮き上がり、それがなゆみの感情を揺さぶらせる。

 氷室の胸に飛び込みたい。

 そんな気持ちで、勢いつけて叫んでしまった。

「私、ひっかかりましたっ!」

「何に?」

「宗教に」

「はっ?」

 なゆみは氷室に怒鳴られると思って、身が少しすくんで目を閉じた。

 しかし氷室は真剣に聞いていた。

「詳しく話してみろ」

 なゆみは事の顛末を全て話した。

 氷室がそれを全て聞いた後、ズボンのポケットから携帯電話を取り出し、誰かに掛けだした。

「もしもし、父さん? 俺だけど、この間教えてくれた宗教のことなんだが、そう、その話。それで被害者はどうなった? うん、うん、そっか。示談で解決したのか。 それなら話は早い。またもう一人、被害者が出たよ。多分同じ宗教だと思う。うん。そしたら、父さんの名前借りてもいいかな。わかった。ありがとう。それじゃ、用はそれだけ。えっ、わかったよ、その話はまた今度ゆっくり聞くよ。とにかくありがとな」

 なゆみはぽかーんとその話を聞いていた。

「よし、話はついた。さあ、今からそこへ乗り込むぞ」

「えっ、あのどうなってるんですか」

「ああ、おれの父は弁護士なんだ。あの宗教の話、父から聞いてさ、お前と同じように被害にあった奴が居て、父が依頼を受けたんだ。裁判沙汰になるのを宗教 側が避けて、話し合いで解決したんだとさ。その被害者はおかしいって自分で気がついて弁護士立てたから抜けられたけど、抜けたいって思ってもコントロール する奴が強いとなかなか一人では解決できないものさ。とにかく俺に任せろ」

「氷室さん、本当にごめんなさい」

「ほんとに仕方ないな、お前は。なんでもっと早く言わないんだよ。追い詰められるまで一人で悩みやがって。ほんとに目を離すと何をしでかすかわからないんだから。一生懸命なのもいいけど、時にはしっかりと周りのことを見ろよ。ほら、泣くな」

 氷室はなゆみの頭を大きな手で包むようにくしゃっと撫ぜた。

 なゆみはそれがとても嬉しくてすーっと不安だったものが抜けた気がした。

 氷室を見上げると、そこには温かい柔らかな光のように、優しい目が自分を見ていた。

 

 宗教の事務所が入っているビルの前に来ると、ジョンがいつものように待っていた。

「あれが、ジョンだな」

 氷室は突然なゆみと手を繋いだ。

 なゆみはびっくりして氷室の顔を見ると、氷室は心配するなと目で合図した。

「ハーイ」

 氷室はジョンに物怖じせず挨拶する。

 キョトンとしているジョンに向かって、氷室が流暢な英語を話し出すと、ジョンはだんだん眉間に皺が寄って不快な顔つきになっていった。

 氷室が突然英語を話したことになゆみはびっくりし、咄嗟に頭が働かなかったが、所々にフィアンセや近づくな、訴えるぞというような単語が耳についた。

 ジョンと互角にやりあった後、無遠慮に事務所の中に入っていく。

 なゆみは氷室に手をしっかり握られて、身を委ねるようについていった。

「責任者はいるか?」

 騒がしく氷室が叫んだ。

「一体あなたは何ですか。警察を呼びますよ」

 池上カスミが普段見せたこともない嫌悪感を抱いた顔で氷室に突っかかった。

「ああ、上等だ。呼べばいい。こっちはもう弁護士の手配をしている。氷室といえば、あんたもその名前を聞いたことがあるんじゃないか」

 池上が素早くそれに反応し、顔を歪ませた。

「いいか、氷室弁護士は俺の父だ。そしてここにいる、斉藤なゆみは俺のフィアンセだ。これ以上なゆみに近づくとまたお前たちを訴えてやる」

「ひ、氷室さん……」

 なゆみは心配のあまり、繋いだ手に力を入れてギュッと握りしめた。

 それに応えるように氷室も同じように握り返していた。

 池上は都合が悪くなりながらも、なゆみに罪悪感を抱かせようと試みた。

「なゆみさん。本当にそれでいいのですか。折角築き上げたことを破壊してまで、その悪魔の言うことを鵜呑みにしてしまうのですか」

「あんたはまだそんなことを」

 氷室があきれ返った。

 だかそれよりもなゆみが切れた。

 氷室を悪魔呼ばわりされて黙っていられなくなった。

「悪魔はあんたたちよ! 純粋な人の気持ちを利用して信じ込ませて、そしてその人から夢や希望までも取り上げようとした。そんなことができるのが悪魔なんじゃないの。私は、こんなところ嫌です。あなたたちこそ、地獄に落ちるんじゃないんですか」

 辺りはシーンと静まり返り、周りに居た人たちが禁句を聞いたように固まっていた。

 池上は、蔑んだ目つきで睥睨し、普段見せていた慈悲深い笑みからほど遠い怒りを露わにしていた。

 こんな醜悪を他の信者に見せてはいけないと判断し、なゆみをあっさりと見切った。

「わかりました。なゆみさんは脱会ということですね。それではこれ以上お引止めいたしません。どうぞお引取り下さい」

「はい! 今までどうもお世話になりました。それではGod Bless you!」

 あてつけのように、『神のご加護を』という決まり文句を言い放った。

 これでジョンにも通じただろう。

 興奮さめやらないままに、その場を後にして二人は去っていく。

 ジョンが、すれ違いざまに呆然としてなゆみを見ていたことで、少しだけ胸が痛くなってしまった。

 だが、氷室がしっかりと手を繋いで引っ張ってくれたことで、そんな罪悪感もすぐさま過ぎ去った。

 せいせいとして、心が晴れ晴れだった。

 二人はまだ手を繋いだまま、やり遂げた後の達成感と高揚した気分が続いていた。

 どちらもまだ手が離せない密着感を感じ、支えながら歩いていた。


 ──フィアンセのふりしてこれでよかったのだろうか

 ──フィアンセのふりして氷室さんが助けてくれた


 どちらも今頃になってからドキドキとして、繋いでる手に神経が集中していった。

 そうなると、婚約者のフリをしたことが、氷室には恥ずかしくなってくる。

「ここまで来たら、手を離しても大丈夫だろう」

「あっ、そうですね」

「いきなりですまなかった」

「そ、そんなことありません。とても心強かったです。ありがとうございます」

「もういいよ。これも、あいつらの言葉を借りれば、神の思し召しなのかもな」

「私、何度氷室さんに助けられたんだろう。感謝しても感謝しきれない」

「だからもういいって言ってるだろ。それにお前だって俺を救ってるんだぞ」

「えっ? 私が? いつ?」

「細かい事は気にするな。ギブアンドテイクでいいじゃないか」

「あっ、そういえば、氷室さん、英語ペラペラ」

「あれくらいどってことない。いつか海外でも仕事したいって思ってたから、自然にそうなっただけだ」

 その言葉に、またなゆみのおせっかいなスイッチが入ってしまった。

「氷室さん、絶対夢を諦めないで下さい。氷室さんがもし過去に何かあって、その時結果的に挫けたとしても、きっとそれは必要な試練だったんじゃないでしょ うか。うまくいえないけど、人生に無駄がないっていうのか、その失敗も含めてそれが夢への一歩なんじゃないかなって、その、あの」

「また生意気な口を利いて」

 なゆみは怒られる覚悟を決めて体に力を入れて縮こまった。

「ご、ごめんなさい。折角助けてもらったのに、恩を仇で返すみたいに言っちゃって」

 だが氷室は穏やかな表情で、とても素直に受け入れた。

「いいよ、もう慣れた。それに俺も実はそう思い始めたんだ。お前に会ってから」

「えっ」

「俺、また頑張ってみようって思ってる。お前見てたら、そんな気になってくるんだよ。ありがとな」

「氷室さん……」

 あまりにも素直な反応に、なゆみは目をパチクリとしてしまった。


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