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テンポラリーラブ  作者: CoconaKid
第三章 チェンジング
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 閉店時間になると、川野が客が来ないタイミングを狙ってテキパキとシャッターを閉めた。

「斉藤、おつかれさん。まあなんとか頑張ってくれたな。いいぞ、もう本店に戻っても」

「はい。どうもありがとうございました」

「なあ、こっちの方が働きやすかっただろう。これからこっちに来てもいいんだぞ」

 川野は自分の方が氷室より主任に向いていると、言いたげな態度だった。

 ネチネチの小さいおっさんVS子供っぽく冷たいおっさん

 自分でタイトルをつけてみたが、上司としてどちらがいいかと思えば、どっちも嫌かもしれない。

 だが、氷室が傍にいないのは少し物足りなく感じていた。

 返事に困って真剣に悩んでいるなゆみに向かい、千恵は、相手にするなと隠れて首を横に振って合図を送ってきた。

「向こうもサイトちゃんが戻らないと店を閉められないだろうから、ここはもういいから、戻って」

 千恵が促してくれたお陰で助かった。

「それじゃ、どうもお疲れ様でした。お先に失礼します」

 なゆみは千恵に手を振って勝手口から支店を出て行った。

 その後、千恵と川野はなゆみの事を話し出した。

「素直でかわいい子でしたね、川野さん」

「そうだな。斉藤がこっち来れるように今度手配してみるか」

 独り言のように呟いた川野の言葉に千恵は驚いていた。

 川野はよほどなゆみが気に入った様子だった。


 なゆみが急いで本店に戻ると、すでにミナと紀子とその日来ていたアルバイトの女の子たちは着替えが終わり、シャッターをくぐって帰るところだった。

 なゆみは「お疲れ様です」と頭を下げた。

「サイトちゃん、ごめんね。氷室さんも先に帰れっていうから、待ってなくてごめんね」

 ミナが言った。

「いえいえ、そんな、気を遣わないで下さい。遅くなった私が悪いんです。それじゃまた明日」

「うん、じゃーね」

 なゆみは皆に手を振って、見送ってから半開きのシャッターを潜った。

 中に入って顔を上げたとき、デスクの前の椅子で腕と足を組んで座って待っていた氷室とすぐに目が合った。

「お疲れ」

「お疲れ様です。遅くなってすみません。すぐ着替えますので」

「いいよ、ゆっくりしてくれて。今日もこの後、英会話なんだろ」

「いえ、月曜日は休みなんです。今日はありません」

 氷室は休みと聞いて考え込んだ。

 なゆみは慌てて控え室に入り、帰り支度をするが、できるだけ早く着替えようとして、ズボンを穿くときバランスを崩して「うわぁ」と悲鳴を上げてよろけていた。

「おい、だから慌てるなっていってるだろ。服着替えるだけで、怪我するなよ」

「はい、すみません」

 ロッカーをバタンと閉める音がして、次にタイムカードに差し込んだときの音も響いた後、ドアが開いてなゆみが出てきた。

「すみません。お待たせしました」

 頭を深々と下げると、氷室は椅子から立ち上がった。

「それじゃ、飯でも食いにいこうか」

「はい。…… ん? えっ?」

 さりげなく言われて、深く考えずに返事してみたものの、自分の意思と噛み合わない。

「英会話学校休みなんだろ」

「はい、そうですけど、今なんて?」

「だから飯食いにいこうって」

「私とですか?」

「うん。土曜日の貸しもあるだろ」

「あっ、そうでした。はい。わかりました。いきましょう」

 あの時の仮があった。

 そういう事なら仕方がないと、氷室の提案に素直に従うが、それでも変なシチュエーションになゆみは戸惑っていた。


 なゆみは氷室と肩を並べて、夜の街の中を歩いていた。

 そういえば土曜日も同じように歩いていたが、あの時は体を密着させて支えられていた。

 酔っていたとはいえ、フラッシュバックすると、自分の失態が非常に恥ずかしい。

 今頃になって、事の重大さを実感してしまった。

 氷室の様子をちらりと見れば、普通に前を見て歩いていた。

 氷室は背が高く、そして肩幅ががっちりとして、スーツの背広がとても形よく映えて見える。

 改めて見れば大人の男という貫禄があった。

 見かけはかっこいい男だった。

 その隣に、色気も化粧っ気もない、髪の短い少年のような女がいると、どうも不釣合いに思える。

 なゆみは急にもじもじしてしまった。

 何考えてるんだろう、私は……

 それを悟られるのが嫌で、無理に笑顔を作り、なゆみは氷室に声を掛けた。

「あの、どこ行きましょう」

「そうだな、またホテルにでも行くか?」

「えっ、それはもう忘れて下さい」

「ハハハハハ、お前はからかいがいがある」

 笑い声と笑顔のせいで、冷たい氷室が急に丸くなったように見えた。

 

 氷室の後をついて行くけば、飲食店が集まる繁華街に入っていった。

 その中でもひときわ目立つお洒落な風格のトンカツ屋があった。

 目を引く店の構えに、味の良さも伝わってくるようだった。

 氷室が「ここはどうだ」と提案する。

「あっ、トンカツですか。私大好きです。それにこのお店、とてもセンスがいいし、ここにしましょう」

 素直に反応を返してくるなゆみはかわいかった。

 氷室はふっと鼻から息が漏れ、顔が緩んでいた。

 暖簾をくぐり、「いらっしゃい」と声を浴びて、店員に席に案内された。

 店はまばらに客が座っている程度で空いていた。

 ピーク時が過ぎた様子だった。

 二人が席に着いた時、白いコックのような服装をした、少し小太りのおじさんが氷室に寄って来た。

「よっ、氷室さん、お久しぶり。今日は弟さんをお連れですか」

「おやっさん、これでも女なんですよ」

「あっ、ほんとだ、これは失礼仕った。かたじけない」

 その店主の古風な言いぐさに意表を突かれ、間違えられても腹も立たなかった。

 実際、自分が色気ないのは良くわかっていた。

 氷室と少し話をした後、なゆみに軽く頭を下げて店主はまた奥に引っ込んでいった。

 氷室はこの店の常連なのかもしれない。

 癖のある店主と氷室は気が合いそうに思えた。

「氷室さん、弟がいるんですか?」

 弟と間違えられたので、なゆみは軽く聞いてみた。

「ああ、ちょっと年が離れた弟がいるんだ。弟ともここに来たことがあったからね。お前は兄弟がいるのか?」

「いえ、一人っ子です」

「そっか。そんな感じには見えなかった」

「それって、弟とかいるように見えて、しっかりしてるってことですか」

「いや、いつも兄弟げんかして負けてばかりの負け犬って感じ。弱い犬ほどよく吼えるっていうしな」

「なんですかその例え?」

 常に憎まれ口を挟まないとすまない氷室に、なゆみはまた乗せられてしまった。

 何か言い返そうと考えている時にお茶が運ばれてきた。

「ご注文お決まりですか?」

「ロースカツ定食二つで」

 ウエイトレスはテーブルを後にすると、すぐさま厨房に注文を通していた。

「私、まだメニュー見てなかったんですけど……」

 なゆみが不満げに言った。

「俺に任せろ。これが一番上手いから」

 氷室の俺様になゆみはなす術もなく、目の前の湯飲みを取り、熱いお茶をふーふーと冷ましながら口をつけていた。

 少し熱かったので、慌てていると、氷室は口元を綻ばせていた。

 その自然な笑みを見ると憎めなくて、なゆみもどこかほっこりとしてきた。

「氷室さんはご両親と一緒に住んでるんですか?」

「いや、賃貸マンションに一人で住んでいるよ、もう32歳なもんで」

「別に年は関係ないかと。何かと氷室さんって捻くれてますよね」

「最高の褒め言葉だ。ありがとう」

「だから…… いえ、もうやめときます。氷室さんには何を言っても敵いません」

「そうだな、俺は親の前でもこうなんだ。負けん気が強くてね、すぐに喧嘩しては自分が正しいんだって我を通している奴さ」

「でも氷室さんってもしかして寂しがりや?」

「どうしてだ?」

「だって、寂しがる人ほど、親に反抗するような気がする。充分な愛情を独り占めしたいために、感情をぶつけることでかまって欲しくなる心理ってことかな」

「ふーん、二十歳の小娘が結構心理学者みたいなこと言うんだな」

「当たってますか?」

「いや、はずれだ」

 なゆみはガクッとうなだれた。

「だけど、なんか氷室さんの意外な面を見た感じがしました。もっと怖い人だと思ってたから、こうやって話ができるなんて思わなかったです」

「ふん、今回はお前を利用しただけだ。腹へってたから。背に腹は変えられぬっていうだろ」

「そうですね」

 最初会ったときは確かに苦手な人間だと思った。

 冷たく怖いとさえ感じていたが、まだ出会って間もないのに、他の従業員の知らない氷室の意外な面を誰よりもたくさん見たように思える。

 初めて会った時の印象が徐々に変わっていっている。

 それは氷室を知れば知るほど、自分の中で違った感情がいつも芽生えてくる。

 氷室は本当は冷血漢でもなんでもない、そんなフリをしてるだけの本当はもっと繊細な人なのではないだろうか。

 ホテルで感情を露わにした時、ほんの一瞬垣間見た、氷室の瞳の奥での深い傷跡。

 それも含めて、氷室はとても繊細な一面を持っていると思えた。

 それがなゆみにとって、気になり、もっと奥深くを見てみたいと思ってしまう。

 まだ埋められない距離感の中で、時折近づいてくる氷室。

 優しさを見せたと思えば、突き落とされる仕打ち。

 そのギャップが激しい程、放っておけなくなってくる。

 ジンジャを思う気持ちとはまた違う感情。

 ジンジャを前にすると太陽を求めて真っ直ぐ走り続けていた感じだったが、氷室の場合はどこか月明かりに照らされて、その冷たい光に惑わされている感じ。

 きついことを言われても、慣れが入ってきてそんなに気にならなくなってきた。

 それが自分のために発せられた選ばれた言葉のようにも思えたからだった。

 なぜこの人は、今私の前にいるのだろう──

 なゆみは、お茶を飲む氷室をじっと見ていた。

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