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テンポラリーラブ  作者: CoconaKid
第一章 ビギニング
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 支店周りをした後、閉店後の本店に戻ってきた氷室コトヤが、少しだけ開いているシャッターを潜ろうと体を丸めて中に入って行った。

 明々と電気はついているが、陳列には布がかけられ、全てが終了した雰囲気に包まれていた。

 誰も人が見当たらなかったが、その奥には控室があり、そこに人が居る気配はしていた。

 そこへ近づき、その中にあるタイムカードを押そうと、控え室のドアノブに手をかけた時だった。

 何かいかがわしい、変な喘ぎ声が聞こえてくる。

 控え室は従業員が休憩を取ったりする場所だが、テレビやDVDなどという設備は一切ない。

 すぐに状況を悟った氷室は「はあー」と呆れたため息を漏らして、ドア越しに苛立った声を発した。

「専務、俺のタイムカード押しておいて下さいよ! それじゃお先に失礼します」

「オッケー、コトヤン、お疲れ~、また明日な」

 意外にも、あっけらかんとした受け答え。

 中で何が起こってるかばれていても、この専務と呼ばれる男はたじろぐこともなかった。

 そして、氷室コトヤをコトヤンと親しく呼ぶのも、この二人は高校時代の友達同士だったからであった。

 再び、先ほどよりもわざとらしい声を出して、氷室をからかう。

 どうぞ、お好きにとばかりに、氷室は呆れ顔になって、奥で行われている行為を尻目に再びシャッターをくぐった。

 この日のお相手はどの従業員だろうと思ってみたところで、誰が専務の餌食になっても不思議はなかった。

 というのも、従業員の採用面接はほとんど専務が行い、専務の好みで雇っているからだ。

 だから結構美人な女の子がこの店には多い。

 だが、そういう女の子たちは辞めるのも早ければ、いい加減な輩も一杯だった。

 さらに気に入られてそれなりの関係を持てば待遇がよくなるポジションでもあったため、そいうことに気がついた従業員は図に乗る。

 だが、あまりにも度がひどくなると、そういう場合はあっさりと首を切られることもしばしばだった。

 従業員の入れ替わりが激しく、あまり碌なのがいないと、氷室はここで働く女性など見向きもしなかった。

 それでも長いこと残っている真面目な従業員もいる。

 その子たちはごく普通で、特にそれほど美人ということもないが、まあ不細工というほどでもない。

 そういう子たちは専務がいないときに、社長が自ら面接に赴いて、雇っていたりする。

 社長はそんなに悪い印象はないのだが、ここの専務は社長の息子の座を大いに利用し、かなりの遊び人と来ている。

 やり手のギトギトした雰囲気があるのでスー ツを着れば立派なビジネスマンだが、中身は結構腹黒だ。

 氷室にしても高校時代の友達だったから、その点についてはよく知っている。

 根は悪い奴ではないのだが、本能のままに動くというような感じだった。

 誰もいなくなった仕事場で、従業員を相手にできるぐらい、男ならチャンスがあれば当たり前と言い切れる奴なのである。

 そして、自分に妻と幼い子どもが居るのにもかかわらず──。

 友達だが仕事場ではビジネス。

 氷室はその辺をよく理解していた。


 都市の中心に建ち並ぶビルの地下1階に、この店は位置していた。

 ショッピングエリア、飲食エリア、ビジネスエリア、エステなどのサービスエリア等、多様なものが集まっている。

 氷室が働く店は、商品券やチケット等を買い取って、それを再び売るというような金券ショップだった。

 ほとんど紙切ればかりの商品だが、売る人、買う人ひっきりなしに寄ってくる。

 専務と呼ばれた男、谷口純貴の父親が、この商売を始めてそれが成功し、今では支店も何店と出すほどに成長した。

 氷室が偶然にこの店に立ち寄ったとき、谷口純貴に会い、近況報告の会話の中で失業したと言うと、簡単に誘われたのがきっかけで働くこととなった。

 氷室自身、本当はこんなところで働きたくなかった。

 いい大学を出て、いい就職先で自分の中ではエリートと思っていたのに、運悪くリストラされて、プライドもズタズタでお金もなかった事でやけくそで受けてしまった。

 そんなこと谷口純貴には言えないが、表面上はありがたく受け取り、腹の底ではただのテンポラリー(一時的)ですぐに辞めてやると思っている。

 しかし、この商売意外と儲かっているようで、正社員としてそれなりのお給料を払っている。

 頭を働かせることもなく、ただ紙切れを売買し、楽にそこそこ纏まった金が得られることで、ずるずると1年も過ぎてしまった。

 氷室コトヤ、32歳。

 すでにもういい年を過ぎていた。

 自分でもこのままではダメだと分かっていても、そこから抜け出せない弱い人間に落ちぶれていた。

 昔の氷室を知っている者が見たら、その腑抜け具合に大いに驚いたことだろう。

 自分でもみじめになるほど、氷室はどん底に居た。

 長身でがっちりとした体つきながら、背中を丸めて、疲れた足取りで地下街から一階へと上り外に出る。

 辺りはすっかり暗く、少し冷えた。

 どこからか桜の花びらが、ひらひらと舞うように飛んできた。

 桜が咲ききって後は散っていくそんな季節だった。

 寂しさと空腹さが同時にこみ上げながら、ビルとビルの狭間の暗い空を見上げるが、周りの明かりが強すぎて星がはっきりと見えなかった。

 全ての明かりがなくなればたくさんの星が瞬いているのは分かっているが、はっきりと見えないのは、自分のやる気ない心の曇りも邪魔しているように思えた。

 何か食べていこうかと考えていた時、自分の後から楽しそうに語らいながら若い男女のグループが、同じ出口から現れた。

 氷室は気にするつもりはなかったが、その語らいから英語が聞こえてきたので、つい振り返ってしまった。

 中には外国人も混じっていて、どうやら英会話学校の先生と生徒達のようだった。

 氷室も働くそのビルには英会話学校が入っているのは知っていた。

 その若者たちは氷室を抜かして、ガヤガヤと騒がしく前を歩いていった。

 氷室は無意識に立ち止まって、ぼんやりとしていると、後ろから慌てて走って来るものがいた。

「待って! Wait!」

 先に歩いていた者達に追いつこうと、氷室にも目もくれずビューンと抜かして走って行った。

 薄暗くてはっきりとは見えなかったが、シルエットからショートヘアの髪型でいかにも元気なボーイッシュな女の子という印象だった。

 ああいう感じの子は職場では絶対見かけることのないタイプで、自分の好みではない女だと、氷室はその時、漠然的に思っていた。

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