第8話 幸せは黄金の味
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初めて常若と千種が、共に神舞を執り行った日。その日の夜は、常若の屋敷に電子レンジどころか調理器具等さえ殆どなかったために、結局千種が近所のスーパーで買ってきたお惣菜を夕飯にした。
五年ぶりにまともに食事をとった常若は、久々に感じる「味」というものに多少戸惑いを抱きながらも、しっかりと完食する。
一方の千種は、「俺が若さんに食べられる一発目になりたかった……クソ……」と何やら酷く悔やしそうにしていた。
翌日。千種は朝早くに調理器具やら食材を買い足してきたかと思えば、常若に「最高の朝飯」を振舞うのだと意気込んで、手際よく料理をしている。
炊きたてのお米の、ほろ甘い香り。トントントン、と野菜を刻む小気味よい音。じゅわっとフライパンの上で卵がとろける様。
千種が料理する姿を常若は終始、そわそわと見守っていた。
何やら千種が手際よく行ってゆく「料理」というものは、昔絵本で読んだ魔法のようにも思えて。常若は昨日、千種との神舞で思い知った「楽しい」という感情に近いものを胸で躍らせながら、千種が料理を終えるのを待った。
そして現在。常若と千種がちゃぶ台を挟んで座り、ちゃぶ台の上にはとろとろの黄金に輝く卵によって包まれた橙色のご飯——オムライスなるものが、温かい湯気を漂わせて鎮座している。
「お待たせしやした、若さん。それじゃあ、食べようぜ——いただきます」
「い……いただき、ます……!」
「若さん、そんな慌てなさんな。昨日もそうだったけど、もっとよく噛んで。ゆっくり食べてみ?」
常若は思わず待ちきれないとばかりに木製の匙を持ったまま、千種と共に合掌して食事のための祝詞を口ずさむ。
千種が何やら楽しそうに笑って「ゆっくり食べてみろ」と言うので、常若はその言葉を胸に留めると、ごくりと唾を飲み込んだ後に初めてのオムライスと対峙する。
千種が息を吹きかけながらオムライスを食べるのに倣って、常若も匙でとろとろの卵とつやつやに光る橙色のお米を掬い上げると、息を何度も吹きかけた後に満を持して頬張った。
「……! ん、わ……!」
常若は、反射的に声を上げた。
昨夜のお惣菜では久しぶりの食事に慣れず、よく味わうことなく食べ物を飲み込んでしまっていた。しかし今日は千種の言う通り、よく噛んでゆっくりと食べてみる。
すると、ふわふわの甘い卵が口の中でとろけて、常若の舌をなめらかにしてくれた。しかも、その卵のふんわりとした甘さが、野菜の小さな刻みの歯ごたえだったり、橙色のお米の甘辛いような味を、より際立たせる。
舌の上で、色んな感覚が鮮やかに踊る。柔い、かりっとした食感が気持ちいい、甘い、辛い——ああ、思い出した。これは「おいしい」だ。
かつて常若にあったはずの味覚を、「おいしい」を、千種のオムライスが蘇らせてくれる。
「ど? 若さん——美味しい?」
千種が、初めて聞くような柔らかな声で、そう尋ねてくる。
いつの間にか夢中でオムライスを頬張っていた常若は思わず、また昨日の神舞の時のように銀色の瞳を輝かせて、目の前に居る千種に何度も頷いて見せた。
「千種! これ、『おいしい』だ。僕、久しぶりに『おいしい』、思い出した……! 何だか、おいしいと一緒に、楽しい、かも……!」
常若は、千種の金色の双眸と目が合う。こちらをやはり真っ直ぐ見つめてくる、眼鏡の向こうにある千種の黄金の瞳は、何だか熱っぽくも思えて——オムライスの卵のように、とろけているように見えた。
「美味しくて、楽しい。そっか……ああ、ほんと良かった。たんと食べてな、若さん」
千種が中指と親指で眼鏡を押し上げながら、「ふ」と吐息混じりに笑みを零す。人より鋭い千種の双眸は、いつもよりも一層柔らかく細められていて。何だか、その視線を真っ向から受ける常若は胸の内がこそばゆくなるような、不思議な感覚に襲われた。
また千種は、常若の「知らない感情」や「初めて」を、これでもかとたくさん思い知らせてくる。でも、決して悪い気分ではない。これは、そう——これも「楽しい」だ。きっとそうに違いない。千種は色んな「楽しい」を教えてくれる。
常若はそんなことを考えながらも、やはりすぐにオムライスの「おいしい」に夢中になって、今までにないほど心地の良い朝を迎えたのだった。




