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常若比売の天降り婚  作者: 根占桐守
第二章
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第7話 夫婦共同作業



 オオォォォ……!

 不意に、獣の唸り声のような低音が響き渡って、二人は音のする方を振り向く。

 そこには、自動車ほどの大きさをした獣型の神遺が、こちらに向かってじりじりと近づいてきていた。おそらく、新たに出現した呪いの神遺だろうと、常若は見当をつける。この辺りの山界は、呪いの神遺が発生することが多い土地柄なのだ。


「おいおいおい、また? ここは神遺の源泉かよ」


 千種が鼻から細く息を漏らしながら、僅かに眉根を寄せる。


「ちょうどいい。今から、千種に教えてもらう。神舞の『たのしい』とか『きもちいい』ってもの」


 常若は乱れた息を整えるように、数回深呼吸を繰り返すと、隣に立つ千種を真っ直ぐに見上げた。


「だから千種。千種が僕の、初めての神使になってくれる?」


 銀光に瞬く常若の視線を受け止めた千種が、「ふ」と息を漏らして、どこか「堪らない」とでも叫び出しそうな様子で笑みを浮かべると、常若に力強く頷いて見せた。


「喜んで」


 千種の返事を合図に、二人は揃って神遺に向かって構えた。


「若さんはいつも通りにやっていいぜ。俺が若さんの全部を支える。絶対に」

「わかった。それでは——只今より、神舞を執り行う」


 軽く掲げた左手を振るい、常若が幾本もの長釘を顕現させている隣で、千種も同時に拍手(かしわで)をして拍子木のような音を鳴り響かせた。


「かけまくもかしこき、山祇(やまつみ)御方(おんかた)よ。我ら空蝉(うつせみ)の子、御方の息吹より()でし弓弦(ゆづる)を以て弦打(つるう)ちすることを(きこ)()せと。(かしこ)(かしこ)みも(もう)す」


 千種が朗々と祝詞を唱えると、常若と千種、互いの身体から無数の光の弦が輪を描いて湧き出し、顕現した。思いがけず常若は目を瞠って、千種を振り向く。

 常若からは銀色の弦が、千種からは金色の弦が止めどなく溢れて、宙を舞っていた。


「だいじょぶ、若さん。この弦は神使の(わざ)──神使術で可視化された、俺と若さんの生命力や魂のかたち。この弦で客神と神使を繋ぐことで、弦を通じて若さんの異能を引き出したり、抑制したりすることができる。本来神使は、完全サポート型の弓役(ゆみやく)と、客神をあらゆる外敵から護る箭役(せんやく)の二種類があるんだが、そこの心配も必要ねぇよ。俺はどっちも一人でやれるから」


 客神の異能制御全般を担う弓が弓役(ゆみやく)。客神を護る矢と成るのが箭役(せんやく)。以前、常若も屋敷人たちから教えられたことのある知識だが、「弓役と箭役を一人二役でこなす」という離れ業を「可能」にした者など、今まで出会ってきた神使の誰一人として、常若は見たことも無い。

 常若が内心驚愕しているのにも構わず、千種は佩いていた刀を左手に持つと、腕をぴんと伸ばして構えた。それに併せて、刀へと常若と千種の金銀の弦が絡み合う様に収束し、弓の形を成す。


 いつの間にか、常若は自然と千種から視線を外し、その銀色の双眸は再び獣型の神遺を捉えていた。隣で千種が、弦を手繰って弓を引く。

 千種が見惚れるような美しい姿勢で弓を引いていくのと同時に、常若は己と千種を隔てる何もかもが消え失せて、千種とひとつに溶けて交わる感覚を覚えた。


 互いの呼吸が一つの巨大な息吹になるような。心臓の鼓動がぴったり重なり合うような。身体中を巡る血管の一本一本、その全てが千種の血管と結びついて繋がったかのような。

 どく、どく、どく。鼓動の熱が、肉体と魂の熱が、弦の形をした熱が、()けて固く結ばれる。

 己の魂の深奥から、沸々と迸る火花にも似た歓びが——まだ見ぬ異能の力が怒涛の如く駆け上ってきて、凄まじい高揚が爆ぜる。


「さあ、いこうか。若さん」


 千種の合図の声と共に、弓の弦が打たれ、「キィン」とまろくて高い音が鳴り響いた。

 その音に促されるかのように、常若はばらりと指をしならせて、左手を握る仕草をする。すると、常若が宙に並べた長釘が一瞬にして束に成ったかと思えば、人間の腕ほどの大きさをした一本の釘に変化した。


(身体が重くならない……思う通りに、動く。異能もいつも以上に、想像通りに顕現する。なに、これ。これぜんぶ、千種のおかげ?)


 心の内で、咄嗟に独り言ちずにはいられなかった。それほどまでに今の常若の肉体と異能は、自由自在に操れるのだ。

 常若は流れるような動きでいつもより大きく変化させた釘を、右手に持つ槌で、神遺目掛けて撃ち込んだ。

 獣型の神遺の眉間を、釘が貫く。常若はまばたきをすることもなく、目を見開いたまま、槌で宙をカン、カン、カン、と三度打ち鳴らした。

 みるみるうちに、獣型の神遺は淡い光となってあぶくの如く弾けていって空へと昇り、呪いを吸収した釘は常若のもとへと還ってくる。


 腹を貫く勢いで還ってきた釘を常若は槌で叩き落とすと、落とした拍子にするすると小型化した釘を指で摘まみ上げて、あっという間に呑み込んだ。

 ふと視界の端で、千種が片腕に食い込むほどに巻き付けた銀の弦——常若の異能を司る弦を、全身全霊の力で引っ張っている姿が見えた。おそらく、引き出された常若の異能が暴走しないよう、必死に制御しているのだろう。

 常若は、歯を食いしばって異能を制御している千種を、ゆるりと振り向いた。


「いで、きたまへ」


 常若の声が、鎮魂の祝詞を口ずさむ。

 それは神舞が完全に終えられた合図。しかしその声は、明らかに弾んでいた。鎮魂の祝詞が唱えられた瞬間、千種の神使術も解かれて、顕現していた金銀の弦が光の粒となって消える。


「く……っは……! は、はあ、はあ……」


 神舞を終えた千種が、額に滲んだ汗を拭いながら息を荒らげている。

 一方、異能を行使した常若は、目立った体調変化は見られない。むしろ一切の代償なく、いつも以上に引き出された異能を自在に扱えたことで、今までに感じたことがないほどの心地よさと興奮を覚えていた。

 己の鼓動が、何よりも速く、熱を錯覚するほどに高鳴っている。常若はその気持ちのいい熱に浮かされたまま、茫然と千種を見つめた。

 そんな常若の視線に気が付いた千種が、にやっと器用に片方の口角を吊り上げて、右手を腰に当てながら小首を傾げて見せる。


「初めての夫婦共同作業はいかがだった? 若さん」

「……今の、なに?」


 未だに肩で息をする千種。常若はそんな千種に駆け寄って、熱に浮かされた銀色の目を何度もしばたたかせながら、上擦った声を上げた。


「凄い……凄い、凄い、凄い。なんか……熱く、なった。もう一度やりたいって、思っちゃった。なにこれ。初めての、感覚……熱くて、むずむずするけど、何だか……きもちが、いい」


 そう早口で捲し立てる常若に、千種が満面の笑みを浮かべた。


「それが『楽しい』ってやつだ。若さん。良かった、知って貰えて。俺も嬉しい」


 千種の言葉に常若は目を丸くすると、高鳴る胸を片手の拳で押さえる。


「たのしい。これが、楽しい……こんなの、生まれて初めて。千種、凄い! こんなに楽しいことできるの、凄い……! 千種は本当に、凄い!」


 常若の声が、今までにないほど高揚と興奮で弾んだ。常なる無表情はあまり変わらないが、その銀の瞳は火花が弾けているかのように、輝いている。

 千種をこれでもかと「凄い、凄い」と延々に褒め称える常若に、千種は面食らったようにしばらくきょとんとしていた。

 それも次第に驚き混じりにも、どこか照れくさそうな様子となって、千種は僅かに眉を下げて小さく笑いながら、首筋を落ち着きなく片手で摩りつつ、常若を手招きした。


「あんがと、若さん。そんじゃ、今日はここまで。とりあえず家帰って、飯にしようか」


 常若は心の底から思い知った。

「楽しい」とは、こんなにも素晴らしく、心地よい、何度でも経験したくなるようなものなのかと。千種とずっと、この「楽しい」を感じていたいと、強く思わずにはいられなかった。

 そして、きっと。千種はまた、常若の知らない「楽しい」をたくさん教えてくれるに違いないだろうと。何故かそんな不思議な確信があって、更に胸が躍るような気分になった。

 常若は未だにどきどきと高鳴る胸をそのままに大きく頷いて見せると、千種と共に帰路についたのだった。

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