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常若比売の天降り婚  作者: 根占桐守
第二章
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第6話 山上他界の神遺



 常若は山界に入山してしばらくもしないうちに、斜面が緩くなった開けた場所で立ち止まる。隣に千種も並んで、二人は木々が生い茂った辺り一帯を見回した。

 そこには、人の頭ほどの大きさをした真っ黒な泡がいくつも宙に浮いていた。ぶくぶくと気泡のようなもので波立っている黒い泡の中からは、人や獣といった様々な生き物の泣き声が聞こえてくる。


「呪いの神遺の一種……山上他界(さんじょうたかい)の神遺か」


 千種が宙を漂う黒い泡を、目を細めて観察しながら呟く。

 山界には遍く死者の思念が集まって強く残りやすく、これを「山上他界」と呼ぶ。そういった死者の思念が、神々が(もたら)した神気に触れてしまい、〈呪いの神遺〉の一種と成したのだろう。

 神遺にも〈呪いの神遺〉といった様々な種類が存在し、客神によっては異能の相性もある。〈呪いの神遺〉は呪いの客神たる常若としては、非常に鎮魂し易い神遺だ。

 常若は千種の呟きに小さく頷いて見せると、千種から十歩ほど横に離れて、左手を顔の前で軽く掲げる。


「只今より、〈神舞〉を執り行う。千種はそこにいて」

「は……まさか、一人で神舞をやるつもりか? 駄目だ、待て! 若さん……」


 千種がこちらに駆け寄ってくる前に、常若は異能を行使して己の周囲に箱型の結界を展開する。そして、結界に阻まれて立ち竦んでしまったのであろう千種を一瞥することもなく、無機質な声で呟いた。


「いつものことだから」


 常若は顔の前で掲げていた左手を指揮者のようにゆるりと振るう。すると、左手が辿った宙の軌跡に、銀色に光る長釘がずらりと幾本も顕現した。常若の右手には、いつの間にか鈍色の釘抜き付きの槌が握られている。

 常若は慣れた手つきで、宙に浮いた長釘を次々と槌で撃ち飛ばした。そのまま、箱の結界を貫通して撃ち放たれた長釘の全てが、宙に漂っている黒い泡——山上他界の神遺に突き刺さった。


 長釘に打たれた無数の神遺は、一瞬爆発するように銀色の火花を散らして膨張したが、すぐに泡の黒色だけがずるりと長釘の中に吸い込まれる。そうして、透明になった泡は次々と上空へと浮いていって七色の雨となって弾けた。辺りには、黒ずんだ長釘だけが漂っている。

 常若の異能が、呪いだけを長釘に抽出し、神遺を鎮魂したのだ。


「いで、きたまへ」


 どんな呪いも、()べてあげる。


 常若がそう唱えて、いざなうように左手を前に差し出すと、呪いを抽出した長釘の全てが凄まじい勢いで箱型の結界内に集結し、常若の全身に突き刺さる。しかし、常若の身体に突き刺さった瞬間、長釘の全てがどろりと粘着性のある水の如く溶けて、常若の体内へと吸収されていった。

 まさにそれは、遍く呪いを喰い尽くし、更なる強大な呪いが生み出される「蠱毒」の箱の再現。どんな呪いも喰い尽くすことができる——この世で最も強い呪いは常若なのだ。

 呪いを喰い尽くした常若は、顕現させていた異能の槌と箱型結界を掻き消し、小さく息を吐く。


「……っか、は……けほ、ごほ……!」


 しかし、同時に常若は激しく咳き込んで、吐血した。ふらりとよろめく常若を、慌てて駆け付けた千種が肩を抱いて咄嗟に支えてくる。


「大丈夫か? 若さん。こうなるだろうから、やめてくれっつったのに……! 神使なしでの神舞は、肉体に相当な負荷が掛かる。ただでさえ若さんは異能の制御が不安定なんだ。無理だけはせんでくださいよ」


 咳き込んで身体を丸める常若の背中を、千種が大きな手で何度も丁寧に摩る。千種が摩ってくれるおかげで体調が落ち着いてきた常若は、ひゅうと息を鳴らしながらも、千種に掠れた声で応えた。


「も、だいじょう、ぶ……神舞はいつも一人でやってた。慣れてる。問題ない」

「問題大ありだわ。そういうのは、慣れちゃ駄目なやつ。……なあ、若さん。これからは神使として、俺にも一緒に神舞をやらせてくれ。頼む」


 千種が地に片膝をつくと、下から見上げるように常若の顔を覗いてくる。その眼差しは真剣で、何だか眩しいものを見ているようにも思えた。

 常若は血で汚れた口元を拭いながら、小首を傾げて見せる。


「それも、僕の天降りのため?」


 神使なしでの神舞は客神の異能制御が不能になる要因の一つであり、より一層その存在が神に近づいてしまうという一説がある。千種はそれを懸念しているのだろう。

 そう考えた常若だったが、一方千種はどこか意表を突かれたような様子で一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに眉を少しだけ下げて笑みを浮かべる。

 それは常若が初めて見る笑みだった。

 どこか苦しそうな、困っているような……そんな、不思議な笑み。

 人間とは、色々な笑い方ができるものなのだと、常若はまた千種によって新しいことを知った。


「まあ、それもありますけども。一番は若さんに苦しみながら神舞をしてほしくねぇの。もっと身体を大事にしてほしい。そんで、若さんにはあと千年くらい生きてもらわんと」


「千年生きる」という不可解な千種の言葉に、常若は珍しく常なる無表情を僅かに崩して、眉を顰めた。


「千年生きる? それは無理でしょう」

「いやあ? わかりませんよ~? それに」


 怪訝そうな顔をする常若に、千種は何やらにやりと怪しく口角を吊り上げたかと思えば、軽く目を伏せて常若の片肘を軽く叩いた。


「神舞ってのは、案外やりがいがあって、楽しくて気持ちいいもんだってこと。若さんにも知って貰いたいんでね」


 千種がそう言って立ち上がると、小さく肩を竦めて見せた。

 常若にとって〈神舞〉とは、神遺を鎮魂するために異能をより強い力で行使する行為。か弱い人間たちを守るための手段。使命。今までは、それ以外の何物でもなかった。

 それを千種は「やりがいがあり、楽しくて気持ちがいいもの」なのだと語る。正直、己ではそんなことを感じるのは不可能ではないかと、すぐに常若は思い至った。しかしそれでも、千種が語ることには何故か、胸がざわつくような、浮足立つような思いを常若は抱かずにはいられない。


「そう。それはちょっと——気になるかもしれない」


 常若は何となくふいと視線を斜め下に逸らして、小さく呟く。だが、その呟きを耳聡く拾ったのであろう千種が「ああ。俺が教える。期待しといて、若さん」と喉を鳴らすように笑って応えた。

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