第4話 天降りの契約
「この御簾上げてもいいよな? 若さんとはちゃんと顔見てお話したいんで、俺」
「え。でも、僕の異能が……」
「はーい。大丈夫、大丈夫。ちょいと失礼しますよ~」
常若が戸惑うのにも構わず、千種は常若が座する〈箱〉の御簾を慣れた手つきで一面だけ上げた。
御簾越しではなく、直に千種と目と目が合う。常若は、誰かと目が合うことにまったく慣れていない。ゆえに、何故か己の鼓動が速くなるのを感じて思わず胸を押さえるが、一方の千種は片方の口角を吊り上げるような笑みを浮かべて、眼鏡を片手の中指と親指で押し上げた。
「よし。やっと顔見れて嬉しいぜ? 若さん。やっぱ相変わらず、山荷葉みたいで綺麗だ。若さんは」
そんなことをさらりと言い放ち、眉を上げて見せる千種に常若は何と返せばいいのかわからなくて、結局本音を呟いた。
「……変な人間だ、きみは……」
「そりゃどーも。あと、俺のことは千種って呼んでくれますと大変喜ぶんですが」
「……千種」
「ありがとう、若さん。控えめに言って滅茶苦茶嬉しい」
千種は御簾を紐で括り上げると、再び常若の前に胡坐をかいて座る。
すると今までとは打って変わって、千種は随分と神妙な面持ちで、やはり真っ直ぐに常若を見据えてきた。
「さっそくで悪いけど、まず。若さんにどうしても話しておかなきゃいけない事がある。さっきの話でも少ししたけど、邦神治安総局から俺へと下された結婚命令。それは実のところ——俺が若さんへと婿入りし、隙を見てこの一年以内に若さんを殺害しろって内容が、真実だ」
「……!」
千種の口から語られた真実に、一瞬だけ常若は目を丸くしたが、すぐにいつもの無表情に戻る。何故なら、千種が受けたその指令の理由に、何となく見当がついたからだ。
「あの人たちの言い分はこう。今現在の若さんは客神十二柱の誰よりも神に近づきすぎている。日に日に強大になり、いずれは神にも匹敵するようになるだろう若さんの呪いの異能を、国の脅威と判断したんだと」
前にも屋敷人たちが、陰で同じような事を話していたことを常若は思い出す。
どうやら常若の客神としての才能は凄まじいらしく、まさに千年に一度現れるかどうかの逸材。
そんな常若が国の手にすら余ると判断した邦神治安総局は、常若がこの世から存在し無くなれば顕現する、次代の弱くて扱いやすい呪いの客神を求めている。
ゆえに、常若に死んでほしいのだ。
千種が話した真実を聞いた常若は「思ってた通りだ」と内心で呟く。やはり他人事のように、それらがすとんと腑に落ちたのだ。
常若は確信をもって、断言するように独り言ちる。
「邦神治安総局にも、国にも、きっとこの世の遍くものに、僕は跡形も無く消え去ることが望まれてる。求められてる……僕は、死ぬべき神なんだ」
「そんなわけないだろ。絶対」
常若の確信を、間髪を容れずに低い声で否定してきたのは、千種だった。
思いもよらない千種からの否定に、常若は短く息を呑んで、千種に目を向ける。
出逢った瞬間から、ずっと常若の目を真っ直ぐに見据えてくる千種の顔は、至極真剣そのものであった。
「先に言っときますが、俺は邦神治安総局から請けたあの胸糞悪ぃ指令なんぞは、断じて遂行するつもりはねぇ。これだけは覚えといて、若さん。それに、あのクソ組織の命令をお利口さんに遂行してやる義理なんざ微塵もねぇしな。俺には」
千種は一瞬、どこか翳りのある昏い目をしていたように見えたが、すぐに光が迸る金色の双眸を上げて、「そんで、提案させてほしいんだが」と何やら進言してきた。
「俺は奴らの命で若さんを殺しに来たんじゃない。俺は、今や〈神〉に成りかけている若さんを〈人間〉に戻すためにここに来たんだ。今の若さんは人との関わりや繋がりが極端に薄く、か細い。だから心が弱って、魂が神の異能に吞まれかけてる。異能制御は、精神力と密接だ。若さんの心が本来の若さんらしく、豊かになれば、神の異能をより制御できるようになる。そうなれば、邦神治安総局も若さんの暗殺なんぞ馬鹿げたこと、考えることも無くなるはずだ」
「……そう。でも、千種が目指すそれらを達成できる可能性は、限りなく低いと思う」
力強く語りかけてくる千種に、常若はそれでも淡々と首を横に振った。
生まれながらの神たる己が「人間」に成るなど——一切の想像もつかなかったからだ。
「僕は生まれた時から、呪いの神でしかない。僕が人の心を持ち得るなんてこと、考えられない。それこそ、一度死にでもしない限りは……」
「それなら、若さん」
不意に、千種が壇上へと上がってきたかと思えば〈箱〉の中へと半身を滑り込ませ、いつの間にか視線を逸らしていた常若と、無理やり間近で目を合わせてきた。思っていた以上に千種は身長が高いうえに肩幅が広く、身体も大きいので、覆いかぶさられるような形になった華奢な常若は何だか圧倒されてしまう。
「生きたまま、生まれ変わろうか。〈神〉から〈人間〉に天降りして、一度生まれ変わってみようぜ。大丈夫、俺が支える。俺に若さんの天降り、手伝わせてくれない? な、お願い」
千種は食い下がった。そして、やはり常若を「逃がさない」とでも言いたげな鋭い双眸の中にある瞳は、線香花火にも似た黄金の火花が爆ぜるように弾け飛んでいた。
「……わかっ、た……」
常若はとうとう観念して、小さく吐息を漏らしながら千種へと頷いて見せた。
「どうせ、結婚するのは……否。契約結婚、って言うのかな。それは必至。期限も一年だ。千種の好きにすればいいよ」
常若の「契約結婚」という発言に、千種が何か言いたげにぴくりと眉を動かした気がしたが、すぐに笑みを浮かべて常若に力強く頷き返した。
「……ああ。ありがとう、若さん。これで晴れて——俺たちは夫婦だ。仮初だけれども。そんじゃまずは若さんの夫(仮)として、一仕事しようかね」
千種がおもむろに立ち上がったかと思えば、佩いていた刀を鞘から抜き去り、撫で上げるようなしなやかな太刀筋を、流麗に振るった。
すると一瞬にして常若が座す〈箱〉が横真っ二つに斬り落とされ、常若を囲い込んで堅牢に封印していた御簾と結界が、花が咲くように開いて舞い上がり、はらはらと踊りながら畳の上に散ってゆく。
常若を長年縛り付け、閉じ込め、神を擁する高御座の如く鎮座していた〈箱〉が、あっという間に結界ごと壊されてしまった。それに常若は驚愕せずにはおられず、思いがけず大きく目を瞠ると、〈箱〉の低い天井が無くなった先にいた千種を見上げる。
常若の日常の大部分の一つであったものを、あっさりと破壊した男。これから仮初の夫となる男——千種はにやりと怪しく笑いながら小首を傾げて見せた。その拍子に眼鏡のグラスコードが揺れ動き、散っている結界破片の光に反射して、きらりと瞬く。
「そもそも。若さんをこんな檻に閉じ込めておこうなんざ何事かって話。甚だ気に食わねぇ。若さん、これからは夫婦方針で自由に世界を出歩こうぜ?」
千種は抜いた太刀を再び鞘に納めると、茫然とする常若の傍に片膝をついて近寄り、常若の細い肩を片手で軽く叩いた。
「ということで、この契約の一年。若さんが〈人〉へと天降るまで。不束な夫ではございますが、何卒よろしくお願い申し上げます」
千種が眉をくしゃっと寄せたような、少しあどけなさが残る笑みを常若に向けてくる。それに常若は戸惑いながらも、小さく頷き、「よろしく……千種」と応えた。
こうして、客神十二柱が一角、呪いの客神「万枝常若」と。異色の神使「斗戸千種」による契約結婚が、晴れて此処に成立したのであった。




