第27話 少女神〈常若比売〉
いよいよ常若が、今まで随分と出し渋っていた——本気を、出す。
常若の隠されていた本性が。畏怖を抱かずにはいられない、強大な力と魂が、自由に解き放たれる。
それを本能で痛いほどに思い知って、千種と一颯は冷や汗を滲ませずにはいられない。
「これは覚悟せなあかんわ……千種。呼吸合わせんの、忘れてへんやろな?」
「ばーか。んなもん、生まれる前から嫌になるほど合わせてきてんだろうが」
「よっしゃ。なら、やるで——俺とお前で、若くんを支えたんねや」
「ああ。若さんの全部を、全身全霊で支える。絶対に」
双子が呼吸を合わせる。まるで一人に還るかのように。
千種も弓役へと回って、両腕に弦を巻き付けると、太刀を弓に見立てた。
千種と一颯が、寸分違わず同じ動きで、見惚れるような美しい姿勢を以て弓を強く、強く引き絞る。これぞまさに、阿吽の呼吸。
己から伸びる異能を司る弦が、精密に制御される心地よさを嚙み締めながら。
常若は心底楽しそうな、蕩けるような声で、祝詞を唱えた。
「いざたまえ。此処に於いて、来降」
ついに、降臨する。
この世でたった一人、〈比売〉の名を冠する少女神が。
「詛咋双神主常若比売」
常若比売——客神十二柱で唯一、女を厭うはずの山神に愛されてしまった呪いの姫神。
常若が現人神たる己の真名を開示すると、その姿が徐々に「真の神姿」へと変身してゆく。
亜麻色が黄金の如く艷めく御髪の頂には、漆黒の立烏帽子。
風に舞う白色の直垂の至る所には、鳥兜の青き花色で恐ろしいほど美しく彩られ、常闇色の長袴は大地に蠢く影に溶けるほど黒い。
宙には幾本もの藁糸が常若を囲むように浮いている。
〈神体来降〉にて真なる客神として顕現した常若は、白拍子にも似た神々しい姿へと変身した。
常若がおもむろに片手に持つ蝙蝠扇を手放すと、それは巨大神遺の眉間へと吸い込まれていった。
次いで常若が、佩いた太刀をすらりと抜くと、みるみるうちに太刀は柄の長い釘抜き付きの大槌へと変貌する。
「いで、きたまへ。杭鳴る音の方へ」
常若は歌った。
「杭の音は君が御魂をゆらゆら揺らさむ。我が言霊は君が御魂をうらうら燃やさむ」
この世のものとは思えない、美しい声音を以て。
「恋ひ恋ふ君は呪詛の如し。あはれ、怨みて。荒ぶる君は言祝ぐやう。あはれ、慶びて。君が歌は産土が和らぎ。あはれ、歌ひて。歌ひ終はらば遍く産土、眠りにつかむ」
常若の神体来降と共に顕現した、周辺に漂う輝く藁糸が一気に収束し、人型の形代となる。
「君も眠れ。闇のかひな、昏き褥が迎へに来たり。君が呪い、さながら我が喰らはむぞ」
そして、幾つもの釘が顕現し、常若の前まで流れてくると、形代に向かってずらりと並んだ。
「いざや、呪え」
常若が、大槌で眼前に浮かぶ形代へと釘を打ち込む。
すると、打ち込まれた釘に連動するように、巨大な杭が常若の頭上に顕現して、それらが巨大神遺に撃ち込まれていった。
コン。コォン。コォーン。
杭を打つ音は眠りたくなるほど耳心地がいい。
しかし、徐々にその高い音は、地響きのような轟音へと変化してゆく。
杭を撃ち込まれた巨大神遺は、常若に打たれる度にその巨体を大きく震わせて、泣き声を上げた。
だがその泣き声は、決して痛みに苦悶するような絶叫ではない。
まるで慈悲の雨に打たれて涙するような、歓喜の泣き声であった。
「いざや、祝え」
常若が歌った「祝え」を決め手に、巨大神遺は完全に鎮魂し、その神気が虹色の光となって弾け、雨のように降り注いだ。
光の雨が降り注ぐ中、巨大神遺の呪いを抽出した一本の杭が、常若のもとに還ってくる。常若はその杭を小さな口でおもむろに、呑み込んだ。
鎮魂した巨大神遺を仰ぐと、常若は終わりの祝詞を呟く。
「いで、きたまへ」
刹那。常若の〈神体来降〉は完全に解かれ、いつもの着物姿に戻る。
それに次いで、常若の背後で大地に二つのクレーターができるほどの衝撃に耐えて異能の弦を制御していた、千種と一颯の神使術も解かれた。
三人は満身創痍とも言えるほどに、ふらふらと極度の疲労で身体を揺らしながら、焦点の合わない視線を互いに交わした後、互いの片手を「ぱん」と叩き合う。
そうして誰からともなく、三人はその場に輪になるように倒れ込んで、しばらく荒い呼吸を繰り返していた。
常若は虹色の光の雨に彩られた空を仰いで、気の抜けたような——しかし、心底興奮しきったような声を漏らした。
その目は、未だに銀色の熱でちらちらときらめいている。
「はあ……楽しかったー……」
「く、ははは。だな。楽しかったわ」
「なぁにが楽しいや……キショ。変態やろ、お前ら……久々に死ぬかと思たわ、ボケ……」
千種も心底楽しそうな様子でくしゃっとした笑みを浮かべると、笑い声を上げる。
一方の一颯は、心底呆れ果てたような半眼で、悪態を吐いた。
だが、一颯もすぐに千種とよく似たあどけない顔で、満面の笑みを零す。
三人はしばらく、美しい虹色の空を仰いで、笑っていた。




