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常若比売の天降り婚  作者: 根占桐守
第四章
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第25話 巨大神遺


 ◇◇◇


 常若と一颯(かずさ)は、巨大神遺が発生したと思われる山界の(ふもと)まで辿り着いた。

 山界の入り口周辺には広範囲に分厚くて高い雪の壁が張り巡らされている。

 間違いなく、〈(ゆき)客神(まれびと)〉たる氷真(ひさね)の異能によるものだろう。

 雪の壁の向こう側には、獣や蟲、魚といった様々な生き物の黒い影——おそらく〈呪いの神遺〉が、無数に閉じ込められていた。


 雪の壁を破らんと、呪いの神遺は暴れるように蠢いている。

 それらに応戦して、神舞を執り行っている銀鏡(しろみ)一家の姿が遠く、まばらに見えた。

 常若と一颯(かずさ)はすぐ、銀鏡(しろみ)一家の指揮を執っている氷真(ひさね)を見つけた。

 常若は思いがけず駆け出して、雪の壁の僅かな隙間から中へと薄い身体を滑り込ませると氷真に呼びかける。


「氷真!」


 常若の声に、氷真はすぐに気が付いて振り向いてくれた。


「常若、一颯! よく来てくれた、助かる!」

「氷真くんも気張っとるなあ。取り敢えず、手短に現況教えてや」


 風の異能で雪の壁を上から越えてきたのであろう一颯が、常若の隣に並んで氷真に短く尋ねる。

 すると氷真は、神舞を指揮しながらも、端的に答えてくれた。


「この陽枝(ひのえ)山界(さんかい)に巨大神遺が発生した。その巨大神遺を源泉に、神遺の群れが生まれてきてるらしい。俺らはこの群れを市街に出さねぇよう食い止める。お前らは今すぐここから陽枝山界に入って、千種のもとに向かえ! 千種が巨大神遺を追ってる! そんで、巨大神遺を鎮魂しろ。そしたらこの群れも全部鎮まるはずだ!」


 氷真の指示に、常若と一颯は無言で目配せをして即座に頷き合った。


「わかった。あんがと、氷真くん。そっちは任せたで」

「おう、任せろ! それと、常若!」


 一颯と共に山界へと向かおうとした常若だが、ふと氷真に呼ばれて引き止められる。

 常若が振り向くと、氷真が異能を駆使して神遺を漏らさず鎮魂しつつ、常若を真剣な表情で見上げてきた。


「今回の神遺は、そう簡単には攻略できない大物だ。おそらくお前は、決断を迫られる。だが、迷うことはねぇ——信じろ、常若」


 常若は思わずはっと息を呑んで、目を丸くした。氷真の言う「信じろ」という言葉が、痛く常若に刺さったからだ。

 何故なら常若は未だに——己の異能の強大さが誰かを傷つけまいかと、千種にも己の異能の本性を明らかにしていない。

 誰かを「心の底から信じる」「信頼する」という行為は、今の常若にとっては未だ未知の領域にある。

 それを見抜いたのであろう氷真が、続けて声を張り上げる。


「とにかくお前は千種のこと、目一杯信じろ。思いっ切り千種を頼れ。あいつはやる男だ。それだけでいい」


 そう断言すると、氷真はにっと口角を吊り上げて自信満々に笑った。

 その笑みは、常若が抱いていた「信じる」という未知の行為への不安を、不思議と和らげてくれる。

 きっとこれは——「勇気」、というものなのかもしれない。

 氷真に「勇気」を貰った常若は力強く頷いて、氷真に応えた。


「! うん。わかった。ありがとう、氷真。やってみる」

「いい返事だ! じゃあそっちは頼んだぞ、常若、一颯!」


 常若と一颯は、氷真の勇ましい声に背中を押されて、再び互いに頷き合う。

 そして二人は、千種がいるであろう山界の中へと駆け出した。




 常若と一颯が山界に入山してすぐ。

 全身が粟立つような凄まじい神気が、常若たちの全身を突き刺した。

 おそらく、つい最近にこの山界には正真正銘の〈神〉が顕現していたのだろう。あまりにもの強大な〈神の残滓〉の気配に、呼吸も奪われるような心地がする。

 常若が鬱蒼と茂る黒い木々の間を縫うように駆けていると、不意に、夜のように暗くなって、辺り一帯が陰る。

 頭上に、計り知れないほど巨大な「何か」がいる。

 それを瞬時に本能で悟った常若が空を仰ぐ前に、近くで「若くん!」と叫ぶ一颯の焦燥に煽られたような声が響いた。

 併せて、常若の頸に縄のようなものが絡みつき、常若を宙に吊り上げようと、猛烈な力で上へと引っ張られる。


「ぐ……!」


 思わず常若は苦悶の声を上げた。

 しかし、常若に絡みついた縄はすぐに断ち切られる。次の瞬間には、常若は軽々と誰かに抱きすくめられて、気が付けば木の太い枝の上にいた。


「若さん——大丈夫か」


 すぐ耳元でかけられた声は、もう随分と耳慣れた低い声。常若は首を押さえて咳き込みながらも、ゆるゆると顔を上げる。


「首、痛いとことかない?」


 常若をまるで赤子でも抱くように片腕で抱きしめ、覗き込んでくるのはやはり千種だった。

 千種の声は何処かいつもより硬く、緊張しているように思える。おそらく、常若を心配してのことだろう。

 常若は千種を安心させたくて、なるべく柔らかな声を心掛けて千種の声に答えた。


「ち、くさ……うん、何ともない。だいじょうぶ。ありがとう、たすかった」

「……っはあ~……良かった。悪い、ギリギリになって。何ともないなら、まじ……うん。良かった」


 常若の声を聞いた千種は、心底ほっとしたように深く息を吐き出すと、顔を常若の肩口に埋めて、次は両腕を以てぎゅうっと更に強く常若を抱きしめなおす。

 その逞しい腕と、分厚い胸板、常若の耳と髪にかかる呼吸が微かに震えている気がして、常若は何となく千種の頭を撫でた。

 本当は背中を摩ってあげたいのだが、千種と常若の体格差では、常若の腕を千種の背中にまで回すことができない。

 もっと、己も千種のように身体が大きければ、千種を包み込むくらいに抱きしめられるのにと、常若は密かに唇を薄く嚙む。


「千種? だいじょうぶ? 何か、怖いの?」

「……ああ、怖いね。若さんのことになると、色んな事が怖くなる。これは、うん——いちばん、怖ぇな」


 くぐもった声で苦笑する千種に、常若は何か声をかけなければと思い、口を開きかけるが、それは地上からこちらを半眼で見上げてくる一颯に遮られた。


「そこ。イチャついとる場合やないで。あの巨大神遺の影ん中、入らんよう気を付けや。たぶん死ぬで」


 一颯の声を受けて、常若と千種は互いに頷き合うと、二人揃って木の上から地上に降りる。

 そして二人は一颯の隣に並んで立つと、一颯が顎を振って見せた方向に目を向けた。

 そこには、無数の首吊り縄をぶら下げた、黒い水の塊の肉を持つ人型の〈巨大神遺〉。その大きさはまさに、山の如く巨大だ。

 巨大神遺からは、数え切れないほどの小さな神遺が分裂して生じており、山界の下方へと次々に下って行っている。あれが、麓で氷真たちが相手取っていた神遺の正体だろう。

 目を細めて巨大神遺を眺めていた一颯が、おもむろに片手を掲げて風の異能を顕現させると、巨大神遺に向けて風の刃を放つ。

 強力な神気を纏った風の刃。

 あれを受ければ、普通の神遺はあっという間に鎮魂されるだろう。

 しかし、巨大神遺は風の刃を容易に呑み込み、まったく鎮魂の効果は感じられない。

 それを確認した一颯が眉根を寄せて、短く舌を打ち鳴らした。


「……こいつ、やっぱり形と気配からして呪い系統の神遺やな。こうなったら……」

「うん」


 こちらを振り向いた一颯に、常若は目を細めて巨大神遺を見上げながら頷いて見せる。


「この神遺は、僕にしか鎮めることができない。呪いは呪いを以て制す——僕ほど強い呪いは、如何なる世界にも存在しない。これは、僕が()べるよ」


 あらゆる呪いを喰い尽くすことができる、〈呪いの客神〉たる常若にとって、呪いの神遺は非常に相性がいい相手。

 ならばここは、〈風の客神〉たる一颯ではなく、常若の異能を中心に神舞を執り行うことが最適だろう。

 常若の決断に、千種も怪しくにっと口角を吊り上げて頷く。


「んじゃまあ、やりますか。若さん——俺らの神舞」

「うん。やろう。だけどその前に……」


 ふと常若が一颯の方へと向き直り、真っ直ぐに見据えた。


「一颯、僕の神使に成って。今すぐ、ここで」

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