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常若比売の天降り婚  作者: 根占桐守
第三章
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第21話 献身の誓い


 ◇◇◇


 ふと、千種は己が命を懸けて支えたいと(こいねが)ったかつての小さな客神(まれびと)——常若の声が確かに聞こえて、懐かしい夢から目を覚ます。


 何度かまばたきをして布団から上体を起こすと、少し離れた隣の布団で眠る常若が苦しそうに寝顔を歪めて、(うな)されている姿が目に入った。

 常若の閉じられた目蓋を彩る、亜麻色の長い睫毛が細かく震えている。

 千種は咄嗟に常若のか細い肩を掴むと揺らして、常若を呼んで起こす。すると、常若はすぐに目を覚ました。


「大丈夫か? 若さん。(うな)されてた」

「……ああ、うん。僕、よく……途轍もなく寒い、夢を見るみたいで。うるさくしてごめん、千種」


 常若が日常的に悪夢を見ているのだろうことを、千種は密かに察した。

 そして、どこかばつが悪そうに吐息を漏らしている常若へと、千種は明るく声をかける。


「なーに言ってんの。悪夢なんて誰でも見るもんなんだから。謝ることなんざねぇよ、若さん」


 千種はにっと笑って見せると立ち上がって、常若の布団に己の布団を引き寄せて、ぴったりとくっつける。そのまま布団に入り、更に常若との距離を詰めると、布団の中で常若の手を握った。


「今日はこうして寝ようぜ。これなら寒くならない」


 慣れないことをしてしまった、と瞬時に後悔してしまう千種。

 だが、それでも千種は常若が安らかに眠れるならばと、「どっどっどっ」と次第に高鳴っていく心臓が悟られぬよう、慎重に常若の手を己の無駄にデカい手で包んだ。


「また怖い夢見たら、いつでも起こせよ? 若さん」


 そんな千種の行動に、常若が目を丸くする。


「千種は……いつもやさしいね。どうして?」


 常若は常に無表情だが、今の千種にはわかる。常若は心底、不思議そうな顔をしていた。

「こんなことをするのは、常若にだけだ」そう思うのと同時に、「そりゃあ、俺は若さんが……」そこまで言いかけて、咄嗟に千種は口を噤む。

 これ以上は、いけない。

 理性が、己の本能をしっかりと制したことを悟って、千種は思わず目を伏せながら小さく苦笑を零した。


「いや……二人なら、ちょっとは怖いのも和らぐ。夫婦はこういうのも、二人で分かち合うもんなんですよ」

「そうなんだ」


 いつも千種の言う事に、常若は素直に納得してくれる。

 そんな常若が、千種は心配で堪らなくなる。

 しかしそれ以上に、嬉しくて、嬉しくて、堪らなくなる。


「夫婦って、いいね。千種が僕の夫で、良かった」


 そんな常若の言葉を聞いて、千種は思わず「あー」と掠れた声で唸り、顔を片手で覆って深い吐息を吐くが、もう片方の手の中にある常若の小さな手を、更にきゅっと固く握った。


 この今にも折れそうなほどに細くて、柔こくて、小さな手だけは——何が何でも離したくないと、痛いほどに思い知ってしまった。


 常若と己の結婚は仮初に過ぎない。

 その契約期間はたった一年ぽっち。

 きっと己はこの一年を通して、「もっと、もっと」と、常若の傍に居ることを欲張ってしまうのだろう。

 もっと、常若をすぐ傍で見ていたい。

 もっと、常若に触れていたい。

 もっと、常若の名前を呼んでいたい。

 もっと、常若に己の名前を──「千種」と、呼ばれていたい。


「これなら、眠れそう……ありがとう。千種。おやすみ」

「……ああ。おやすみ、若さん」


 常若の金糸のような睫毛が頬に落ちて、すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。


 常若の白磁のような丸い頬。

 赤と青で結ばれた糸のような血管が浮かび上がった薄い目蓋。

 瑞々しい果実のような、赤くて小さな唇。


 そんな、常若を形成する何もかもから目が離せなくなるのを危惧して、千種は咄嗟に固く目を閉じた。

 千種は常若を前にすると、いつだって、どうしても常若に釘付けになってしまうのだ。


 何度でも、千種は思い知る。魂が焼け焦げてしまうほどに。

 この神に成りかけている少女の傍に居たい。ほんの少しだけでもいい。

 未だに世界を呪い続けているような、醜くて、みっともない。

 こんな己でも、この少女に己の全てを捧げたい。何よりも支えたい。


 この命に代えても。

 この命を懸けて、あなたを支える。

 あなたを守る。

 あなたが笑って生きていける世界へと、あなたをただの人へと——天降りさせて見せる。


 邦神治安総局のお(かみ)、この国、客神十二柱、八百万の神々——たとえ何を敵に回そうとも。


 千種は六年前から抱き続けている、このどうしようもない激情を再び胸の奥に固く仕舞いながら、常若への献身を改めて誓うのだった。

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